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書くの忘れてたので、3巻と一緒にアップ。
村重、信長、秀吉、半兵衛など、人物も大勢登場で、いよいよ話が大きく動いてきました。
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信長・秀吉との出会いから荒木村重の謀反まで。今一盛り上がってこないですねえ。天下統一に大きな影響を及ぼす戦局とはいえ、やはり一地方の一人物に偏った目線で描くとどうしてもミクロに入り込んでしまうのでしょうか。官兵衛も物語の中で秀吉が嫉妬するほどの才能と評されているけど、実際には播州の調略さえろくにできずに右往左往しているようにしか見えません。それも播州が地元で良く知ってるから官兵衛に任せたという事情があって、秀吉も任せてうまくいかなくてちょっと後悔してるし。
以前読んだ「新史 太閤記」でも、官兵衛に対する司馬遼太郎の思い入れは伝わってきたけど、どうも影が薄くてどんな実績を上げた人なのか思い出せない。
秀吉に命運を託して姫路城を献上してしまったのはなかなかできることではないけど、それをいうなら流浪の身で何の実績もなかった黒田家の将来性を見抜いて、自分の屋敷を与えた上に重臣となった竹森新右衛門の方がすごいぞ。今のままでも十分楽な暮らしがしていけるのに、あえて家財一切を放り出して黒田家に仕えて侍の道を選ぶとは、戦国とはいえ半端ないチャレンジャーだ。
まあ官兵衛の考え方や人物像には共感を覚えるので、三巻以降の活躍に期待しよう。
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室町時代の社会を引きずっている播州で働く官兵衛のもどかしさ、羽柴秀吉の他人には真似ができない特異の処世術、人を道具としか考えない冷酷さを持っているが、常に斬新な考えと行動ができる織田信長。官兵衛と官兵衛と同時代に生きた武将を鋭く考察し書かれていると感じました。
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2巻です。現在電車に乗っている時間が片道45分もあるのですいすい読めます。この面だけみると長期的通勤も悪くはない。体調崩すと最悪だけどね。
さて信長によってあっさり室町幕府は滅亡。延暦寺も焼き討ちにあうがまだ中世的か価値観は終わらず。特に播州においては。
あっみなみに私本籍は今の住所でいうと兵庫県赤穂市の上郡というところです。なのでこの物語と多少は縁がありますね。まあ農民だと思いますけど。
一向宗が全国で半期を翻し、特に石山本願寺は毛利氏の援助も受け非常にしぶとい。武田信玄は死んだが、上杉謙信はまだ生きている。北条も。
いよいよ秀吉が中国攻めをかける。そして竹中半兵衛の登場。でもなかなか戦国が終わらない。それにしても司馬の人物描写には舌を巻く。信長のある種の英雄性を客観的に書くのは並大抵ではないと思う。そりゃ中世を終わらせるためにはそれくらいは必要だよなと思ってしまう。
はやく続きが読みたいけどBOOKOFFに売っているかな。
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豊臣秀吉の軍師として名高い、黒田官兵衛の生涯を描いた、司馬遼太郎氏の歴史小説、第二巻。
いよいよ、織田信長による天下布武の動きが顕わになる。羽柴秀吉との密接なる関係構築、竹中半兵衛との出会い、播磨が大きく動き、その地を取り巻く様々な勢力にも、変化が見られる。
新興の勢力である織田勢がその勢力範囲を播磨にも広げつつあり、辛うじて揃っていた播磨勢の足並みが徐々に乱れてくる。さらに西を見れば、中国地方の覇者、毛利氏が構えている。毛利元就が亡くなり、その孫である毛利輝元が未熟ながらも当主になったとは言え、その両脇は吉川元春、小早川隆景という、言わば両川の強力な陣が敷かれており、常に戦々恐々の境遇に立たされている。
新興勢力の織田に就くか、中国の覇者毛利に就くか。しかし、時勢を観察しそのアンテナを広げようともせず、旧態依然の凝り固まった考えしか持たない播磨勢の反応は予想以上に鈍い。加えて織田勢は、延暦寺焼き討ちと言う言わば『仏敵』といっても過言ではない仕打ちを平気ですることから、仏教徒(特に本願寺勢)からは目の敵にされ、一層織田勢に目を向ける者など皆無に等しくなる。キリシタンとの交流において、様々な知識や時勢・情報を取り入れた黒田官兵衛にとって、孤軍奮闘の日々が続きながらも、何とか自分の仕える当主・小寺氏を織田勢へ組み込むように仕向けるが、雲行きは一向に晴れない。どんなに柔軟な思考を持つ黒田官兵衛を以てしても、その考えを十分に周囲に浸透させる、というわけにはいかず、その苦悩が見てとれる。
