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投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
田舎暮らしの少年が突如としてロックに目覚めていく姿が思い浮かんできました。当時の世相や流行が伝わってきました。
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オクダ少年のロックな日々!?私は疎くてほぼ知らない世界なのですが、それでも十分に楽しめました♪
ちなみにツレは、ほとんど知っているようでしたね~w
聴いてみたいアルバムもあったので、ツレの膨大な・・・というより整理されていないコレクションのなかから発掘してもらわないとww
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奥田さんが中高生だった頃にロックと共に育ってきたというエッセイで、さすがに詳しく面白かったんだけど、「中学の校則が厳しく、衣替え前の5月に上着を脱いで叱られた」ことと「東京への修学旅行が新幹線でなく在来線だった」ことで、直木賞受賞後に卒業中学校から講演を頼まれたけど絶対に喋ってやらない。みたいなことが書いてあって、それ以外に育ててもらったことへの恩は感じてないのか?と、残念でした。
こういうエッセイだったら読みたくなかった。
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本作は、奥田英朗さんによる洋楽エッセイ集である。田舎の中学生・オクダ少年が、少ないお小遣いと環境にめげず、いかにロックに夢中になったか?
オクダ少年と同様に、洋楽に夢中になった少年時代を送った読者には、気持ちがよくわかるし、懐かしさが込み上げるだろう。僕が最初に友人からテープにダビングしてもらったアルバムは、マドンナの「Like a Virgin」だったと記憶している。それから一気に洋楽にのめり込み、毎週の全米チャートのチェックを欠かさなくなった。
各編のタイトルは有名アルバムから取られているが、その1作を掘り下げるのではなく、オクダ少年が情報収集に苦労したり、名演に狂喜乱舞したりする様子が雑多に描かれている。うん、そうだよなあ。中学のとき、洋楽好きの友人はクラスに2、3人だった。FMのエアチェックも試みたけれど、あいにく我が家は電波の入りが悪く…。
僕は単なるミーハーだったが、オクダ少年は筋金入りのマニアックだった。チャートを追うなど早々に放棄している。一方で、新しい音にも貪欲に飛びつき、興味が次々と移る。飽きっぽいとは敢えて言うまい。若者ならではの吸収力と柔軟さのなせる業。
本作は1977年で終わっているが、奥田さんは1978年以降は商業主義だと斬り捨てている。僕が最も洋楽に夢中になっていたのは’80年代だが、’90年代に入るとチャートのチェックはやめてしまった。僕の興味は、どんどん過去に向かうことになる。結局誰でも、10代の頃に聞いていた音楽に、いつまでも思い入れがあるものだ。
近年、ビートルズを筆頭に、洋楽の名作のデジタルリマスター化が相次いでいる。かつての洋楽少年がターゲットなのは明白だ。データだけが売買される現在、洋楽はもはや憧れの対象ではなくなった。ジャケットも含めて作品だなんて、古い考えなのだろう。
最後に収録された短編は、オクダ少年の青春そのもの。若者にとって音楽が必要なくなったかといえばそんなことはない。彼らは彼らの好きな現代の音楽を、校内放送に乗せたいに違いない。我々中高年は思い出に浸って生きる。それでいい。
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自我が確立されゆく思春期にロックにハマり、
親や教師の干渉から逃れロックにのめり込んで行く、
片田舎に住む奥田少年の、輝かしい青春時代が描かれている。
わかる、わかるなぁ。みんな経験するよね。
この時期特有の、過剰な自意識が作り出すこっぱずかしさや、
こまっしゃくれた感じを思い出し、身悶えするほど懐かしいのである。
(音楽に限らず)あの頃心を揺さぶられたものが、
今の自分の根っこを作っているような気がする。
他の作品を読み、作者に対し、ひょうひょうと生きる自由人というイメージを持っていたが、
当らずとも遠からずかな?
