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  • みんなの評価 5つ星のうち 4.5 8件
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  • カテゴリ:一般
  • 発売日:2001/09/01
  • 出版社: 月曜社
  • サイズ:19cm/256,5p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-901477-00-5

紙の本

アウシュヴィッツの残りのもの アルシーヴと証人

著者 ジョルジョ・アガンベン (著),上村 忠男 (訳),広石 正和 (訳)

イタリア現代思想の騎手による「アウシュビッツ以後」の倫理学の試み。プリモ・レーヴィを始めとする強制収容所からの奇跡的生還者たちの証言をもとに、「人間である」状況を剝奪され...

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アウシュヴィッツの残りのもの アルシーヴと証人

税込 2,640 24pt

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商品説明

イタリア現代思想の騎手による「アウシュビッツ以後」の倫理学の試み。プリモ・レーヴィを始めとする強制収容所からの奇跡的生還者たちの証言をもとに、「人間である」状況を剝奪される極限を考察する。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介

ジョルジョ・アガンベン

略歴
〈ジョルジョ・アガンベン〉1942年ローマ生まれ。批評家、ヴェローナ大学哲学教授。著書に「スタンツェ」「人権の彼方に」など。

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みんなのレビュー8件

みんなの評価4.5

評価内訳

  • 星 5 (3件)
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  • 星 2 (0件)
  • 星 1 (0件)

紙の本

頭と心、両方に訴えかけてくる内容

2002/01/15 00:27

2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:mau - この投稿者のレビュー一覧を見る

 死者は語ることは出来ない。生き残った者は語ることは出来るが、彼らは死者ではない。他でもない、生き残ったという事実が死者と生者を明確に区分けしてしまうのか。生き残った者は自分は生き残ったという事実に絶えず罪の意識を感じながら、死者に対して黙祷することしか出来ないのか。生き残った者の証言に死者を委ねることは、果たして間違いなのだろうか。

 著者は過去の生存者の証言を丹念に検証しながら、死者と生者の間に横たわる上記のパラドックスにじっくりと取り組み、ほどいていく。その手法は極めて高度に分析的なものだが、根底に真摯さ、謙虚さ、誠実さが無ければ決して到達し得なかっただろう地平を、著者は私たちに示してくれる。

 読みはじめた当初は、題名の「残りのもの」という言い回しに若干違和感を感じていたのだが、これに対し最終章で著者が展開する考察を読み進めるうちに背中がゾクリとし、ただ圧倒された。

 頭と心の両方に訴えかけてくる本。多分これから何度も読み返すだろう。訳者による巻末の解説がまた秀逸である。

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紙の本

アウシュヴィッツの「証言」についての注釈〜生政治と現代の生の倫理

2003/03/23 23:27

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:桃屋五郎左衛門 - この投稿者のレビュー一覧を見る

≪アウシュヴィッツの残りの者 — 証人たち — は、死者でもなければ、生き残った者でもなく、沈んでしまった者でもなければ、救いあげられた者でもなく、かれらのあいだにあって残っているものである。≫

 『アウシュヴィッツの残りのもの』は、著者自身の言葉によれば、アウシュヴィッツ収容所で生き残った人々の「証言の終わりのない注釈」として、「アウシュヴィッツの流儀で証明されたエチカ」として構想されているという。それにしても何と手ごたえのある書物だろう。

 秀逸なミシェル・フーコー論としても読める(特に第四章)本書の中でアガンベンは、アウシュヴィッツをフーコーの「生政治」の概念を用いて読み解くと同時に、フーコーの「言表における脱主体化された主体」の問題をアウシュヴィッツの「証人」たちの言説を通じて問い直す。このように「恥じることなく名状しがたいものを凝視」することによってはじめて、アウシュヴィッツを「言語を絶する理解不可能」な出来事の領域に押しやることなく、その意味を明らかにしていくことが可能となる。

 ここでいう「証人」とは、いうまでもなく、ラテン語の<testis>、すなわち裁判や訴訟において第三者の立場に立つ者の意味ではなく、<supersics>、すなわち何かを体験したり、何らかの出来事を最後まで生き抜いた生存者であるため、それについて証言しうる者という意味だ。だが、こうした「証人」のひとり、プリモ・レーヴィによれば、アウシュヴィッツに関する数多くの「証言」には実は重大な欠落があるという。「生と死の境に住む人々」、「いっさいの気力を奪われ底に触れた者たち」、完全な人間性の破壊によって言葉すらも失ってしまった人々、すなわち収容所内の隠語で「回教徒」と呼ばれていた人々の「証言」がそれだ。

