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望郷の歌 改版 (中公文庫 新編・石光真清の手記)
日露開戦。陸軍少佐となった石光は第二軍司令部付副官として出征する。終戦後、幾度かの事業失敗を経て、ついに海賊稼業へ。やがて明治という時代は終焉を迎える…。未公開の手記、小...
望郷の歌 改版 (中公文庫 新編・石光真清の手記)
望郷の歌 新編・石光真清の手記(三)日露戦争/長編小説・曹長の妻
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商品説明
日露開戦。陸軍少佐となった石光は第二軍司令部付副官として出征する。終戦後、幾度かの事業失敗を経て、ついに海賊稼業へ。やがて明治という時代は終焉を迎える…。未公開の手記、小説「惨劇の夜の思い出」を収録。【「TRC MARC」の商品解説】
石光真清(いしみつ・まきよ/1868~1942)明治元年、熊本生まれ。明治16(1883)年、陸軍幼年学校に入り、陸軍中尉で日清戦争に従軍し、台湾に遠征。明治32年、特別任務を帯びてシベリア、満州に渡る。日露戦争後は東京世田谷の三等郵便局の局長を務めるたりしていたが、大正6(1917)年、ロシア革命直後のシベリアに渡り諜報活動に従事する。大正8年に帰国後は、夫人の死や負債等、失意の日々を送り、昭和17(1942)年に死去。死後、その手記が公刊される。日露開戦。陸軍少佐となった石光は第二軍司令部付副官として出征する。終戦後も大陸への夢醒めず、幾度かの事業失敗を経て、ついに海賊稼業へ。やがて明治という時代は終演を迎える……。新編刊行に際し、未公開の手記『思い出の記 私の放浪時代』、短編小説『惨劇の夜の思い出』や、秘蔵写真多数を収録。【商品解説】
日露開戦。石光陸軍少佐は第二軍司令部付副官として出征。終戦後も大陸への夢醒めず、幾度かの事業失敗を経てついに海賊稼業へ。そして明治の終演。【本の内容】
収録作品一覧
望郷の歌 | 5−268 | |
---|---|---|
思い出の記 | 石光真清 著 | 272−285 |
惨劇の夜の思い出 | 石光真清 著 | 286−316 |
著者紹介
石光真清
- 略歴
- 明治元(一八六八)年、熊本生まれ。一六年、陸軍幼年学校に入り、陸軍中尉で日清戦争に従軍し、台湾に遠征。三二年、特別任務を帯びてシベリアに渡る。日露戦争後は東京世田谷の三等郵便局の局長を務めたりしていたが、大正六(一九一七)年、ロシア革命直後のシベリアに渡り諜報活動に従事する。八年に帰国後は、夫人の死や負債等、失意の日々を送り、昭和一七(一九四二)年に死去。死後、その手記が公刊される。 明治三七(一九〇四)年、東京生まれ。早稲田大学卒業後、昭和六(一九三一)年、東京日日新聞社に入社。一三年芝浦工作機械に転じ、戦時中、日本新聞会考査課長、日本新聞連盟用紙課長を歴任。戦後、日本新聞協会用紙課長、総務部長、業務部長を経て、日本ABC協会事務局長、専務理事。三三年、父・石光真清の手記『城下の人』『曠野の花』『望郷の歌』『誰のために』の出版により、毎日出版文化賞を受賞。編著書に『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』等がある。五〇年に死去。
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紙の本
日清戦争、日露戦争に従軍され、ロシア革命時には諜報活動家として従事された石光真清氏の波乱万丈の人生を送られた手記です!
2020/07/26 11:34
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、陸軍中尉として日清戦争に従軍され、その後、日露戦争の特別任務を帯びてシベリア及び満州に渡られ、復員後は東京世田谷の三等郵便局の局長をしばらく務められていましたが、ロシア革命直後のシベリアに渡って諜報活動に従事された石光真清氏の手記です。同氏の手記は、同氏が亡くなってから刊行されたもので、同書は、日露開戦から陸軍少佐となった同氏は第二軍司令部付副官として出征し、終戦後も大陸への夢醒めず、幾度かの事業失敗を経て、ついに海賊稼業に従事するも、やがて明治という時代は終演を迎えるという同氏の波乱の人生が綴られています。同書の内容構成は、「泥濘の道」、「親友の死」、「老大尉の自殺」、「黄塵の下に」、「文豪と軍神」、「失意の道」、「海賊会社創立記」、「二つの遺骨と女の意地」、「海賊稼業見習記」、「望郷の歌」、「家族」となっています。
紙の本
ある明治人の手記 続編3
2018/09/29 13:48
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Ottoさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
明治以降にこの国が進んできた道を辿り、どこで失敗したのか、なぜ軍は暴走してしまったのかを知り、周辺の国から近現代の歴史認識について押し付けられるのではなく、反省すべきは反省し(謝罪ではない)、戦後70年を経過し政治や社会が疲弊しないうちに、今の国のあり方に生かしたい。
その意味で、明治維新、日清、日露、大正までの石光真人氏の以下の5冊は有用
1「ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書」
2「石光真清の手記 城下の人」
3「石光真清の手記2 曠野の花」
4「石光真清の手記3 望郷の歌」
5「石光真清の手記4 誰のために」
「望郷の歌」では、前半は日露戦争従軍記であるが、主人公の諜報活動で収集された情報がどれほど作戦に生かされたのかほとんど分からない。後半は、数々の事業に失敗し、日本に帰ってきて三等郵便局長として静かな日々を送る姿が描かれる。
それにしても、日露戦争後、軍隊組織は巨大になり、もはや官僚組織化して、機能的な動きができなくなって、諜報活動で実績のある石光元大尉を使いこなせない。インテリジェンスに対する軽視、無理解はすでに始まっている。士官学校においても戦術学はあっても防諜、情報操作についての教科はなかったことが、後のノモンハンやガダルカナルの失敗の本質ではないか。