みなとかずあきさんのレビュー一覧
投稿者:みなとかずあき
2009/06/28 23:21
先入観からかもしれないが、「モーニング」らしい仕上がりになっているように見える
13人中、13人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
マンガ家が特定の出版社の専属のようになってしまって久しい。かつての手塚治虫のように、超大御所ともなればあちらの出版社の雑誌、こちらの出版社の本というように作品を発表することができたのだろうが、今ではそんなマンガ家は極めて少ないように思う。
そんな中であの浦沢直樹の作品が小学館の雑誌ではなく、講談社の雑誌に載ったのだ。最初その話を聞いた時には耳を疑った。連載開始の雑誌を本屋で見た時には、タッチを変えたマンガだったので、「それもありか」と思った。
だが、こうしてまとまって読んでみると、やはり浦沢直樹だ。浦沢直樹も、超大御所の仲間入りをしたんだなあ。
などと思いながら読み進めてみると、これまでの作品と多少異なっているようにも思えてきた。
「サンデー」と「マガジン」を取り出してみるまでもなく、小学館と講談社のマンガにはそれぞれ特徴というか雰囲気がある。小学館系は基本的に絵柄は大人しくきれいで、ストーリーも明朗なものが多いように思う。対して講談社系はタッチも多少荒々しくマンガと言うよりは劇画であり、ストーリーも波瀾万丈のものが多いように思う。
そして、これまでの浦沢作品はやはり小学館系につらなるところにあったと思う。
これに対して本作は、絵柄こそ『20世紀少年』や『MONSTER』と変わらないが、全体的に良くも悪くも荒々しさがみられる。ストーリーはまだ1巻だけなので何とも言えないが、それでも実際の出来事を組み込んだところなどはやはりこれまでと違っていると言ってもいいのではないだろうか。
講談社系の雑誌で描くことが先にあったのか、このような話だから小学館系より講談社系が良いと判断したのか、浦沢とストーリー共同制作の長崎の意図したところはわからないが、確かにこれなら「スピリッツ」や「オリジナル」よりは「モーニング」かなと思えてくるから不思議だ。
太平洋戦争後の社会的な事件である下山事件がカギになっているストーリーで、どこまで楽しませてくれるのか。期待をこめて星5つとしたい。
紙の本20世紀少年 19 本格科学冒険漫画 (ビッグコミックス)
2005/07/10 23:00
昭和40年代の人たちの隠れた楽しみ
11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
長い物語の途中をああだこうだ言うのは、非常にむずかしい。しかも、かなり多くの人が実作品を見てしまっているだろうという所でものを言うのは、さらにむずかしい。それでも、何か語らなければという気にさせるものがあるのが、『20世紀少年』であり、浦沢直樹なのだと思う。そしてもう1つ、何かを語らなければという気にさせられるものがあるとすれば、この物語に出てくる主要人物たちが子ども時代を過ごし、作者である浦沢直樹も子どもとして過ごしたであろう昭和40年代を、同じように子どもとして過ごした同世代の者だから、といったところか。
この19巻にも、私たちの子ども時代を思い出させてくれるアイテムが多く登場している。ページをめくるごとに、マス大山の山篭り、眉毛そりの話だし、ゴアは出てくる、デスラー総統も出てくる、ナゾーにショッカーも姿を現す。ところどころ30年代も顔を見せているのは、さらに時代を感じさせようということなのか。
全編を通じて、40年代に子どもだった人の子どもの頃の想像の未来をなぞっているという不思議な感覚があるのだけれど、これが今の若い人たちにどれくらいわかってもらえるのか、自分の子どもたちが面白がって読んでいるのを横で見ながら聞いてみたくなるのだ。でも、聞かない。彼らにはきっと、彼らなりの面白がりがたがあるのだろう。そこへ、「マス大山と言うのはなあ、・・・」なんて言ってみたって、親父の昔話にしかならないのではないか。
すみません。19巻のコメントには何もなっていません。未だ話は途中です。本の帯には「連載六年、物語は、終局へのターニングポイントへ・・・!!」なんて書いてありますが、思わせぶりな大コマが何度も出てきて、「これがどうやって終局へ向かうんだ」という感じです。でも、それはそれとして、やっぱりマス大山なんかが出てくるとほくそ笑んでしまうのでした。
2008/10/29 23:40
どんな時にも言葉が大切であること、言葉にこめられた意味が大切であることを教えられた本
