紙の本
目で見る世界と手で見る世界
2023/05/07 20:55
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投稿者:BB - この投稿者のレビュー一覧を見る
視覚支援学校で中学生になった主人公たち。
ある事件をきっかけに心を閉ざし、苦しみもがいて乗り越えるまでの物語です。「目で見る世界」と「手で見る世界」。私たちの世界について考えさせる児童文学です。
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いい話だった。
頑張る勇気をくれる本。
視力がない人達の世界がとても良くわかる。
主人公は中学生。
視覚支援学校。クラスメイトは5人。
視野が360°あって、ものがゆがんで見えることも、欠損も羞明もなく、メガネなどで視野が矯正可能な人のことを「晴眼者」と呼ぶ。
白い杖を、持っていても持っていなくても、外を歩くのが怖い。
晴眼者の悪意に晒されたり、迷惑だと言われたり、言われなくてもそういう態度をとられるのが怖い。
晴眼者不審。
白杖歩行訓練、大変そうで心が挫けて、何度も挫折しそうになる佑。
目標ができて、訓練で頑張りきったときのキラキラする気持ち。感動した。
双葉も、事故後に引きこもってしまったが、優しい前向きな母親の助けで、大会にも出場できて、良かった。
爽やかな読後感。
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視覚支援学校の中学生、全盲の双葉と中途失明の佑が晴眼者との事件から人が怖くなる。晴眼者不信感や恐怖を克服していく1年間の物語。
目の見えない世界からと晴眼者の世界からどちらも被害者・加害者になりえることを教えてくれた。
世界は優しいのか怖いのか、考えさせられる。
友だちとの信頼関係が心温かくなる。
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視覚障害を持つ主人公が様々な困難を乗り越え成長する物語。
視覚障害の方が不便に思うことや改善してほしいことが具体的に描かれていてわかりやすい。
日本も段々多様性を意識しなければならないと考えることができる一冊。
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netgalleyにて読了。
まずこの本を、中学校の図書館に置いてほしい。
そして一人でも多くの生徒に読んでもらいたい。
本作品の表紙の絵がとても印象的でタイトルにも惹かれた。
目の見えない人の世界を、幻想的な感じに描いている物語なのかと思っていたが、そうではなかった。
目の見えない子や弱視の子ども達が、盲学校の小学校から中学校へと上がり、徐々に一人で社会に出ていくための準備をしていく姿を描く。
その過程を、主人公の少年とその親友である少女の内面の描写…晴眼者(目の見える人)に対して抱える恐怖心や白杖で歩くことの計り知れない困難さ…を中心に丁寧に書いている。
町を歩いていて時々見かける白杖を手に歩いている目の見えない人たち。
こちら側からはさほどの苦も無く歩いているように見え、彼らを避けて歩くことが最大の配慮なのだと思っていたが、そうではなかった。
目が見えないということは、ただ見えないというだけに留まらず、上下左右などの方向感覚というものも晴眼者に比べてはるかに持ちにくいということを、本書を読んで初めて知った。
自分のような晴眼者が、目を閉じて手探りで歩き、目の見えない人の感覚を知ろうとしても、すでに方向感覚は備わっているため、本当に彼らが感じている暗闇を体験することはできないのだ。
それを踏まえて、白杖を手に歩いている人のことを考えると、いったいどれだけ神経をとがらせて一歩を踏み出しているのだろうと、これまでの自分の認識のあまりの甘さに恥じ入るばかりだ。
彼らは別の世界に生きているのではなく、私たち晴眼者と同じ世界に生きている。
マジョリティがもつ傲慢さを自覚し、電車のホームや横断歩道で白杖を持つ人を見かけたら声をかけたい。
断られる恥ずかしさなど、彼らが日々直面していることに比べたら爪のカケラほどのことでもない。
2022.12
