紙の本
淡白でエモーショナル。
2019/10/15 00:12
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オオバロニア - この投稿者のレビュー一覧を見る
虐げられた幼少期、建設現場の重労働、妻との死別、ロシアでの孤独な兵役を経て、山岳ガイドとなり、静かに一生を終える様が淡々と描かれる。シンプルな文章ほど綺麗で深みが出ることがよく分かる好例。何物にも換えがたい、人生の一瞬一瞬に引き込まれる。
偶然かもしれないけど、「犯罪」のシーラッハ同様に淡々とした文章なのにエモーショナル。ドイツ文学ならではかも。
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淡々とした、という書評をよくみた。
本当に淡々と、静かに物語は進む。
"激動の"と言って良いような20世紀を生きたある男の人生。
同じ時代を、ヨーロッパで生きた人としては、珍しい人生じゃないのかもしれない。
少なくとも21世紀を生きる私から見ると、信じられないことが起きた人生だ。(戦争で捕虜になって6年も極寒のロシアで過ごしたり、電気のない生活からある生活へ移行したり)
もっと怒ったり、痛かったり、悲しかったり、嬉しかったりをぶつけて、訴えて書くこともできたと思う。
でもそうじゃなかった。
それは、エッガーが人生の終わりに振り返った時、自分の人生を肯定して、満足できた静けさだった。
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こういう本がもっと知られていて、広まるような世の中であれば、いくばくかの悲しい事件は減るのでしょうか。
生きることに想いを馳せると涙してしまいます。
ただ生きる、その強さと不器用さ
心の波を持っていかれたのはやはりマリー失う場面で
人はどれほど人を愛することができるのだろうかと
言葉少ないプロポーズが物語っているようです
私たちはこの平凡な幸せを大事に思える時代に生きれて良かったと、そんな気持ちがします。
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ローベルトゼーターラー「ある一生」https://shinchosha.co.jp/book/590158/ 読んだ。すばらしい。達観と知足を書いた、とにかく何もかも美しい本。文章は力強く淡々としてて比喩や修飾が最低限なのに端々に叙情的なシーンがある。主人公の慎ましい生活が美しい。こういうのいいな。山男という設定が効いてる(おわり
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20世紀初頭、アルプスの山麓の農場で農場主の妹の私生児として育ったエッガー、母親は亡くなり農場主のもとで鞭打たれ厳しく育てられる。足を傷め、生涯片足を引きずりながらも、その体力で一人で生き抜くようになる。
生涯でただ一人愛したマリーを雪崩で失い、第二次大戦ではロシアの捕虜収容所で過ごす。帰ってきた村はスキー場で繁栄していく。寡黙なエッガーは、偶然山岳ガイドとして重宝されるようになる。
やがて、好き勝手な観光客の案内に疲れたエッガーは、一人山小屋で仙人のように暮らし始める。冬が近づいた朝、ひっそり亡くなっているエッガーが見つかる。
過酷な一生だったのだが、なぜか幸せな一生と思ってしまう。良い読後感だった。
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読ませようという気があるのか、と言いたくなるタイトル。原題が<Ein ganzes Leben>だから、直訳だ。すべてが、ここに集約されている。削りに削りまくった、飾り気とか色気とか、そういうものが一切ない、必要最小限度のもので成立している長篇小説。長さすら削られている。幼い頃、オーストリア・アルプスのとある山村にやってきた、何者でもない一人の男の一生を、三人称限定視点で突き放すように描いたリアリズム小説である。
アンドレアス・エッガーは、一九〇二年の夏、遠い町から馬車で運ばれ、山までやってきた。四歳くらいだった。母を亡くした私生児で、義理の伯父に引き取られたのだ。伯父はエッガーを労働力としか考えておらず、粗相をすると折檻が待っていた。八歳のころハシバミの枝を削った鞭で打たれ、左足の骨が折れた。伯父が医者代を惜しんだせいで、折れた足は元に戻らず、一生引きずることになった。
しかし身体は頑健で逞しく育ち、子どものころから大人並みに働いた。「だが緩慢だった。ゆっくり考え、ゆっくり話し、ゆっくり歩いた。けれど、どの考えも、どの言葉も、どの一歩も、その跡をしっかり残した。それも、その種の跡が残るべきだとエッガー自身が考える場所に」。十八歳になった誕生日の翌日、鞭打とうとした伯父に反抗し、「失せろ」と言われ、家を出る。
障碍者ではあったが、エッガーは、よく働き、要求は少なく、ほぼ何も話さず、どんな仕事も引き受け、確実にやり遂げ、不平は言わなかった。何をさせてもうまくやれた。食事へ行くことは稀で、行ったとしても一杯のビールと蒸留酒を注文するだけだった。ベッドで寝ることは滅多になく、藁の中や屋根裏、家畜小屋で眠った。二十九歳の年、貯まった金で森林限界のすぐ下にある干し草小屋つきの傾斜地を買い、小屋に手を入れ、そこで暮らした。
