紙の本
一種の解毒剤として
2019/08/29 02:43
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投稿者:H2A - この投稿者のレビュー一覧を見る
被害者、当事者への寛容と理解を基礎に置こうとした法学者の歴史認識。東京裁判からサンフランシスコ講和条約、従軍慰安婦問題を縦横に語るが、通底するのは歴史問題は、法的に解決しただけでは足りないという被害者に向けた目線だろう。著者は現在の状況を見てきっと眉を顰めるだろう。小賢しくいやしい、と感じて。植民地問題にしても欧米がほとんど責任を顧みないことに関して、逆に日本の贖罪が将来のベンチマークになりうるとみる。扇情的なぎらぎらした言説とは真逆の真正保守というべきか。逆方向に偏っているところもあって全てに頷くわけではない。それでも「無限に首を垂れる」ことなどできるはずがないというのは、賛成できるし信用はできると思う。一種の解毒剤になった。
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国際法学者としてのキャリアが、史実を恬淡として読み解いておられると感じた。
歴史修正主義者の発する言動は、少々暑苦しいところがあるが、大沼氏の説明には肩の力が抜けており、戦前戦後の日本の歩んだ道の概略として解りやすいものがあった。
第5章 二十一世紀世界と「歴史認識」において、英仏・米などの植民地責任が今後問われる可能性に言及されている。
日本が戦後取った戦争責任は堂々と世界に誇れるものだとの認識に国民も胸を張れという。
江川紹子さんの聞き方もさりげなくていいものでした。
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戦後70周年の今年(2015年)、先の大戦が再び注目されている。特に周辺諸国との関係で歴史認識は重要な要素になっている。太平洋戦争とそれに付随する様々な問題。日本は加害者と被害者の両側面を持っており、認識が複雑になっている。著者は基本的に東京裁判史観を肯定的だが、過度に自虐史観に陥るのではなく、戦後の日本の取り組みで誇れる部分もあるとしている。特に強調しているのは俗人に視点というもので、よく議論でありがちな非現実的な思想を批判している。個人的に共感する考え方だった。
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「歴史認識」とは、日本人として、日本の近代史をどう考えるのか、ということだ。著者は、この問題について頭で考えただけの人ではない。アジア女性基金理事として多くの人との対話を重ねる中で試され、磨かれた末に得たであろう、実の詰まったことばで、この難しい問題をていねいに説明してくれている。
とくに慰安婦問題については、韓国の問題ばかりがクローズアップされるが、オランダやインドネシア、台湾などの慰安婦もいたこと。それらの国々には「アジア女性基金」などの取り組みを通じて、首相の手紙を渡したり、資金的な援助をしたり、いろんな活動を行ってきたこと。ただ韓国だけは、「国家補償」にこだわる支援団体の頑なな対応がゆえにうまくいっていないことなど、交渉に当たった当事者としての言葉だけに重みがある。
日本はたしかに近代化の過程でとくにアジアの諸国に多大な迷惑をかけた。それを「解決」しようと思ってはいけない。「侵略じゃなかった」とか否定するより、間違いは間違いと認めてはじめて、かつての植民地支配について「謝ってもいない」欧米諸国とは違う立ち位置に立てるのだという指摘、実にそうだなぁと思う。
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江川紹子が慰安婦問題について 2013 に取材を申し込んだところから始まっている。大沼氏から江川氏に共同作業を申し込む形で、インタビュー形式の本書が成立している。主張が分かれ対立する主題に関するわかりやすい見取り図を提示している。
話題は、東京裁判、サンフランシスコ平和条約、日韓・日中の正常化、戦争責任と戦後責任、慰安婦問題にわたっている。2015 年までの時間の流れの中で、南京問題や慰安婦問題をどう考えたらよいかの指針となる。
現在騒がれていることは、本質を外していると思えてならない。
中共が賠償を放棄したこと、
一方、戦争と植民地支配の責任認識に関して、敗戦国の日独は進んでいて、戦勝国は緒にもついていないと感じられる。「知識人」とされる人でも、植民地支配を肯定的にしか捉えられずにいる様子。
日本にしても、戦後二十年ほどの認識は実に貧弱。
第一次大戦後に戦争が国際法で違法化された画期的時期に満州事変を起こすという情勢認識能力の欠如も目を覆うようだ。人種差別も、自分が差別されることには抵抗しつつ自分が差別する側に回りたいだけだったこと。
満州事変を批判した横田喜三郎は脅迫に遭って沈黙したが、国際連盟脱退に反対した石橋湛山は正しいことを言い続けて逮捕されずに生き延びたことも教えられた。