そのアイデンティティーの根っこは、こんなふうに形成されたんだなぁ。
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小説かと思ったらエッセイでした。
作者の青春の思い出にまつわるロック話が多いため、
作者と同世代の人なら楽しめると思います。
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久しぶりの奥田エッセイ。期待通りに、いやそれ以上に面白かったー。好きだなあ。
著者がロックおじさんであることは知っていたが、その始まりとなる中学から高校までのゴールデンエイジのことが語られている。同い年である私には、ああそれよくわかる!というエピソード満載。①田舎育ちの②50代で③多少なりとも「洋楽」に興味のあった人は、心から楽しんで読めるはず。ディープパープルやツェッペリンに魂を奪われた人なら、悶絶ものでは? これに当てはまらなくても、一風変わった青春記として十分読む値打ちがある一冊だと思う。
レコードを買おうにもお金はなく、町にレコード店と呼べるほどのものもなく、そもそも家にステレオもない。そんな中学生がロックに目覚め、ラジオにかじりついて好きな曲を何とか聴こうとする。念願のステレオを買ってもらったときの天にも昇る心地、高校生になり初めて行ったライブのめくるめく興奮、やっとの思いで買ったレコードがスカだった時の激しい落胆。いやいやまったく、ロックに限らず、昭和の(田舎の)子供は好きなものが容易には手に入らなかったものよ。情報もすごく限られてた。オクダ少年の喜怒哀楽はまことにうなずける。
私自身はロックにさほど興味がなくて、「洋楽」との出会いはカーペンターズやミッシェル・ポルナレフ、その後ビートルズ、流行ったのはそれなりに聴いたけど「ホテル・カリフォルニア」止まりであった。奥田氏の当時から今に至るロックへの「愛」と傾倒ぶりに感嘆しつつ、そういうマニアになる人とならない人との違いを指摘した次のくだりに、かなり納得した。
「わたしの印象では、洋楽ファンの枝分かれは、このインプロビゼイションに反応できるかどうかだったような気がする。延々と続くギターソロやドラムソロを退屈に感じる少年少女も当然いるわけで、そういう子たちは演奏よりも曲が好きだったのだと思う」
マニアではない身にとっては、当然ほとんど知らないミュージシャンの名が次々登場することになるが、絶賛したりクサしたりするその評がとても面白いのだ。知らないのにねえ。各章の終わりについているレコード評も、字が小さいのにみっちり楽しんだ。やっぱり愛があるからかなあ。難解とされるライ・クーダーについて「世の中にはこういう高等遊民がいないとそれは味気ないもので」と述べているところなんか妙に心に残った。
奥田英朗といえば、偏屈で鳴らしているわけで、ここでもそれは遺憾なく発揮されている。
プロフェッショナルな熟練の技を尊敬するゆえ、パンクも社会派も大嫌い。アイドルにも同じ理由で無関心。
「学芸会レベルの歌と踊りに夢中になる心理がまるで理解できない。あんなものがクール・ジャパンとは国辱もの」「日本人は永遠にコドモですな。ははは」
音楽性と商業的成功との兼ね合いについて書かれたところも面白い。
「さり気なく問題発言をするが、売れるというのは馬鹿まで相手にするということである。スタジアムでライヴをやるようなミュージシャンは、それを引き受ける図太さ(あるいは強烈な自己顕示欲)がなくてはならない」「(売れるというのは)聴き手のリテラシ��を不要にするということなんですね」
これって音楽に限らないわけで、奥田さん自身、作家としての自分のポジションについて、ロックシーンにおけるスティーリー・ダン(えーっと、よく知らないですが)が憧れだと書いている。
「一年に一作ぐらいのペースで本を出し、それなりに売れて、評価もされ、長く愛してくれるファンがいて、裏切らない。ああ、そんな作家でいられたら--。わたしはずいぶん虫のいいこと書いてるなあ。ははは」 まったくだ。ははは。
それにしても、こういうものを書いて、同世代にしか通じない懐かし話にならないのはさすがである。その上で、同い年としてはやっぱり、つまらん小ネタに喜んじゃうのである。わたしも放課後の教室でコックリさんをしてキャーキャー言ってた中学生だったし、石橋正次の「夜明けの停車場」を今でも歌えるよ、奥田さん!
