紙の本
治癒の概念が変わる気がしました。
2012/09/29 20:35
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投稿者:くままる - この投稿者のレビュー一覧を見る
治療というものは、患部を部品のように切ったり薬で治すものではなく、患者一人ひとりの治癒力に任せるもの。
病とは、医師が治療行為をコントロール・支配するものではなく、心の解放や、人とのつながり方たとえば上下関係などに揺さぶりをかけるもの・コミュニテイのあり方が問われるもの。
ピアサポート、ピアカウンセリングの考え方のもとにある自然治癒力のことを考えさせられ、簡単ではないけれど、病と共に生きる意義を考えさせられました。
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これも、こんどのべてる本はどんなものか…と最初のところを読みはじめたら、結局そのまま読んでしまった。
ある事件で亡くなったべてるのメンバー竹内裕人さんのことが「青年の死」として書かれたあとに、「べてるの葬儀」として、竹内さんの葬儀のことが書かれている。ここを読んでいて涙が出てきた。
▼…告別式ではだれもが自分の中に詰まっている「短いけれども質の濃い思い出」を語っていた。その一つひとつに参列者の多くが「そう、それでね」とつけ加えたくなるものがあり、「だけどあの竹内君は」と、胸のうちを吐露したくなる光景が含まれている。葬儀が進むとともに竹内さんはやがて「もの静かなひとりの若者」という類型から、多彩なエピソードにつつまれ、独特の人柄とことばと人間関係とをもって「竹内裕人」を生きた、ひとりのかけがえのない青年として浮かびあがってくるのであった。(pp.97-98)
その人のことが繰り返し語られる、それがいちばんのお弔いだという気がした。
いいお葬式だなと思った。
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犯人は精神病院に通院中だった、
ということを聞くと、
(精神病院の治療は、本当に正しいのだろうか)
(治療ではなく悪化させているんじゃ…)
と考えてたりしたので、
べてるの家の試みは、
考えさせられた。
最近、事件が起きる度に行われているような気がする、
「精神鑑定」の意味とか。
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今年のはじめに「降りていく生き方」ではじめて「べてるの家」に触れたけど、その最新刊っぽい。記載されている内容的には同じ(前著は横川さん、本書は斉藤さんと別の肩がかかれたためかもしれませんが)ような感じがした。
結局満足できる体・精神状態とは、決して100%でなくてもあるがままの自分を受け入れ、背の長に合わせた生き方をできることかどうかということですね。
人間は欲望の塊と言いつつも、いずれ体も老いてなくなってしまうんだから、せっかくの今を有意義に感じて過ごしたいですね。
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北海道、浦河の精神病を抱えた人たちのコミューン、べてるの家の人々についての取材報告。
長年継続して取材してきたTVディレクターによる報告なんだけど、とても内容が濃くて感動もの。看護、介護福祉関係者は、必読だろうね。
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・アイメッセージ
言葉の土壌に、芽が出て、木になり、花が咲く。
・人間アレルギー
死に向きあってしまう。 日本に来た禅僧のネルケ師の話にそっくり。
・治さない
前にも後ろにも立たない、寄り添う立場の精神科医。
・苦労の哲学
何もかも正面から受け止めてきた人が、相談員になってそばにいる。
・しあわせにはならない
言葉は心から出てくるが、その心は自分の心だけでなく、他の人の心と響き合っている。 アウシュビッツの煙突から出る両親を焼く煙を見上げた少年の心が、時と場所を遠く離れて、別の人の口に「僕は幸せになりません」という言葉になる。
彼が結婚するとき、今度は自分の言葉となって耳によみがえる。
この世界は声、光、波、こころに充ちている。
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読了。
北海道は浦河の「べてるの家」を舞台にした物語。
精神異常者と周囲の人間達とのノンフィクションとあなどるなかれ。
素晴らしい。読んで良かった。
社会や会社が人の集まりであり、この世の構造がフラクタルである以上、人間そのものに興味を持つことは、コミュニティに属する者としては当然の事ではないでしょうか。
一人一人の人間にスポットをあてながら、人間同士の関係とそれによって生まれるものを取りこぼしなく表現されていて非常に好感が持てる。
物事は要素分解して考えた方が理解しやすい。しかしこの本では起こる事象を上手に翻訳したり、必要以上に咀嚼したりしない。そこが良い。
ここにある練り込まれた、熟成を重ねた言葉達は、まっすぐ心に入ってくる。
健常者と異常者、安心と不安、どっちが良くてどっちが悪い、なんて哲学的な問いかけにもなっている。
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冒頭から引き込まれる。「しあわせにならない」と決めた男の子の姿から、繰り返される精神的不調に苦労しながら人とのつながりの中で生きようとするべてるの人々の姿から、著者が浮かび上がらせるのは近代社会が推し進めてきた価値ある生き方への痛切な懐疑。単純ではないしお話のようにハッピーエンドでもない、繰り返される苦しみを生きることで可能となる生があることを突きつけられる、すばらしい一冊。
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369.2
病気との共生