9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
考えてみれば(みなくとも?)中井先生もすでに70歳を超えておられるわけで、日進月歩のはずの医学の世界でならばいつまでも中井先生を拠り所にするだけでなく、超えたものを手に入れていかなければいけないのだと思いつつ、こうして新刊書が出ると読んでしまう。
今回はある精神科病院で主に看護師さんたちに向けて行われた研修会の連続講義を収めた本である。全部で5回の講義と、単行本化するにあたって後日行われたインタビューに中井先生が作られた「精神保健いろは歌留多」が収められている。
いくつかの講義はすでにいろいろなところで語られたことのある主に統合失調症患者の回復過程とその時の治療アプローチについてであるが、改めて中井先生の話し言葉として読み進めると、すでに見聞きしたことではあるがいちいちうなずいてしまうところがある。
そしてこの本の一番の内容は、精神科の患者に時にみられる暴力行為にいかに対応するのが良いかについて語られているところだろう。患者の暴力行為は多くがその病状のゆえに起こりうることではある。日常臨床では、それを病気のせいとしてしまい、それ以上考えるのを停止してしまって、ただ暴力を抑え込むことしか考えられなくなってしまうのが正直なところではないだろうか。もちろん暴力は怖いし、嫌で、対処に困るものだ。だから、今まで多くの治療者、看護者が経験していながら正面から語られることのなかった事態だったと思う。それをある意味正面きって、具体的な対処法から、暴力行為をさらに治療へと繋げていく方策を語ってみえるのだが、そこもまたいちいちうなずかされてしまうものがある。日常困っていることに明確な言葉を与えられたように思うのだ。これは、どうしてなのか。
それは、中井先生自身が語っているように現場の体験に根ざした言葉だからだと、これまた今更ながら思ってしまう。
医学はもちろん精緻な言葉を要求するのだろうが、一方医療はもっと具体的な言葉を要求する。そしてその具体的な言葉を、私たちはつい見失いがちになってしまうのではないだろうか。その時、中井先生の具体的な言葉に私たちは圧倒され、教えられ、感じ入ってしまう。だからいつまでも中井先生の書を手に取ってしまうのだろう。
これもまた手放せない本となりそうだ。
紙の本風の谷のナウシカ 7 (アニメージュ・コミックス・ワイド判)
2006/01/09 23:11
13年という時間をかけて宮崎駿が考えたことがここに集約されているように思います
9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
コミックス版『風の谷のナウシカ』が13年にわたって描き続けられたものだということは、この巻の帯にも書かれているようによく知られたことです。しかし、実際にはその13年の間に宮崎駿は映画『風の谷のナウシカ』、『天空の城ラピュタ』、『となりのトトロ』、『魔女の宅急便』、『紅の豚』を制作、公開し、きっと『もののけ姫』の制作を始めようとしていたはずです。こうした映画制作が主たる仕事となっていた時には、このコミックス版『ナウシカ』の執筆は止まっていたということも既に知られていることでしょう。そして、そこに映画版『ナウシカ』とこのコミックス版『ナウシカ』を違えている理由の多くがあるのだ、ということが全7巻を読み終えてよくわかります。もちろん映画は、2時間程度に収めなければならないなどという制約があるところからくる違いも多々あるのですが。
という訳で、読み通してみると、コミックス版『ナウシカ』がずっと混沌とし、白と黒、正と邪、善と悪といった二分論で片付けることができない世界を描いていたのだということがわかります。こんな言葉で言ってしまうと、すごく薄っぺらな感じがしてしまうので嫌なのですが、今のところ他に見つからないので使ってしまいますが。
ネタバレになってしまいそうなので多くは記しませんが、巻末近くでナウシカは「清浄と汚濁こそ生命だ」、「苦しみや悲劇や/おろかさは/清浄な世界でも/なくなりはしない/それは人間の/一部だから……」「だからこそ/苦界にあっても/喜びやかがやきも/またあるのに」と語っています。宮崎駿は、13年描いてきて、また上記の映画を作り続けてきたからこそナウシカにこの言葉を語らせることができたのではないでしょうか。あるいは、それだけの年月と作品を作り続けてきたことで、宮崎駿自身がこのことに思い至ったということなのかもしれません。
紙の本失踪日記 1