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綺麗な言葉で丁寧に書かれた、目が見えない人の世界。
白杖を使うって、目が見えない人が外の世界を歩くってこんななんだ。と思った。
晴眼者という言葉もこの本を読んで初めて知ることができた。
私も助けを求められたら手助けしてあげたいと誓った。
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「――この光はきっと、みんなにも届いているにちがいない。なぜなら、ここはみんなの世界だから。そして、そこは、双葉たちの世界でもあるのだ。
視覚支援学校に通う佑は、この春から中学1年生。新しいクラスメイトも増え、寄宿舎での生活もはじまったが、佑の気持ちは晴れない。小学部から親しくしていた双葉が、ある事件をきっかけに学校に来なくなってしまったからだ。何度連絡をしても、双葉からの音信はない。道しるべのような存在だった双葉を失ってしまった佑は、授業や白杖の訓練に身が入らない状態が続いていた。
いっぽう双葉は、事件の際にぶつけられた悪意に満ちた言葉への衝撃から、家の外に出ることができなくなっていた。「目が見えない人はひとりで外を歩くべきじゃない」と思っている人が、この世界にいることを知ってしまったからだ。そんな双葉を心配した母親に「伴歩・伴走クラブ」という団体を紹介された彼女は、クラブの活動を見学に行く。そして佑も、双葉に会いにいくという目標のために、苦手だった白杖の訓練に挑戦しはじめる……
ふたりの主人公が、それぞれの葛藤を乗り越え、ふたたび世界に踏み出すまでを描いた物語。」
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視覚支援学校の中学1年生になった佑と、入学前から学校に来なくなった同級生の双葉が主人公のお話。
視覚支援学校で何を、どのように学んでいるのかを、その一部ではあるが初めて知った。また、普段の生活の中で、晴眼者の人たちの言動をどのように受け止めているのかについてもよく理解できた。児童書なので、とてもわかりやすく、丁寧に描かれている。
明らかに心無い言葉、意図的に悪意を含ませた言葉は、もちろん使ったことがない。
でも、私は障がいのある方たちと接するのが苦手だ。「大変だろうな」と思う気持ちが、「かわいそう」と思う気持ちが混じり合ってしまう。好奇心の目がちらちら顔を出してしまう。
頭でわかっていても、相手を傷つける言葉や態度になっていないか心配になる。理解したと思っていても、適切な行動に移すのは難しい。
友だちとか、支援者とか、ずっと交流を続ける関係にならないと、本当に理解していると言えないのかなと思う。私は、まず、交流を持ち始めるところからスタートだ。
この本をきっかけに、白杖を使っている人を見かけたら、佑を思い出して、「自分はどうしたらいいか」「しない方がいいか」を判断して行動できたらいいなと思う。
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物語として、ものたりない。読みたいところが、飛ばされて書かれていない感じ。
トリビアはあるけど、生身の彼等を感じられなかった。
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2023.4.27市立図書館
視覚障害を持つ中学一年生の佑と双葉が主人公。6年生の終わりに双葉が駅で怖い思いをして不登校になってしまったのをきっかけにそれぞれ晴眼者(&白杖)不信に陥り外を歩くのが怖くなってしまい、それを家族や学校の支援者や友だちの助けでゆっくりゆっくり克服していくお話。佑は白杖歩行訓練、双葉は伴走伴歩の経験を重ねる中で、不信や恐怖の正体を考え、友だちの心を思い、目標をもって練習をつんでいくなかで自信をとりもどし、周囲や世間への信頼も築いていく。
視覚障害者が目で見ないかわりに耳や手などをフル活用してどうやって世界を感じたり情報を得たりしているのかがよく伝わってくる。目が見えないことで身体感覚や社会活動などにどういうハンデが生じうるかということもとてもていねいに描写されていて、勉強になった(たとえば、「日陰を選んで歩く」ことが不可能だなんて想像してもみなかったが、言われてみればなるほどだった)。ハンデがある一方で、骨格標本をていねいに触って形を確かめさまざまなことを推理していくような理科の授業や音に関する繊細な感覚など、視覚につい頼ってしまう私たちには手の届かない世界もあっていいなと思ったりもした。
