紙の本
五色の虹
2021/06/04 21:06
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投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
関東軍主導の満州国に優秀な人材を供給するべく創設された満州建国大学と、そこで学んだ学生たちの戦後について調べた本。
この本を読むまではまったくこの学校について知らなかったが、戦前の日本において例外的にマルクスや毛沢東の本なども読むことができ、言論の自由も保障され、教授には朝鮮独立運動のリーダーも加わっていたという。また、学生は半分が日本人、残り半分は中国人、満州人、台湾人、朝鮮人、ロシア人によって構成され、満州国の国是である「五族協和」を体現する人材を作り出すべく日々学んでいたという。この時代が現代に先駆けて多様性や国際交流を重んじていたとは言えないだろうが、現在にも通じるところはあると思う。
この本を読んで今まだ知らなかったこの学校について知る事ができたという喜びと、登場する人物の覚悟の凄まじさを知る事ができた。
紙の本
感動した。
2016/02/09 23:02
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投稿者:じゅんべぇ - この投稿者のレビュー一覧を見る
久々に「読みまくった」という読後感が残りました。
人と人との出会いに感動を感じます。
グローバリズム、という現代らしい問題が、実は過去にも(過去からずっと)あったことがわかります。そして、その歪んだ理想が簡単に挫折したことがわかります。
人生とはなんだろう、と考えます。
戦争とはなんだろう、と考えます。
そして、もう時間が迫っているのだ、と危機感を覚えます。
私たちの世代が、確実に残す作業をしなければならないのではないでしょうか。
「同じ失敗をする可能性がある」
心に刻みました。
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どんなに崇高な理念も、戦争の前では虚像化し、時には計略化する。建国大学も同じ。五族協和の実践場として設立されながら、その実態は矛盾と暴挙に満ちた満州国を操縦していくための「知的暴力機関」であったと言える。しかし、あえて言いたい。卒業生たちがそこで得た教養に嘘、偽りはなく、人としての真理そのものであったと。だからこそ、我々は彼らが辿ってきた戦後を正面から受け止め、彼らが築き上げた道や尊厳を守っていかなければならない。
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戦前の満州新京(長春)には、五族協和の理想を宣伝・実践するために作られた国際大学があった。各地のエリートが集められたその大学寮では毎夜、大学内だけに通用する「言論の自由」を得て、喧嘩のような議論が行われる。しかし、日本の敗戦のあとに卒業生たちはバラバラになる。彼らは或いはアカと言われ、或いは親日スパイと疑われ、厳しい戦後を過ごす。2010年から取材を始めて80ー90歳の最後の生き残りの声を拾っている。非常に貴重な記録があるのではないかと思って読み始めた。
貴重どころではなかった。私は「新たな日本の近現代史」を発見したのかもしれない。
満州建国の本質は植民地である。建国大学の本質は日本帝国主義の未熟で未完成な教育機関にすぎない。それを認めてもなお、そこで学んだ日本民族、漢民族、満州族、朝鮮族、モンゴル族の若者の理想のぶつかり合いが、見事な「友情」と「見識」を産んだのを、この本で私はまざまざと見せつけられた。
戦後、再び大学に入学して大学講師になった百々和(ももかず)91歳は、遺言を残すかのようにこう言った。
「建国大学は徹底した『教養主義』でね」と百々は学生に語りかけるような口調で私に言った。「在学時には私も『こんな知識が社会に役に立つもんか』といぶかしく思っていたが、実際に鉄砲玉が飛び交う戦場や大陸の冷たい監獄にぶち込まれていた時に、私の精神を何度も救ってくれたのは紛れもなく、あのとき大学で身につけた教養だった。」(101p)
「あの大学では毎晩、異民族の連中と『座談会』を開いていただろう。議論に参加するには知識や理論構成力だけでなく、何よりも勇気が必要なんだよ。自分の意見が常に正しいなんてあり得ない。時に論破され、過ちを激しく責められる。発言者はその度に自らの非を認め、改めなければならないんだ。そして、議論で何かが決まったら、その決定には絶対に従う。建国大学が当時、学生に求めていたことは、『時代のリーダーたれ』ということだった。それでは、『リーダーとは何か』と尋ねられれば、私は今もこう答えると思う。それは『いざという時には責任をとる』ということだ。リーダーに求められる資質とは、ただそれだけのことなんだよ。いざという時には、責任をとる。それは易しいように見えて実は難しく、とても勇気のいる行為なんだ。何かあった時に必ず自ら責任をとること。建大生はその点においては、徹底的にたたきこまれていた」(104p)