2005/07/11 23:21
アルコール依存症の人に見せてあげたい
9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
幸か不幸か、私は失踪をしたこともなければ、今のところ路上生活もしないで済んでいるし、本格的な肉体労働もしたことがないので、この本が「全部実話です」と言われても、「ああそうですか」という感じで純粋に吾妻ひでおのマンガとして楽しんでしまった。
では、私はアルコール中毒かと言えば、一応自分ではそうではないと思っている。けれどもこの本の後半に出てくる精神科病棟については知らないわけでもない。それで、こと「アル中病棟」の段になると、「そうそう、こうなんだよね」とある種のリアリティを感じながら読んでしまった。
そう、この本に出てくる失踪や路上生活や肉体労働についてはどうか知らないけれど、少なくともアルコール中毒や強制入院については、たぶん実体験だと思います。まあ、今更私が言わなくたって、作者が実話だと言っているのだから実話でしょう。
これも今更私が言うまでもないのかもしれないけれど、このマンガがすごいのは実体験のすごさではなく、マンガとして完成されているところだと思う。話の内容にかかわらず、ここに載っているマンガの1コマ1コマは、往年の吾妻マンガそのままなのだ。自分の体験をただ単に切り売りするのではなく、自分の得意とする手法でもって読み替えて私たちの前に出してくる、というところがすごいのだと思う。
だから、逆に「これは吾妻マンガだ」と思ってしまって、発売当初の反響のすごさにもかかわらず手を出さずにいたのだけれど。
ともかく「アル中病棟」は、すごいです。ここの部分だけでもアルコール依存症の人に見せてあげたい。「酒は止めよう」と思うきっかけになってくれるといい。
紙の本転移
2010/02/20 18:59
中島梓/栗本薫の最期を知りたくて
8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
2009年にショックだったことの1つが栗本薫/中島梓の死だった。
ネットのニュースで彼女の死を知った時にはしばらく茫然というか、いわゆる何も手に付かない状態だった。何がどうというわけでなく、ただただショックだったのを今でも覚えている。
もちろん彼女がガンだったというのは知っていたし、『ガン病棟のピーターラビット』の最後で転移について触れられていたので、いずれはこういうことはあるとは思っていたが、それにしてもこんなに早かったとはとしか言いようがない。
ネットのニュースでは中島が亡くなったことと彼女の業績について触れられていたが、彼女の最期がどんなだったかについてはあまり触れられていなかった。でも、ファンとしてはそこを知りたかった。
そう思っていたところ出版されたのがこの本だった。
もっともこの本の「プロローグ」は2008年4月28日付で、当初はエッセイ風のものを意図していたようだ。ところがこの「プロローグ」の後ろに「著者註」として、
「ここまでは「転移」というタイトルで、肝臓への転移が判明した4月から、「ガン病棟のピーターラビット」と同じようなスタイルで書き始めてみたものですが、長い時間かけて書いてゆくにはこのような書き方よりも日記スタイルのほうがふさわしいと思い、10月に、9月の分を起こしてそこから「転移日記」というスタイルにあらためて、そののちいまにいたるまで書きついでいるものです。予定としては、私が文章を打てる限りは現状報告と遺書をかねて書いてゆくつもりです」
と2009年2月12日付で書かれており、日記の体裁として書かれるようになった。
日記としては充実したものとは言い難い。もちろんガンを患う身であり、その治療としての化学療法の副作用でかなり体調は悪かったようで、日々の記述は体の痛みの軽重やその対策であったり、どんなものが食べられて何が食べられなかったかということが繰り返し綴られている。それでもその合間に次の小説の進行の程度やライブを行ったことが綴られているのが中島らしいと言えばらしいのかもしれない。
日記という体裁にしたせいだからか、上記のような記述の間に時に中島らしさをうかがわせる記述もあった。
「もう、次の「あらたな年」があるかどうか、それはわからないが、それももう何も考えない」(2008年12月28日)
「ときどき、音をたてて「生きる意欲」が萎えてゆくのがわかる気がすることがある」(2009年1月15日)
「奇妙なことに、私はひどい運命が目の前にやってきたときのほうが闘志がわいて勇気が出てくる」(2009年3月13日)
