紙の本
科学者の建設的姿勢に感心
2016/08/09 18:57
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投稿者:わびすけ - この投稿者のレビュー一覧を見る
ニセ科学の批判だけでなく、科学者のアピール不足や啓蒙活動の必要を訴えているのはえらい。こうしてみると科学者側の方が新陳代謝が早く、ニセ科学の方が旧態依然でマンネリだとわかる。と学会もパッとしない現在、もう少しエンタメのテイストも欲しいところ。
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なるほど、マスコミは教えてくれないことが多いのですね。
2012/01/27 23:29
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投稿者:とりちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
「発ガン率」や「放射能」のお話はなかなか面白かったですが、「科学哲学」の件は抽象的過ぎてやや退屈でした。最後に「疑似科学商品など」の個別取扱がありまして、いろいろな「科学とは呼べない(インチキ)商品」について、ひとつひとつ突っ込んでいく件もなかなか面白かったです。
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2011/9/28 札幌のジュンク堂丸善にて購入。
2011/10/1〜10/8
シノドスによる初の科学に関する書籍。
科学と非科学なるものの違いは何か?科学的な情報とどの様に付き合うべきか?などとてもしっかりと論考されている。健康食品デマや、3.11以降の放射性物質デマなど、我々の日常には科学をある程度理解していないとダマされてしまうことが多いのは事実である。科学で飯を食っている者の1人としては忸怩たる思いもあるが、やはり文系、理系問わず科学に対するリテラシーを向上させないと、なかなか厳しいだろうと思う。本書はそういう意味でも役に立つ良書である。が、ちょっと一般の人には難しい部分もあるように思う。
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遺伝子組み換えの話も少し載っている。おおむね原発事故関連で関心を持って買ったのだが、より幅広く知識を得られそう。にしても、GMはカルタヘナ議定書をはじめ、あれだけの努力と無害の実績を重ねても未だに受け入れられないわけだから、原発はもう無理かもわかりませんね。
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TBSラジオで大宅映子が紹介していたので布団の中でAmazonに注文したら,その日の夕方に届いた。
この本はお勧めである。
世の中のデタラメさがマスコミによってどうやって作られるかとか,デマの実態分析とか,なかなかためになる。
付録では,煽りジャーナリストとか,デマを積極的に流す人の実名を書いて欲しかった。武田某とかなのかな?上杉某も?
10/15 18:00 amazonから到着
10/16 午後から読書開始; 10/19 読了
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自分にとっては、目から鱗が落ちるようなことが書かれており、とても有意義だった。多くの人、すなわち、市民だけでなく科学に関わっている人にも読まれるべき本だと思う。
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1章: 説得の仕方は様々。相手に考える余裕を与えることが必要。科学的な説明だけで納得してもらえると思ったら大間違い。
2章: 疑似科学、すなわち、信用できる方法論があるのにそれを使わないもの。
3章: ゼロリスクなんてありえない。けれど、「市民」はそれを求めてしまう。マス・メディアによる報道をもっと疑ってかからないといけない。自分で調べることが重要。
4章: これからの科学者って大変だと思う。これまでは研究費を取るために官や産だけを相手にしていたのが、市民の理解だけでなく意見を取り入れなければならない。そのためのコミュニケーション能力が要求されている。
付録: 多くのデマやインチキにあきれる。特に、インチキなことを考える智恵があるなら、この智恵をもっと正しいことに使って欲しい。
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震災後,政府不信とともに科学不信が蔓延していて,その結果いかにも胡散臭い情報に引っかかって騙される人が増えているようだ。その処方箋。
今回の原発などの問題は,科学自体の信頼性を損なうものではなく,科学が用いる方法論の有効性は,微塵も揺らいでいない。科学が有用であり,科学なしに現代社会の存続はありえないということは明らかなのに,従来の科学を忌避して損をするのはもったいない。
第一章は,ニセ科学の批判をずっと続けている物理学者の菊池教授が執筆。ニセ科学とは,科学でないのに科学を装って一般の人を騙す言説だ。血液型性格診断,マイナスイオン,『水からの伝言』,ホメオパシー,ゲーム脳等。巧妙な宣伝で信奉者を獲得している。
実は科学を非科学からどう峻別するかという「線引問題」には決着がついていない。でもだからといって極端な相対主義に走ると,「科学とそうでないものの区別など存在しない」となってしまって意味がない。ここでは「多くの科学者が科学と思うものが科学」という認識で話がすすむ。
科学とは,「再現性のある客観性的事実」で,メカニズムが未解明なだけではニセ科学とは言えない。ここでは「客観的」というのがポイントで,主観的な経験を短絡的に事実と結びつけるやり方はもちろん科学でない。超伝導のように,現象の確認が先にあって,あとから理論的説明が付いてくることも多い。
ただ,科学的に考えにくい出来事でも「自分は経験した」という人は存在する。そういう個人的体験を全否定することは間違い,と菊池教授は言う。個人的経験はその人にとっては本物。ただそれと科学とを別に考えてもらえるようにするのは,なかなか難しいんだろうな。
第二章は,科学哲学者の伊勢田哲二准教授。線引問題に詳しく,以前読んだ「疑似科学と科学の哲学」はとてもよかった。この著書を含め,科学哲学が従来取り扱ってきたのは,物理や天文学,生物学,化学などの事実解明的な科学。それをモード1科学と呼ぶ。