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奥田さんのロックンロールにかけた中学・高校時代のエッセイ。
同郷同世代の私には頗るよく分かる時代背景。
そうそうそうだった!の共感の連続。
ただオクダ少年ほどロックに興味はなくちょっと残念。
奥田さんのロック心酔度は半端なく、今でもあの時代のロックを熱く語れるのだろう。
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1972年~1977年までの、奥田氏中1から高校3年までの洋楽ロック青春記。
同じようなものにイラストレーター牧野良幸氏の「僕の音盤青春記1971-1976」がある。牧野氏は愛知県岡崎市。奥田氏は岐阜県各務原市。牧野氏のも中学から高校にかけてのもので、70年代に、田舎で、中高時代に洋楽に目覚めのめり込んでゆく、という図が描かれている。同じ時期、同じような田舎で、ラジオから、何か今まで聴いてきた日本の音楽とは違う、聴いたことの無い、ワクワクする音とで出会う、このワクワク感、初めて経験する、というこれが青春だろう。
奥田氏は、中一になり小遣いでラジオを買う。最初は南沙織や天地真理などの歌謡曲、そしてフォークに移り、AMラジオにリクエスト葉書を出す。半年もすると外国のポップスに心をとらえ始める。「木枯らしの少女」「愛するハーモニー」「気になる女の子」・・ これら外国の音楽に惹かれた理由を「なぜかしらん、自分でもよくわからん。西洋に対するあこがれがあったのか。」「外国のポップスを聴くと、日本の音楽はどれもみすぼらしく感じ、もう歌謡曲にもフォークにも戻れなくなった」とある。英語に関しては「ボイス、楽器として聴いている」と。ここがまったく同じだ。
日本語の歌が好きな人にはよく、意味もわからないのに、といわれるが洋楽に夢中になるタイプは、英語、歌詞の部分は楽器として聴いているのである。ここのところが、邦楽派か洋楽派かへの分かれ目ではないか。
奥田氏がロック好きなのは小説のはしばしからこぼれていたが、この本でそれが明かされる。当時外タレ(古語ですか)は東京にしかこないものと思っていたが、名古屋にはけっこう行ってたんですね。氏は高校時代にクイーンとかサンタナを名古屋で観ている。
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少年期、ロックンロールで育った世代にはたまらにエッセイ。ディープパープルのライブインジャパン。自分も脳天をぶちのめされた一人。震える狂熱と興奮が鮮やかに蘇ってくる。ハイウェイスターは何百回と聴いた。奇しくも同楽曲は自分も初めて聴いたのはライブインジャパン。後で聴いたマシンヘッドが冷めたピザに感じられたという件は激しく頷いた。あくまでもクイーンⅡが最高傑作でオペラ座の夜にはどうしようも馴染めなかった。歌詞がわからない分、無限にイメージが拡がり空想を楽しめたこと・・・・・・・・どれもこれも自らに思い当たった。頷きすぎて首が腱鞘炎になるかと思ったくらい。
とりわけ、この件はとことん痺れた。「私は基本的に学校が嫌い。同じ服を着させられる。整列させられる。それだけのことに屈辱を覚え、反抗したくなる。自由を規制し、単一の価値観を植え付けようとする権力の支配を心から憎んでいる。故に自分とロックとの相性の良さは必然と言えるものである。」自分とロックの関係性が明瞭な輪郭をもって胸に迫ってきた瞬間でもあった。
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本書は、ボクにとっての憧れの時代をニッポンの片田舎でリアルタイムに過ごしたロック少年、奥田英明のエッセイである。
ボクが洋楽に興味を持ったきっかけは1年上の先輩のバンドが奏でるメロディーだった。
多分、文化祭だったのか謝恩会だったのかその出し物としてバンドの練習をしていたんだと思う。
ボクは毎朝校舎の中庭でテニスをしており、そんな中、中庭を囲む音楽室のほうから聴き慣れないメロディーが流れてきたのだ。
