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紙の本
刑務所内では、「人間の尊厳」は必要無いのか。
2002/12/18 13:10
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Helena - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本では、日本の刑務所の中で何が起こっているか、具体的に書いてある。
例えば、入所時の身体検査。
「耳・口、「床に手をついて四つん這いになり、ケツの穴をこっちに向けろ」といわれて尻の穴まで検査され」(6頁)る。
刑務所内では、懲役の受刑者と、禁固刑の希望者が、「労働」をしているのだが、その仕事場の工場に入るときのこと。
「他の多くの刑務所と同様、府中刑務所でも、工場へ入る時、出るときに更衣室で全裸になり、工場の出入り口に置いてある二個の大きめの石に乗り、両手をまっすぐ上げ、片足もあげる。同時に口も開いて自分の呼称番号をいう。バランスがくずれると何回でもやり直しをさせられる、いわゆる「カンカン踊り」が行われている」(138頁)。
「カンカン踊り」と同時に「玉検査」(陰茎に異物を挿入していないかどうか検査すること)も実施されているとか(138-139頁)。
工場で作業中にも、いろいろな懲罰の対象となる行為がある。
「工場で作業中に職員が扉を開けて入ってきたのを見ただけで「職務怠慢」の懲罰となることがあるが、その時、「謝っているじゃないですか」などと言おうものなら、これが「担当抗弁」として新たな懲罰の対象となる……聞こえなくて返事をしなかったときも「担当抗弁」とみなされると懲罰となる」(143頁)
「工場で作業中、他の受刑者が部品を落としたのを見た隣の者がそれを拾ってやったのが「不正動作」であり、相手が声に出さず「ありがとう」とうなずいたのが「不正発声」であるという理由で軽へい禁の懲罰」(143頁)
こういう動作が懲罰の対象になるなんて! だからもちろん、作業中に汗を拭いたり、ちらっと時計を見たりするのも、「不正動作」なのだ。
で、その懲罰だが、例えばその「軽へい禁」だと、「起床から夜九時までの一日中正座(施設によっては安座)、手は膝の上にのせ、顔は入り口に向け目を開けて真っ直ぐ座っていなくてはならない。ちょっとでもやめると新たな懲罰の対象になる(京都刑務所)。両手を延ばしただけで処分の対象となる(軽へい禁の延長、どの刑務所でも同じ)。座布団の使用はない。洗面所とコップ一個以外は房内にない。用便は午前・午後の二回のみで、それも看守の許可がいる」(155-156頁)もちろん、ラジオを聞いたり、入浴、面会等々、すべてが禁止。
軽へい禁は、作業中に時計を見ても脇見とみなされて20日、隣の者に話しかけられて返事をして20日、房外の鳩に飯粒をやって15日、作業中に看守の顔を見てしまって10日、独居房でひとりごとを言い、注意されたので「なぜ悪いのだ」と言って15日等々。
こういう行為は、人間として、ごく当たり前の行為ではなかろうか。
それで思ったこと。
刑務所内では、「人間の尊厳」というものがまったくない、ということ。懲罰によっては、手錠につながれたまま、食事・排泄をするから、四つん這いになって犬食い・垂れ流しも行われているという。
犯罪者に対する刑罰と、更正施設としての役割が刑務所にはあるのだろうが、こういう軍隊式の刑罰中心の刑務所で、本当に、犯罪者が更正していくのかが疑問。半数以上が、2回目以上の入所だと言うし。
人間っておそろしいもので、こういう「人間への尊厳」がまったくない環境にも順応していってしまうのではないだろうか。いやむしろ順応していかなければ生きていけないわけで、そうやって、どんどん無感覚になってしまうのではなかろうか。無感覚にならなければ生きていけないような状況だから。
だから、懲罰主義で、罰を厳しくしても、「あんな思いは二度としたくない」という再抑止力として、強力には働けない。
「人間への尊厳」そして、刑務所内の「教育」ということを、もうちょっと大事にしてもいいのではないか。そのことが、懲罰よりも、再発防止につながるのではないだろうか。