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「歴史認識」に関わる見取り図。戦争・植民地支配・人権への国際社会全体の捉え方が20世紀を通じて大きく変わり、法的に解決されたつもりだった問題に見直しが求められるようになったこと。日本国民に、反省をしつつも不公平さへの割り切れない思いが存在していたこと、中国韓国の被害者意識の矛先が日本に向けられやすいこと。
よくある反論ポイントをきっちり質問し、納得できる回答。捉え方や考え方が示されていてわかりやすかったです。
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国際法学者として、史実に立脚した冷静できちんとした分析、日本以外への批判も自己弁護のためではなくちゃんとされているのもすがすがしい。
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確かに、現在「歴史認識問題」と言えば、韓国併合から満州事変、太平洋戦争を経て、その戦後処理に係る日韓、日中の対立を限定的に指している。靖国参拝、竹島や尖閣諸島、慰安婦といった問題は、それなりに報道に注視し、親と語らい、解説書や小説を読むことで、自分なりに認識しようと努めてはきたけれど、容易じゃない。感情を排するのは無理だから、多様な角度から学ぶことで素直な感情を抱きたい。けれども、他国の激しく執拗な批判や、自国の政治家の言わずもがなの繰返しに憤り、冷静を保てない。本書で改めて学ぶに、この問題は今後「きっぱりと加害と被害に分ける二分法的な物言い」に辟易しつつ、自負と呵責の狭間で揺れ続けることが大切に思う。
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最近よく見られる日本の近代史についての本は、かなり偏った下品な論調の目立つものが多いが、本書は日本の近代史について、バランスの取れた意見がまとまっていて、とても勉強になった。特に著者が直接関わっておられたアジア女性基金について、一般の報道などでは語られない事情にも触れていてかなり参考となる。
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特別なニュアンスを持ってしまった「歴史認識」という言葉。
特に、著者が注力したアジア女性基金が批判にさらされた経緯と行間からにじみ出る苦悩が印象的であった。聞き手の江川紹子氏がさすがの力量と思われる。
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東京裁判、日中国交正常化なども重要論点だが、慰安婦問題にも紙幅を割く。
「強制連行」などの史実にかかわる部分については、「ないものはない」と歴史学者としての冷徹な分析を徹底しつつ、一方で問題そのものについての日本の道義的責任は回避できない、との立場。
同時に、アジア女性基金の設立、歴代日本国首相による直筆の「手紙」の被害者への手渡しなど、国際的な類例(典型的にはナチス政権を反省するドイツ)と比較しても決して恥じるべきではない、むしろ先進的で踏み込んだ謝罪も行ってきている、という点も強調(そしてそのことが韓国国内で全く知られていないことのPR不足への指摘も)。
右派左派双方の論客から批判的に読まれているようでもあるが、マスコミで取り上げられる「歴史認識問題」について、「学者」の冷静な整理をコンパクトに読みたいというニーズにふさわしい本と思う。
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人類は東京裁判やニュルンベルク裁判があったからこそ、南京虐殺やホロコーストの事実を詳細な証拠をもって知ることができたわけです。即決処刑ではそうした証拠は出てこない。そうなれば、600万人のユダヤ人虐殺はなかったとか、南京虐殺もなかったという類の主張は今よりもずっと強くなされている可能性が高い。そういう世界の方が良いのか。
なによりも、即決処刑は連合国側の強烈な報復感情をそのまま勝者の力で実現するものです。まさに野蛮そのものでしょう。その方がよかったのか。(p.29-30)
毛沢東と周恩来はしたたかで現実的な政治家でしたから、このようにさまざまな政治的思惑があったことはたしかでしょう。しかし、賠償を請求しないという決断――日本に対してすさまじい怒り、復讐心、憎しみを抱いていた膨大な中国国民の反撥を抑えつけて賠償を放棄するという決断――は、客観的にみて、日本に対する信じがたいほど寛大な対応だったこともたしかです。(p.67)
「広島、長崎の被爆」に象徴される戦争の被害者意識があまりにも強かったので、日本人が多数のアジアの人々を殺戮し、それを戦争責任の問題として考えるべきだという思考回路が働かない。客観的な事実はある程度知っていても、それが戦争責任という思考の枠組みのなかに入ってこなかったのではないでしょうか。(p.78)