映画監督森崎東の兄の森崎湊の自決や、台湾の怪物李水清の世の中を観る眼力、抗日運動を組織した楊増志、韓国首相にまでなった姜英勲、『藤森日記』を遺した藤森孝一、彼らの人生を知ると、教養が彼らを死にいたらしめ生かしたのだとつくづく感じるし、70年経ってもなお一気に燃え上がる友情は、あの寮生活で育まれたのだと知るのである。
京大教授の山室信一は、日本人は近代史を日本列島史だと思っている、という。しかし、満州、朝鮮、台湾に生きていた人たちも日本の近代史を生きていたのである。私を含めて、日本人はまだまだ『発掘すべき近代史』を持っている。
私はこれまで、朝鮮や台湾を旅して来た。やはり数��は中国、特に満州だった処にいかねばならない。
2016年2月2日読了
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満州の最高学府であった満州建国大学は、5族協和をスローガンにし、日中韓露モの各民族から学生を集め、寮生活で朝から晩まで一緒に生活したという。短期間の学校だったが、言論に自由が認められていたこともあって心を通わし、戦後も交友が続いたという。
あるきっかけでその卒業生を知った新聞記者である筆者は、その卒業生を訪ね歩いて、幻の大学生活と戦後をどう生きたかを聞きとった半ノンフィクションである。
何しろ、卒業後65年ぶりに再会したとか、90歳近い人たちが対象で、ぎりぎり間に合った感がたっぷりある。当時の優秀な学生がそれぞれに困難な人生を歩んだことがよく分かり、歴史を考えさせる点でよくインタビューしている。
ただ、筆者の状況描写に決まり文句や常套句が多く、ノンフィクションが眉唾っぽく感じてくる。筆者の気持ちには囚われずに、事実だけを追うように読むのがいいだろう。
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かつて満州国に8年間だけ存在した国際大学があった。
全寮制で授業料は全額官費の上、月5円の「手当」まで支給され日本人はもとより中国、朝鮮、モンゴル、白系ロシア人がともに学び「言論の自由」が保証され毎晩「座談会」と称して本国政府の批判をしても咎められることがなかった。
通説では「表向きのスローガン」と言われる五族協和が本気で討論されていたスーパーエリートの養成学校であったが、日本の敗戦とともに学生たちは様々な運命と出会うことになった。
各国の同窓生の「その後」を追った戦後史の物語。
ある意味「あとがき」が一番感動を呼ぶ。
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建国大学生の「戦後」を、それぞれの出身地、卒業生の立ち位置から描く。
エピソードの集積で、新聞記者さんが誠実に書いたノンフィクションといった感じ。
もう少し学校そのものを描いて、立体感を出して欲しかった。
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毎年、『開高健ノンフィクション賞』はチェックし、今年の1冊がこの本でした。
歴史の時間に一度は耳にしたことがある「満州国」。恥ずかしながら、自分も傀儡国家くらいの知識しかなかったのですが、実はそこに東アジアの国々から優秀な学生が集められ、大学が設立されていたことは知りませんでした。
この大学の驚くべきところは、学内での「言論の自由」が認められていた点にあり、それぞれの出身国では禁書となっている本も自由に読むことができ、当時では考えられない国家に対する批判も認められていたということ。そんな中で学生生活を送った建国大学生も、当時の時代の波に呑まれることとなり、戦後は、高い能力を持ちながらも、数奇で過酷な運命を辿っていくことに…。
この満州建国大学は国策大学であったにせよ、現代から見ても国際化の進んだ大学であったと思います。その大学の研究をICUという日本で最も国際化が進んでいると個人的に思っている研究者が研究をしていたことに、運命めいたものを感じざるを得ませんでした。
この本で取り上げられている卒業生の多くが平均寿命を超えていることを考えると、あと5年遅ければこの本はこの世に出なかったと思う貴重な1冊だと思います。
~以下メモ~
(P70)人の生涯は信念と思想、行動を一貫して働くものである。
(P101)企業で直接役立つようなことは、給料をもらってからやれ。大学で学費を払って勉強するのは、すぐには役立たないかもしれないが、いつか必ず我が身を支えてくれる教養だ。