点訳や伴走のような形で直接積極的に関わらなくても、せめてこういう物語を読んで当事者の世界を垣間見た人、世界の解像度がより高くなった人が増えていくことで、社会はもっと居心地がなっていくと思う。
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佑は視覚支援学校の寄宿舎生だ。
この春から中学部になった。
小学部からいっしょだった双葉がある出来事から学校に来れなくなったことが、心配で仕方が無い
新しい五人の同級生たちとの学校生活が始まる佑と、外を歩けなくなった双葉が出会った伴歩・伴走クラブ
二人の世界はどのように広がっていくのか
○これは青春小説。
視覚障害者の学生生活をジブンゴトとして読める。等身大の物語だ
“晴眼者”も対人の悩みや学校から社会への怯みはは同じだなあと
そして、“死”は視覚障害者には見えないのかとか、もっと視覚障害を持つ人が過ごしやすくなる工夫が出来るんじゃないかとか、セブイレに行こうとかエコーのこととか
スマホとか、もうユニバーサルになってるんだなあと感慨深い
○右手の世界と左手の世界、両目で物を見るのと似た感覚なのかな
白杖でさらに広がる世界
白杖を使うには体力が必要
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寄宿舎から、一人で視覚支援学校中学部に通う「佑(たすく)」は、5歳の時の病気がきっかけで、目が見えなくなったが、そんな彼を、小学部一年の頃から助けてきた、その世界の先輩であり友達でもある「双葉(ふたば)」の、ある事件がきっかけとなって、現在、中学部に登校出来ずにいる状況を、とても気にしていた。
しかし、そんな状況の中、新しいクラスメイト達との楽しくも温かい交流や、これまでの双葉への感謝の気持ちから、今度は自分が彼女の為に何かしてあげるべきだと思い、白杖を使った一人での歩行に挑戦し、双葉は双葉で、お母さんの助言もあって、ブラインドマラソンに挑戦することになる。
双葉のある事件は、2019年、東京都八王子市で起こった実際の事件と、ほぼ同一の内容であり、詳細は、白杖を使いながら点字ブロックを歩いていた彼女と、歩きスマホをしていた男がぶつかり、彼女は転倒したが、ぶつかった男は謝るどころか、こんな暴言を吐いたという。
「目が見えねえのに、ひとりで歩いてんじゃねえよ」
実は、本書を読んだ事で、目が見えない人にも、光を感じる人、全く感じない人、その光を殊更眩しく感じる人、それが気にならない人と様々なのを知った事により、彼らも目が見えないという共通点があるだけで、本当は皆違うことを実感し、白杖の使い方には、「タッチ方式」と「スライド方式」と、両方をミックスしたものがあるが、ちょっとした距離を歩くだけで神経はくたくたに疲れる事も、ブラインドランナーと晴眼者を繋ぐ「キズナ」も初めて知り、点字ブロックが歩道に存在する意味は知っていたが、世界にはまだまだ私の知らない事が、たくさんあるのだなと思った。
また、本書の中に、
『名前を知ると、それだけで知った気になってしまう』という文章があり、おそらく上記の暴言を吐いた男は、
『目が見えない=ひとりで歩くことが出来ない』
と思い込んでいるのだという事も本書が教えてくれて、そもそも目が見えないから出来ない事があるのでは無く、それは、物語で佑が何度も実感してきた、何も見えないという『その黒くて重たいもの』は、ひとつ何か出来たら、ちょっとだけ消えて、何でも出来るようになったら全部消えているといった、希望に満ち溢れたものであり、その気になれば裁縫も出来るし、電子レンジも洗濯機もアイロンも使えるし、メイクやネイルも楽しめる事に加えて、当然、ひとりで歩くことだって出来るし、彼らは白杖が危険な凶器になり得ることだって、訓練により学び、充分に気遣って歩いているのである。
はたして、これでもまだ、「ひとりで歩いてんじゃねえよ」と思いますか?