後で知ることになるその曲はJOURNEYの♪Don't Stop Believin'♪だった。
出だしのピアノのメロディーに、なんだこれはっ!?とまさに天啓のよぉ〜な出会いだった。
以来、ボクは当時のFENのヒットチャートを毎週心待ちにし、ミュージックライフを初めとする音楽誌を貪り読んで情報収集に励むガキとなる。
若干こじらせ始めるのはRainbowに出会い、Deep Purpleに先祖返りしてパープルファミリーに手を出し始めたころから、完全にこじらせてHR/HMの暗がりに我が身を投じることになるのだが、それはまた別の話(笑)
まさに本書の主人公奥田少年と同様に田舎の洋楽少年ならではの情報への飢餓感や、中学生ならではの経済的な限界をどうやるくりするかなど当時の自分が思い起こされ、本書全編において当時の自分を観ているかのように面白可笑しく、そして懐かしさに満たされたまま読了した。
あとがきで作者はこういう。
『本エッセイは一九七二~七七年までの、わたしの洋楽青春期を綴ったものであるが、七七年を終わりにしたのはポピュラー音楽史においても必然だったとあらためて思う。ロックもソウルもジャズも、七八年になるとシーンがガラリと変わるのである。
ロックはAORと産業ロックへ、ソウルはディスコ・ミュージックへ、ジャズはフュージョンへと、まるで計ったように同時期に、それぞれが舵取りし、ひとことで言えば商業主義の産物となった。これまでロックの「ロ」の字も口にしなかった連中が、大学生になるやいきなりサーファーに変身し、「イーグルスって最高だぜ」なんてことを言い出した。まるでブティックで服を選ぶように、音楽もファッション・アイテムのひとつとなった。まったくもってクソな(しかし金になる)時代に突入するのである。だからあらためて、わたしはラッキーな世代だと思う。ロックの無垢な時代が、自分の青春期だったのだ。』
ボクがこの時代に憧れる所以である。まさにそうなのだ。
ボクが洋楽に目覚めたのはすでに産業ロックが確立し、さらにはMTV時代の幕開けと共にエンターテインメントとしての音楽が重視され始めた時期なのである。
故に、ボクの洋楽嗜好は高校・大学をかけて60年代後半から70年代のまだ不定型なものであり、実験が繰り返されていた時代のロックへと遡っていくことになる。
当時からの自分の音楽コレクションはCDから全てiTunesで管理されている。中学高校というまだ感性豊かな時代に洋楽に出会えてあらためて良かったと本書を読み終えて思った次第である。
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時代は違うのに自分の中高時代を書いてもらえてるみたいで端々で嬉しくなった。奥田英朗が好きなのは育った環境が似てるからかなぁと想像してたけど、本当に似てることが分かった。修学旅行の整列の練習をするのなんてうちの中学くらいと思ってたけど、他にもあったのか。
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図書館にて借りる、第303弾。
(神戸市図書館にて借りる、第112弾。)
奥田英朗による70年代のロックとその頃の思い出エッセイ。
ディープパープル、レッドツェッペリンくらいしかピンとこないが、それでも十分楽しめた。流石、奥田英朗。
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岐阜県各務原市という田舎町(作者曰く)で1970年代洋楽小僧が誕生したいきさつを、時代への哀惜の念を込めて描く
好き者にはたまらないだろう、と思われる一冊
鑑賞力の素地がないと退屈な大人になってしまう。鑑賞こそ趣味の王道という作者の意図が十分に伝わってくる
読後、LPレコードを処分したことを激しく後悔。早まったかぁ。チキショーッ!
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うむ〜奥田英朗の小説を楽しみにしていたが、少年時代の音楽に語るエッセイでちょっとがっかり。でも、同じ世代で音楽紹介は、懐かしい。途中で積読だが、もう読まないだろうな〜。