「そう、世の中は「淡交」でいいのだ。濃く深い交わりをする相手、などというものはこの世にほんの数人いればいい」(2009年4月9日)
このような生き方をしてきた人が作り上げたものだから、私はずっと広範囲かつ多量にわたる作品を読み続けてきたのだと思うし、それを改めて確認すればするほどまた悲しくなる。
そしてこの本の巻末に、ノートに書かれた5月15日、16日の日記の写真と、5月17日にパソコンで書こうとしたであろう最期の日記がリターン・キーの記号がいくつも並んでいるのを見ると、悲しみは一層深くなる。
巻末に栗本薫/中島梓 全仕事リストが収められているが、その種類、数を見ると彼女がいかに多彩な作家であったかがわかるが、その最期にこの本が並ぶのかと思うと、これもまた悲しくなってくる。
2009/03/28 20:00
これがあの『新寶島』だ
9人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
あの『新寶島』が、初版本から復刻されたというだけで、マンガ・ファンならば驚きだ。今の日本のマンガがここから始まったと、あらゆるところで語られているにもかかわらず、今や当時これを読んだ人たちの記憶の中でしか知ることのできない作品であったのだから。しかも、あの手塚治虫の作品であると言われていながら、そこに必ず酒井七馬という名前も載せられているということを始めとして、多くの謎に包まれた作品なのだ。だからこそ、復刻してくれた小学館クリエイティブ及び小学館よ、ありがとうと言いたい。
この普及版(?)は、作品の初版本完全復刻版と『新寶島読本』と題された6人のマンガ関係者の筆による感想や解説などの小冊子から成っている。
完全復刻版はその名の通り。原作・構成 酒井七馬、作画 手塚治虫 となっている。内容は、宝島の地図をめぐる海賊と少年の冒険譚に、無人島漂流記やターザンなどのエピソードがこれでもかこれでもかと詰め込まれている感じで、190ページほどを一気に読むことができる。
冒頭の車の疾走する場面のように映画的手法が使われていると聞いていたが、コマ割りはむしろオーソドックスで、1ページが大きなコマ3段というのが基本だ。映画的なのはむしろコマのレイアウトとでも言うのか、映画で言うカメラアングルの視点を持ち込んだ描き方だったのだろうと思う。現在のような変形コマやコマ割りなどは、もっと後のマンガから出てきたのだろう。
読本は、浦沢直樹を始めとして、藤子不二雄、横尾忠則、竹内オサム、中野晴行、6名の文章からなる。一部他の本などで発表されている文章が再録されているので目新しさに欠けるところもあるが、竹内オサムと中野晴行の解説は、この作品の作られたいきさつなどが現在わかっているところまで説明されているので興味深く読める。
マンガそのものは60年も前のものなので、さすがに古臭く感じるところもあるが、読本と合わせることで、日本のマンガにとっていかに重要な作品か改めて認識することしきりだ。
紙の本発達障害の子どもたち
2012/07/22 13:58
発達障害を知るのに適した1冊
8人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
本当のところは増えているのかどうかわからないが、発達障害者に接することは多くなったように思うし、「私は発達障害ではないですか」と心配(?)して訪れる人も増えている。マスコミでも取り上げられることが増えているように思うし、きっと世の中にはもっといるのだろうと思わせられなくもない。
だが、発達障害のことが正確に知られるようになったかというと、決してそうではないようにも思う。すごく基本的なところで言えば、他の精神障害と同じように「病気」と思われているところもあるし、そう思われてしまうと何か治療法があって良くすることができると思われている節もある。
そのあたりの誤解というか、知られていないことをコンパクトにまとめて伝えてくれるのがこの本のように思う。著者は、発達障害について長年臨床や研究を行ってきた専門家であるから、まずはこの本を読めば発達障害について俯瞰して知識を得ることも可能だろう。
発達障害とひとくくりにされているものがどんなものかの説明から始まり、ところどころ具体例を織り込みながら、現在のところわかっている原因、各発達障害(精神遅滞、境界知能、自閉症、アスペルガー、ADHD、学習障害)の説明、さらにいわゆる児童虐待の問題、発達障害の療育の問題、その他の治療法についてと、まんべんなく知ることができる。