私はそうは思いませんし、今回、本書を読んで改めて痛感させられた事は、色んな人がいる多様性のある世界の中に、彼らも含めていただろうかということであり、それは、理科の授業の、死んだ動物の骨から生きていた頃を推測する面白さを佑が感じたように、目で見ることは出来ないのかもしれないが、その代わりに手で見ることが出来る、その触感の凄さと、頭に描く想像力は晴眼者よりも優れていると実感させられたし、触れたときに一年前とは様子が違う植物から、確かに季節が巡った事を感じ取れる、そんな感性の瑞々しさは、まさしく個性と呼べるものではないかと感じさせられ、あくまでも、個性的な人という気持ちで向き合う方が良いのではと思うのである。
それは、何でもかんでも、かわいそうだねと言うのも違うし、彼らの意思も聞かずにやってあげるのでもなく、彼らが何を望んでいるのかを感じ取ることが大切だと思い、そして、向き合うときは対等な気持ちで、「今日の空気や風の湿り気、瞼に感じる光の加減はどうですか?」なんて話してみたいし、外の世界の賑やかな楽しさが、どんな感じなのか聞いてみたいし、桂の木の若葉がキャラメルみたいな匂いなのも一緒に体験したい。
また、目の見えない彼らにとって、相手の存在は声を聞いた時に初めて知り、実感するのであって、そんな声が上記の暴言では、きっととてつもない、恐怖と不安を感じさせてしまったのではないかと、心配すると共に、いくら晴眼者にもいろんな人がいることを知っている彼らでも、心ない言動一つで、晴眼者全体のイメージが悪くなる事も確かであり、まして、その被害者が、これから先の未来に希望を抱く若者であったらと思うと、恥ずかしい気持ちでいっぱいとなり、本当に多様性のある世の中を望むのであれば、彼らも含めた取り組み方をしていくのが当然であると感じ、それは、自分だけでは無い、皆の社会で生きていく上で心懸けるべきであろう、真の共存のあり方ではないかと考えさせられたのである。
本書は、ロニコさんのレビューをきっかけに、読むことが出来ました。ありがとうございます。
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視覚支援学校に通う佑は、5歳のときに罹った病気が原因で視力を失った。
小学校で親しくなった双葉と中学でも一緒に通うことを楽しみにしていたのだが…。
勇気もあって元気な双葉が、学校に来なくなる。
原因は、点字ブロックの上を歩いていたときに歩行者とぶつかり転倒したこと。
その際、「目が見えねえのに、ひとりで歩いてんじゃねえよ」と暴言をはかれて白杖を放り投げられた。
この事件もあり、何度も気になって連絡していた佑だったが、双葉からは返事もなく、何もかもやる気が失せてきていた。
新たな仲間とも積極的に関わることができないでいた佑だったが…。
仲間たちとの繋がりや先生との信頼関係、挫折や失敗を繰り返しがながら、いつしか双葉が教えてくれたことが蘇ってきた。
ひとつ、何かできるようになったら、黒くて重たいものがちょっとだけ消えること。
何でもひとりでできるようになったら、全部消えてる。
できないことは、たくさんあるけれど諦めないで、努力して楽しいことを増やしていこうとする思い。
それが伝わってきた。
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視覚障害をもつ中学生が「目が見えない自分たちは、外を歩いてはいけないのか」と、駅で浴びせられた青眼者(健常者)の言葉から悩み、疑い、葛藤し、自分なりの今の答えを見つけていく物語。
フィクションだけれども、実際にあった事件や新聞記事を取り入れて描かれているため、ノンフィクションのような雰囲気の物語となっている。
視覚障害を持つ中学生二人の成長を通して、街で、白杖を突きながら歩く人たちが、あのようにスムーズに歩けるようになるには、とても時間がかかっていることもわかる作品だった。丁寧な取材が行われたのだろうと思う。
なかなかない視点を持つ作品なので、中学生にはぜひ読んでもらいたい作品である。
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佑(たすく)は視覚支援学校の中学部一年。小学部からの同級生が歩行者とぶつかり転倒、相手が「目が見えねえのに、ひとりで歩いてんじゃねえよ」と暴言を吐いたうえ、白状を放り投げてその場から立ち去るという事件の後、不登校になったことをきっかけに気鬱になっている。中学部になってほかの地域からの入学者もいたり、寄宿が始まり、これまで持っていなかった白状を使う練習をしていくことも佑の気を滅入らせていた。
話の筋がワクワクドキドキびっくり展開がないのは残念なものの、その代わりにこんなにも目が見えない人の生活を追体験させてくれた小説はなかったかも。佑がこれからどんどん外の世界で動けるようになる過程の本だからかもしれません。
小中学生で出会って読んでほしい一冊です。