紙の本
映画化されてまた読まれている仏文学
2021/08/04 15:21
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投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
フランスの女性作家による、自身の性愛体験を綴ったこの作品がフランスで発表されたのが1992年。ベストセラーとなったこともあったのだろう、日本での翻訳が出版されたのは1993年と実に対応が早いのは、日本でも読まれるだろうという予感があったのだろう。
当時、この本のことは全然知らなかったが、今年(2021年)映画が公開されるということで映画宣伝で、本書のことを知った。
この人の作品を熱く支持するという林真理子さんが、この作品を評して「恋する情熱とは神様から与えられたギフトと思います。本作はある日突然そんな「ギフト」が与えられた女性の物語」と書いています。
性愛体験を綴ったと評判の作品ですが、そういう場面はほとんどありません。
40代後半の女性が、およそ一年間にわたって自宅で10歳余りも年下の男性と逢引を重ね、彼が妻のいる自分の国に帰国後も恋求めてやまない、そんな姿を描いた物語が、実はこの作家の実体験であることに、まず驚かされます。
しかも、この作品が単なる実録告白ものとちがって、格調の高い表現で描かれていて、日本でいうところに純文学的な匂いが強い点も、読者の心理に響いたともいえます。
この作品の最後は、こんな言葉で締めくくられます。
「今の私には、贅沢とはまた、ひとりの男、またはひとりの女への激しい恋(パッション)を生きることができる、ということでもあるように思える。」
おそらく、この本が多くの読者を得たのは、そういう作者の姿勢に対する賞賛だったのだろう。
紙の本
訳者次第
2022/12/02 23:55
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投稿者:テラちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
主人公はパリに住まう女教師。いわゆるバツイチ。その彼女が、東欧の外交官Aと不倫する。と書くと、ありきたりの通俗小説だが、ドロドロした濡れ場があるではなし、淡々とした文章で物語が進んでいく。その分、女教師の心情が深く描写されている。ただ、ノーベル文学賞……となると、ちょいと疑問を抱いてしまうのだが。30年前に書かれたことを思えば、凄いことなのかも知れない。外国文学は訳者次第で読み手の感覚が変わるが、本作はそこに問題がありそうだ。日本語しか知らないから大きなことは言えないけれど。
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山田詠美と江國香織の対談で出てきて勧められていた恋愛小説。恋をしていてもたってもいられないもどかしさと愚かさと愛しさに打ちのめされた時に読むのにお勧め。
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どなたか知識人の女性がテレビでお勧めしていた1冊。
『ストレートに女の性を描いて話題騒然の書』と帯に書いてありますが性でびっくりしたのはプロローグだけ。
読み進むうちに片思いの切なさ、待つこと以外何もしたくない時間、恋の終わりの予感の妄想や苦しみ、など本気で人を好きになったら勝手に訪れてしまう感情たちがありありと甦って来ました。あの時のあの感情を冷静に文章にしようとしたら、この本が一字一句違わない表現してくれているはず。
自分ではどうにもできない苦しくて時間。アニー・エルノーは今の私位の年齢でこんな経験をしたんだなぁと思うとさっさと経験しておいて良かったかなと。今なら耐えられないよ、きっと私(笑)
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とても感動的な本。外部からの「苦痛」であるパッションを、それに捕らわれながらもなお明晰さを失わず、自立を保っている。そんな彼女の文体は、彼女のパッションに限りなく近い。書くことと愛することが同義であるように。シンプルな情熱、それはとても純粋で、冷たい透き通った水のよう。直截的な表現で少しも自分を誤魔化さず、真摯に自分と向き合うことは、ひどく恐ろしいことだ。一歩間違ってしまえば、狂人になりかねない。それでも彼女は真正面から自分を受け止める。甘いことも、苦いことも、激しいことも、捌け口のない欲望も、かっこ悪くみじめな自分も、しっかりとした目で見据え続ける。そこに留まり、パッションを受け続けた者だけがたどりつくことのできる境地を、ついに見出すことができるまで。すべてを奪われて恍惚と立ち尽くす自分の姿さえ、彼女の眼は冷静に見つめる。
