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ミッションスクールになぜ美人が多いのか 日本女子とキリスト教 (朝日新書)
女子アナ、読者モデルは、なぜキリスト教系大学出身女性が多いのか。キリスト教と女性の関係を問題提起し、日本のカトリック系女子教育が採った上流階層路線の成功や、日本に流れるキ...
ミッションスクールになぜ美人が多いのか 日本女子とキリスト教 (朝日新書)
ミッションスクールになぜ美人が多いのか 日本女子とキリスト教
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商品説明
女子アナ、読者モデルは、なぜキリスト教系大学出身女性が多いのか。キリスト教と女性の関係を問題提起し、日本のカトリック系女子教育が採った上流階層路線の成功や、日本に流れるキリスト教への憧れを検証する。【「TRC MARC」の商品解説】
【文学/日本文学評論随筆その他】局アナ、CA、読者モデル界でキリスト教系大学出身女性たちの活躍が目立つ。「美人論」の井上が提起したキリスト教と美人の関係を、川村は日本のミッション系女子教育が採った才色兼備路線が成功し、郭は日本に流れるキリスト教への憧れを検証して、新文化論が誕生。【商品解説】
局アナ、CA、読者モデル界でキリスト教系大学出身女性たちの活躍が目立つ。「美人論」の井上が提起したキリスト教と美人の関係を、川村は日本のミッション系女子教育が採った才色兼備路線が成功し、郭は日本に流れるキリスト教への憧れを検証して、新文化論が誕生。【本の内容】
キリスト教と美人の関係、ミッション系女子教育が採った才色兼備路線、キリスト教への憧れを検証する新文化論。【本の内容】
著者紹介
井上章一
- 略歴
- 〈井上章一〉1955年京都府生まれ。国際日本文化センター教授。
〈郭南燕〉1962年上海生まれ。日本語文学者。
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紙の本
迫害されていないキリスト教
2019/02/04 19:03
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:melon - この投稿者のレビュー一覧を見る
タイトルはセンセーショナルであるが、中身は少しお堅い人文科学書である。キリスト教は迫害されていた歴史があり、また日本においては仏教や神教といった主流ではない。天皇家とキリスト教も普通の見方では相性は良くなさそうだ。しかし、実際は天皇家もキリスト教系のICUに通うなど、決して天皇家とキリスト教が相容れないものではないのだ。
ミッションスクール在学生読者モデルやミッションスクールOGアナウンサーが多いのは数字として間違いないだろう。それがなぜかというのは本書では奉仕の精神と位置づけているようだが、私はそうは思わない。どうもこじつけに思えてしまう。私は日本人の古くからの西洋への憧れが要因であると考えている。キリスト教がというよりは西洋がオシャレなのだ。キリスト教は西洋の文化であるため、仏教のようなどこか敬遠したくなるようなところがない。そもそもキリストというカタカナ表記が大事だ。基督教と書けばどこかダサさを感じないだろうか。
最近はカタカナが流行りすぎて逆にダサいようにも思えるが(東武アーバンパークラインとかグローバル教養学部のような伝統が感じられないネーミングは格下感が漂う)、本来的に西洋由来のカタカナはありがたがられるのではなかろうか。
ただ本書で一つ有用な示唆があった(本書のタイトルにしっかりと答えているのは最後の川村氏の論説のみだと思う。ここではキリスト教の維新後の歴史が語られている。)。キリスト教の教育は女子教育で輝いている点だ。男子教育は帝国大学や中高のナンバースクールなど官立が中心で、キリスト教系にチャンスがなかった。だが、女子教育はそういった制度となっていなかったから発展できたのだという点だ。
江戸から明治へ時代が変化してもキリスト教は弾圧され続けた。そんな中で慈善事業により認められようとしたが、邪教のイメージを払拭できたものの、貧者や病者の宗教というイメージになってしまった。また教育勅語で教育と宗教を切り離さなければ悪い扱いを受けることになって、慈善事業から初等・中等教育機関へと転換を図るようになった。雙葉や白百合である。一方後に上陸した上智や聖心女子学院は最初から日本に大学を作ろうという目的だったようである。
一方でさらに後に入ってきたプロテスタント系の学校である女子学院やフェリス女学院などは、当初より中・上流階級相手の教育を目指したようである。
先述のように日本人には西洋への憧れがあるものと思う。これは川村氏の論説を基に考えると、歴史で日露戦争に勝利し、三流国を脱して列強の仲間入りをしたと思えた頃からのもののようである。