紙の本
樹木希林さんが願ったこと
2019/10/08 16:42
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投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
女優の樹木希林さんが亡くなったのは2018年9月15日、75歳の時でした。
娘の内田也哉子さんは希林さんが亡くなる半月前の9月1日、病室で奇妙な母親の姿に接しています。
それは、病室の窓から涙をこらえて「死なないで、ね…どうか、生きていてください…」と語りかける母の姿でした。
理由を聞くと、希林さんはこう話されたそうです。
「今日は、学校に行けない子どもたちが大勢、自殺してしまう日なの」
その日からまもなく希林さんは亡くなります。
亡くなったあと、也哉子さんは希林さんが生前「学校に行けないということ」についてインタビューに答えたことがあることを知ります。
この本は樹木希林さんが生前「不登校新聞」という不登校に悩む人向けに編集された新聞のインタビュー記事と、不登校を考える集まりのトークセッションでの発言が収録されています。
これらは300ページ弱の本書の、70ページばかりしかありません。
なので、樹木希林さんのメッセージを期待した読者にとってはもの足りない内容かもしれません。
残りは内田也哉子さんが不登校や教育の問題について、「不登校新聞」の編集長や「不登校」経験者、またバースセラピストやロバーオ・キャンベルさんとの対談した内容が収められています。
この本の中で也哉子さんは希林さんをダシにして、「不登校」の問題や9月1日にたくさんの命がなくなる現実を多くの人に知ってもらうこともまた、希林さんなら望んだことだろうと語っています。
樹木希林さんは私たちにたくさんのメッセージを残されました。
そして、そんな希林さんが自分の命が消えようとする直前に「死なないで」と願ったことの意味を、也哉子さんだけでなく私たちも知るということの重さをこの本は教えてくれます。
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夏休みが明ける9月1日に最も子どもたちの自殺が増えるという事実は、データとして発表されているにも関わらず、初めて知ったことだった。
日本はなにか大きな事件、それこそいじめによる自殺などが発生しない限り、こういう社会問題が取り上げられることがない。ことが発生してようやく、じゃあ変えていかなければという話になる
。
そうではなくて、いまこの瞬間にも苦しんでいる子ども、人がいることをもっと社会問題として捉え、対処していかなきゃいけない。
でも、そうは思っても一個人として何ができるのか。考えても考えてもきっと正解はなくて、内田也哉子さんが言うように、とにかく大人がもっと発信していかなきゃいけないんだと思う。
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「9月1日が来るその前に読まなければ」
そんな思いに駆られて、読みかけの本を一旦閉じ一気に読みました。
自分も中学時代に不登校を経験しましたが、その時はいじめなどの明確な理由があったわけでもなく、在籍していた野球部のハードな練習についていけず、しかも自分の下手さも嫌という程痛感していたため、ふと
「こんなに頑張ることの意味って何だろう?人間なんていずれ絶対死ぬのに。自分の様な能無しは努力したところでたかが知れてるんじゃないのか?」
そんな風な気持ちになり、野球だけでなく何に対しても無気力になり、家にこもってしまいました。
一見何の問題もなさそうに見える子が、ある日突然身動きが取れなくなる可能性はある、と本当に思います。
その後学校に戻れたのも、今振り返ると笑い話の様ですが「家にこもり続けるのもつらくなってきた」からでした。
このあたり本書にある内田裕也さんの「グレ続けていくっていうのも苦しいんだ」という言葉は身にしみてよく分かります。
9月1日をただのありふれた1日に戻すには、社会全体の理解が必要だと思います。時間もかかるでしょう。
そのためのきっかけとして本書を少しでもたくさんの人が手に取ることを願います。
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バースセラピストの紹介のところで、
「行き詰まった人の心を軌道修正するような心のカウンセリング」って言葉があって、ああいい表現やなぁと思った。
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偶然だが,この夏,不登校に関するテレビ番組を二つ見た。一つは,『不登校新聞』の編集長も参加していたトーク番組。こういう新聞があることも知っていたような初耳だったような…。その編集長は,いろんな芸能人のところへ行ってインタビューをし,「不登校の子どもたちに一言」をいただいたというようなことをおっしゃっておられた。そのときに,樹木希林さんが「難が有るってのは有り難いことなのよ」とおっしゃってくれたというような話をしていた。
また,もう一つの番組は,樹木希林さんの娘・内田也哉子さんを取り上げた番組だった。今回,彼女は一冊の本を出した。それが。この『9月1日』だ。