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文学ラジオ空飛び猫たち第56回紹介本。 本書は作家自身の体験に基づいた年下男性との不倫の話ですが、単なる恋愛小説ではなく、恋のパッションに燃えた一人の女性の記録であり、省察です。人生におけるパッションとは? 深く考えさせられる一冊でした。 ラジオはこちらから→https://anchor.fm/lajv6cf1ikg/episodes/56-e17pnur
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原典、Passion Simple
邦題、シンプルな情熱
今の私には、贅沢とは、ひとりの男、またはひとりの女への"激しい恋”(=パッション)を生きることができる、ということでもあるように思えるように。
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ノーベル賞を受賞したので読んでみた。
評価ご真っ二つに分かれるとあった。女性の性について素直に書くと言う事、その時期を書き綴った事、を作品として評価されたものであるようだ。
一読で私は何とも表現しがたかった。やはり外国の人は性の捉え方が日本と違うように感じる。
読んで悪い本ではないが、また読み進めたいと思うような本でもなかった。
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"passion"
元々の"受難"という意味もあり、
恋、情熱に生きるということは
自分の魂を奪われて、
意志が強く見える一方で、ある意味
主体性をなくしてしまっていることなのかも、なんて。
欲することの限界を向かえたいような、
向かえたくないような。
終わりを意識しながら
美しき時を化粧しながら、
ただひたすら"待つ"。
もしかしたら、ギャンブルのように
"待つ"ことのゲームを
楽しんでいるのかもしれない。
(Aが好き、というより、相手はAであることが相応しい、という感覚もある?)
恋、情熱について
哲学しているようでもあり、
情熱の温度が少しずつ
下がっていく様子さえ、
丁寧に描かれているのが良い。
Aがくるため、用意されていた
ウイスキーの記述。
クラフトビールや、好きなアイスを
買っておいて、別離したあとに
なんでこんなに買ってたんだっけって
思ったことあったな、なんて
回想したり。
愛人関係でなくとも、
過去の誰かとの逢瀬、情事に
思いを馳せる、そんな純文学。
山田詠美さんも薦めておられたのか、納得。
詠美さんも久々に浸りたくなった。
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情熱、とだけ聞くと
何かほとばしるような、
熱くて燃えるような、
エネルギーに溢れる、
そんなことをまず連想するのは、
なんでだろう?
熱、という字が入ってるからかな?
一方で、熱いだけではない情熱というのも
ある気がする。
一瞬湧き出た後にも残るエネルギー?
まだまだ消えないよ、という感じか?
淡々と流れる時間の中に
ポッと湧き出た情熱に対して、
渦中から少し時が経ってるからこその
シンプルなのかな。
熱さと冷静さのちょうどよさ
(けして、ぬるいわけではなく)
を感じた。
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最後の終わり方が素晴らしかった。恋することにも、いろいろなランクがあるのだと知る。パッション、情熱、受難。フランスの大人の女。憧れるけど、全てがマネすらできない、今の私。
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今年のノーベル文学賞受賞したアニー・エルノーの文庫本が平積みされていたので衝動買いしました。
妻子ある外国人男性との不倫体験を回想し、まるで独り言のような脳内妄想をそのまま書き起こしたような印象。
この体験記が人の目に晒されることにも自覚的で、
恋に翻弄される女心を赤裸々に包み隠さず描写している。
