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- カテゴリ:一般
- 発売日:2017/08/21
- 出版社: ライフサイエンス出版
- サイズ:19cm/207p
- 利用対象:一般
- ISBN:978-4-89775-362-1
読割 50
紙の本
人は、人を浴びて人になる 心の病にかかった精神科医の人生をつないでくれた12の出会い
著者 夏苅 郁子 (著)
私を回復に導いたのは「薬」ではなく「人」だった−。生きていくことに疲れ、二度の自殺未遂を起こした著者が、大切なことを気づかせてくれた人達との出会い、そして一本の道でつなが...
人は、人を浴びて人になる 心の病にかかった精神科医の人生をつないでくれた12の出会い
人は、人を浴びて人になる―心の病にかかった精神科医の、人生をつないでくれた12の出会い
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商品説明
私を回復に導いたのは「薬」ではなく「人」だった−。生きていくことに疲れ、二度の自殺未遂を起こした著者が、大切なことを気づかせてくれた人達との出会い、そして一本の道でつながっている人生を振り返る。【「TRC MARC」の商品解説】
人生には振り返るといくつかの大切な出会いがある.。絶望の一本道で立ちすくんでいた著者に希望を見出させた12の出会いを赤裸々に綴った感動のエッセイ。
統合失調症の母を持ち、辛く孤独な幼少時代を過ごした著者。世間への恨みをバネに医者を目指すが、先の見えない絶望感から摂食障害、依存症、リストカットなど心の病にかかり、研修医時代に2度の自殺未遂を起こす。
その後、いくつかの「出会い」に遭遇することで、少しずつ人生を肯定して生きられるようになる。自身の生い立ちと共に見つめ直す自伝的エッセイ。【商品解説】
目次
- 序章:患者の家族として、患者として、そして医師として
- 第1章:患者の家族としての子供時代
- ・人生の最初に助けてくれた人
- ・私の話を、最初に聞いてくれた人
- ・私の最初の友達
- ・医師を目指すきっかけとなった、中学時代のいじめっ子たち
- 第2章:自分が患者になったとき
- ・「生きること」を気づかせてくれた
- ・「人生を楽しむこと」を教えてくれた
- ・「毅然として生きること」を教えてくれた
著者紹介
夏苅 郁子
- 略歴
- 〈夏苅郁子〉1954年北海道生まれ。浜松医科大学医学部卒業。児童精神科医、医学博士。「やきつべの径診療所」を開業。精神保健指定医ほか。著書に「心病む母が遺してくれたもの」など。
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紙の本
「家族」「当事者」「専門家」が重なりあうところで語られた精神障害と精神障害者からの回復の話
2019/02/11 15:50
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みなとかずあき - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者の話を直に聴く機会があり、その際にこの本のことを熱く語る参加者がいたので読んでみることにした。
著者の講演の中でも語られていたこともあり、改めて著者の生きてきた様と回復に「導いた」と思われる「12の出会い」のエピソードがそれぞれ語られていた。そこから読み取れる著者の一種すさまじい人生には圧倒されるばかりであるし、そんな中でも人との関わりの数々が著者が現在のような立ち位置に至らせたのだということに考えさせられることがいくつかあった。そこには、精神医療が抱えている根本的な問題があるように思える。
だが、著者の語り口はなかなか微妙なところがある。
著者は、精神障害者を母親に持ったという「家族」であり、自身も精神科治療の経験がある「当事者」であり、仕事としてそうした人達と相対する「精神科医」となった人であるという、やや特異な立ち位置にいる人だ。そして、著者の語りにはこの三者が入り交じったところがあり、読んでいる側はその三者の内どこにより重点を置いて著者の語りを聴き取るかによって著者に対する印象が変わってしまうのではないかと思えた。そう、この著者は「精神科医」であり、「精神障害者の家族」であり「当事者」にもなった人とみるのか、「精神障害者の家族」が後に「当事者」にもなり、さらに「精神科医」になったとみるのか、あるいはまったく別の見方をするのか。
そこには正解はないと思うし、どの見方をするのかというところで逆に読者の側の精神障害や精神障害者に対する問題意識をあからさまにするところがあるように思う。
そういった意味で、やはりこうした話を真摯に受け止め、自分がそれに対してどう感じるのかということをきちんと考えることが大切なのではないかと思う。
そして、個人的にはこの本は「当事者」にもなってしまった「精神障害者の家族」の回復の話のように読んだ。著者にとってはやはり母親の存在が大きいのではないかと思えたのだ。と同時に、人は母親だけに育てられるわけではなく、いろいろな人との関わりの中で生きているのだということも改めて感じている。そんな目でみると、著者は若い頃父親のことをあまり良い存在と思っていなかったようだが、そうでもなかったのではないかと思えてしまった。さらに、著者の父親もまた「精神障害者の家族」であり、他人にはどのように見えていたかはともかくも、本人は「家族」であることと向き合って生きざるを得なかった人だったのではないかと思わせられた。