21世紀の在日韓国・朝鮮人の大部分は、言語にしても生活のスタイルにしても、まったくの一般の「日本人」と変わらない。それなのに、朝鮮人なり韓国人としてのアイデンティティを韓国や北朝鮮の国籍、つまり国家の一員であることに求めるという呪縛――わたしは、これは呪縛といってよいと思います――は、在日韓国・朝鮮人の間にまだかなりの程度残っています。韓国語もできず、韓国文化に従って生きているわけでもなく、韓国の参政権もない人たちが韓国国籍に固執しているとしたら、それはひどく空虚な国籍ではないか。実際、在日韓国・朝鮮人の知識人や民族的指導者が何をいおうが、帰化者は毎年7000〜10000人程度に上っていますし、かつては例外だった日本人との結婚も今日圧倒的多数を占めています。(p.111)
思い込みの強い極論を除けば、慰安婦にされた人の多くが、だまされるか強制によって性的奉仕を強いられたことは、学問的にほぼ実証されている。強制はなかったとか慰安婦は公娼だったと言い募ることは、日本でも諸外国でもほぼ実証されている学問的成果を真っ向から否定することになる。それは恥ずべき態度であり、日本の国際的評価も傷つけるものである。そうではなくて、過去にはたしかに悪いことをしたけれど、現在の日本は心から反省している、という日本国民の考え、そして態度をしっかり示すことです。(p.159)
韓国の人に総理の手紙と呼びかけ文をみせると、ほとんどの人がびっくりして、「なんでこれだけのものにあれほど反対したんだろう」といいます。こうしたものが出ていたことを知らず、したがって読んだこともないわけですね。米国その他の日本研究者やジャーナリストも、こうした基本文書も読まず、償い事業の活動も知らずに批判的なコメントや報道をしている人がほとんどです。(p.160)
石橋湛山がいっていたのは、徹底した実利の意休です。しかもそれは、決して近視眼的な実利ではなくて、長期的な展望を伴った実利です。彼の実利主義を考えるとき、わたしは自分の父や祖父がいっていた「商人道」を思い出します。わたしは商家の生まれですが、父や祖父は「商人は儲けるのが大事だ。だがそこには商人道というものがある。人さまをだましたり、自分だけが儲ければいい、というような行為は結局のところ、自分の信用を失墜させて、長い目でみると損になる」とよくいっていました。
石橋湛山のいうことは、まさにこうした商人道だと思う。実利を説きながら、道徳的・倫理的な意味を含んだ実利。そうした実利は、長期的な利益にかなう賢い実利であって、まさにこれが保守主義の知恵だと思うのです。ところが21世紀の日本では、戦前・戦中の日本の行為への真摯な反省に立脚する戦後日本のあり方を否定し、明治憲法下の価値観の復活を説く復古あるいは反動的な思考様式が保守主義といわれるようになってしまっている。(pp.182-183)
「歴史認識」を問い直すことは、他国との付き合いをうまくやるためではなく、日本がどういう国であろうとするのか、つまりは日本の“国柄”を考えるために大切なのだ。過去を振り返るためというより、将来の日本のありようを決めていく土台として、「歴史認識」は重要なのだ。にもかかわらず、私たちは、国の外から聞こえてくる声に、少し翻弄されすぎているかもしれない。(p.232)
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某所読書会課題図書.1931年の満州事変から1945年の太平洋戦争敗戦を踏まえて、東京裁判とサンフランシスコ講和条約の概要を冒頭に述べ、戦争責任さらに戦後責任の議論が続く.戦後間もない時代は、戦争に対する被害者意識が全面で、加害者でもあったことを認識することはなかった由.その通りだと感じた.慰安婦問題の議論で、女性の人権を考慮することが主流化されてきた現代の動きを、改めて考えることの重要性が強調されていた.同様の考え方で、謝罪の時代が始まったとの指摘もあった.欧米列強は日本やドイツの謝罪には文句を言うものの、自分たちの植民地政策等は一切反省していない.その点を日独が諭して、彼らの発想を正しくするべきだとの主張は大賛成だ.
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220/1/12読了。久々の新書。テーマは、硬いが戦後最も悪化している日韓問題の根底の部分に行き着くと、やはり
この『歴史認識問題』にぶち当たる。わかっていても知らない事実や経過が知りたくなった時に目に入った一冊だった。自虐でも、独善でもなく。と言う触れ込み通りの貴重な問題を考えさせられるひと時を頂いた。
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国際法学者の大沼氏にジャーナリストの江川氏が聞き役となり歴史認識について問う。日中、日韓において歴史認識の相違が大きな問題として残っている。加害者側、被害者側、それぞれの立場からお互いの立場を思いやる余裕があればと思うが、現実には疑心暗鬼となってしまうのだろう。問いに対する答えとしたスタイルで歴史認識の問題を取り上げて説明している。とても分かりやすい。