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紙の本
朝のあかり 石垣りんエッセイ集 (中公文庫)
著者 石垣りん (著)
自分の住むところには自分で表札を出すにかぎる−。銀行の事務員として働き、生家の家計を支えながら詩作をつづけた著者は、50歳で川辺の1DKを手に入れ…。ひとりを味わう詩人の...
朝のあかり 石垣りんエッセイ集 (中公文庫)
朝のあかり 石垣りんエッセイ集
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商品説明
自分の住むところには自分で表札を出すにかぎる−。銀行の事務員として働き、生家の家計を支えながら詩作をつづけた著者は、50歳で川辺の1DKを手に入れ…。ひとりを味わう詩人の暮らしぶりが息づくエッセイ集。【「TRC MARC」の商品解説】
自分の住むところには自分で表札を出すにかぎる――。銀行の事務員として働き、生家の家計を支えながら続けた詩作。五十歳のとき手に入れた川辺の1DKとひとりの時間。「表札」「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」などの作品で知られる詩人の凜とした生き方が浮かび上がる、文庫オリジナルエッセイ集。〈解説〉梯久美子【商品解説】
著者紹介
石垣りん
- 略歴
- 石垣りん 一九二〇年東京生まれ。詩人。高等小学校時代から詩作を始め、少女雑誌に投稿する。小学校卒業後、十四歳で日本興業銀行に就職。二十五歳の時に敗戦を迎え、戦後は職場の組合活動にも参加しながら詩作に集中。三八年同人誌「断層」を創刊し福田正夫に師事。五九年第一詩集『私の前にある鍋とお釜と燃える火と』刊行。六九年第二詩集『表札など』でH氏賞、七一年『石垣りん詩集』で田村俊子賞、七九年『略歴』で地球賞を受賞。二〇〇四年没。
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紙の本
石垣りん/それでよい。
2023/05/23 16:51
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
詩人石垣りんのエッセイ集『朝のあかり』は、彼女の生前に刊行された3冊のエッセイ集の中から選ばれた71篇を収めた読むに値いする文庫オリジナルですが、唯一残念なのが、年譜がないことでしょう。
仕方がないので、岩波文庫の『石垣りん詩集』に載っている「石垣りん自筆年譜」を参考にしながら、エッセイとともにその84年の人生をたどるのがいい。
石垣りんは昭和9年(1934年)、14歳で日本興業銀行に事務見習いとして就職。
その時の幼い姿や18円の初任給に喜ぶ姿など、たびたびエッセイに綴っています。
現代の感覚でいえば、14歳で仕事に出るのは過酷な環境だったのかと思ってしまうが、そうではないと、石垣は書き残している。
「家は、子供を働きに出さなければならないほど生活に困っておりませんでしたが、(中略)私は早く社会に出て、働き、そこで得たお金によって、自分のしたい、と思うことをしたいと、思いました。」
石垣はその頃から書き溜めた文章を色々な雑誌に投稿する少女で、彼女は働くことで書く自由を求めたといえます。
しかし、もちろん働くことは楽ではなく、まして当時の社会では女性の地位も低く、そこにやるせない感情もありました。
彼女の代表作ともいえる「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」などの詩は、そういうところから生まれたといっていいでしょう。
石垣が会社を定年退職するのは昭和50年(1975年)、55歳の時でした。
その少し前、50歳の時に川辺の1DKのアパートで一人暮らしを始めます。
そこから先、亡くなるまでの小さな生活ぶりの様子は、エッセイにもうかがうことができます。
そんな石垣りんにとって、人生とは何であったのでしょう。
少し長めのエッセイ「詩を書くことと、生きること」にこう記しています。
「長いあいだ言葉の中で生きてきて、このごろ驚くのは、その素晴らしさです。」
「私のふるさとは、戦争の道具になったり、利権の対象になる土地ではなく、日本の言葉だと、はっきり言うつもりです。」
時代がどんなに変わろうが、石垣りんが問いかけたことは不変です。
だからこそ、このエッセイ集は読むに値いする一冊なのです。
紙の本
静かながら、心にずしりと響いた。
2023/04/25 14:28
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ら君 - この投稿者のレビュー一覧を見る
もの静かで丁寧な言葉のなかに激しく強い気持ちが隠されていて、引き込まれていきました。
昭和の話題なので今とは随分違うことが書いてありながら、その出来事に対する感情に、はっとさせられました。