9月1日というのは,子どもの自殺が最も多い日だ。内田也哉子さんが,どうしてそのことを知ったのかというと,病室にいた母親の言葉からだったらしい。
「死ねないで,ね…どうか,生きてください」
去年の9月1日,母は入院していた病室の窓の外に向かって,涙をこらえながら,繰り返し何かに語りかけていました。あまりの突然の出来事に,私は母の気が触れてしまったのかと動揺しました。それからなぜそんなことをしているのか問いただすと,
「今日は,学校に行けない子どもたちが大勢,自殺してしまう日なの」
「もったいない,あまりに命がもったいない…」
とひと言ひと言を絞り出すように教えてくれました。
この2週間後に,母は75年の生涯の幕を閉じました。
(本書「まえがき」より)
母に,9月1日のことを教えたのは,先に紹介した『不登校新聞』の編集長だったらしい。
本書には,樹木希林さんのインタビューやトークが2本と,也哉子さんの対談が4本,収められている。どのインタビュー,対談も読み応えがある。そして,不登校の子どもたちに勇気を与えてくれると思う。
不思議なのは,本書のまとまりのよさだ。それぞれの記事が,それぞれ別々に行われているはずなのに,一冊の本として,とても統一感のあるものになっているのだ。これは編集者の力なのかもしれない。ロバート・キャンベルさんとの対談が一番最後にきているなんて,ホンとすばらしい。キャンベルさんが闘病中に訳したという井上陽水の詞の本『井上陽水英訳詞集』も読んでみたいな。
超オススメの一冊です。
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9月1日は自殺が最も多い日。
樹木希林さんは、亡くなる2週間前の9月1日、「死ななないで、ね、どうか生きてください」と病室から窓の外に語りかけていたという。そのバトンを受けて、娘の也哉子さんが真摯に語っている。
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希林さんが残した最期のメッセージ
TBS系『ビビット』や日テレ系『newszero』など各所で話題。
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死の床に臥しながら、多くの子どもが
命を絶つ9月1日に、「死なないで」と訴えた
樹木希林さんのエピソードをはじめ、
心が揺さぶられる話の連続。
内田也哉子さんの、問い続ける姿勢も素晴らしい。
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9月1日は大勢の子どもが自殺してしまう日-。そうつぶやいた母は何を伝えたかったのか? 樹木希林が遺した言葉と、それを受けて内田也哉子が「不登校」や「命」について考え、様々な人と対話して紡ぎだした言葉をまとめる。
重くて深い。
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テーマ性はとても大事な話だし
重要な課題であると思いますが。
ちょっと著者を含めて、ちょっと文体や
言葉があまりにも稚拙な感じがしました。
少し残念な感じがします。
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子供がどんな感情を抱いても、受け入れる。
あぁそうか、それもいいんじゃないと逃げ道というか場所を作ってあげる。
“死”を特別視しない。
怖いのは当たり前。でも今と地続きだとわたしも思う。
死を日常として、成熟していくこと。
「もったいない」を貫いた希林さんみたいな人で地球が作られていたら、今の現状はこんなことにはならなかったはず。
1皿の料理は、農家の人が手塩にかけて成し得た野菜と肉、漁師がまだ暗い早朝に過酷な海で釣り上げた魚、それらを何年も修行をして作り上げたシェフの技術でできた結晶。
そう思えば簡単には残せないはずだと。
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読みやすかったです。
どんな内容なのか知らずに読んだので
引きこもりわ登校拒否の内容とは知りませんでした。
先日、樹木希林展を見てきたので、すごくよかったです。
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最後まで読んで、タイトルの意味がストンと落ちます。
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9/1は、いじめが苦で自殺してしまう子がいちばん多い日。子育てをしているのに、知りませんでした。ごめんなさい。
だから昨年の夏、「9/1までに読み終わらなきゃ」と自分を急かしたことを思い出しました。
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樹木希林さんは、いろんな出演依頼を断っていたけれど、いじめに関することお話の回などは、ノーギャラでも出ていたと。
病床でも「どうか、死なないで」と空を仰ぎながらつぶやいていたそうで、そのことから遺された娘である内田也哉子さんが、「生きることがままならない」いろんな方と対話し、まとめ上げられた一冊です。
