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商品説明
人がいなければ、怪異は怪異にはならない。では誰が何を「あやしい」と認定して怪異になったのか。「つくる」をキーワードに、江戸時代を生きた人びとと怪異のかかわりを歴史学から解き明かす。【「TRC MARC」の商品解説】
怪異はつくられた!?
「つくる」をキーワードに、江戸時代を生きた人びとと怪異のかかわりを歴史学から解き明かす書。
人がいなければ、怪異は怪異にはならない。では誰が何を「あやしい」と認定して怪異になったのか。つまり、怪異はどうつくられてきたのか。そこにある様々なありさまを、当時の「知」の体系に照らし描ききる。章立ては、近世の怪異をつくった第一人者、林羅山からはじまり、政治、本草学、語彙、民衆の怪異認識、化物絵、ウブメ、河童、大坂、古賀侗庵の全10章プラス補論3章。
全方向から怪異のあり方を突き詰める、これからの怪異学入門が遂に誕生。怪異ファン必携。
【ある物事を怪異だと認識するのは、人間です。たとえ石が宙に浮いた、山を越えるほどの大きな蛇がいた、夜の川辺で小豆を磨ぐような音がしたなどの出来事も、人がいなければ、人が認識しなければ怪異にはなりません。つまり、人がいて初めて怪異は成り立つのです。
こうした怪異に関わる人のいとなみを、本書では総じて「つくる」という言葉で表現してみたいと思います。
「つくる」いとなみは、多種多様です。怪異だと認識することも、当然「つくる」いとなみです。ある物事を誰がどのような理由で怪異だと決めたのか、その判断は、歴史性を帯びています。例えば、古代の律令国家では、国家つまり政権しか怪異の認定をすることができませんでした。もしも個人が勝手に「あれは怪異だ」と言いふらしてしまえば、その人は処罰を受けることが法で決められていたのです。誰(個人・共同体・国家など)がどのような理由で、特定の物事を怪異だと認識するのか、言い換えれば、誰が怪異を「つくる」のでしょうか。】......「序章」より【商品解説】
目次
- 序章
- 怪異をつくる
- 怪異とは
- 「つくる」いとなみ
- [怪異を歴史学的に考える/怪異を記録した(つくった)意味/中世から近世へ/学問と怪異/表現される怪異]
- 本書の構成
- 第一章
- 林羅山
著者紹介
木場 貴俊
- 略歴
- 〈木場貴俊〉1979年岡山県生まれ。関西学院大学大学院文学研究科博士後期課程日本史学専攻単位取得退学。博士(歴史学)。国際日本文化研究センタープロジェクト研究員。
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紙の本
江戸時代の非合理性の隠れた水脈
2022/02/24 10:34
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Hyperion64 - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本、多くの場合、理解に難儀な内容と評価されているようだ。ありがちな怪異譚とその語り部を期待する向きにはそうかもしれない。この本の価値はそこにあるわけではない。
快刀乱神を語らないはずの儒学者や博物学の源である本草学が妖怪を大ぴっらに扱う。このような隠れた非合理性の水脈を浮き彫りにしたのは、著者のお手柄なのではあるまいか(先行研究があるにはあったろうけれども)
また、林羅山が「本朝神社考」で示した仏教を妖怪の源泉とする見解が日本の儒学者たちに引き継がれていゆく様がたいそう面白い。僧侶が天狗だというのは平田篤胤も共感したろう。
儒学者たちの怪異への理解は民衆の迷信とさほど隔たりがなかったことも本書は裏書きしている。
いずれにせよ、活字になっていない江戸時代の原文から掘り出された妖異の近接性というか親近感の存在は、現代日本人の妖怪好きと重なってみえてくる。それが本書の醍醐味であろう。