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ハックルベリー・フィンの冒険 上
著者 マーク・トウェイン著 , 西田実訳
洋々たるミシシッピーの流れに乗って筏の旅を続ける浮浪児ハックと逃亡奴隷ジム.流域の町や村で二人が出会う冒険の数々.辺境時代のアメリカで,何ものにも捉われずに生きようとする...
ハックルベリー・フィンの冒険 上
ハックルベリー・フィンの冒険 上 (岩波文庫)
商品説明
洋々たるミシシッピーの流れに乗って筏の旅を続ける浮浪児ハックと逃亡奴隷ジム.流域の町や村で二人が出会う冒険の数々.辺境時代のアメリカで,何ものにも捉われずに生きようとする少年と,必死に自由の境涯を求める黒人の姿に作者のヒューマニズムが脈打つ.「現代アメリカ文学の源泉」と言われた傑作.初版挿絵を収録.
目次
- 目 次
- はしがき
- ハックルベリー・フィンの冒険 (上)
- 第一章 ハックの教育──ミス・ワトソン──トム・ソーヤーの呼ぶ声
- 第二章 ジムをかつぐ──トム・ソーヤーの一味──周到な計画
- 第三章 こってりしぼられる──お祈りの効きめ──「トム・ソーヤーのうそっぱち」
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紙の本
ハックルベリーフィンの冒険
2022/06/25 10:25
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ねこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
上巻はお父さんにいじめられたり、かわいそうなんだ。
紙の本
自由とは・・・19世紀から21世紀の自由観を考える
2005/09/06 04:53
8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:未来自由 - この投稿者のレビュー一覧を見る
マーク・トウェインといえばどの作品が有名なのだろうか。『トム・ソーヤーの冒険』『王子と乞食』は今も読まれているのだろうか。
『トム・ソーヤーの冒険』では脇役だった浮浪児ハック。ハックが主人公になることによって、同じ『冒険』ものでありながら、空想から現実へと、大きな変化がおこった作品である。
なぜ、いま『ハックルベリー・フィンの冒険』なのか。そのきっかけは池澤夏樹『世界文学を読みほどく』だった。奴隷制に対するマーク・トウェインの限界が論じられていた。正直言って二十数年前に読んだ時、この作品の奴隷制問題について深く考えた記憶がない。このことが、あらためて読む機会となった。
岩波文庫の上巻の「はしがき」に「マーク・トウェインもハックと同様に、奴隷制度を是認する南部の白人の一人であって」「その問題が十分に解決しないままで作品が終わっているのは不徹底といいながら、やはり止むをえない面があったかもしれない」とある。私がこだわったのは、まさにこの点にあった。
二十数年ぶりに読んだ感想は、冒険ものとして読んだ当時の読み方がいかに不十分だったか、という点に尽きるかもしれない。当時も、人間の思いやりや「正直」ということに感心した気がするが、この作品に描かれた社会の矛盾や、価値観が逆転さえするという問題提起を読み取ることはできなかった。
19世紀アメリカ南部での「常識」「倫理」は、逃亡奴隷(本書では「ジム」)を見逃すことは「間違ったこと」で、持ち主に返すことが「正しいこと」とされていた。
ハックは、この倫理に心の底から葛藤し、悩む。しかし、その結論は「かりに、正しいことをして、ジムを引き渡したとしたら、今よりいい気分になっていただろうか?そうはならねえ、いやな気分だろう」というセリフの中に込められていると、私は読んだ。
上巻だけでは、この作品の全体像は見えにくい。上下巻をいっきに読むことによって、全体像が浮かびあがってくる。マーク・トウェインは、この作品の執筆を何度も中断したといわれている。だからこそ、下巻を読まずに論評することはできないともいえる。
迷信や栄誉、建て前や権威への徹底した揶揄。権威の象徴である王様こそ「悪党」の親玉といわんばかりの揶揄的批判に読者は自然に頷く。社会が良いとする「教会」や「倫理」というものが、いかにつくられたものであるかをハックは見抜いている。
そのハックと逃亡奴隷ジムとの「冒険」こそ、社会の「表」と「裏」を暴いてやろうという現実的な問題が隠されているのでなかろうか。
たしかに結末は、奴隷解放という結末は描かれていない。そして、作品の中で奴隷解放の必要性を声高に叫んではいない。しかし、奴隷制の問題点を浮き彫りにしようとする姿勢はあるのではなかろうか。
もちろん、21世紀の「私の目」から見た希望であるかもしれない。しかし、これだけはいえるのではないか。「トム・ソーヤー」が空想的であるのに、「ハックルベリー・フィン」は現実的である。
空想に満足せず、現実社会を描こうとした作者の意図は、21世紀に読み継がれることで、その役割を最大限に果たすのではないだろうか。
