紙の本
心がマネジされる時代
2001/01/25 12:10
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投稿者:sayaka - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書の原著のタイトルは、「The Managed Heart: Commercialization of Human Feeling」というそうです。なかなかよく考えられたタイトルだと思いますが、このタイトルを読んだだけで、ぞっとした人がかなりいるのではないでしょうか。わたしはそうでした。
現代は、感情が商品になってしまった時代であることを筆者はまず指摘します。乗客に微笑みながら(たとえそうしたくなくても)サービスをおこなうスチュワーデスはその典型例でしょう。彼女らは「肉体労働者」である前に「感情労働者である」のだと著者らは指摘します。
「感情を管理するとはいったいどういうことなのか」、「こころが商業化されるとはどういうことなのか」、本書はとりわけサービス産業に従事する人に、思索のきっかけを与えてくれる本でしょう。
紙の本
個人の資源とその所属について
2020/11/24 11:03
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投稿者:ペンギン - この投稿者のレビュー一覧を見る
アカデミックな論文調の構成ですごく読みにくいのだが、「あー、あるある」と思うところも結構あって何とか読めた。例えば、第9章の本来性の研究のところで、「企業は、こうした個人的な資源を会社の財産として利用することを希望しているのである」という記述は、すごく共感できた。このことは、感情労働に限らない。
企業の要求の内面化、深層演技のレベルで管理しようとする姿勢は現代社会に大きな問題を投げかけていると思う。本書では取り上げられていなかったけれど、現代日本でいえば、就活性が自分探しで迷走するのも、企業が感情管理の面で都合の良い労働者を求めることが原因なのではないだろうか。
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感情の構築性
2001/12/04 18:35
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投稿者:yk - この投稿者のレビュー一覧を見る
感情の構築性を「感情労働(emotional labor)」という点から指摘した書。感情労働論は、労働の特定の場面において、それにふさわしい特定の感情を表出するルールに基づいて感情が成立するという点では、感情を社会的に構築されるものとする立場に経つものではあるが、一方で、そのような感情ワークを虚偽の感情の表出を強いられる疎外的な労働と位置づけるという見方には、感情のワークとは別のところに「あるべき感情」を想定しているフシがある。
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感情表現が人間関係ならびに商品として売買される姿を具体例を交えて叙述。「感情労働」に商品価値はつけられないが不可欠の商品として交換されていること、ジェンダー等によって配分されている…というのは納得。
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心をこめたサービス提供を受けていると客に感じさせるために、サービス提供者が自分の心理を操作する。操作方法についての聞き取り調査結果など。遺族も世間に対して「平気な顔」を作る必要がある場合には心理を操作する。しかし、サービス産業のように外部からのプレッシャーというわけではない点で異なる。
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図書館所蔵【141.6HO】
卒業研究などで「感情」というものを扱ってみたいとおもっている学生がいたら、まずは一読することをお薦めします。対人援助者の「感情労働」というものが注目されて久しいですが、その出発点がこの本です。
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原題"The Managed Heart: Commercialization of Human Feeling"
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スタニスラフスキィの「俳優修業」が出てきたのには驚いた。が、演技の見事さ、美しさ(コクラン派)からイマジネーションを訓練し、感情から滲み出る演技をシステム化した彼の手法は今でも標準的な演劇手法として用いられており、ここに出てきても不思議では無い。
接客において、感情を一定に調整される事が求められる実態の報告書。それを分かりきっているサービス業で、感情労働から来る問題にどう対応するべきかのレシピはこの本には無い。ただ、下記の文からその深刻さは分かるのではないだろうか。