羽柴秀吉との関係も、一層深まりつつあるものの、その関係性は表面的には深い絆を感じられつつも、心中は複雑のようだ。黒田官兵衛の度量や才覚は、時折羽柴秀吉を感嘆させるほどであるものの、いつしか彼が自分の座を取って代わられるのでは、と思うには十分すぎる。その上、彼も織田信長の直臣とは言え、本来の身分は小寺家の家老である。直接織田信長の命が下される関係ではない。それ故、自分の才覚を発揮する場の自由さが保障されている。羽柴秀吉が、黒田官兵衛に対して嫉妬してしまうのも無理はないと思う。
それを、表面に出すか出すまいか、によって、羽柴秀吉その御仁の度量が計られるわけではあるが…
『武』ではとりわけ才能の無い黒田官兵衛による、知恵者の才覚をふんだんに発揮する場面であるが、それが故に苦悩する面も多くみられる。その一方で、主家を裏切れない一途な思いも、偽りなく官兵衛の中に占められている。この葛藤は、後々黒田官兵衛を大きな運命の渦と関係するに違いない。揺れ動く時勢の中で、ほとんど『独り』の苦しみや辛さを噛み締めながら生きる様は、拝読者としても見守らずにはいられない。
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信長を通じて秀吉に出会います
そして心の友・ライバルといえる竹中半兵衛とも出会い
三人で力をあわせて播州平定に力を合わせますが
半兵衛の病気、なかなか判断をくだしてくれない主君
そう迷っている間
各播州大名は毛利側に傾き
織田家により播州平定は不利に!!
さらに摂津国・村重の謀反発覚
この危機を官兵衛はどう乗り越えるのか楽しみです!!
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第二巻。
播州緒将領が織田側か毛利側か後ろ盾に迷う中、秀吉の傘下で織田方として奔走する若き官兵衛の姿を描く。
以下引用~
・信長のつよい癖として、家来に期待するのに無私であることを希んだ。
無用に私財を蓄えたがる男を憎み、極端に憎む場合はそういう人物を追放さえしたらしい。秀吉は信長のそういう癖をよく心得ていて、自分の身近を簡素にし、私欲は皆無ということをみせ、無欲をつねに大きく表現した。
・武将たちが少々やりかたが間違っていても信長はそれを責めず、その将が時間の無駄なく働き、くるくると隙間なく旋回していることをよろこぶ。このことは織田家を特徴づけているもっともつよい個性といっていい。
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このペースで大阪の陣までいくのか?と思ってしまう、残り2巻。
織田の六人衆はなんだか凄まじい役者揃い。
織田信長を上司にたとえてよんでしまう、自分がいます笑
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なんかダルイ。播州の話、もう飽きた。信長の腰の重さは説明されるから一応納得はするけどイライラする。 竹中半兵衛が登場。『三国志』の伏龍・鳳雛みたいな感じなんかなぁ?半兵衛は秀吉の7度目の来訪でほだされたから「三顧の礼」より四顧多い「七顧の礼」やな(笑) 半兵衛は官兵衛を「くゎんぴょうえ」と呼んでた。最終的に「くゎらるんぷーる」って呼ばれてたらオモロイのになぁ。 最後にちょこっと小西行長が登場。
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播磨が織田方に付くか毛利方に付くかでごちゃごちゃしていた時代。
官兵衛くんは織田方に付くよう説得しまくるも上手くいかない。
そして、摂津の荒木村重さんが信長くんに謀反を起こすまでがこの巻のお話でした。
これまでは国をまとめるってことで、押しが強くて人情よりも統一第一主義の信長くんが力を持っていたけど、それが見えてきて、徳のないトップを持つのはいかがなものか…って人が現れてきたってことみたい。
次の巻でいよいよ有岡城に官兵衛くんが幽閉されちゃうのかなぁ?
わくわく!
