紙の本
著者も大変な境遇と思えました
2019/08/05 16:43
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:広島の中日ファン - この投稿者のレビュー一覧を見る
子どもにとっていわゆる「毒親」は、子どもへの物事をどう感じているかを、精神科医である著者が的確に示した1冊です。
著者自身も「毒親」にやられて大変だと、著者自らの体験(生い立ち)も1つの事例として大きく取り上げています。数多い著作を発行している著者も、大変な境遇だなと思える内容でした。
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子どもの人格を認めるところから始める親子関係
の構築
我が国では、伝統的な家父長的家族制度のなかで私物我が子観が養われてきたと文献を引用して論じ、家父長的家族制度は崩れたが私物我が子観を引きずっていると結論付けるのは間違っていると思う。人間社会において、群れをなす。そこに支配関係を生じる。家族は必然的に支配関係を構築しやすい。そうであれば、家父長的家族制度は関係ないはずである。
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子どもを攻撃せずにはいられない親。片田珠美先生の著書。毒親が子どもにする攻撃は身体的な暴力から言葉の暴力、罵倒や罵声、無視や拒絶、過保護や過干渉まで本当にさまざま。子どものためと言いながら、実際には自分自身の見栄や欲望のために子どもを支配して利用している自分勝手で自己中心的な傲慢な毒親がいかに多いことかと思い知れされる一冊。片田珠美先生の著書からは学ばされること、考えさせられることが多いです。
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2019/8/31
毒親の本
子どものためを思って・・・という
自分のモノとしての感覚
モラハラ的な行動、これまでいろんな本を読んできたけれど
そういう呪縛に苦しめられる人は結構多い
歪んでしまうのを恐れたり、そうなってしまったり、そして次世代にも同じように接してしまう悪循環。
私個人はこの本の親を理解できないと思う。
それは幸せなことなのだろうが、いざ自分は決してそうならないとも限らない。
反面教師として、記憶にとどめておくように。
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前半は、攻撃する親の思考を分析、分類するような内容。具体例が多くて見出しだけ読んで流し読みでも十分把握できるかもしれない。
終盤の処方箋のあたりは余りにも残念。
「子ども」というのが、戸籍上の成人した「子」を対象にしていて、困った親をどうするか、という内容になっている。子育て的な内容では無い。そういう意味で自分にはちょっと期待外れだった。
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子供は自分の物という所有意識が強い親による身体的、精神的虐待のメカニズムを事例を紹介しながら分析。
また、子供を攻撃する親にどう対処すればいいのかについて考察、さらに子供に対する親の究極の攻撃ともいうべき子殺しについて、2019年6月、東京都練馬区で起きた元事務次官による長男殺害の事件を取り上げ分析。
読みやすくて先が気になり過ぎて一気に読みました。
こういう類の本を読みたくなるのは、軽度ではあるだろうけれど自分の親がいわゆる毒親であると思っていて、今まで自分が受けてきた事に名前をつけてカテゴライズしたいという気持ちと、自分が親になったことで、同じような苦しみを子供に与えないためには、やはり知っていかないといけないという気持ちがあるからです。
本書の内容は親からの過干渉、過保護からくる攻撃が主で、私の場合はネグレクト寄りなのでアプローチは全く違うけれど、その根本にある子供は親の所有物であるという考えは同じだなと感じました。
子供を攻撃する親に対する対処については、この本よりもスーザン・フォワードの『毒になる親ー一生苦しむ子供』を読む方が適切だと思います。引用もしているくらいなのでより詳しく知りたいのであれば。
子殺しの章については、つい最近の事件を取り上げていて興味深かったです。メディアで見る限りでは殺された長男の残虐性ばかり取り上げられていて、どこか元事務次官に同情的に思わせようとしているように見えてならなかったですが、ここで新たな情報を得ることができました。見る角度を変えると見え方もまた変わるのだなということがよくわかる章でした。
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子どもを精神的、身体的に攻撃してしまう親について、心理学、精神医学、筆者の臨床(カウンセリング?)を基に分析まとめている。また、子どもに与える影響、そのような親への対処法についても論じている。対処法については、親を無理に許さなくてもいい、と支配されていた子どもが大人になってからのもの。
支配欲求の根底に潜む三つの要因…利得、自己愛、攻撃者との同一視。
