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スピノザという暗号
著者 田島正樹 (著)
スピノザを解読する鍵は、スピノザ自身にある。ヘーゲル─マルクスとつづく近代哲学の始祖スピノザの方法をスピノザ自身に適用することで、自由・義・宗教・神・意志など、私たちが知...
スピノザという暗号
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スピノザという暗号 (クリティーク叢書)
商品説明
スピノザを解読する鍵は、スピノザ自身にある。ヘーゲル─マルクスとつづく近代哲学の始祖スピノザの方法をスピノザ自身に適用することで、自由・義・宗教・神・意志など、私たちが知らないままに動かされている哲学のテーマを明解に説く入門書。
※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、予めご了承ください。試し読みファイルにより、ご購入前にお手持ちの端末での表示をご確認ください。
著者紹介
田島正樹 (著)
- 略歴
- 1950年大阪市生まれ。東京大学大学院博士課程単位取得。東北芸術工科大学教授。哲学専攻。著書に「ニーチェの遠近法」「哲学史のよみ方」「魂と美と幸い」がある。
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紙の本
スピノザの屈折率
2001/12/02 21:14
1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
私が初めて手にした哲学書がスピノザの『エチカ』だった。高校二年の時だった。その時はたしか第一部の途中で挫折した。以来、最初から順を追って読むことは断念したものの、断片的、間歇的に読み続けてきた。いつか自分なりに解読してみたいと思い続けてきた。
ジル・ドゥルーズが『記号と事件』の「哲学について」というインタビューで、哲学史の本を書くことから仕事を始めた際、「全体としてはスピノザ=ニーチェの重大な統一をめざしていた」と語っている。個人的な話題を重ねると、私が『エチカ』の次に手にしたのがニーチェの『ツァラトゥストラ』で、大学一年の頃だった。この時はとにかく最後まで読み切った。ドゥルーズがめざしていたこととはたぶん何の関係もないと思うのだが、私なりの「スピノザ=ニーチェの重大な統一」を『エチカ』の解読を通じて構想してみたいと思うようになった。
ノヴァーリスの「自然科学研究ノート」に、パラケルススの次の言葉が抜き書きしてある。《神のなかに私たちは何ものも見ることができない。神のなかでは、すべてが全体としてあり、完全だからである。神は何ものも屈折させ brechen ない。しかし、神の被造物のなかには、智慧とわざの解剖学があらわれている。》こういった事柄と関係があるのかないのか、それらも含めてスピノザが磨いたレンズの「屈折率」の射程を見定めてみたいと思ってきた。
いま私は『エチカ』の解読を通じてと書いたが、ここでいう「解読」とは暗号解読のこと、すなわち解釈ならぬ「復号」化のことにほかならない。つまり『エチカ』は私にとって暗号で書かれた書物だったし、今でもそうあり続けている。だから、田島氏が本書のあとがきで「スピノザは長い間、私にとって暗号も同然であった」と書いているのを読んで、その経験の質と量の歴然たる違いはさておいて心から同感した。
しかし「まさに暗号解読という方法(およびそれと結びついた全体論的合理性の観念)こそが、スピノザの全哲学の核心そのものである」という田島氏の発見は、私には驚くべきものに思えた。
スピノザの哲学から実在論(神)を棄て、その方法的立場(『聖書』解釈を通じてスピノザが確立した二つの態度、すなわち「内在主義」と「全体論的解釈」)をくりかえしスピノザ自身に適用すること。このアクロバティックな解読の試みによって見えてくるのは「まさにそれがどのように解読されるべきかということそれ自身」である。そしてその時、スピノザの学説は「生きている以上不可避なものとしてわれわれの内部にあって、意識されないままに働いていたわれわれ自身の固有な力の一部である」というのだ。
田島氏が見出した──「プラグマティック」(111頁)で「社会工学」(241頁)的な?──スピノザ哲学の姿は、それ自身哲学書解読の優れたサンプルともいえる第3章「自己原因としての神」、第4章「心─身問題」、第5章「倫理」に精緻かつ精妙な読みとともに示されている。
それはそれで熟読玩味すべき鮮度をもつ面白いものだったのだが、私がとりわけ刺激を受けたのは、スピノザ哲学の奥義(ニーチェのルサンチマンの説とからめて叙述される「理性的認識と能動的活動性の一致」)とその方法を扱った第1章「スピノザの出発」と、スピノザ哲学へ内在するための前梯としての実在性と現実性、可能性と超越性をめぐる形而上学的予備考察と知識論を扱った第2章「実在性」だった。(わけても、信原幸弘氏の議論を参照にしながら展開されるクオリア論は秀逸)。
紙の本
17世紀オランダの異色のユダヤ人哲学者スピノザの仕事を、「暗号」として捉える現代的解読の試み。
2001/09/28 03:15
1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:宇波彰 - この投稿者のレビュー一覧を見る
17世紀のオランダの哲学者スピノザは、24歳のとき、自らが属していたユダヤ人社会から永久に追放された。ドイツの大学から招聘されても、自分の思想の独自性と自由を守るために、レンズ磨きという仕事を生計の手段とし、孤独のなかで思索することを止めなかった。「神すなわち自然」というスピノザの思想は、過激な無神論として危険視され、主著『エチカ』は、死後になってようやく出版された。スピノザについてのこのようなよく知られた情報だけを見ても、彼がどれほど特異な哲学者であったかが推測される。
著者が説くように、ライプニッツがしばしば研究対象として脚光を浴びてきたのに対して、スピノザについての本当の評価は、20世紀になってようやくなされたといっても過言ではない。ドゥルーズ『スピノザと表現の問題』(法政大学出版局)、ヨベル『スピノザ 異端の系譜』(人文書院)などの仕事が想起される。わが国でも、桂寿一、工藤喜作のスピノザ研究がある。田島正樹によるこの新しいスピノザ研究は、スピノザ思想の解読の鍵はスピノザ自身にあるという前提から出発している。
たとえば、デカルトの心身二元論に対して、スピノザが精神と身体の関係についてどのように考えていたかについて、著者は次のように考える。(スピノザにおいては)「心的なものと、身体または脳のある状態の関係は、いずれの方向でも因果関係ではなく、シニフィエ(意味内容)とシニフィアン(記号表現)の関係である。」つまり「精神は身体の観念」という立場が主張されているのであり、心的なものは解読すべき「暗号」として捉えられる。
本書は、いたるところでこのようなスピノザの「暗号」を発見し、それを解き明かそうとする著者の作業の報告書である。 (bk1ブックナビゲーター:宇波彰/札幌大学教授 2001.09.28)