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織田信長の時代になると感じる黒田官兵衛。その信長から「播州のことは秀吉に・・・」と言われ秀吉に面会する。
秀吉、官兵衛お互いを認め合い濃密な二人の関係が始まる。
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司馬遼太郎は、ためになりますが、歴史書を読んでいるようで時間がかかります。 年間100冊の目標まで、あと15冊。ちょっと無理か。
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播州を毛利と織田で取り合う様。そこには戦わずして勝つ「調落」があり、いかに敵を味方に寝返らせるかに駆け引きがある。「調落」が失敗した場合に合戦になるのであって、むやみに戦っていたわけではない。「毛利か織田か」で迷う荒木村重。本編とはほとんど関係ないが、病気で死期の迫った竹中半兵衛に関する記述がある”「人の命は短い。ようやく一事がなせるのみ。一事のほかは私はやらない」日常すべを武辺という主題に置き、その他は余事だ、、、、武辺が成功する場合、恩賞がつくその恩賞を考える事も余事であり、恩賞をあてにして武辺をなすことは武辺のけがれである” 「死もまた余事か」と官兵衛。同じく武辺の人、官兵衛の今後の活躍に期待。
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官兵衛が秀吉に協力し、活躍をし始める頃を描く。自分も組織人としてこうありたいと思う。歴史小説としてだけではなく、振る舞い方として参考になる。
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本巻では、いよいよ織田信長の勢力下に入り、羽柴秀吉とともに対毛利戦をひたすら展開する。舞台のほとんどが播磨地方の戦いであるが、それもそのはず、本作品のタイトルが「播磨灘」物語だからである。
官兵衛は一応織田信長の協力者という位置づけではあるが、実態は秀吉の参謀というか軍師である。他作品では強調されていた先輩軍師の竹中半兵衛との絡みは、現時点においてはそれほど描かれない。似たようなポジションは1人よりも複数いた方が対比などで話が展開しやすいが、実際はどうなのだろう。大河ドラマではかなり密接に絡ませるようだが。本作品においては、「人のいのちは短い。ようやく一事がなせるのみ。一事の他は私はやらない」というセリフが竹中半兵衛の印象的なくだり。まぁこれはどこかからの引用なのだろうが。
いやはや、私がこの時代を好きな理由は登場人物の多様さであり、その各人物のもつ魅力にある。暴論かもしれないが、これが幕末から明治維新にかけてとの違いである。たとえば昨年末読了した「翔ぶが如く」は酷かった。無口でつかみどころのない西郷隆盛、緻密なのか鈍感なのか二面性を持つ大久保利通、神経質で英雄像のかけらもない木戸孝允…。それらに比べれば、この戦国時代の登場人物は魅力たっぷり。そして現代社会に生きる私が学ぶべき姿勢や思考などが盛りだくさん。
以下に、印象に残った官兵衛、秀吉、信長のくだりを引用したい。
官兵衛
戦術1。
「百姓を集めて城の周りに集め、無数の旗を立てさせ、陣貝、陣鼓を鳴らせて、いかにも大軍の後詰めがあるように見せかければ、毛利方は驚いて撤退してしまうでしょう。」
戦術2。
集結すると、官兵衛は松明をかざして一人ずつ兵の顔を見てまわり、ねぎらってやった。さらに20分ばかり息を入れると、さらに突撃した。この時代、二度駆けはよほどの体力を必要としたが、官兵衛はこれを強いた。毛利方にすれば新手が現れたように錯覚した。
→1、2とも単純な戦術であり、戦いが高度化すると見破られてしまうのだろうが、これは功を奏した。ただ、これはあくまで局所での勝利を目指した戦術であり、長期的な視野から見た戦略ではない。後半、官兵衛の戦略が見られるのを楽しみにしている。
秀吉
・秀吉は信長という気難しい大将に仕えるのに、さまざま心を砕いていた。彼は常に功名を独占することを憚った。功名を独占すれば、我独り偉くなったという印象を信長に与え、信長の心に疑惑を生じさせることになるであろう。他の者の名前を挙げてその実力や功を讃えておけば、いかにも謙虚に見え、信長から増上慢と見られずに済む。秀吉は出来すぎるという印象を主君に与えることをそれほど怖れていた。なおかつ、出来ないという印象を与えることも、信長にはまずいのだ。
・秀吉は生来の陽気さと信長からでさえ無欲と見られてしまっているその気の大きさとでもって、心の仕組みは見抜かれることはなかったが、実際の秀吉は謙虚な男ではない。
→出る杭は打たれ、出ない釘は捨てられる。そんな微妙なバランスを、人たらしの秀吉は持っているのだ。
信長
・��長がそれ以前の武将とまるで違った感覚の持ち主だったことは、そういう理由の中にもうかがえる。城というのを防御の設備のみとして考える思想が信長から消滅していた。彼は城下をもってその勢力圏の経済の中心地であると考えた。さらにはその地点から四方に命令を出し、四方に軍隊を派遣するための交通の中心であると考えるようになっていた。
・彼は現実的計算の面だけを見れば奸物としか言いようがない。武田信玄や上杉謙信のような勝ちがたい敵を前にした時、狡猾な小動物のように媚態を呈したり、ことさら弱者を装って相手を油断させたりして、弱者の外交としてのあらゆる手段を取り、それを恥としない。が、ひとたび自分の力が相手を凌ぐとなれば急に傲岸になり、相手に利用価値がなくなればどういう仕打ちをするか分からない。
→前者はまさに新感覚の持ち主という好例。後者は「強いものには弱く、弱いものには強く」という、一見格好良くないスタンスであるが、それで良いのだ。無謀な戦いを挑むのは馬鹿らしいし、勝てる局面で徹底的に勝ち、自分より強い相手に対しては力を蓄えるか(鉄砲導入、同盟締結)、タイミングを待つか(信玄、謙信の逝去)などにより時間稼ぎをしたのである。これも立派な戦略。