紙の本
日教組教育の本質を活写して完膚なし!
2011/01/05 00:12
18人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:塩津計 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書を読むと、世に言われる日教組による教育支配、教育破壊というものが、如何に残酷ですさまじいものだったかが、これでもかこれでもかというくらい生々しく切実なものとして理解することが出来る。
著者である原武史氏は東久留米市にある公団滝沢団地で育ったが、その小学生時代に受けたひどい左翼教育の全貌をリアルに再現してみせている。著者は左翼崩れの小熊英二や吉本隆明が垂れ流す「1970年を境に『政治の季節』は終わり、『私』優先の『私生活中心主義』が広まっていった」などということは「断じて無い」として、彼らの「左翼史観」を全否定するところから筆を起こす。そして全共闘世代の若手教師が全国生活指導研究協議会(全生研)という左翼日教組組織が作ったマニュアルに基づいて、小学校全体を北朝鮮も真っ青の「左翼全体主義」に染め上げていく過程を克明に描く。全生研のやり方は、日本共産党がその綱領で掲げ続ける似非民主主義制度=民主集中制を小学校に当てはめていくもので、まず前衛党に相当する「核クラス」をつくり、そのクラスを左翼教員が洗脳するところからはじめ、生徒会等に関するルールを次々と「民主的」に改変し、その「みんなで決めたルール」に則って、核クラスが生徒会PTAのポストを独占し、小学校を事実上乗っ取ってしまうのである。
所詮は小学生で、小学生に意見らしい意見などない。結局、全員が左翼教師(=共産党指導部)が垂れ流す「ご高説」(マルクス主義理論、あるいは化学的社会主義理論)を鵜呑みにし、その精密なる誘導に従って生徒全員が口パクパクするようになる。中には自我の萌芽を既にもった著者のような早熟な子供もいて、その誘導に反発するものも出てくるのだが、そういう「異分子」は密かに「秘密警察」似の委員会に連行され、そこでその罪を糾弾され、自己批判を強要される(思想改造、政治犯、再教育キャンプ、収容所群島)。更には戦中の隣組も真っ青の「班」が形成され、班競争なるものも強要される。このシステムのミソは常に「落ちこぼれ班」を意図的に作り出し、その「ボロ班」を満座の中で笑いものにし、恥をかかせることにある。これで、その他の生徒に「ああはなりたくない」という「体制順応意識」を植え付け、上からの指示に唯々諾々としてしたがう「従順なロボット生徒」を大量生産する、これがこのシステムの目的なのである。
これは、かつてソ連がポーランドやチェコスロバキア、ハンガリーを軍事的に制圧した後実践した支配のやり方そのものである。いわばソ連式政治支配の小学生版だ。
ソ連式教育システムのコアは、いわば国民を洗脳し、馬鹿に改造し、自分の意見を持たない従順なロボットのみを残し、自分の意見に固執する人間をすべてこの世から抹殺し消去するシステムなのだ。こうしたことはソ連で盛大に実践された市、東欧でも起きた。中国でも、あの忌まわしい文化大革命が起きたし、おお、カンボジアではポルポトの大虐殺が起きたではないか。滝山コミューンでは殺人こそ起きなかったものの、原教授含む多数の小学生は、当時、サヨク教師に精神的に殺されかけたわけだ。
読後、いや、中盤にさしかかるあたりから、なんともやりきれない非常に重苦しい気分にさせられる。まるで「動物農場」「1984」そのものの恐怖政治が東久留米では現実に起きたことを知り他人事ながら慄然とさせられるからである。
紙の本
熱血先生というのは、私は昔からあやしいと思っている
2019/01/28 22:46
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
戦前の軍国主義教育と昭和40年代、50年代の日教組を中心にした教育はまったく180度違う教育にみえて、全体主義でクラスをまとめあげるという点においては、右左関係なく同じなのではないかと思えてくる。ソ連の学校教育を見習って始めたという「班」を中心にした活動というのも、今となっては私たちの何になってもらおうとして取り組んでいたのかよくわからない。私たちの学校も滝山コミューンとまではいかないがあのころは何かへんてこな主義がまかり通っていたような気がする。著者は当時の日教組に染まった先生の子飼いと思われていた生徒たちに40年後取材をして、その子たちもまた、「何かおかしいな」と思いながら役割を演じていたことに気づかされる。熱血先生というのは、私は昔からあやしいと思っている
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これは、タイトルに惹かれて買って読んだが、内容が伴ってなかった。さほど面白くなかった。コミューン、っていうほどの大げさなものではない。共産党のようなものが、決起するのかと思った。
同時代に教育を受けたものとして、時代の匂いを感じることはできた。
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再読。やつ、日教組だったのかなあなんて今になって思った。