所有意識、特権意識、想像力の欠如、嫉妬と羨望、
怒りの置き換え(他で起きたことの怒りを弱者であり、自分の所有物である子どもにぶつけてしまう) 外面は良いことが多い。
自傷行為と家庭内暴力は親への怒り。
家庭内で暴君と化している子どもたちは、生育過程において、親からの攻撃や抑圧、束縛を受けてきている。過干渉だか、そこに心の触れ合いは無く、強い孤独を感じている。
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子に対して過剰な要求をしているように感じる親御さんと触れ合う機会が増え、その理由を知りたいと思い本書を購入しました。
実に様々な事例があり、あらゆる詭弁で加害者側は被害者を押さえつけるのだということがわかりました。
小人閑居して不全を為すという言葉が好きなのですが、だれであれ、内内にこもって様々な世界との接点を失ってしまうと危ないのだなということを改めて感じました。
また、自分自身がこういった行動をしていないか、知らず知らずに、意図せず、意図して、誰かを追い詰めていないか不安になりました。
ただ、こうしていつでも自分の行いは誰かを苦しめていないのか。と自問自答することも大切なように感じました。
とても内容が濃く、示唆に富んでおり、読んでよかったです。
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本の結論
親子関係の問題の諸悪の根源は親の所有者意識だから、子供は別人格と割り切らなければならない。
一方で、自由放任主義で子育てをするのがいいとは思わない。その線引はどこにあるのか?どうすればいいのか。
所有しているの感じるからこそ愛着がわくのか。
そもそも所有していない物に対しては愛着は持てないのか。
教育、道徳、世間体、マナーを身に着けさせるインセンティブは無償の愛のみから来る?
→子供に対して愛着は持って良いし、教育をするのは問題なくできる
ただし、所有者意識は持ってはいけない。
最後は本人の意思を尊重させないと、本人は自分で選択できないという点で自己肯定感は持ちにくい。
境遇に不満が溜まれば、最悪いつか復讐される。
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大いに賛同する所もあるし、悩めるこの方はこの事例の典型ね、と思う部分もある。攻撃的怒りの矛先を家族に向ける人って一定数いるんだ、と知り客観的に見られるようになって楽になった部分有り、解決する事はないのか、と心が平坦になった部分も有り。
ただ、著者が精神科医という所で何かのエビデンスを得られたり、自分にとって処方箋になりうる所は無かった。著者の母親への同じ憎しみ事例が何度も出てくるのが攻撃を伴っている様で、もやもやが残る。
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自分の子供の頃を思い出すと、完全に親に攻撃されていたという思いがある。
風呂に逆さまに入れられ、夜や週末には酔った親父に殴られていた。
自分は酒もやめたし、子どもには自分がされたような暴力は振るっていない。が、子供からしたら機嫌が悪い親だろうし、もしかしたら攻撃されていると思われているかもしれない。
本著で最も感銘を受けたのは、親は許さなくていいということ。親が高齢になり年老いていくほど、残りわずかな関わりとなるかもしれないと思うことが多くなるが、それでも子どもの頃の嫌だった感情が拭いきれず、親とどう関わったらよいかわからない自分がいる。でも、それはそれで無理しなくていんだと、本著をよんで思うことができた。
自分は自分。親にどう思われても、過去の自分が感じた思いはそう簡単には変えられないのだから仕方ない。こういう自分だと開き直って無理せず関わりたいと思う。
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筆者自身が体験したことと、精神科医としてさまざまな背景を持った人達との接見によって培った考えが示されている。
七ヶ月の子どもがいるが、子を育てるにあたって、接し方を考えるいい機会になった。子を所有物として扱わず、一人の人間として相対するために。
毒親でも自分は違う、ともしかしたらこの本を読んで思うのかもしれない。
気づかないうちになっているのが、一番怖い。
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「自分がつらい思いをした体験を他の誰かに味わせることによってしか、その体験を乗り越えられないというべきだろう。」
このフレーズが印象的でした。
太字で表現されていところは響きますね。
このような本は初めて読みました。
単に愛情と言っても様々なのだと思いました。
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片田さんの本は何冊か読んできたが、本書もとても勉強になった。
自分自身毒親育ちで、本書にあるマルトリートメントのたくさんの例もわかる、と頷く内容だった。これを理解した上で、どう生きるかは自分自身。
毒親育ちの人はもちろん、親になった人にも読んでほしい本。