その頃がエッガーのいちばん幸福な時代だった。山小屋で寝付いている山羊飼いを助けに行ったのに、雪の山で見失うという事件が起きたのがその頃だ。背負い籠に縛りつけたはずの山羊飼いが、自分で縄をほどいて飛び降りたのだ。途方に暮れ、漸く村に帰ってきたエッガーは暖を求めて食堂に入った。そこで、新入りのマリーという女と出会う。それが二人のなれそめだった。
エッガーはマリーに結婚を申し込むのにふさわしい男になろうと、当時村でロープウェイの工事をしていた<ビッターマン親子会社>を訪ね、そこで働くことになる。誰よりもこのあたり一帯に詳しく、高所作業を得意としたため、工事用の穴をうがつ場所に最初に足を踏み入れる男になった。やがて、マリーと結ばれ、二人はエッガーの小屋で暮らし始める。しかし、幸せはそう長く続かない。雪崩が村を襲ったのだ。
総じて時間の順序に従って書かれているのに、冒頭に置かれた章には、エッガーの記憶としていくつかの思い出が断片的に挿まれている。それが、映画でいえば予告編になっている。山羊飼いの死についての考え、その直後のマリーとの出会いは、まさにエロスとタナトス。その後の<ビッターマン親子会社>が初めて村にやってくる場面、そして、初めての雪崩との遭遇。村の子ども達に「びっこ」と囃し立てられ、���柱で応酬する場面。本編で出会うたび、ああ、あれだ、と気づかされる。
少し昔のことになるが、どの地域にも、一人や二人、共同体からはじかれたように、独りで暮らす年寄りがいたものだ。何かの不幸があって、家族と別れ、長い独り暮らしを強いられながら、気質のせいか、境遇のせいか、共同体に馴染めず、追いやられはしないものの中には入り込めない孤独者が。頑是ない子どもたちは、そんな人たちに向かって情のないひどい言葉を投げつけていた。小説を読んでいて思い出した。これは、そういう立場にある人の視点で描かれた小説ではないのか、と。
厳しくも美しい自然の中にあって、村の人々とは確かな距離を保ち、ほとんど襤褸と言っていい最低限の衣服を身に纏い、野生児のように暮らす主人公を、親しい人々を除けば、自分たちとは異なる存在として見ていたのだろう。エッガーはそれでもかまわなかったし、気にもしていなかった。ただ、マリーを失った後はしばらく立ち直れなかった。
山岳を主たる舞台とする小説として、山の自然の美しさが描かれる一方で<ビッターマン親子会社>の仕事は手つかずの自然の中に人工を引き入れることである。ロープウェイは観光客を村に引き入れ、スキー場が次々と作られ、夏は山歩きの人が村にやってくる。なかには、山歩きのガイドを務めるエッガーに、「君にはこの美しさが見えないのか」と説教を始める者まで出てくる。誰よりも山を愛しているエッガーに、偶々やってきた観光客が口走るこの台詞に強烈なアイロニーを感じる。
質朴で寡黙な男が、黙々と人生を送るうちに、世界は彼を一人置いて別なところに進んでいた。そして、その世界こそ我々読者が暮らしている世界なのだ。現代社会はエッガーのような暮らしを好んでする者を異端者扱いしてはばからない。そして、既にエッガーは周囲からそういう目で見られていた。川遊びの少年が三十代のエッガーに「びっこ」と呼びかけたのは、当時から村人が彼をそう呼んでいたことを物語っていたのだ。
世界は、エッガーの眼が見ているような美しいものではなくなった。人は自分のまわりに美しい孤独をおいておけなくなった。今では孤独に価値などない。群れたがり、衆を頼んで、我々はどこへ行こうとしているのか。激動する時代のさなかにあって、時々は振り返ってみることが必要ではないだろうか。我々は何を失い、代わりに何を得たのだろう、と。そんなことをしみじみと感じさせてくれる一服の清涼剤のような小説である。
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アルプスの山々に生きた男の“ある一生”は
平凡ではないけれど、劇的とも言えない。
そんな主人公は、こうなったかもしれない一生を思い浮かべながらも、今まで歩んできた道に満ち足りる。
それは、読者一人ひとりが送る一生かもしれない。
だからこそ私たちはこの物語に心を動かされ、そこに人生への恩寵をみる。
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図書館の新刊コーナーに置いてあって、「一生」が気になって借りて読んだ。
少ない150ページ程の中に一人の男エッガーの人生が書かれている。
日本人にはない外国人の人生観を考えさせられた。
印象に残った文章
⒈ 死っていうのは、氷の女なんだよ
⒉ 人の時間は買える。人の日々を盗むこともできるし、一生を奪うことだってできる。でもな、それぞれの瞬間だけは、ひとつたりと奪うことはできない。
⒊ 足はひとりで引きずるもんだ
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よかった。訳者あとがきでも触れられているが、やはり『ストーナー』を思い浮かべながら読んだ。静かで多くを望まず、愚直とも言える1人の男の人生が、なぜこんなにもしみじみと沁み入ってくるのか。
誰の人生も、たまにハイライト(小さくても)があるにしても、ほとんどはなんてことのない瞬間の積み重ねだけれど、「でもな、それぞれの瞬間だけは、ひとつたりと奪うことはできない」。そういうことだ。