小学生の頃、クラスのその日のリーダーが、クラスによって日直と言っていたり、日番と言っていたりしていたことが不思議で仕方がなかった。そういうことだったのね。
ちょっと時代は10年くらいずれてる。でも、なるほどと思うことはけっこうあった。鬼のパンツ・・・やった覚えが。
今の子供たちは鬼のパンツやってんのかな?ちょっとそれが気になった。
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学校という集団がかなり特殊な状況で、常に危険な側面を孕んでいるのだということを再認識しました。
自分もいろんなものを無自覚に受け入れてたんだな(時間割、ホームルーム、委員会、班、係、掃除、などなど
つまり、それゆえに危険。
昔から、学校の先生という存在が嫌いだった事を思い出しました。
また、合わせて団地とういう装置(建築の役割)によって、コミューンの形成は決定的に、同じ間取り、同じ構成、同じ年収などなど
思想教育、ビッグブラザーの世界
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東京都東久留米市の滝山団地を主要な校区として持つ市立第七小学校で行われた、全国生活指導研究協議会の「学級集団づくり」にもとづく学級(および学校)運営の報告。
私はこの「学級集団づくり」を実地で行くクラスを小学校で2年間経験したことがあるので、その内容については知っている事ばかりだった。むしろ、このような学級運営がなぜなされるにいたったのか、児童にその後どういう影響を与えたのか、等について興味があってこの本を読んだのだが、そういう点についてはほとんど触れられずに本が終わってしまったのでがっかりした。どうも、一般の読者にとっては、これらの事実自体が興味の対象であるらしいということに気付いたのは、読後しばらくしてだった。
この本を読んで初めて知ったのは、私の経験した学級運営が、担任のオリジナルではなくて全国生活指導研究協議会という団体の「学級集団づくり」という思想に基づいていたという事。あんなクソみたいなものを良い年した大人がよってたかって作り上げていたなんて、本当に救いのない話だ。しかもこの団体はいまだに存在しているらしい。
「学級集団づくり」がどうクソなのかはこの本に詳しいが、要するに、「児童による自主的な活動を通じて民主的集団を構築する」というのが目的なのに、それを実現するために「集団の利益のために少数派を排除する」という手法が採用されていた事。しかも、何が集団の利益なのかは、児童の合議ではなく教師の独断によるのだ。
このような学級運営を行うために、私の経験したクラスでは、担任の教師が「恫喝・暴力・なだめすかし」というまるでDV加害者のようなやり方で児童たちを支配していた。この本に出てくる「片山先生」が実際にどのように学級を運営していたか、筆者はこのクラスには属していなかったためか詳しく触れられてはいない。もし私の経験とは違うスタイルだったとすれば、それはそれでエグイものだったのではないか。なにしろ、学校生活におけるすべてにおいて、担任の価値観は絶対であり、それに合致しない異端者は、反省会と言う名のつるし上げか、集団心理に基づく洗脳の対象なのだから。
この本の筆者はそのようなクラスにいたわけではない。同じ学年にこの「学級集団づくり」を行う教師が存在し、その学級運営が次第に学校全体に影響を及ぼすことで筆者もまた被害者となっていくのであって、私のようにとにかくそのなかで生きていくしか選択肢がなかった場合とはまた違った苦しみがあったようだ。つまり、自分の担任や委員会活動を通じてつながりのある教師など、自分と価値観を共有でき、自分を守ってくれる大人が学校の中にいることで、かえって事態の異常さが認識でき、その存在の根深さに恐怖するというような。
この本を読んで改めて思ったのは、「集団」というものの恐ろしさだ。民主的な集団を作り上げるつもりがまるで戦時中のような空気の読み合い、自主規制バリバリの体制になってしまって、しかもそれをおかしいと思わない主催者としての担任、それに気付かない周囲の教師、親などなどの大人達。そして本でも触れられているが、集団の一員となることの快感。そこらへんの詳細について、今度はクラスの内側から誰か解説してくれないものだろうか。
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学校に通っていた嫌な思い出を思い出してしまいました。教育って本当に怖いなぁ、一歩間違うとファッショってどこにでも存在するのだなぁと思いました。
しかし著者の記憶力はすごいな、とただただ感心してしまいました。ここまで小学校当時の記憶を体系だてられるのには…。
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東京郊外のマンモス団地における小学校での「自由で民主的な教育」という名の徹底した全体主義を振り返るドキュメンタリー。過剰な班競争や決定事項ごとに行われる児童の演説など、あまりに薄気味悪くて戦慄を覚えた。その反面自分の小学校生活に置き換えると「あれ、もしかして大して変わらない?」と、程度の差こそあれ今まで全く疑問を感じていなかったことも空恐ろしいような。当時疑問を抱き激しく反発した著者の感性の鋭さが凄い。
