紙の本
コロナ時代である現代文学のひとつ
2021/10/07 16:40
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
第165回芥川賞候補作。
残念ながら、受賞には至らなかったが、受賞作より面白く読めた。(それは同じくくどうれいんさんの『氷柱の声』もそうで、受賞作だけでなく候補作であっても読むことをおすすめする)
選考委員の選評を読むと、この作品の長さを嫌う委員が何人かいたが、もちろんエピソードで削れるものがあるが、読んでいてあまり長さを感じなかった。
委員の中で平野啓一郎さんがこの作品を「一人だけ強く推した」という。なので、選評の三分の一はこの作品の評で占められ、受賞しなかった作品ながら評価が高かったことがわかる。
また奥泉光委員も「単純な物語構成のなかに、主人公の思考や感情の動きがたしかな手触りとともに浮かび上がる好篇」と評していた。
「夫が風呂に入っていない。」
これが冒頭の書き出し。物語は突然風呂に入らなくなった夫とそんな夫を受け入れていく妻の物語である。
「不条理」という言葉をよく使う。道理に合わないというような意味だが、現在のコロナ禍も不条理の世界を生みだしたといっていい。
そんなコロナとともに生きる私たちは、この物語に書かれた夫婦と同じではないだろうか。
風呂に入らなくなり、会社も辞めざるをえなくなった夫。彼とともに自分の実家のある田舎に越していく妻。
それは「不条理」を抱え込んでいく現代人の姿といえる。
ラストは結構衝撃的だし、いろいろな読み方もできるだろう。
この作品はコロナを描くことなく、コロナ時代である現代文学のひとつの作品になっている。
紙の本
飛び石のような人生をふたりで
2022/11/02 04:01
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
トラックの運ちゃんに怒鳴られてもへこたれない衣津美と、後輩にナメられて水をかけられる研志。それなりに幸せそうな夫婦が、あの場所にたどり着くとは予測不可能でした。
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第165回芥川賞候補作品。
残念ながら受賞には至りませんでしたが、(今回はどの作品が獲ってもおかしくない程、全候補作評判が高かったですね)デビュー作に続いて読みやすく、楽しめました。
“夫が風呂に入っていない”という一文から始まります。
夫が風呂に入らなくなったというあらすじを知った時に、もう面白いに決まってると思ってました。
小説を読みながら、顔を背けたくなるような臭いがしました。何度も。自分が妻だったらどうするだろうか。臭いのきつくなった夫を心配し、支えたい、そばにいたいと思えるか。
「夫婦は血が繋がっていないから、書類一枚で他人になれる。夫婦は家族であろうという意思なしには、家族でいられない。」妻の愛、この人と家族でいたいという意思が、義母へのセリフや、夫に対する気遣い方、寄り添い方からも感じ取れました。
ラストは読者が考える形です。
私は、夫はもう…と思いました。
また、時間を置いて再読してみたいです。
高瀬さんには、これからも沢山作品を書いて頂きたいです。
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夫が風呂に入らなくなった。
設定としての癖は強い。
だからわたしは、『臣女』くらいのヤバさを、この作品に求めてしまっていたのかもしれない。
しかし、この癖の強さとは裏腹に、まともな主人公のまともな目線で語られてゆく。
夫が風呂に入らなくなった。
風呂というとても日常的なテーマを取り上げつつしかし、事実として風呂に入らないことが継続するのは非日常で、だからその設定に、どこか、静かではっきりとした強い感情が読み取れる。
わたしは、お風呂が嫌いだ。
お風呂掃除も嫌いだ。
だけど、先日お風呂掃除を少しだけ頑張ったら、なんか前よりもスっとお風呂に入れるようになった気がする。
前は、湯船に入ると一日の反省会を始めてしまって酷く落ち込んだり、お湯を貯めている間に寝てしまってお湯が溢れかえっていることはしょっちゅうで、水道代もガス代もバカにならなくて、今は平日はシャワーだけで済ませてる。
だけど休日、18時頃に入浴剤を入れたお湯にゆっくりと浸かって、トリートメントやパックを入念にして過ごすのは結構好き。湯船に浸かると意外と夜遅くまで身体がポカポカと暖かい。
主人公は超がつくほどまともな35歳の女性、子なし。
こうなると、欲しいのは夫からの目線だ。夫目線の章がほしい。主人公のみの視点で最後まで貫かれているのがいささか冗長に感じてしまって。
途中から夫にむかついてしまうわたし。
妻が気を遣って核心に触れずにあれやこれや手を焼いているのに「さむい」だの「危ないから行かない」だの、じゃあ風呂入れやーー!と、思ってくる。