紙の本
ハックとトムの違い
2014/08/04 00:07
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:アトレーユ - この投稿者のレビュー一覧を見る
『トムソーヤ~』とともに有名な作品。
だが、この2作品で絶対的に違うのは、主人公の立ち位置。
トムはいたずら好きだが“子供の範疇”から決して越えず、また、あれこれ文句をいったりもするが当時のアメリカ南部での一般的な考え方(黒人≒奴隷とか)からも外れずに、あくまでも世間という手のひらの上で行動している。
ハックは設定も浮浪者…自由人というべきか…で、考え方もまた、世間一般のしがらみのない考え方だ。
逃亡奴隷を通報するべきか、ハックは必死に考える。当時の常識ならば、悩むところではないのだ。言わなきゃいけない。ハックが躊躇しているのは、言えばジムは逃亡奴隷として処罰されるが、そんなことを幇助するのは人間としてどうなのか、という、
常識>倫理の図式に迎合できず、悩む。
このテーマの深さがハックルベリフィンの魅力の一つだと思う。
紙の本
主人公がほんとうにミシシッピーの大冒険に出てしまった
2023/07/02 07:54
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:大阪の北国ファン - この投稿者のレビュー一覧を見る
「トムソーヤの冒険」の続編とのことで、「トムソーヤ」を読み終えた今、一気に読み通そうと思って手に取った。
「トムソーヤ」では今回の主人公ハックルベリー・フィンは不良少年の代表選手のような描かれ方をしているが、そのハックルベリーが良家の子供におさまり、躾を受けるところから話は始まる。面白いのは、この頃の「不良」は悪行を企んでも、神罰や迷信を信じているために「心底からの悪人になり切れない」姿が見え隠れするところだ。現代の不良から見ると純朴で可愛らしい。
ストーリーは、主人公が本当にミシシッピ-川を下る冒険に出てしまう展開である。巧みな策によって、こちらは真の悪人のような無体な実の父親からの脱走を図る。そして道中でさまざまな個性溢れる人々とのめぐり逢いのシーンが展開する。読み進めるとペースが上がってくる。その中ではハックルベリーが一緒に旅に出た「良家の奴隷」を仲間として大切に思う気持ちにホロリとさせられる。主人公の数々の冒険を通して、古き良きアメリカの田舎を感じられる書であった。楽しかった。
紙の本
自由になりきれなかった野生児
2007/08/28 22:23
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:栗太郎 - この投稿者のレビュー一覧を見る
想像していたものと、ちょっと違った。
ハックルベリー・フィンと言えば、トム・ソーヤーなど足もとにも及ばない「野生児」で、何ものにも縛られない自由な生き方をしているというイメージがあった。学問はなくとも賢い彼が、社会や大人たちを鋭い風刺とユーモアをもって眺める話かと。
だから、お上品な方々は眉をひそめ、学校では禁書扱いになったりしても、そのパワーと魅力で、世界中の子どもと大人の心を引きつけてやまない物語なのだと思っていた。
猛暑を乗り切るエネルギーをもらうにはもってこいの一冊では、と手に取ったのだが、正直なところ読後爽快とはいかなかった。
最大の問題は、主人公ハックが少しも自由な少年ではなかった点にある。
窮屈な社会のルールを厭い、筏で川を下っていく旅は、なるほど自由で冒険に満ちているように見える。だがハックの心は自由ではない。彼は「神様」を畏怖し、旅の道連れとなったペテン師たちに隷属し、結局は社会の常識に縛られていた。
あくまでも奴隷制を肯定する南部の白人であるハックは、逃亡奴隷ジムと旅を続ける中で、激しく葛藤する。ジムの人柄を認め仲間意識を抱きながらも、彼を自由にすることは大罪だと思うのだ。それはハックにとって、卑劣で浅ましい最低の行為と認識されていた。
この辺りの感覚は、マーク・トウェインが本書を執筆した年代を考えれば無理からぬことではある。だが、真に自由な少年ならば、ハックは社会のルールを破っても躊躇わずジムを逃がしただろうと思うのだ。
そしてまた、ハックは情に弱い。ロクデナシの父親からもなかなか離れることができなかった。それなりに現実を知り知恵もあるのに、友人トム・ソーヤーの、空想的で幼稚な言動に振り回され、ついつい言いなりになってしまう。
物語の終盤、トムの指揮下でジム救出作戦が実行されるくだりは、滑稽を通り過ぎて憐れですらあった。何故、自分の意思で行動しないのだろうと歯がゆかった。
ハックがそれほどに縛られていたのは、彼が「孤独」というものを人一倍恐れていたからのように思う。物語を語る中で、ハックはしばしば、淋しさを口にした。自由を望みながらも彼は本当のところ、誰かに、何かに縛られることを、より以上に望んでいたような気がしてならない。
ミシシッピーの雄大な流れは満喫しつつも、閉塞感が拭えなかった理由はそこにある。