アウシュビッツで1人生き残った少年が家族に向けて言った「大丈夫、ぼくは幸せになりませんから…」
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・幻聴さん、お客さん、自己病名、誤作動。
・強迫的な確認鉱がなぜ起きるのか。そうするのは「悩んでいる」、「疲れている」、「ひまで」、「さびしい」、「お金がない」か「おなかがすいた」とき。それぞれの頭文字をとった「な・つ・ひ・さ・お」は、べてるの家の名言としてたちまちメンバーの間に定着してしまった。
・私が声をかけ、そっけなくあしらわれたのはこの時期だった。病院の外来に「ぼくも行こうかな」といい、「あ、行ってください」と突き放されたとき、彼女はそこで私を罵倒しかねない自分を必死に抑えていたのだろう。一見落ち着いていたけれど、仮面の下は極度の緊張状態だったはずだ。
→中井久夫が統合失調症で一年とか固まってまったく動けず、「動くと世界が壊れると思っていた」と語ったと言っているような人は、きっとこういう洪水の中にいたんだ。
・「爆発のサイクル」。
病気や人間関係がもとで物事が思い通りにならないとイライラし、そのイライラを親にぶつける、親がいやがることをしてどんどん緊張関係を高め、その緊張のもとで爆発のエネルギーをためこむ、エネルギーが十分たまったところで、寿司買ってこい、などと無理難題を押し付け、反発を誘って爆発する、というものだった。爆発した瞬間はすっきりするが、あとにやってくるのは深い罪悪感で、その罪悪感から引きこもり、ふたたび物事がうまくいかずイライラするというサイクルが紹介された。
→人間関係のパターンなんだ。きっと。
・(奥さんの付箋)病気を生きること。その苦労を引き受けるということ。それは仕事や子育てとおなじようなやりがいをもたらしてくれるだろう。
→うつのお薬を飲んでいたのですけど、面白い表現で腑に落ちたと言っていました。奥さんのお姉さんが、どんな仕事も楽しめると言っていましたけれど、人生の課題は向き合えるというか、向き合うしかないというか。必ずそこから何か得られるものなんですね。たくましいというか、それは、人間の本質。
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べてるの本三冊目。べてるってすごい、べてるに行くと救われる、べてるは最先端の障がい者コミュニティ。こんな印象を持った二冊の後でのこの本。べてるの人の抱えた病、生きづらさが、重たかった。先日精神科医が患者に刺されてなくなるという痛ましい事件が起きたばかり。べてるでも患者同士の事件が起きていたのですね。その経緯とべてるの式の葬儀の章が胸に迫りました。また、「人間とは苦労するものであり、苦悩する存在なのだ」というべてるの世界観は、すべての人の生き方に大切な気付きを与えてくれるのではないかと思います。
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ネガティブな考え→お客さん
幻聴→幻聴さん
という言葉を使うことだけでも現象を客体化できる。など興味深い。
希望を抱いては絶望し、あきらめ、しかし、あきらめすぎずに…という難しくて辛いことを、仲間と手を携えることによって継続しようとしている。
そこで大事なのはちょっとしたゆるみなのかな。
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死にたいといっても、あわてることもなく、死ぬなというわけでもなく、そのままの自分をみんなが受け入れている
重苦しさや絶望感に打ちひしがれ、弱さとみじめさを思い知らされ、怒り、引きこもり、爆発し、逸脱し、そのありのままをことばにし、仲間に語り、ひたすら聞きまた語り続ける
人がこわくて、人から逃げるために浦賀にやってきたのに、人と交わることが自分を助ける
自分ってものが、ひとりぼっちのときには見えなかった。まわりにいっぱいいろんな人がいて、いろんな人を通してくる自分ってものが見えたとき、はじめて自分ってこんなものかなってぼやっと見えてきた
病気を苦しんでいるときは、すごくつらかったし、マイナスなことしか考えられなかった。でもいまは、ちっともむだじゃなかったっていうかね。
病気をもっているわたしでもそのままのわたし
必死で考えたあげくに、自分自身について考え抜くことをあきらめ、しがみつくことをあきらめたすえに、月並みなんだけれど、人間関係のなかで、人とのコミュニケーションに自分を放り込むことによって
ひとりで悩んでいるころは、考え抜けば答えが見つかると思っていた。今は思わない。ひとりで考えても答えは見つからない。おおらく人との関わりのなかにしか見つからない
あきらめること、自分自身についてもがき苦しむのをあきらめること
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精神障害者施設べてるの家で生活する人達をつづったドキュメント。「「治りませんように」この言葉にどれだけの「思い」が込めれているだろう。うまく言葉にできないけど心に突き刺さるような衝撃的な本でした。斉藤 道雄さんの「もうひとつの手話」も含めて多くの人にぜひ読んでいただきたいなと思う本です。
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当事者研究は自分の障碍(しょうがい)を客観視することで自ら立つことを目的としているのだろう。学者や医者に研究を任せていれば、実験モルモットのような存在になってしまう。当事者には専門家が気づかない「日常の現実」が見える。精神障碍を治療すべき病状と捉えるのではなくして、長く付き合わねばならぬ特性と受け止めれば、具体的な対処の仕方も明らかになる。現実を克服しようと力めば力むほど苦しくなる。それは我々も同じだ。
http://sessendo.blogspot.jp/2016/09/blog-post_5.html