タイトルにあるように発達障害は本来子どもの頃にきちんと見立てられ、対応されるべきであるとは思うので、この本で書かれていることを知っておくことは大切だと思う。そのために役に立つ本だとは思うが、できれば大人になった発達障害者についても一言でもいいので触れられていると良かったかと思う。実は今問題になっているのは、そのような人たちであるように思えるのだが、どうだろうか。
紙の本星を継ぐもの 01 (BIG COMICS SPECIAL)
2011/08/27 11:44
星野之宣がどう描いていくのかに期待して読み続けたい
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
これでも60年代後半から70年代にかけてSFにハマっていた人間なので、J・P・ホーガンの『星を継ぐもの』と言えば有名すぎるほどのSFの名作だということを知らないわけはない。その名作をあの星野之宣が描くというのだから、驚きと言うか、期待と言うか。
まだ第1巻なので、作品全体の評価をすることは難しいし、マンガとしてどう描き切るのかについてはこの後も期待していくしかないので、第1巻から読み取れそうなことだけを考えてみたい。
まず、名作SFとは言え1970年代に発表(日本語訳は1980年)された作品を、30年以上も経過した今なぜマンガにするのかということ。内容から考えれば、宇宙のことや人類発生のことなどについて、以前よりも多くのことがわかってきたからこそ今改めてそれを問うということなのかとも思えなくはないけれども。
また、作品の初め頃から原作をかなり改変している部分があるということ。きっと星野自身に原作ならびにそのシリーズを読み込んできて何か思うところがあるのだろう。それを今後明らかにしていき、ある意味星野の『星を継ぐもの』を描き出そうとしているのかもしれない。
いずれにせよ、星野之宣がSFに戻ってきたということに期待をしたい。原作も原作なので、そう簡単に終わらないでほしい。そんな期待をさせるマンガにこの頃お目にかかってもいないので、余計そう思ってしまう。
紙の本愛…しりそめし頃に… 9 満賀道雄の青春 (BIG COMICS SPECIAL)
2009/06/06 14:20
少年週刊誌創刊の頃
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
およそ2年半ぶりに第9集が刊行されました。
近年、藤子・F・不二雄全集の刊行が告知されたり、赤塚不二夫が亡くなったり、手塚治虫の生誕80周年だったり、石ノ森章太郎生誕70周年だったりと、トキワ荘グループのマンガ家やその作品が話題となることがあり、そのたびに藤子不二雄A氏がインタビューなどで登場していたので、氏の姿を見てはこの『愛…しりそめし頃に…』はどうなったのだろうと思っていました。
一方でこのbk1の書評を見ていても、この作品に対する書評は私の書いたものしか見当たらず、きっとごく一部の古いマンガに郷愁を覚える者にしかアピールせず、雑誌連載も立ち消えになっていたのかとも思っていました。
そこへこの第9集です。しかも刊行早々にぱせりんさんの書評が載ったではありませんか。やあ、やっぱりみんな読んでいるんだなあと、妙に納得してしまいました。奥付の「初出誌一覧」を見てみると、もともとの掲載雑誌そのものが2ヶ月に1回しか出ていないので、単行本としてまとまるには時間がかかるのもやむを得ないということを改めて確認してしまいましたが。
さて、第9集はけっこう充実した話が収められていました。
トキワ荘グループでの年長格の寺田ヒロオの結婚、新婚生活という彼らの生活の変化や、さいとう・たかをの来訪といった、これまでの満賀道雄の個人的なエピソードよりは『まんが道』のようなエピソードが並んでいます。そして、何よりも読みごたえがあったのは、「週刊少年サンデー」と「週刊少年マガジン」が創刊される際の藤子不二雄の運命的とも言える関わりのエピソードでしょう。この昭和34年のこの時に彼らがたった1日の違いで「マガジン」でなく「サンデー」に作品を連載することになったというのは、その後の両誌の特徴を考えたり、藤子不二雄自身の作品傾向を考える上で非常にエピソディックに思えてなりません。
第9集になり、久々に『まんが道』青春編と名のっているマンガの面目躍如と言ったところでしょうか。
巻末には、藤子不二雄A氏の当時の日記と家計簿が収録されています。これも、マンガを読む時のイメージを膨らませる上で、また昭和30年代の日本を知る上で貴重な資料だと思います。