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ここ2,3年、わたしも「生きるって、なんて難しいんだろう」と思って過ごしているので、食い入るように読みました。
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「許す、ってなんだろな」っていう問いも禅問答のように、わたしにつきまとってるけれど、それが解けたのが、今回の収穫です。
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「許して、はじめて生きられる」も正解だし、「許せないこと」も「許される」。
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他に学んだことはこちら↓
○本人が傷ついているという、その気持ちを肯定しないと、本人が苦しい
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○学校に行けない人が何に苦しんでいて、どうして命をかけてまでそこに行かないのかという現実をひっくり返したときに、そこには学校を良くするヒントがいっぱいあるはずなんです。
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あと、ロバートキャンベルさんが引用された、井上陽水さんの「海へ来なさい」の歌詞の繊細な達観が素晴らしかったので、貼っておきます。
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太陽に敗けない肌を持ちなさい
潮風にとけあう髪を持ちなさい
どこまでも泳げる力と
いつまでも唄える心と
魚にさわれるような しなやかな指を持ちなさい
海へ来なさい 海へ来なさい
そして心からしあわせになりなさい
風上へ向かえる足を持ちなさい
貝殻と話せる耳を持ちなさい
暗闇をさえぎるまぶたと
星屑を数える瞳と
涙をぬぐえるような しなやかな指を持ちなさい
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印象に残ったフレーズ(引用)
難の多い人生は有難い
ダイバダッタは、むかしはおしゃかさんの従兄弟かなんかで、同じように手をあわせていたんだけど、おしゃかさんの方が先に悟りを開いたのを憎たらしいとおもって、邪魔ばかりしてた。ちょっとでかけてるあいだにお弟子さんをつれていっちゃったり、お釈迦さんの名声があがるごとに命を狙ったりね。
おしゃかさんはそのダイバダッタに対して、ダイバダッタは前世で自分の師匠だった、今世ではじぶんがさとりをえるために同じ場所にうまれてさまざまな難を与えてくれているのだ、と悟るわけです。
自分に対して災いを起こし、不本意なことをやってくれるにんげんを、逆に私にとっての「師」であるという気持ちで受け取るのだと。
誰かと自分を比べるような、はしたないことはダメといってました
はしたないと普通に言える昔の人の環境
お釈迦さんがね、人間として生まれてくることは極めてまれなことだって。だったらね生き続けなきゃもったいないじゃない。
誰かがなんか言ってもそれは違うわよっていうのはまずないです。まずは、あ、そうなのと受け入れる。
だから9月1日に「嫌だな」と思ったら、自殺するよりはもうちょっと待って、世の中をみててほしいのね。必要のない人なんていないんだから。
余談ですけどね、宗教とは関係なく、これからrの世の中は、目に見えるものしか信じないか、目に見えないもののも受け入れるかで、ずいぶん歩いていく道がちがってくると思うんですね。
自殺なんていうのは、いきようとする肉体の細胞を無理やりシャットアウトするわけだから、自分の肉体ではあるんだけど、細胞の気持ちと相反しているわけです。
死ぬ理由が、病気でもない、事故でもない。社会に、あるいは自分の中に、こうでなければならないというなにかがあるために、その葛藤の末に死を選んでしまっている子供がいる
不登校の子との対談
シューレ(不登校の子が集う場所)に行った初日、なまえとか、どいう言うところで育ったとか、どんな問題を抱えているのとか、ある意味「情報」がわきに置かれていて、魂同士で交流できていた。
何かを一緒にやっているうちにその人のいいところや考え方が見えてくる理想的な集交流だったという話
トンネルにいるときの時間を「発酵させる時間」と考える
親が感じる時間を取り戻すことが大事
30秒でもいいから自分が感じるための時間にして大切にする
「今日は満月できれいだな」とか
「なんで学校行かないの?」とそういう会話はせずに、まずは親が感じる時間を取り戻すことが大切
違ってもいい はずれてもいいという
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以前樹木希林の葬儀の弔辞か何かを聞いてから、ずっと内田也哉子の何かを読みたいと思っていて、とりあえず手にとった本。
対談形式だったので、内田也哉子の訥々としたしゃべり方が頭の中でそのまま再生されていた。あの話し方だから余計に入ってくるものがあり、受け止めやすかったように思う。