紙の本
江戸期の日本とはまったく異なる体系の「明治国家」を、にわかにできた国の「物語」としてTV番組で語ったものの書籍化。国民国家の形成を担った先達たちの精神の核を存分に味わえる。
2001/08/19 16:17
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:中村びわ(JPIC読書アドバイザー) - この投稿者のレビュー一覧を見る
通信技術の変化、重なる政治・経済改革の失敗、治安や倫理の悪化などを考えると、ここ20年弱は激動の時代だと言えよう。そのとき、「激動」という表現のなかに、続く新しい時代の出現を姿がわからないなりにも待ち望むという希望や明るい予感のようなものがないことが淋しい。生みに伴う痛みなら喜びにも変えていけるが、我慢しがいのない痛みだけに苦しんでいるような印象がある。そして、その苦しみを受けるも与えるも、実はひとりの市民のなかの異なる顔だという構造が、激動を行き場のないものにしてしまっている。
同じ激動の時代として比べると、司馬さんがこの上下巻の本で言及したような、将来のビジョンを頭に描き、志を胸に行動した明治の父たちのような人はいるのか。戦後のGHQ占領時代における吉田茂や白洲次郎、永山時雄のような人はいるのか。選挙でぜひ投票したいという人がいないのは、心細い。
江戸期とはまったく異なる体系で国づくりが行われた明治−−その最初の10年に「よくぞここまでできたものだ」と司馬さんは感心している。権力の中心機関たる国家会計の整備、徴兵令による陸軍建設、造船と教育を中心にした海軍の基礎がため、警察整備という基本的なもののほか、鉄道の敷設、郵便制度のスタート、大学開校、港湾の近代化なども成されている。
それを探るのに、司馬さんは章ごとにテーマを設けて人物を追っていくのだ。上巻の6章に続き、第7章では、江戸期の気質を継承した明治が、プロテスタントの精神によく適っていたことに注目する。大工さんが道具をきちんと片づけてぴかぴかにする。神なくして清潔や整頓を重んじる労働倫理や習慣をもっていたことが、明治初期に来たプロテスタントたちにフィットしたというのである。スマイルズの「自助論」を訳した中村敬宇の『西国立志編』を明治を象徴する本として挙げている。
ロシアのバルチック艦隊を撃沈させた東郷平八郎については、留学先の英国の小さな商船学校を訪ねて往時を忍び、艦橋に立ち尽くして死ぬ気でいた東郷の名将ぶりに触れ、瀬戸内海の水軍を研究した作戦参謀・秋山真之の独創を評価している。
のちのオランダ海軍大臣を務めたカッテンディーケの薫陶を受けた勝海舟。幕末の志士のなかで唯ひとり明治革命後の国家ビジョンをもっていたであろう坂本竜馬は、その勝が受けた薫陶を引き継いだという流れで紹介されている。
サムライの変遷が説明されたあとでは、理想化され明治の精神となった武士道の役割がとらえられ、最後のサムライとしての西郷隆盛が挙げられている。
さらに、人権意識や自由と愛国の意識を高め、憲法づくりに貢献したとして中江兆民、伊藤博文、井上毅らが登場。そこで陸軍参謀本部が利用した問題の「統帥権」の説明がされるに至り、いきいきとした明治の精神が断絶して、昭和初期から始まる大いなる過ちの時代へ向かっていくことへの問題意識が司馬さんの頭をかすめるようである。
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明治時代の人物とかあまり知らなかったけど、彼らの働きによって今の日本が作られていることが少しは理解できた。
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こちらも読み応えがありました。 でも一番印象に残ったのは「こんなものを残してしまった言い訳」的な書き方をされていらっしゃる「モンゴロイド家の人々」でした(笑) なんだかとっても悠久の香りがして、目を瞑ると壮大な草原が見えてきたりもして、ちっぽけな人類の大きさ・・・・みたいなものを感じました。 人種・宗教の話って例えばパーティの席なんかでは避けた方が無難な話題とされているけれど、こうやって文字の世界で読んで、司馬さんと一対一でお話しているような妄想の中では、楽しめる話題なんだなぁと改めて実感しました。
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[ 内容 ]
二十世紀は「明治」に始まり、いま、その総括の時期にある。
激動の昭和が終わり平成となった年は、世界史の一大転換期でもあった。
時代のうねりは、歴史を書きかえ、人びとは、自らの行く手に思いを馳せる。