それにしても図らずも浅井晶子訳が今年になって3作読んだが、『トリック』も素晴らしかったし、『国語教師』も面白かったし、すごい打率だ。
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どの一生も「ある一生」にすぎない。
なんで生きるんだろう。
その疑問をもつことはいつか消えた。
生きることに意味はない。
なんで生きるんだろう。
その神秘に身をあずける「瞬間」だけがある。
答えはいらない。
なんで死ぬんだろうも同じ。
意味はない。
答えはいらない。
ただ生きて、ただ死ぬ。
そのあいだに「瞬間」だけがある。
あえていうなら、生きて死ぬために、生きる。
生きると死ぬ、そのあいだのすべて
一生の、そのあいだのすべて
その神秘に身をゆだねた、幸せな読書。
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本物の小説とは、このような一冊を言うのだろう。
歴史に名を残すような人間ではない、名もなき一人の男の「ある一生」。
目の前にある過酷な生活、残酷に奪いさられる愛すべきマリーとの時間、孤独な男エガーが
ただ淡々と力強く与えられた人生を終わらせていく。
どんな厳しい現実にも無駄に抗う事無く、自分に与えられた生きて行く時間をただ、ただ、生きる。
強さの中に感じる哀しみも小さな幸せ。(エガーにとっては小さくはないが)
天から与えられた命の期限を生ききるとは、こういう事なんだろうな。
エガーの純粋で不器用な愛と、目の前にある苦難を
その瞬間、瞬間を「生きる」姿は無駄な物に囲まれ、無駄な思考と有り余る現代の豊かさで生きている私には
輝いて見えました。
素晴らしい小説でした。
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オーストリアのアルプスの麓,架空の村で私生児として生まれ生年もわからないエッガーが扱き使われ恋をし結婚し雪崩に会い戦争に行き捕虜になり帰ってきて山岳ガイドをしながら暮らす.そして氷の女に出会った後程なく死ぬ.一つ一つその瞬間には思いもよらない感情や体験があったはず,なのに淡々と語られるこの物語はどこにでもある一人の男の一生である.だけど,掛け替えのないおおむね満足できる一生である.そして,文章が詩を読んでいるかのようで美しかった.
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客観的に見ると、不幸で不器用な男の一生だが、一人の女性を愛するという歓びを知り、正直に仕事をこなしてきた愚直な人生に、他に要求することがあるだろうか。
ただ、愛する女性マリーを失ったのが早すぎる。この物語を読んでいて、エピソードの度、マリーを早くに亡くしてしまっていることが脳裏に浮かび、僕の胸にこたえて涙があふれてしまう。主人公は、年老いて人生を振り返り、まずまずだったと回想するが、読者の僕は、マリーが生きていたら得られていたであろう、幸せな人生と比較してしまうので、その哀しさに、また涙してしまう。
戦争や技術革新による変化に大きく影響を受けた、20世紀のオーストリアの市井の男の物語が、広い普遍性を持ち、一人の男の人生の物語として、深く僕の心に突き刺さった。
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大晦日、世俗にどっぷりとまみれた自分の心を洗濯するのに最高の一冊。
私生児として生まれ、虐待のせいで跛を引くようになり、家を建てて結婚し、「愛」というものを初めて感じた矢先に雪崩にあって、嫁を無くし、戦争に行って捕虜となり極寒のロシアで何年も過ごし、やっと戻ってきた故郷には仕事は無く、あるきっかけで山のガイドをするようになって生活は安定、しかし人として快楽を求めるようなことは一切せず、最後は正気とボケを行き来する自分自身を客観的に見つめながら、息を引き取る ー そんな男の一生。
著者いわく彫刻のように木を彫るようして執筆したとの通り、淡々と物語は展開してゆく。
そこには人としての快楽はない。「人生を楽しむ」のではなく、「どう生きるか」のみ主眼を置いている。ただその「どう生きるか」における人生の選択にも、「なぜその道を選んだのか」には触れない。選んだ道をただひたすらに生きる姿が描かれる。
あくまでも自分の人生を客観的にシンプルに生きた男の物語であり、そこには人生とは期待するものではなく、シンプルに「生きることである」、という静かな力強いメッセージが感じられた。
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オーストラリアアルプスのある村から始まる。ひとりの男のほぼ20世紀いっぱいにわたる一生が描かれている。146pにも関わらず、読後は一生を見届けたような気分になった。
・1931年冬のある日、アンドレアス・エッガーは山中の小屋で山羊飼いが倒れているのを発見。雪の中おぶって下山するも、村がみえたところで山羊飼いは突然山奥へ戻る。しぬときは氷の女に出会うという言葉を残して。
・マリーとの恋は淡くてよかったなぁ。あんなことになるなんて。
・歴史上の、人物でない劇的だが、たぶんこの時代の人の誰もが送った平凡なものだったのかな。
・表紙の水色の絵がとてもすてき。装丁もふわりとしてる。