(P171)記録されなければ記憶されない、その一方で、一度記録にさえ残してしまえば、後に「事実」としていかようにも使うことができる。
(P326)「衝突を恐れるな」とある建国大学出身者は言った。「知ることは傷つくことだ。傷つくことは知ることだ」
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満州を途切れ途切れに追っている。
個人的な思い入れから始まった、『川端康成全集〈第20巻〉小説 (1981年)』中の「美しい旅」の派生読書である。少女小説「美しい旅」の続編「続美しい旅」(昭和16年~17年)には、時勢に配慮してか、満州の「五族」(日本人・漢人・朝鮮人・満洲人・蒙古人)の学校が登場する。日本が5つの国の取りまとめ役となり、5つの民族が協調して暮らしていこうという、「五族協和」「王道楽土」の思想のもとにできた学校である。「続美しい旅」の学校は、小さい子のものだが、大学があったのだと本書の新聞書評を見て知った。
その名は、「満州建国大学」。五族の優秀な学生たちを集め、有用な人材を育てようと設立された大学だった。集まった秀才たちは切磋琢磨し、議論が熱すると取っ組み合いの喧嘩をすることもあった。だが一夜過ぎればまた元通り、互いを高めていこうと励む「同志」だった。
日本の敗戦で満州国は消滅する。同時に、建国大学の卒業生たちも、さまざまな苦難を強いられる。建国大学出身者であるというだけで、裏切り者と冷遇され、さらには迫害される者。満州から故国に戻り、どん底からやり直す者。シベリアに抑留され、なかなか故郷に戻れなかった者。
幾多の苦難を受けつつも、その元凶であったともいえる建国大学は、多くのものにとっては懐かしい青春の場所であり続けた。そのとき抱いた夢に、嘘はなかったから。
本書は、5つの民族の卒業生たちの、「戦後」と「現在」を追うノンフィクションである。
著者は建国大学出身者の1人を知ったことをきっかけに、日本各地の卒業生たち、そしてアジア各地の卒業生たちの足取りを追うことになる。
思うように進まないことが多い取材を経て、まとめられたのが本書である。
ことの性質上、この主題にはもどかしさがつきまとう。
1つは、当事者たちが高齢となり、記憶にあやふやな点や齟齬が生じていること。
1つは、国によっては、政治的理由から、「真実」を語れない、糊塗せねばならない人たちがいること。さらには、このことに関して語ると身に危険が及ぶ怖れのある人までいた。
関係者の努力で事実のすり合わせがなされ、真実に近いと思われる事柄を書いた部分もある。一方で、著者がやむなくぼかして書いた部分もある。
建国大学での彼らの学生生活はどこか靄の中にあるようで、そしてまた卒業生自身が語る戦後も「語れる部分・語りたい部分」がデフォルメされているようにも思う。
全般にごつごつしてすっきりしない感触があるのは、インタビュイーにそれぞれの立場や主張があり、客観的な事実の文脈に乗せにくかったのも一因だろう。
だがなお、いや、だからこそ、この物語には、理屈を超えて胸を打つものがある。
満州国が掲げた五族協和は、今にしてみれば砂上の楼閣だったと言うほかはない。
しかしその旗の下に、建国大学に集ったものたちには、それぞれの民族の現状を踏まえた「理想」があった。そして何より、「若かった」。
空にかかる虹のように、夢と描いた理想は、終戦とともに虹のように消えた。
けれど、彼らの目にはまだ、その日見た虹が見えるのではないのか。
夢の美しさと現実の残酷さ。
そのギャップを見つめなおすこともまた、戦争を考えることの1つなのかもしれない。
*満州に関しては、ちょっと全体像がつかめていないので、概説の入門書(本書にも紹介されている山室信一「キメラー満州国の肖像」(中公新書)あたり?)をそのうち読もうかなぁとも思っています。
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帯文:”旧満州、最高学府、建国大学。「五族協和」を実践すべく、集まった若者たち。歴史の闇に消えた大学で、スーパーエリートたちが夢みたものとは。生きぬいた戦後とは―。”
目次:序章 最後の同窓会、第1章 新潟、第2章 武蔵野、第3章 南東京、第4章 神戸、第5章 大連、第6章 長春、第7章 ウランバートル、第8章 ソウル、第9章 台北、第10章 中央アジアの上空で、第11章 アルマトイ、あとがき
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全く知らなかった満州建国大学,その存在理念とその後の学生たちの人生に深く感動した.三浦氏の丁寧で誠実な取材に,この本を世に出したことに感謝する.たくさんの人に読まれるべき本ではないかと思った.