紙の本21世紀少年 上 本格科学冒険漫画 (ビッグコミックス)
2007/08/08 23:57
今度こそ終りになるのでしょうか
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話の途中で姿を消してしまった『20世紀少年』でしたが、『21世紀少年』として復活(?)しました。そのあたりの事情はNHK『プロフェッショナル』を見て納得しましたが、人気マンガを描き続けるのは大変なことだということですね。もっとも読み手としてはそんな大変さは置いておいて、ひたすら面白さを追いかけているだけだとは思いますが。
で、『21世紀少年』です。
タイトルは変わりましたが、今更言うまでもなく『20世紀少年』の続きそのままです。しかも「[20世紀少年]最終章!!!」と帯に書かれていたり、「上巻」となっているので、この巻を含めてあと2冊で完結するらしいです。しかし、これで終わるのでしょうか?実は「中巻」があったりして。
これまでずっと謎となっていた“ともだち”の正体が明かされるはずですし、よげん書の現実化についても何らかの説明がなされるのでしょうが、そのあたりはこの「上巻」ではまだまだ謎のままです。
ただし子どものケンジたちと大人のケンジたちが絡むことで、何か答えを出してくれるのではないかと期待されます。でもこれって、私たちの実人生そのものかもしれません。私たち自身も、子どもの頃の様々な夢や希望などを大人になっていく時に何らかの決着をつけていくはずです。それをヴァーチャルな形で見せてくれるのが「~少年」なのかもしれません。
この巻の表紙には「オ○ナイン」とか「太陽の塔」が描かれています。これだけを見ているとやっぱり20世紀だと思ってしまいますね。
それに今気づきましたが、この表紙絵って『20世紀少年』第22巻の表紙絵と繋がっていませんか?
2006/01/10 23:37
江川太郎左衛門の偉大さを改めて知った巻でした。
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
「遂に「安政」と改元、風雲急を告げる日本!」との帯コピーのある第8巻です。主な登場人物は、村田蔵六(大村益次郎)とお稲、江川太郎左衛門、坂本龍馬、吉田寅次郎(松蔭)、福沢諭吉と、いよいよ幕末の志士が登場してきました。
しかし、この巻の一番の見所は、江川太郎左衛門の件でしょう。この『風雲児たち』ではかなり以前から登場しており、学校日本史ではわからなかった活躍をしている人でしたが、遂に亡くなってしまいました。
今まで幕末というのは、急に内外の情勢の中から生まれてきた変革の時代だと思っていましたが、この江川太郎左衛門などの話を知るにつけ、少しずつ少しずつ時代は変わっていたのであり、時代を見据えて行動していた人たちが少なからずいたのだなあということがわかってきます。
これからもちろん、幕末の有名人が多数登場するのでしょうが、それ以外の余り知られていなかった人たちにも光を当ててもらいたいものです。でも、きっと描いてくれますよね。「幕末編」も既に8巻になっているにも関わらず、時間はあまり進んでいないのですから。
2005/07/10 22:58
高橋留美子の魅力を増している傑作集です
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
そう言えば、高橋留美子は『めぞん一刻』の作者でもあったのだなあ、ということを思い出させてくれる『傑作集』です。別に恋愛ものの短編集というわけではないのですが、登場人物の雰囲気や作者のまなざしとでも言ってもいい描き方のスタンスに『めぞん一刻』と通じるものがあるように思います。
「日帰りの夢」では、同窓会でかつてのあこがれの人に会うという話です。小説などでは、ここが始まりで物語が続いていくというようなネタがよくあるように思いますが、現実はきっとこのマンガのようなものなのだろうなあと、思います。
「おやじグラフィティ」は、ちょっと出来すぎた話かなあという感じもしないではないですが、思春期の子どもをもつ父親がきっと日々感じているであろう気持ちを的確に表現しているように思います。
「義理のバカンス」のような嫁姑だけの旅行なんてきっとないと思いますが、ここで描かれている二人の考えていることのずれというのは、これもまた現実にあることではないでしょうか。
「ヘルプ」は、この頃きっと増えている世代、家庭の問題なのでしょう。世代が違えば笑い話にもできるかもしれないけれど、身につまされるものがある人たちがいると思います。
