紙の本
盲目の皇帝が砂漠に去っていく姿にオイディプスの姿が重なります
2005/09/19 18:52
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みなとかずあき - この投稿者のレビュー一覧を見る
前作より12年が経過し、ポウルが皇帝として君臨する世界が舞台となります。デューン世界で12年という時間が1人の皇帝が君臨する時間として長いのか短いのかよくわかりませんが、エイリアが幼い女の子から女性に変わるくらいの時間ですから、きっと様々なことがあったのでしょう。前作の終わりでイルーランと政略結婚をすることを匂わせていますが、政略結婚だけで世界に君臨できるわけではありません。「聖戦」と呼ばれるフレーメンとアトレイデ家の兵士による侵略(?)戦争も一役を買っているはずです。ですが、そのあたりは登場人物の会話の中で語られるだけで、物語としては現れてきません。
そして、本作で語られるのはイルーランと教母に代表されるベネ・ゲセリット、恒星間航行を管理する協会、新たに登場したベネ・トライラックスによる陰謀と、それを知りつつ回避させようとするポウルの行動の数々です。それぞれの語りが多く、終わりには悲劇が訪れるのだということはわかるのですが、登場人物の動きがなかなかイメージできないまま進んでいきます。
解説等を読むと悲劇であることや、救世主の物語であること、さらに創造主の物語であったり、エコロジーが語られていたりして様々な読み方ができそうなのがわかりますが、私はやはり悲劇として読んでしまいたいと改めて思いました。
実は、特にこの『砂漠の救世主』は、ギリシア悲劇『オイディプス王』に通じるものがあるように思います。『オイディプス王』では、神託に抗おうとして結局従わざるを得なかったオイディプスが自らの目を抉り取り、いずことなく消えていくという終わり方をします。本作のポウルもまた、予言、予知に抗おうとしてむしろ予言、予知を成就させることによって自分の永遠性を獲得していずことなく消えていくではありませんか。
もちろんこれは、『デューン』を読む時の1つの見方であるに過ぎないのでしょうが、この見方に気づいた時にむしろそれまで難解だった物語がすっと入ってくるように感じたのです。
物語は永遠性を獲得しながら姿を失ったポウルから、その子どもたちの話へと移っていきます。『オイディプス王』に見られたような親子の物語が、『デューン』でもくり返されるのか、期待しながら読んでみたいと思います。
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8月に入ってから暑い砂漠の世界に入り込んで抜けられなくなってしまった。なんという傑作!
星間帝国の皇帝となったポウルは、砂漠の惑星を水が流れ雨も降る星へと変貌させた。自由に水を使える楽園となるはずだったが・・・
后であるイルーラン姫も巻き込み謀反を企てる一味には、その生体能力によって星間航行を行う半魚人的舵手、顔を自由に変えられるフェイスダンサー、死から蘇られされられたヘイトなど有象無象が入り乱れる。
大きな3部作の第2部となる本策は、第1部に比べて更に深く哲学的な悲劇となっている。
残暑厳しい折、さらに長大な第3部へなだれ込む~。暑い
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「デューン・砂の惑星」の続編。英雄譚の主人公だったポウルも、本作では為政者として苦悩から逃れられない。特殊能力によって予知される暗い未来を変えるべくもがき苦しむ主人公の戦いは、ゴーラの存在、ギルドの陰謀、内部の裏切り者を巻き込んで哲学的悲劇へと収束していく。
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デューン第2部、面白いが少々読みにくい
表紙 8点加藤 直之
展開 8点1973年著作
文章 5点
内容 850点
合計 871点
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「デューン 砂漠の救世主」(フランク・ハーバート : 矢野徹 訳)を読んだ。
チャニとエイリアとイルーラン。
彼女たちそれぞれの愛の物語であるとも言える。
しかしまあフランク・ハーバート さんはどれだけの克己心をポウル・ムアドディブに求めたんだよ。
さあ次は「デューン 砂丘の子供たち」さ。
「デューン 砂漠の救世主」(フランク・ハーバート : 矢野 徹 訳) を読んだ。
やっぱり何回読んでも難解な物語だなぁ。好きだけど。
予知された未来と運命に抗いつつ、しかし最愛のひとの哀しい最後を受け入れる決断をするポウル。
他の者に理解され得ない彼の孤独に思わず涙するのである。
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なるほど、たしかに映画化はここまでやらないと意味がないだろうな。しかし読みにくかった…。すごい時間かかっちゃった。
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なるほどこういう風に話を持っていくのか...!俄然血生臭い2巻目だった。
『砂の惑星』は王道貴種流離譚であり、ハッピーエンドだった。それはそれで少し怖さはあった(前作感想参照)が、設定や展開の面白さに引き摺り込まれ気づいたらシャイフルードのお腹の中、くらいの気持ちだった。
2巻目はより人間の闘争や悩みを全面に押し出し、全ての人間は変節すること、永遠の玉座や平和などは存在しないことを書き切っていたと思う。読んで思い出していたのは『銀河英雄伝説』や『十二国記』であったのだけど、そこでもやはり永遠などというものはない。裏切り裏切られ、当初の崇高な目的は地に落ち、何もかもが形骸化して、残るはカオスと虚で、そうしてまた歴史が繰り返されていくという、やっぱそうなるんだなあという気持ちが半面と、このあとどうするよ?という気持ちが半面。続きはすぐ読むかわからないけれど、ゆっくり新訳を待ちたいと思います。
既に本作も映画化したいとドゥニ・ヴィルヌーヴは言っているけれどそれも納得。ここまで描いてこそポールの話は完結するものねえ。そしてそれを見据えてダンカンの配役を考えているのだろうから、本当に納得!楽しみにしています。
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『デューン』第2部。皇帝となったポウル、そしてその家族を巡る陰謀が中心に描かれる。劇中、ポウルは避け難い予知に苦しみ続け、幾人かの敵を打ち倒すも、最後には自身も、死が待つ砂漠へと消えていってしまう。悲劇だけれど、その姿は清々しく、セネカのオイディプスを彷彿とさせるような英雄像を作り上げている。
砂漠へ消えたポウルは永遠の存在となったことが記され、ポウルの妹・エイリアと、死から蘇ったダンカンが後に残される。未来を見通す予知の力を失い、これから“現在”と対峙していくことが暗示されるエイリア、過去の記憶を取り戻し、“現在”に再び戻ってきたダンカン。“未来”と“現在”が対比される結末は悲しくも美しく胸を打つ。
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デュニ・ヴィルヌーブ監督の話題作「DUNE砂の惑星Part2」封切が目前に迫る中、原作「DUNE砂の惑星」上中下全3巻をあらためて再読するのに併せ、折角なので追加で買い求めた続編(第2部)の本書を読了。
映画も原作も手放しに素晴らしかった本編/第1部に比べると、主人公やその取り巻きたちが繰り広げる陰謀、心理戦や、政治や宗教の鬩ぎ合いの描写が主となる本書は、かなり読み辛く、仮に同じヴィルヌーブ監督が映画化するにせよ、正直あまり面白さに期待できなさそう、が素直な印象。
それでも、第1部全3巻を読み終えてすぐに、その記憶や興奮が醒めぬうちに読んだのが良かった。さもなければ、きっともっとつまらぬ印象で読み終えたこと、間違いない。
全3部作のうち2部まで読んでしまったからには、第3部も読んでみるか。