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五色とは、日本、中国、朝鮮、モンゴル、ロシアのことで、本書はその5つの民族=五族の協和をめざし建てられた「建国大学」で学んだ人々へのインタビュー記録である。ぼくはこの本が出た頃から気になっていたが、なかなか買って読もうという気になれなかった。しかし、だんだん読みたい気持ちが募り、つい先日名古屋で会議の合間をぬって近くの本屋で求め、すぐさま読み始めた。著者の三浦さんの文章は人をぐいぐい引きつける。臨場感がある。読んでいて目頭が熱くなることが何度もあった。建国大学は、満州国の建てた大学であったことから、批判こそされ、宮沢恵理子さんの大著『建国大学と民族協和』がでるまで、これをまともに評価するものはほとんどいなかった。そして、今回三浦さんが取材していなければ、卒業生の生の声を聞くこともかなわなかったかも知れない。実際、三浦さんが話の裏を取っているうちに鬼籍に入られた人が何人もいたほどだ。事実を重んじる三浦さんからすれば、このままでは出せないとまで思わせた本だったのである。建国大学の五族協和は満州国と同じく、現実には理想とは違ったものであったが、実際にその理想をめざす人々は日本にも他の民族にも多くいた。そこでは言論の自由が認められ、中国や朝鮮の人々は日本の政策を堂々と批判することもできたのだそうだ。本書で三浦さんが取り上げている人々の発言を読んでいて、建国大学で学んだ人々がいかに自分たちの祖国を愛し、「潔い」生涯を送ったかがわかる。この中で戦後韓国の大統領にもなった金載珍が語ったことばは印象深い。それは弱小民族であった朝鮮民族にとって、ソ連や欧州などの影響を考えた場合、やはり日本とともに五族協和をめざすしかなかったということばである。日本が本当の意味で五族の協和を実行していれば、戦後アジアにおいてもっと尊敬されたのにと思う。
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NHKマイあさラジオ「著者に聞きたい本のツボ」を聞いて大変興味深い本だと感じてさっそく読んでみました。満州国新京に終戦までの8年間だけ存在した満州建国大学のお話。「五族協和」のスローガンを実践するために、日本人学生の定員は半分とし、中国・朝鮮・モンゴル・ロシア人学生が寮生活を送る。「言論の自由が確保」された特殊な空間でした。寝床が各国学生が交互に配置されていたことも徹底してるなと感じました。このテーマで研究をしているICUの宮沢恵理子先生の発言からも「国際教育という面から見れば、かなり成功している」と発言があるほど、学生同士は卒業後もそれぞれの国の戦後の事情を乗り越え親密な関係を築いていました。卒業生のその後を各国を旅して取材するものの、「アジアの最高学府」を目指して立ち上がった大学の卒業生にしては、日本帝国主義の協力者のレッテルを貼られる中で、そこで培った能力に見合ったその後を送って来たとは言い難く、苦しい個々の話が続く、あるいは中国国内では取材の機会さえ突然中断される出来事も起こる状況でした。学生時代を懐かしく記憶していることは記者へのリップサービスではないと思いたいのですが、あまりにも辛い体験をしてきた場合、思い出して語り出すお話がどこまで正直な気持ちであるか分かりかねるところもありました。そこは著者が書き留めている本人の表情や態度から推測するしかなかったです。
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新聞の記事で「満州建国大学卒業者で、大学の悪口を言う人は1人もいなかった。」という文章を読んで、興味を持ちました。
「建国大学」は、日中戦争当時、日本が満州国に設立した、最高学府である。
日本政府が、その傀儡国家である、満州の将来の国家運営を担わせようと、日本、中国、朝鮮、モンゴル、ロシアの各、民族から選び抜かれた「スーパーエリート」が約6年間、異民族と共同生活を送るよう強制されていた。
「塾」と呼ばれる20数人単位の寮に振り分けられ、授業はもちろん、睡眠も運動も生活のすべてを異民族と実施するよう求められていた。
「建国大学」が他の大学と最も違うのは、戦前線中という特殊な時期に、モンゴル内で暮らしている、「五族協和」の為に、「言論の自由」が保障されていた事であった。
つまり、中国や朝鮮の学生達に、日本政府に対する激しい非難を認めていたのである。
そして、その毎晩行われる議論によって、民族の間に優劣等無いことがわかっていた、稀有な日本人になったのである。
しかし、超エリートの卒業生達は、その大学の特殊性の為に、卒業後自国で激しく迫害され、弾圧される。
高い学力と語学力を有しながらも、多くの学生が相応の職場につくことが出来なかったのである。
この本は、もう90歳を超えて時代を生き抜いてきた、卒業生たちを新聞記者が訪ね歩いたドキュメンタリーで、「第13回開高健ノンフィクション賞」受賞作である。
5か国の中でも中国の卒業生の生きざまはすさまじかった。
戦時中は抗日運動で、日本軍から拷問を受け、それも10人中9人が死亡する凄まじさ。そして、戦後は逆に共産党から迫害される。
それでも写真に写る笑顔は素晴らしかった。
何人かの切れ切れの記録であり、様々な事柄が多くて、読むのにすごく時間がかかった。
そして、感じたのはやっぱり戦争は誰も幸せにしないから、絶対してはならないという思いでした。
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