しかし一方で、まともな思考で処理しようとする自分自身も苦しかった。
もっと夫を理解してあげたい、自分だけは夫の味方でいてあげたい。「そうありたい自分」がわたしの心の中でちらちらと顔をのぞかせる。
この作品は、とても現実的に「もし自分だったらどうするだろう」っていうのを考えさせにくる感じのわりに、最後は唐突に、いきなり非現実世界にぶち込まれたような感じで、終わる。
こんな終わり方をするなら、もっともっと夫と共に妻も狂ってしまえばよかったのだ。しかしそれをせずにここまで現実的に描いてきたのなら、現実路線でのハッピーエンドかバッドエンドがよかったかなぁ。
というか、「飲み会の日の描写」がきっかけのような感じで描かれているのだから、そこをもっと掘り下げて欲しかったなぁ。夫目線がない以上、飲み会の日と風呂に入らないことの因果関係は不明なんだけど。
もう一度考える。
やっぱりわたしは夫が風呂に入らなくなったら、やっぱり入るようになってほしいと思う。
これって、不登校の親御さんが子どもに学校に行ってほしいって思ったり、あるいは引きこもりの家族がいる人にとっては、働いてほしい、って思うのと同じことなんだろうか。
そうなると、わたしはやはり、彼らの話を無視して、彼らが生きやすい世界をぶち壊す存在なんだよな。味方でいる、というフリをしている、この作品に出てくる義母のような存在なのかもしれない。
その人らしい人生を、とか人には言うくせに、自分と一緒に生活をする人がそれと同じ状況だったらたぶん許せない。
でも、夫が「働かなくなった」はなんとかできるかもしれない、だけど「風呂に入らない」ってどうすればいいんだ。
周りがどうにかできる問題を遥かに超えていて、「本人がどうにかするしかない」の究極のような気がするんだ。この作品は、たぶんそれを問いかけてる。先ほど、「こんな終わり方をするなら、もっともっと夫と共に妻も狂ってしまえばよかったのだ」と書いたけれど、あの終わり方を、「妻の狂い始め」と捉えたら、妻のみの目線から描かれたこの作品は、また別の見方ができる。つまり、妻はまともに風呂に入らなくなった夫にしっかり対応しているようでいて、実はゆっくりと狂っていった、という見方もできる、ということだ。どん詰まりの状況を、一人でなんとかしようとすることは、人を狂わせるのかもしれない。
現実路線のこの作品は『臣女』ほどの変態感はなかったけれど、愛する人の変貌にどう対応していくのか、というのを生理的な部分を中心に描いている点で、この2作品は共通している。
そして、わたしはたぶん、一緒に住んでる人が臭いのは無理だ。でも、もし相手を好きだったら大丈夫だったりするのだろうか。それを、愛と呼んだりするのだろうか。
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読みながら苦しくて、水たまりで口をぱくぱくさせながらなんとか息をしてたら、最後にはあっ!と驚くような展開に!
私達は常に何かしらの水に流動されているのかもしれない。
水が合わないのは辛いし、浅瀬は苦しい。
足が着かないと不安だし、激流には流され、溺れる。
主人公の心の動きに、人って案外そうなのかもと安堵するのは、自分の心にもその覚えがあるから。
なんで自分はそうしなかったんだろう、とやり過ごしてしまったところから省みる自分との微かな共感。
耐えてしまう。持ち堪えてしまう。
浮かび上がった共感が決壊して、手に負えない不安と、惑い出す混乱と忍び寄る恐怖。
この気持ちはどこに流れ着くんだろう。
掴みどころのない、心のいろんな流れやうねりを見事に表現しながら、予測不能で不穏な気持ちに溺れるこの、純文学のボッと落とし込まれる感じ。
好きな人はめっちゃ好き。
内容もわかりやすいし、読みやすいし、バランスもいいし、おもしろい。
是非、読んでみてください♪って安心して言える純文学。
パートナーが突然、お風呂に入らなくなったら、あなたはどうしますか?
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いよいよ明日は第165回芥川賞の発表日!
僕の推しの高瀬隼子さんのこの作品がノミネートされている!
興奮して今夜は眠れないかもしれない…
ノミネートされていることをニュースで見た瞬間、Amazonでこの本の発売を知り、ソッコーで予約。一昨日、玄関にさりげなく置き配されてました。
梱包をむしりとり、一心不乱で読みましたよ!
で、感想。
構造はデビュー作の「犬のかたちをしているもの」に似ている。
夫(彼氏)とペットが同等な感じ、とか。
前作は犬みたいな彼氏。今作は魚みたいな夫。
そして、両作ともおだやかな幸せを脅かすハプニングが起こること、とか。
高瀬さんはすでに自分のスタイルを持っているなぁ、と。僕はその型にかなりハマってます。
つぼ、というか。好き。
それにしても、風呂に入らなくなったオット。
奥さん、どうですか!
普通すぐ捨てるでしょ!