「工場労働に携わる少年の腕は、壁紙を創る機械の部品のように働いていた。雇い主は少年の腕を一つの道具とみなし、その速さや動き方を制御する権利を主張した。この状況では、少年の腕と精神との間には、どのような関係があるのだろうか。彼の腕は、ほんとうに彼自身の腕だと言いうるだろうか?」
さて、職場で適切な「感情」が教育される時、人は表面上の感情からその空虚さに耐えられず、内面の感情自体まで調整する(顧客の態度に苛立った時、きっと相手にも嫌な事があったに違いないと想像してみるとか)。それが一つの商品として行われるなら、少年の腕よりパラドックスは深刻ではないか。つまり、あなたの感情は本当にあなたの感情だと言えるのだろうか。その時、アイデンティティに危機を覚えない人がいるだろうか。
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目 次
まえがき vii
謝 辞 x
第一部 私的生活 1
第1章 管理される心の探究 3
第2章 手がかりとしての感情 25
第3章 感情を管理する 39
第4章 感情規則 64
第5章 感情による敬意表明│贈り物の交換 87
第二部 公的生活 101
第6章 感情管理│私的な利用から商業的利用へ 103
第7章 両極の間で│職業と感情労働 158
第8章 ジェンダー、地位、感情 186
第9章 本来性の探究 212
付 録 227
A 感情モデル│ダーウィンからゴフマンまで 228
B 感情の命名法 253
C 仕事と感情労働 264
D 地位と個人に関するコントロールシステム 270
注 271
訳者あとがき 296
参考文献 319
索 引 323
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感情社会学という領域を新たに切り開いたともいえる著作。
原著は1983年出版だが、もう立派な古典といえるのではないだろうか。
アメリカの最大手航空会社デルタ航空の客室乗務員を主とした聞き取り調査によって、感情が商品となっていく「感情労働」の実態を描き出している。理論的な裏付けにはC・ライト・ミルズやゴフマンが用いられ、ただのルポルタージュにとどまらない厚みを加えている。
会社にも社交にも縛られていない、ほんとうの、自然の感情を私たちがこれほどまでに求める理由は何であろうか。それは、自分にとってそうした感情があまりに珍しいものとなってしまったからだ。日常は表層、深層の両極でしつらえられた感情ですっかり覆われてしまい、ほんものの感情を追いかける道筋はどこにつながっているとも知れない。
ゴフマンが言うような「裏極域」などもはや想像することも困難な時代に生きる自分にとって、強く迫り来る一冊だった。ハードカバーではあるが200ページちょっとなうえ、文体もとても読みやすい好著。
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サービス労働における労働者の感情動員という問題を、「感情労働emotional labour」という語によって初めて提起した画期的研究とされる。
生産労働においては、労働者が生産するものは生産物の目に見える状態であるが、20世紀に著しく増大したサービス労働においては、労働者が生産するのは、顧客の満足という心の常態である。そのような労働において、労働者は相手の感情を操作するとともに、自分自身の感情をもまた適切に管理することを求められる。
サービス労働のこの側面を詳しく研究するために、ホックシールドが主な観察対象とするのは、航空会社の客室乗務員たちである。そのほとんどが中流階級以上の白人男性である顧客の好みに適合するように、会社は「優雅な礼儀作法と人間的なもてなし」を兼ね備えた理想像として南部の白人女性のイメージを宣伝し、それに沿って労働者を採用し訓練する。彼らが私宅の応接間で女主人に迎えられたと感じられるように、客室乗務員たちは「心からの」笑顔で対応するよう求められるのである。ホックシールドは、客室乗務員たちが、航空会社が顧客に売り込む幻想と、顧客からの身勝手な期待、競争激化による過重労働、会社による管理統制という矛盾する要求に対応し、あるいは抵抗するために、いかに自身のアイデンティティも使いこみながら、他人と自分の感情を操作しようとするかを詳細に描き出している。
さらに、相手の中に恐怖や動揺を引き起こすようふるまう集金人の事例も検討される。これは客室乗務員とは対極にあるが、会社の統制下において、自己の感情を管理しながら他人の感情を操作する、ある程度マニュアル化された対人サービス労働を行うという点では同じである。ホックシールドによれば、保育士や医師、弁護士、外交官といった専門職もまた感情労働を行うのであるが、彼らは雇用者の直接的統制に服すかわりに、非公式な職業規範と顧客からの期待を参照しながら自己統御を行っている点で異なるという。