しかしそこにはまるで艶かしさは感じられない。
なぜならそれは過ぎ去ったことで、今の自分は空虚だからと言わんばかりだ。
しかし、ノーベル文学賞とのつながりは今ひとつ分からなかった。
映画化もされているそうだけど、
なんとなくエリック・ロメールの映画のイメージに近い気がした。
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登場する著作・作家
グロースマン 生と運命
マーガレット・ミッチェル 風と共に去りぬ
ラシーヌ フェードル
トルストイ アンナ・カレーニナ
マルグリット・デュラス 愛人
フローベール
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2022年ノーベル文学賞受賞作家。
スカスカの文庫で100頁ほど。(長々とした訳者解説で一冊の本に無理やりしている。)
ただの恋愛小説にしか思えない。恋(passion)に生活、思考のすべてを支配された女性の話。
有名作家の「衝撃の告白」だからフランスでヒットしたという説が正しいのではと感じる。
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シンプルな情熱
著者:アニー・エルノー
訳者:堀茂樹
発行:2002年7月31日
ハヤカワepi文庫
単行本は1993年1月発行
今年、ノーベル文学賞を受賞したフランスの作家、アニー・エルノー。もちろん、読んだことなかった。ブックオフで主だった本にネット上でチェックしておいて、最初に入荷した古本がこれ。今日、店舗まで取りに行って読んだ。本文がP7~110、訳者あとがきがP111~159、斉藤由貴による解説がP160~166(これだけは文字が細かい)。無理矢理一冊にしている感じ。映画化されたようで、表紙カバーが2重になっているパターン。
パリ郊外に住む中年女性。子供も大きく学校に出ていて、一人暮らし。高校教師であり作家。10歳年下の東欧の国の外交関係の仕事をしている妻帯者の男と付き合っている。彼は現在はパリに赴任中。実は、アニー・エルノー自身の性愛を綴った話だとのこと。訳者あとがきによると、1988~1989年ごろの1年間つきあったらしい。ロマンスではなく情熱(パッション)の話だとしている。しかし、読んでいると恋愛、ロマンスのように思える。性的快感が中心だとしたら、性描写がなさすぎる。しかし、それも訳者あとがきを読むと理解できる。
彼女は、すべて受け身だった。彼からの連絡を待ち、彼が訪れることだけを待った。人に見られるようなところには出かけず、自分からは電話、手紙、訪問を一切しない。彼が帰る時に手紙を渡すだけ。彼は読んで帰りの車の中から破り捨てて高速道路にまき散らしているだろう、と思いつつ。彼の妻に自分の気配が感じられないように、細心の注意を払う。
彼から連絡が来なくなる。やがて、彼は別の国へ。別れが訪れた。その前に、自分からもう会わないようにと決意をしていた。それなのに、なにをしても、どこへ行っても、彼とともにしたことと結びつけて考えてしまう。そのあたりの「これでもか」という書きぶりが、読んでいて段々と共鳴に変わってくる。異性に対する思いとは、愛か性かどちらに重きがあろうとも、そういう面があるものだ、と思えてくる。誰にも言わない、自分の心の中だけで感じ、思い描き、叫ぶ、さまざまなこと。
別れた後のことが日付入りで書かれる。1991年2月。湾岸戦争の描写が入る。戦争勃発後の最初の日曜日、夜、別れて以後、初めて彼から電話が入る。パリに来ているとのこと。彼は彼女の家にやってきて、2人はセックスをする。そして、ホテルへと戻っていく。
こうした自分の性愛を描くことで、なにが言いたかったのか、それは簡単には分からないが、最後に書かれていることは明確にイメージできた。
「彼がいてくれたからこそ、私は、自己を他者から分離している境界に接近し、時折その境界を越えるようなイメージさえ抱くことができたのだ」「彼は、彼自身の知らぬ間に、私を以前より深く世界に結びつけてくれた」
ところで、訳者あとがきで理解できた「情熱」の意味だが、これにはおどろいた。
情熱(=パッション)は、語源に遡ると、受け身の状態であり、苦しみであるという。自己の内側から自発的に湧いてくる力ではなく、外から取り憑いて、自分を虜にする力だと理解した方がいい、とのことだ。「恋(パッション)に燃える」は、解放された状態ではなく、囚われの状態に入ることなのだそうだ。これですとんと落ちた。