紙の本
目に見えてわからないからこそ、相手に理解してもらいにくい辛さがある。
2019/04/26 09:54
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投稿者:ぴんさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
吃音ではない人からは、スムーズに言葉を発せない「だけ」に思えるかもしれない。しかしそこに、当事者が感じる苦しみとの大きなギャップがある。誰もが、他者には容易に理解し得ないさまざまな悩みや葛藤を抱えている。誰しもそれぞれコンプレックスはあるもの。相手のコンプレックスを笑わないで想像力を持つ。吃音者の苦悩を知ってもらうだけでなく、そんな想像力を持つきっかけになるよう、本書が役立てばいいと思う。
紙の本
ためになる
2023/12/25 21:17
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投稿者:イ! - この投稿者のレビュー一覧を見る
当事者としてこの本を読んでいるが非常に参考になる.実体験を交えて状況を説明されているので気持ちを移入しやすく読みやすい.
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自身も吃音である筆者による吃音者の内面に迫る本。吃音を苦に命を絶つケースも多いそうで、かなり胸が痛む記載もありますが、周囲に吃音者がいる方は一読してみるとよいと思います。子どもの20人に1人が発症する(ほとんどがその後治る)そうなので、小さなお子さんをお持ちの方にもおすすめです。「ノミを打って少しずつ石を削るように一音一音を必死に出している」という表現が印象に残りました。
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私も吃音をもっています。現在は寛解しており、気付かれることはほぼありませんが、体調が悪い時には言葉につまることがあります。
本書を読んで、言いたいことがいえなかった幼少期を思い出しました。
友達との会話の中で、気の利いたことをは思いつくのに言葉にできず、情けない日々を送っていました。寛解したことで記憶に蓋をし、すっかり忘れていましたが、今の仕事において「わかりやすさ」に注力し、評価してもらっているのは、当時の悔しさをバネにした努力の結果だということに気付きました。
吃音との向き合い方はそれぞれだと思いますが、今の私を形成した重要な「個性」だと思える年月を歩んできました。
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吃音の頃の記憶が戻り、とても良かった。
アメリカンドッグを言えず、10年間たべれなかったという話はとても自分をざわつかせた。
なんとかしたい。そう思えた。
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初めて吃音というものだと気付いたのは高校生の時かな?
自分は大学生の時にバイトするのが辛かった。
「お先に失礼します」や「ありがとうございます」、「いらっしゃいませ」の簡単かつ基本的な定型文を言えないんだから。唯一信頼してたバイト先の店長に泣きながら吃音のことを伝えたとき、店長が笑いながらそんなんだったら早く言ってよ!全然気にしないよって言ってくれたのはスッキリしたし、とても気が楽になったなぁ。
この本は自分の体験談とも酷似する経験が多くて、読了するまでに何度目に涙を溜めたことか、、、
勉強にもなったし、同じ苦しみを味わっている人を知ることができて本当に良かった。
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言葉を発しようとするとき、滑らかに話せず、つっかえたり、同じ音を繰り返したりする。
どもり、あるいは吃音。
からかいや差別の対象になることもあり、重度の吃音を持つ当事者にとっては重大な問題である。
幼少期の子供ではおよそ20人に1人が吃音を発症するという。そのうち8割程度は成長とともに自然に解消されていくが、消えずに残る場合もある。概ね、1%が吃音を持つとされている。
症状は多様で、大きくは「ぼ、ぼ、ぼ、ぼくは」のように繰り返しが入る「連発」、「ぼーーーくは」のように伸びる「伸発」、「・・・(ぼ)くは」のように出だしの音が出ない「難発」の3つに分けられる。
100人に1人というくらいだから、著名人にも吃音の人物はいる。映画『英国王のスピーチ』はジョージ6世(エリザベス2世の父)の吃音がテーマだが、その他、マリリン・モンロー、田中角栄、ルイス・キャロルも吃音症だったという。
緊張してスムーズに話せないというのは多くの人が経験することだが、吃音は、特定の言葉を発しようとするときや、特定の状況下で、喉や口元が硬直し、どうしても動かなくなる点で、一般的な緊張とは異なる。
しかし、そのメカニズムは実は詳細にはわかっていない。器質的な問題もあり、それに加えて生活環境や発話状況に大きく左右される。本人にとっては深刻だが、他人からはその深刻さはわかりにくい。常にどもるわけでもなく、完全に話せないわけでもないためだ。
原因もわからず、症状も安定しない。万人に当てはまるような治療法が確立されているわけでもない。
だが、当事者には大きな問題だ。
発話がスムーズでないことは、吃音者の人生に大きな影響を及ぼす。就職に不利になったり、対人関係で過剰なストレスを感じたりが積み重なり、思い詰めてうつ病を患う人もあれば、自死を選んでしまう人もいる。
本書の著者も吃音の経験がある。著者の場合はあるきっかけがあり、症状は軽減しているが、そもそもライターという職業を選んだのも吃音があったせいだという。
吃音というテーマを選んだのはもちろん経験者であるからだが、その著者にしても、自身の症状が重かった時期にはこの問題には取り組めなかっただろうと言う。そのことが吃音が当事者に与える影響の深刻さを物語るようでもある。
吃音には特有の「曖昧さ」がある。
それは障害なのか? 障害だとすれば身体的なのか精神的なのか。
訓練によって直るものなのか。
症状が出る場合と出ない場合があるのはなぜなのか。
原因に関する憶測や偏見も消えない。
吃音をコントロールしようと努力する人。
障害者認定を受けて一息つく人。
職場に恵まれる人、理解のない職場の対応に苦しむ人。
吃音の度合いもさまざまならば、吃音に向かう姿勢もさまざまである。