ホックシールドの議論における重要な点は、サービス産業における感情労働の組織化に先立って、人々は私的領域において、階級やジェンダーによって異なるかたちで、感情管理の技術をある程度発達させているという指摘である。ホックシールドはこれを「贈与経済」のモデルで説明する。すなわち、人々はたんに集団のルールに沿って感情をやりとりするのではなく、権力や権威の不平等な配分に応じて、感情をやりとりするのである。権力を持つ者は自己の感情を抑える必要なく好きなままにふるまったり、あるいは他人を自己の権威に服従させるような感情の操作を行うだろう。一方、資源と権力を持たない者(その多くは女性)は、経済的援助と引き換えに自己の感情を資源として利用せねばならず、時には自分の深層感情を変容させようとさえする。他人から自身の感情を尊重されないことに慣れること、地位の高い相手に適切に表敬するために女性たちが私的領域で身に着けた技術は、自然な「女らしさ」として公的労働の領域に流用され、サービス産業の資源として利用されるのである。客室乗務員の女性に「ハラスメントに対する我慢強さ」が想定されていたという指摘は、同じ時期、生産労働の新国際分業の���開において、途上国の女性たちの「器用な指」が自然化され、動員されたという指摘を思い起こさせる。「資本主義が、感情を商品に変え、私たちの感情を管理する能力を道具に変えるのではない。そうではなく、資本主義は感情管理の利用価値を見出し、そしてそれを有効に組織化し、それをさらに先へと推し進めたのである」(P.213)。
この議論では、資本主義による組織化に先立って、人々はすでに私的領域において。自己の感情を管理し操作する主体として現れている。だが一方で、ホックシールドは、感情労働に従事する親が、その規則に則って子どもを教育するとも述べていた。中流階級の子どもは、自分が他の人にとって重要な存在であり、したがって感情規則に従って自己の感情を管理することが成功への道であることを教え込まれるのに対し、下層階級の子どもは、自分が他人にとってとるに足らない存在であり、感情の管理よりも行動の管理が必要であることを教わると。こうした主体化のプロセスは、アルチュセールが指摘したように、すでに近代資本主義の中に書き込まれているとは言えないだろうか。
ホックシールドの専門は社会心理学なので、サービス産業や資本主義の変容にはあまり注意が払われておらず、私的領域における感情管理についてもやや自然化しすぎているのではないかという気もするのだが、高度資本主義社会と主体化という観点からも、非常に興味深い。
1983年に原著が出たこの研究は、主に1970年代のアメリカにおけるサービス労働を対象としていたが、資本主義はいっそう個人の主体の統制を深めてきている。多くの著作も出ているが、その原点にあたる本著は、今でも読む価値がある。
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医療系職種の労働と同じく、介護労働は様々なアスペクトの複合体といえる。介護離職ならぬ介護「職」離職が話題にのぼることがある昨今、介護労働における感情労働の側面について、法人役員や管理職は認識を新たにする必要があるだろう。
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客室乗務員の仕事をすることで、彼女は感情労働の社会的制御に対してより無防備になっていき、感情労働を自分自身で制御する能力が衰えていく。
感情規則 ”私が感じること”と”私が感じるべきこと”
私たちすべてが感情規則を同定する時の様々な仕方
自分がその感情規則に同調していないことに気づくときの仕方
”あるべき感情”は、”実際の感情”と戦っている。
自分の感情がどの程度”妥当”なのかについて。
「彼女は単に自分が感じたことが気に入らなかった」−もっと違うように感じたかったのだ。
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読んでいて、飲食店経営や○バクロを思い出した。○バクロというと僕は○タゴニアもセットで浮かんでくるのだが。フォーディズムVer.21というか。資本主義の問題と騒がれるものは大抵、フォーディズムの問題だろうと思うのだが、、、この場合、ダメなのは、私たちの態度だったりするんで、突けないのかなと思う。スケジューリングとかもすごいでしょ。自由業でもそう。一点に向かって、一本道。プランBとか丸むし。こういう態度を受け継いでいてはいけないと思うし、こういう挙動が経営になれば、そりゃそうなるよと、、、
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論文の体裁に近い学術書であり、あまり読みやすくはない。
ただ、だからこそ、調査対象を客室乗務員にほぼ限定し、彼女たちが抱えさせられる感情労働とストレス性に深く切り込んでいったことが、問題をより明確にし、またジェンダー格差の背景まで迫ることを可能にしたのだと感じた。