モード1科学を支える価値観は,CUDOSと言われるそう。共有主義,普遍主義,利害の超越,組織的懐疑主義。発見を共有し,えこひいきや利害を排除して,研究内容のみを鵜呑みにせず吟味して評価するという態度。これが重要なのだが,モード1に属しない科学でこれを徹底しようとすると不都合が。
モード1に属しないモード2科学とは,「応用の文脈における知」を指す。この場合,超領域的な状態が避けられない。すなわち産学連携のように,モード1科学的な価値観に属している以外の人たちも関わってくるので,CUDOSに忠実であることより問題解決が優先されてくる。
モード2科学では,「今は証明不十分でも問題解決につながるから使う」という姿勢が擬似科学と共通してくる。モード1,2の科学,擬似科学の間の関係はグラデーションで,はっきりとした境界はないが,明らかに科学の範疇に入るものと,明らかに擬似科学であるものの区別をつけることはできる。
それは「信用できる方法論があるのに、それを使わないようなもの」が擬似科学,という分類法。代替医療なんかも,信頼できる検証方法である二重盲検法で効果が見いだせないのに効果を主張する。有用な伝統的知識が発見され,広く利用されることがあるが,取り入れる側の態度が科学的であることが大事。
第三章は,松永和紀氏による「報道はどのように科学をゆがめるのか」。報道は注目してもらえなければ意味がない。そのため,人々に受け入れられやすいように問題を極度に単純化し,センセーショナルに恐怖を煽る傾向がある。科学者を登場させて「こういう説もある」と紹介すれば報道機関の責任は軽い。
エコナ発癌性問題(定量的検証を欠いた議論),遺伝子組み換え(組み換えナタネとイヌガラシの交雑騒動)などの事例を通じて,警鐘報道がもたらす擬似科学の独り歩きを指摘。メディアは誤報を訂正しないので(訂正情報はニュースバリューがない),科学的に間違った認識が社会に残り続ける。
第四章では,サイエンスコミュニケーションのありかたを問う。イギリスでは,BSE騒動の反省(信頼の危機)から科学コミュニケーションにおいて大きな方針転換があった。従来の「理解」重視から「対話」重視への転換だ。これを参考に考える。
伝統的な科学コミュニケーションでは,一般市民の科学理解(PUS)といって,知識のある者からない者へという一方的発信が主流だった。「正しい理解を広めれば不安はなくなる」とする考え。しかし,これではうまくいかなかった。この状況はいまの日本と相通じるものがあるなぁ。
科学への信頼を再構築するためには,科学者,政府,産業,市民の間の双方向的対話や,政策決定への参加を重視する「公共的関与」が必要になってくる。科学技術に関する意思決定を,誰がどうやって行なうのが良いのか,それも含めて議論していかなくてはならない。ただ,議論の前提として,一定のリテラシーはやはり求められるよね…。そこはやはり教育しかないのではという気がします。
付録に,片瀬久美子氏の「放射性物質をめぐるあやしい情報と不安に付け込む人たち」も収録。マクロビ,EM菌,米のとぎ汁乳酸菌…。…怪しすぎです。シノドスジャーナルで一部が読めるので,未読の方はぜひ。
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科学とニセ科学の境界問題,科学の周辺領域,メディアにおける科学の取り扱い,科学技術コミュニケーションの考察など。勉強になりました。付録として,放射能関連デマ(主にネット上)を紹介。
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学校で教わる理科のイメージとは異なり、科学の問題に確定した答えがあるとは限らない。科学にも不確かな面があり、そのことが科学不信をもたらすことがあるという。しかし、不確かな面に切り込んでいくでいくためにも科学的思考の訓練が必要となるのは間違いない。科学不信を取り除くには専門家と一般市民とが双方的に対話する場を作っていくことが重要だと指摘している。
安全性の基準は必ずしも客観的かつ不変的なものでなく、当事者のおかれた状況などによって異なってしかるべしという記述になるほどと思った。
5人の著者による解説を足し合わせたものだが、それぞれ内容があってよい。
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最初に科学と疑似科学について知りたい人にはオススメ。かなりとっつきやすい本。
いかに自分たちがリスクゼロを望み、その結果二項対立で物事を考えてるかが分かる。
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ルセインコ問題
マイナスイオン
水からの伝言
ゲーム脳
疫学的思考ー4つの事象のデータを揃える
エコナの発売停止
遺伝子組換え作物
ホルミシス効果
ホメオパシー
マクロビオティック
EM菌
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理科系科目が好きでないとか不要だという人にこそ読んでほしい。で、感想聞かせて。これからの科学には、目に見えないものなんか信用できるか!という人が必要です。絶対に。
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僕自身はまだ無能感に囚われている段階で、社会の昏さに戦いを挑む気にはなってない。この本も、本当に読むべき人には届いてないだろう。
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科学とニセ科学とか、メディアの報道とか、「理系じゃないもん」っていう人こそ読むべき。
わかりやすい、だけを求めるのは、危険。
実は、ゼロかイチか、で割り切れないのが、科学。
大きく考えれば、情報リテラシーの話だと思います。どんな情報を信じるのか、どういう風に情報を信じるのか。
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「科学」はれっきとしたプラスチックワードであって、その実よくわからないままに私たちはそれを使用している。そのことを嫌でも反芻せざるをえなくなったのが、東日本大震災と原発問題なのだろう。第4章の科学コミュニケーションの問題は、政治教育と公共性の問題とも似たような構造を感じた。(いずれも、これまでは「おかみ」に与えられるものだった)科学にまがいものでない「根っこ」を与えようとする、適格な書ではないだろうか。文体も軽快で、すらすら読めた。