自身も吃音の経験を持つ著者は、丁寧に個々の吃音者に向き合い、その人生を追う。
「個性」と「障害」の狭間で、もがく人たちがいる。
吃音の人が持つ「生きづらさ」はどこからきているのか。
読み応えのある好著である。
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これまで吃音ということを意識したことはなかったが、たまたま会社で軽い吃音の部下が配属されたことから、彼とどう接するか考えていた時に本書が目に入り読んでみた。
本書では、著者自身も吃音に悩まされた経験をもち、様々な吃音者への取材をもとに構成されている。未だに吃音の原因も治療法も不明であり、社会での理解も深まっていないことに驚いたとともに、自身も部下が吃音でなかったら考えることもなかったことを恥じた。
吃音者は社会の理解のなさに非常に苦しめられている現状が記されており、治療法の確立が急がれるとともに、少しでも生活しやすい社会を実現することの重要性を感じた。
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読んでいて何度も苦しくなって涙が出そうになりました。吃音は、子供でときどきあって、でもほとんどは自然になくなると思っていたけど、多くはないけど大人になっても残る人たちがいて、その人たちは就職活動や働き出してからがさらにきつくて、たくさん傷ついて、自殺を考える人も少なくない、ということを初めて知りました。周りの理解がないと本当につらいだろうなと思う。知ることができてよかった。みんなが生きやすい社会になってほしい。
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自身も吃音で悩んだ著者による、吃音についてのノンフィクション。身の回りで吃る人はいたけれど、それを大きな問題と考えたことはなかった。
症状にもよるようだが、その人の人生を大きく左右する問題だということが、この本を読み理解出来た。
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長年吃音に苦しんで、社会人になって世界を放浪する中で突然治った作者が、吃音について語る。
作者は学生の頃の知り合いだったが、そこまで苦しんでいたとは正直知らなかった。伝えられないことの苦しさを知る。
それに、なぜか、名前をいう時に吃音が出やすいらしい。間違えてはならない、という強い思いがどもらせ、また繰り返すことで、負の学習をしてしまうのだろうか。
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テーマは「吃音」だが、関係のない人にこそ関係のある本。あとあまり、普段はノンフィクション読まないという人にも。
すべてが明らかになるわけではなく、すべてに結論が出るわけでない、という、ありのままの姿勢がとてもよかった。小説のように全部が丸く収まるわけではないが、それこそ人生と同じで、読み終えて考えさせられるところが大きい。
他者と関わる必要があるときに問題化する「吃音」は、それを受け入れられるかどうか、そこに社会の柔軟さが問われている、現れるべくして現れた問題のようにも思える。
身近ではないので傍観してしまうところがあるのだと思うが、単純に、「他者としゃべりたくない」という現代社会の悲鳴のような気もした。「うつ」だって、「もう頑張りたくない」という、心の叫びなのかもしれない。この薬を飲んでください、で治るようになったら、もちろん救われる人もいるから解明は待たれるのだけど、病(「おかしい」→「この薬を飲めば治る」)のように単純な問題でもないような気がした。
思いきって言ってしまえば、都市という空間で、私たち自身が悪化させた病状のようにも思われる。(男の人に多いというのも、プレッシャーを感じやすい社会だからじゃないのか、と思ったり。他の国とか、他の時代と比較してみないと何ともいえないが)
症状としては「吃音」であるが、それが問題化する本当の原因は、私たちの脳の中にはないのではないか。根本的に社会の問題を治さなかったら、(それはつまり、昔の感染症などが衛生状態を良くしなければ別の病気が流行ったりするなど、根本的には解決しないのと同じで)それは治った、とはいえないのではないか。
逆説的な見方をすれば、社会をより良くするために現れた社会の課題のようにも思われる。こういう問題をひとつずつ解決しながら、私たちは前に進んでいくのかもしれない。
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正直なところ、この本を読むには勇気が必要だった。自身が同じ吃音者だからこそだ。蓋をしていた自分自身の「欠陥」に向き合わされるような気がして、避けていた。
しかし、一読してすぐに、この本を読んで良かったと思うようになった。自分だけではない悩み、著者の際立った表現力が身に染みた。そして何より、客観的に自分が「どもっている」時の反射的な反応を考えるようになった事で、気づきが生まれ、改善が生まれた。これは思っても見なかったような、大きな進歩だった。
だから、本書は吃音を隠してきた私のような人間にとっても有益だし、また、もちろん、吃音者ではない方にも当然、吃音というものを知って、理解して、干渉ではなく、見守って欲しいという願いを理解して貰えるような本だと感じる。
いつか、吃音に対する理解が深まって、将来の人たちが『吃音」なんて単語を知らないまま、全く気にせず過ごすことが出来る社会になればいいと願ってやみません。
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どんな障害も当事者にとっては簡単なものではないということがとても良くわかる.吃音は他者との関係において障害となり,一人で過ごす分には何の問題もないことが他の身体障害とは異なる.喋れることに何の問題もない人が理解することは恐らくできないだろうが,このような本こそ教科書の参考資料になって読まれるべき本だと思う..
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抑制の効いた文章が素晴らしい。
これを読んで、吃音というものがなんなのか、やはりよくわからない。わからないものだということがわかるだけだ。
ただそのよくわからないものが、人をどのように苦しめて、人はどのように乗り越えようと足掻くのか、そこにこの本の面白さがあった。
後半で出てくる、横隔膜の話、その話がどうなっていくのか知りたい。