アガンベンは、レーヴィが遺した「回教徒こそが完全な証人である」と「人間は人間のあとも生き残る者である」という二つのパラドックスの解読を通じて、「証言」の生起する場=非−場所を、「生にして死の空間」である収容所を成立させる「生政治」の機構を、さらに自己喪失とそれが端緒を開くさまよいのうちに存在する人間の姿を浮かび上がらせ、後半におかれている表題となった「残りのもの」についての考察に読者を導いていく。

≪残っているものとしての言語とはなんだろうか。どのようにして言語は、主体のあとに、そしてまたその言語を話していた人々のあとにさえも、生き残ることができるのだろうか。残っている言語で話すこととは、なにを意味するのだろうか。≫

アウシュヴィッツにおいて鋭く浮き彫りにされた現代の「生政治」の様態とその中での生の倫理を繊細にして稠密な思考によって問い直してきたアガンベンが最後に取り上げるのは、レーヴィの死後にまとめられた論文集に収められた、かつて「回教徒」であった人々の「証言」、すなわちアウシュヴィッツの「残りのもの」としての「声」だ。レーヴィが指摘したアウシュヴィッツについての「証言」の欠落を補い、しかもレーヴィの二つのパラドックスが正当なものであることを証明するこれらの「声」が、本書の中ほどに記された次の一節 −−− 安易なヒューマニズムを寄せ付けぬ、何と重く力強い人間性についての言葉だろう! −−− と呼応していることはいうまでもない。

≪人間的なものについて真に証言するのが人間性が破壊された者だけであるとすれば、このことが意味するのは…人間的なものを完全に破戒するのは不可能性であること、常にまだ何かが残っているということである。証人とはその残りのもののことなのである。≫

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紙の本

想像を絶する災厄のあとに「倫理」は再構築できるのか

2001/09/24 16:35

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:小林浩 - この投稿者のレビュー一覧を見る

アウシュヴィッツ以後に詩を書くことの野蛮さについて書いたのはアドルノだった。大虐殺を境に何かが決定的に変容してしまったことを彼は告知した。イタリア現代を代表する思想家アガンベン(1942-)は彼の主著である『ホモ・サケル(聖なる/呪われた人間)』連作の第三部となる本書でこう述べる、「アウシュヴィッツ以後に倫理の名を思いあがって自称しているほとんどすべての理論を一掃」せざるを得なかった、と(『ホモ・サケル』第一部の邦訳は以文社より刊行予定。第二部は2001年9月現在、原著未刊)。

アガンベンはアウシュヴィッツを奇跡的に生き延びた作家プリモ・レーヴィの提出したパラドクスから出発する。「大虐殺の真の証人は死者たちである。しかし死者たちは証言することができない」。
死人に口なしという言葉があるが、だからといって大虐殺がなかったかのように歴史が歪曲されていいはずはない。アガンベンは絶滅収容所を生き延びたごく少数の人々の証言に耳を傾ける。生存者たちは収容所で非人間的な扱いを受け続け、死の淵をさまよった。ユダヤ人たちの当時のスラングで、衰弱してもはや生きる希望を完全に失ってしまった者たちを「回教徒」と呼んだ。生ける屍と化した彼らのうずくまる格好が、イスラム教徒の祈る姿を連想させたからだという。極限状況を生きた人々の想像を絶する体験をもとに、アガンベンは考察をすすめていく。

残りのものとはけっして抹消することのできない彼らの証言のことであり、殲滅しえない人間の尊厳である。アウシュヴィッツ以後の倫理の可能性を模索した本書は、フーコーやドゥルーズが課題として残した「生政治」や「管理社会」をめぐる問いへ、歴史認識のアポリアに挑戦しつつ応答することを試みたユニークな注目作だ。かのジュディス・バトラーも「心揺さぶるテクスト」として本書を絶賛しており、欧米ではつとに高名なアガンベンだが、このたび2001年12月には立命館大学主催の国際シンポジウム「21世紀的知の構築に向けて」への参加のために、マーサ・ヌスバウムとともに初来日を果たすことになっている。

→人文・社会・ノンフィクションレジ前コーナー(9/24分)より

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2004/10/03 03:11

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2009/01/10 02:22

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2010/08/29 20:41

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2013/12/10 16:48

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2023/05/22 17:48

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