歴史のなかに、鮮やかな光芒を放った“「明治」という国家”、その「かたち」を「ひとびと」を、真摯に糺しながら、国民国家の形成を目指した“明治の父たち”の人間智と時代精神の核と髄とを、清冽な筆致で綴り、日本の国家と日本人のアイデンティティに迫る。
[ 目次 ]
第7章 『自助論』の世界
第8章 東郷の学んだカレッジ―テムズ河畔にて
第9章 勝海舟とカッテンディーケ―“国民”の成立とオランダ
第10章 サムライの終焉あるいは武士の反乱
第11章 「自由と憲法」をめぐる話―ネーションからステートへ
おわりに “モンゴロイド家の人々”など
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前半は、若き日の新島襄、東郷平八郎の姿を通して、「日本」という新しい国家を担おうとする気概に溢れた時代状況を生き生きと描き出しています。
「明治」という新しい時代を築き上げていったのは、江戸時代からの遺産である武士のエートスを持つ人びとでした。著者はこうしたエートスを示す例として、西南戦争に身を投げ出していった西郷隆盛と、そのことを高く評価した福沢諭吉の『丁丑公論』を紹介しています。
しかし、「日本」という新しい国家の「国民」となったのは、彼らのような著名人だけではありませんでした。「阿Q」のような、道徳的緊張や士族的な文化を共有していない大勢の人びとを「国民」にまで引き上げようとしたのが、自由民権運動から憲法発布に至るまでのプロセスにほかならないと著者は言います。著者自身は、プロイセンを範にとった「国民国家」の創出にやや批判的な立場を表明していますが、国家と一体感を持ち、国家の運命を自分で決めうる「国民」がこうして生まれたことは認めなければならないと著者は考えます。
こうした著者の明治時代の理解には、曲がりなりにも近代国家を築き上げた先人たちの偉業に対する尊敬の念と、後年の日本が陥ることになった問題の種子が生み落とされたことに対する痛切な思いが、ない混ぜになっているように思えます。
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「木村摂津守を憎んではいけない。わるいのは、封建制だ」
というのが、勝のこの場合での醸造酒です。その醸造酒を、さらに蒸留してアルコール純度を高めたものが、蒸留酒でしょう。比喩になりますが、思想は、酒(※蒸留酒?)というべきものです。
思想は人を酔わせるものでなければなりませんが、勝の中で粗悪ながらも醸造酒が出来たのです。ただこの酒は、勝当人だけを秘かに酔わせるだけのもので、他に及ぼすことはできません。〝木村がわるい〟では素材であっても酒ではありません。〝封建制がわるい〟となると、やや普遍化して酒になります。が、かといってわるければどうすればよいかがないため、単に自分自身を酔わせるだけになります。ただし相当悪酔いする酒ですね、仏教でいう往相があって還相がありませんから。
〝ではどうすればよいか〟
が、蒸留化への道でした。そこで、勝は長崎時代、全身で吸収したカッテンディーケのオランダ国の国民思想とその体制を思いだしたでしょう。
〝国民を創出すればよい〟
つまり、国民という等質の一階級をつくりだすことです。
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司馬遼太郎が、明治に新しい国家を設計・建設した人々の志の高さと気概について講演した内容をまとめた本。
NHKブックスらしい、実践的な教養を真摯な読者へ、というニーズにはうまく合致している。リラックスして読むのにちょうど良いが、司馬の愛読者であれば改めて手に取るほどのことはないだろう。
勝海舟、小栗上野から伊藤博文に至るまで多くの人のエピソードが、あちこち飛び火しつつ紹介されている。
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明治維新の最大の功績者は、最後の将軍・徳川慶喜で、退くにあたって全権を渡し、德川の葬式を任せたのは勝海舟と〝国民国家の樹立〟、「西郷(隆盛)、大久保(利通)に騙された」と歯噛みして憤った島津久光、「会津藩の百姓・町人が藩と共に動いていれば、あんな短い攻囲戦で済まなかったろう」と回想する板垣退助と〝国民〟の概念、西南戦争で「このへんでよかろう」と自害した西郷と最後の侍、 「バルチック艦隊は一隻残らず、日本海に沈めよ」の大命題を負う司令長官・東郷平八郎と作戦参謀・秋山真之の逸話など、時代の興亡に迫る。
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独自の視点でここまで説得力のある、しかも読みやすい文体での語りができるなんて司馬さんは凄いと思った。
これだけ語れたら楽しいだろうなぁ。
司馬さんみたいになりたい。