捨てるべきだと思います。
しかし、主人公の衣津実がとった行動は…
ひとことで言えば、
愛なんだな、
と思った。
なお、結末は読者に委ねられています。
すぐ解釈できないので、時間おいて再読しようと思います。
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上手く表現できないのだが、問題の深刻さの割に緊迫感と言うかスピード感がなく、ゆっくりとした時間が流れていく感覚がある。それは、【水たまりで息をする】と言うタイトルにもマッチしているし、その息苦しさや不穏な感じが、逆に良く伝わってくる。
この息苦しく、緊迫感よりは、終始不穏な感じが漂っている感じは、妻が具体的な手を打たないことに現れているように、妻の側にも夫に(あるいは夫がいるという生活に)依存していることも表しているように思う。
夫がおかしくなった時の会社側の対応とか、義母が嫁(妻)を非難するような発言をすることとか、都会の人間関係とか、まさに「水たまりで息をする」ような息苦しさにうんざりしてしまう。
こういう小説に、真面目に対処法を書くのは、ズレた読み方なのかもしれないが、途中から、病院に行け、傷つけたくないとか嫌がるとか言ってる場合じゃないぞ。多分、妻のあなたも一緒にカウンセリングを受けた方が良いぞ、と思ってしまって仕方なかった。
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「夫が風呂に入らなくなった。」に引かれてこの本を手にした。
水道水が嫌で雨で体を洗う夫。
体の臭いで会社を辞めざるを得ないことになってしまう。
その後、妻の育った土地に引っ越し、川で…。
妻の衣津実は、そんな夫を受け入れて一緒に暮らしていたけれど、私は受け入れることができるだろうか。
現実にこういうことってあるのかなぁ。
最後は明らかにされていない。
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純文学作品なのをすっかり忘れていて終わり方にちょっと驚いてしまった。
水が嫌いな理由が判明するかと思いきや、最後まで分からず。
ありのままを否定せずに受け止める、受け止めてまだ通れる道を探すことも1つの解決策なのかなと感じた。
けど正直やっぱりこの本が伝えたかったことがいまいち分からなかった、、
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「風呂には入らないことにした」
という夫!
もう、始めから強烈なインパクト。
高瀬隼子さんの「犬のかたちをしているもの」がとても印象的だったので、
芥川賞をとれると良いなぁと、密かに応援していた。
候補に選ばれただけでもすごいと思うけど。
水道水が痛いという夫の心は病んでいると思うけど、
なぜ衣津実はもっと初期の段階で対処しないのか?
川の水は大丈夫ならば、温泉は?
温泉ならお風呂に入れるのでは?
という問題ではなく、
心の病気ということを受けいらたらよいのに。
終わり方は衝撃的!
生きているのか?
雨とダムの放流による濁流に飲まれてしまったのか?
とても心配。
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第165回芥川賞候補作、高瀬隼子さんの作品は初読み。夫と二人暮らしの妻・衣津実が主人公、両者35歳くらいで、このまま何も起こらず時は過ぎていくのかな… と思ったときに 「夫が突然風呂に入らなくなり」1日~1週間~1ヶ月と経過していくとともに、穏やかな日々がだんだんと変化していく… 作中でたびたび「水」が出てくる。文章から匂いのする不思議な話だった、人によっていろんな解釈ができ、個人的には好きな作品。
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私ならどうするかな、あの手この手でお風呂に入れさせるかも。
最後はこうならなきゃいけなかったのかな。
そのまま終わる物語も読んでみたかったな。
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夫が風呂に入らなかった理由や、最後の夫の行方がはっきりしないけれど、これはこれで余韻と謎を残すいい結末だと思う。結局、どんなに相手を大切に思っていても、完全に分かり合えることは無い、ということなのだろうか……。
主人公は「〜したほうがいい」という動機で今の旦那と交際、結婚。子作りをしてきて、本人も「一見流されているように見えて考えている選択」をして生きてきたけれど、彼女が第三者から見ても「流されていない」選択って、台風ちゃん関係と地元へのUターンと、ラストのシーンだけなのかな、と思った。
まだ私の読解力が足らないので、またしばらく寝かせてから読み返したい。
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生きていく苦しさ・困難さがイメージできる「風呂に入らない」という状況を設定して、現代の生きづらさを描いているのかなと思いました。
主人公の妻である衣津実も、いろいろ悩みが深そう。
問題がないことが良いことなのか。。。よくわからなくなりました。
ラストはちょっと不満かな。
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ふたりで生きてゆくことを受け入れた夫婦の物語。
ままごとみたいと義母に言わたことを気にしながらも、夫の思いがけない変化を受け入れる。
責めないこと、追求しないことは愛なのかもな、とふたりの独特の寄り添い方を「私にはできないけど美しい」と思って読み進めた。
だが、結末はとても淋しい。
夫がいなくなったことさえも淡々と受け入れている。
本当は愛されていることを確認できなくて悲しかったのか?じつは復讐したかったのか?
本当の気持ちは読み解けないけど、言って、触れて、確認してこそ夫婦はままごとじゃなくなるのかもと思った。