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東久留米、滝山団地の小学校における「集団づくり」実践の経過の話。決して客観的な分析ではないが、その事がかえってこの作品の意味を際立たせていると思う。ある実践をくぐり抜けた経験を、客観を僭称しない「声」というかたちでいかに拾い上げることができるか。教育的観点からも少なくない含蓄があるが、それ以上に作者のこの「構え方」に非常に共感をおぼえた。
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私の年齢と微妙に違うし、近くて遠い場所の学校だったかもしれないけど
班活動や壁新聞、林間学校や修学旅行、卒業式の呼びかけなど
ちょっと名残というか、いやそれよりも
少しだけ離れているから、時期がずれて体感したかもしれない
とちょっと思ってしまう。
振り返ってみると、たぶん当時の私は、頑張ってその波に乗ったり疲れたりという状態の繰り返しだったような気がする。
ただ団地住まいではなかったので、そこは違うかな。自分の通っている学校の区域にはあまり大きな団地はなかったし。だから団地に憧れがあって、離れた団地に遊びにいったりした記憶もある。
どうなんだろう。
体験したことは似ているけれど、そこまで苦しくなかったような気がするから、私は贅沢なのか、鈍感なのか、どちらかに偏っていたのか・・・。
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途中まで、非常に薄気味悪く、こんなに革新勢力が初等教育に食い込んでいたことに驚いたが、自分の小学校時代も非常に近いことをしたりさせられたりしたことが思い起こされた。
その時も違和感は感じていたものの、自分の意識のうちのわずかしか学校に向いていなかったからか、この筆者ほどの違和感を覚えることはなかった。ただ、当時考え方が全く理解できなかった特定の教師の、思想的背景がよく理解できた。
とにかく、自分の身近に革新勢力が迫って来ていたことに愕然とした。呑み込まれなくて済んでよかった。
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小さなコミュニティの中での事をつづっているが、正直あまりピンと来ない。日本の左翼がどう形成されていったのかの一端を見る事ができる。
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著者とはまったく同い年。同じ時代に区市は違えど都内の小学校に通っていた。ここまでの教育活動が試みられていたとは本当に驚いた。確かに、今の学校現場に比べるとかなり違うと思う。私の場合、君が代も日の丸も覚えていないが、卒業式の呼びかけはあった。証書授与は壇上ではなく、自席で受け取った記憶がある。学芸会の劇は自分たちで分担してシナリオを書き、大道具作りにも時間をかけた。それでいて、学習指導要領上の授業時数は今よりも多かった。一体いつ勉強していたのだろう、それは思い出せない。本書のような極端な例はあまりないのかも知れないが、全国のあちらこちらでこれに近いことがきっと行われていたのだろう。「一人の手」や「わんぱくマーチ」はこれを読むとちょっと歌えなくなりそう。
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ずっと文庫になるのを待っていたのですよ。学校というところに対する違和感をずーっと持ち続けてきた私にとって、この本は本当に待ち遠しかった。私自身はここまでの体験はしていないけど、教師同士が競い合うように”すばらしい”クラスづくりをしていた小学校時代を思い出しました。まあ、彼らも一所懸命だったんだろうけどさあ。
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1974年。西武新宿線沿線の北多摩郡久留米町に開発された滝山団地。総戸数3080戸。開発前に約19600人しかいなかった久留米町の人口は10年後の70年には4倍の78000人となり市制を導入して東久留米市となり、北多摩郡は消滅した。そして著者がこの滝山団地から通ったのが東久留米市立第七小学校である。第七小学校は滝山団地の児童を受け入れ、全校児童の殆どが団地の児童となった。均質化された団地住まいの家庭の児童が大挙して通ったクラスは児童や両親の考え方も均質化していた。先ず始めにP.T.Aの民主化が行われ継いで団塊世代で先日まで学生運動をしていたような新任の教師が赴任して「水道方式」と「学級集団づくり」に基づく新しい教育方法を実践する中で達成されたのが「滝山コミューン」「民主的」という言葉を使いながらその中身は全体主義でソビエトや中国の共産主義の「悪い部分」を抽出したかのような「組織づくり」に著者は困惑と嫌悪を覚え、当時まだ少数派だった私立中学受験たのための学習塾通いに息抜きを見つけようとする。当時から30数年経ってから振り返り、検証する渾身のノンフィクション。