「赤い花束」はこの本のタイトルにもなっています。死んだ人は何も振り返ることはできないのでしょうが、お通夜や葬式の時に私たちが故人について語るのは、ここで描かれているようなことなのかもしれません。
「パーマネント・ラブ」は、悲しい中年の話です。そうとしか言いようがないと思ってしまうのは、私も中年ということかもしれません。
『うる星やつら』も『らんま1/2』も『犬夜叉』も、それ以外の高橋留美子のものはどれもいいのですが、もっとこの「傑作集」のような話も描いて欲しいものです。この手のものをメインにしてもらっても良いくらいです。でも、片方に『犬夜叉』があり、もう片方に『赤い花束』があるということ、そして『傑作集』は何年かおきに刊行されるということで、高橋留美子の魅力を増しているのかもしれません。
2011/01/29 10:14
手塚流「ブッダ」 ビルドゥングス・ロマンの始まり
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
言わずと知れた手塚治虫の代表作の1つ『ブッダ』の潮コミックス版が、新装版として刊行されました。何が違うかと言えば、カバー装丁が変わったのと、本編本文にふりがながついたことくらいでしょうか。2011年5月28日全国公開されるアニメーションを見越しての新装版なので、帯を見ればわかります。
内容については、今更言うまでもないでしょう。私が初めてこのマンガを読んだのは、もう30年も前のことになるでしょうか。考えてみれば、手塚治虫が亡くなってもう20年以上になるわけですから、彼のマンガをリアルタイムで読んだのはどれも20年とか30年とか40年前になるわけです。そんなマンガがアニメーションになるということや、改めて刊行されるということ自体が稀有なことなのかもしれません。しかし、そのような気持ちにさせるというところが、このマンガのすごいところなのでしょうし、手塚治虫のすごいところなのでしょう。
第1巻は、マンガの第1部前半5章が収められています。三千何百年か前のインドの身分制社会から生まれてくる人間の生きざま、悲劇が描かれています。
『ブッダ』と名付けられていますが、当の本人が生まれる前の話が続きます。たぶんこのあたりはかなり手塚治虫の創作のはずです。ですが、手塚にとってはブッダを登場させる前にこのあたりを描いておかないと、ブッダをきちんと描くことができないと考えたのでしょう。
なので、ブッダ誕生前のエピソードというだけでなく、この第1巻だけで十分一つの話になっていて、何年かぶりに読んでもついつい惹きこまれてしまいます。
紙の本時には昔の話を
2010/03/07 23:14
映画を補完する本として、こんなの見たことないでしょう
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
映画『紅の豚』が公開された当時に刊行されたものだ。
映画の主題歌と登場人物の1人・ジーナの声を担当した加藤登紀子と、映画の脚本・監督の宮崎駿がコラボレートした、その名も「中年の絵本」だ。
2人とも戦時中の生まれと言う同世代で、映画公開頃に50代となったばかりというところだ。
加藤登紀子の詩と映画の中で使われた歌、そして映画の音楽作りのヒントとして宮崎駿が久石譲に手渡したという詩が6編。さらに映画のエンディング用に宮崎駿が描き下ろしたイラストに、2人の対談が収められている。
個人的な趣味から言えば、宮崎駿のイラストがカラーで収められているのが一番うれしい。アニメーションとして描かれた絵にも魅力はあるのだけれど、そうでないイラストも宮崎独特のタッチで描かれていて一幅の絵として楽しめる。そんなイラストがページをめくる毎に現れるのだから、それだけで十分とも言える。
詩は、『紅の豚』の世界を彷彿とさせるもの(宮崎駿の詩はそう思わせて当然なのだけれど)が並んでいるようにみえる。
最近にはめずらしい箱付きハードカバーで、ハトロン紙もかけられているというところが、また大人の雰囲気を味あわせてくれるとでも言えるか。
装丁も赤と黒を基調にしていて、一見目立たなさそうだけれど重みを感じさせてくれて、これもまた大人の本という印象を強くさせる。
映画『紅の豚』がジブリ作品の中でもやや特異な大人の雰囲気を漂わせる映画だったが、その雰囲気をもっと具体的に手にとってわかるようにしたのがこの本だとも言えるだろう。
多分に映画の宣伝というか便乗商法の1つだったのだろうが、そんなものでもこんな本を作り上げてしまうというところが、スタジオジブリのすごいところだと言える。