紙の本
「市民科学者」という「方法」
2001/06/13 12:59
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:小田中直樹 - この投稿者のレビュー一覧を見る
最近では珍しいほど惜しまれつつ死去した高木さんが、病床で、自分の歩んだ道に想いをはせ、未来への希望を語った本。じつは僕は「きっと〈いい性格〉の人だったんだ。だからこんなに惜しまれてるんだ」って思ってた。でも、この本を読んで、それは間違いだって気付いた。彼は「いい性格」じゃない。頑固でへそ曲がりで、近くにいたら「おつきあいしたくない」タイプだ。それでも「惜しまれてる」のはなぜだろう。彼が「やったこと」がすごいからだろうか。彼は、大学をやめ、「原子力資料情報室」を設立し、核兵器や原子力発電所に反対する運動を進めた。安定した職場を去る度胸。でも、それだけなら「ふぅん」で済まされる可能性あり。反体制的な運動に参加する志。でも、運動した人は沢山いる。それじゃ一体何なんだ。
ヒントはこの本のタイトルにあった。「専門バカ」って言葉があるけど、その典型としてよく批判されるのは昔も今も自然科学者だ。たとえば、理論物理学者に「そんな難しいことが世間の役に立つのか」。原子物理学者に「あんた方の研究が原爆をつくったこと知ってんのか」。高木さんは核化学者だけど、「専門バカ」になるのがいやで悩んだ。「科学と日常生活の関係」って問題に悩んだわけだ。僕は、こんな大問題に悩んだだけでも、彼は誠実だったと思う。でも、高木さんは、悩むだけじゃなくて答を出した。よく「〈科学〉と〈日常生活〉は両立しない」っていうけど、これは嘘。科学しか知らないのは「専門バカ」、日常生活しか知らないのは「素人」。どっちも足りないんだ。日常生活人(市民)は科学を知らなきゃいけないし、科学者は日常生活を知り、市民の力にならなきゃいけない。科学者が狭く深い知識を持ってるのはマイナスじゃない。市民の目の高さを忘れなければ、知は「専門性に裏づけられた想像力と構想力」になる。自分の知を武器に現状を批判し、「理想社会」を実現するために対案を出すって、プラスじゃないか。こんな姿勢を忘れない科学者、つまり「市民科学者」になろう。これが彼の答だった。これってすごい、そして明るい。
でも、「理想社会」って何だろう。高木さんは「共生、公正、平和、持続可能性」をキーワードに挙げる。「個々の人間が尊重される」ってことだろうか。科学技術が進歩しすぎ、企業が強すぎ、国家の論理がまかり通る、閉塞した今の日本社会。だからこそ、自分で考える自立した人間にならなきゃいけないんだ。ただし、間違っちゃいけない。彼の「理想社会」と最近流行の「自己責任の社会」は違う。自立したら、今度は周囲に目を向け、社会に責任を持ち、ひろく手をつなぎ、「新しい公共性」をつくるってしごとが待ってる。「自己責任」に閉じこもるわけにはいかないんだ。それじゃ、どうやって「理想社会」をつくればいいんだろう。高木さんは最後に「市民科学者」を育てる「学校」をつくった。「自分が持ってる知識」を「次の世代につなぐ」ことを選択したんだ。彼は、自分の力の限界を認識したうえで、「何ができるか」って考えた。しかも、これって「実際に〈新しい公共性〉をつくろうとする」ってことじゃないか。これまたすごい、そして明るい。
高木さんの死去が惜しまれてるのはなぜか。「いい性格」だからじゃない。「やったこと」はすごいけど、それだけじゃない。「方法」を考えたからだ。「市民科学者」のあり方を考え、「理想社会」への道筋を考え、それを実現するための方策を考える。そして実行する。ここまで来るのに彼は壮絶な苦労をしてるから、「明るい」っていうのは不謹慎かもしれないけど、やっぱりこれってすごい、そして明るい。書評は本の問題点を指摘しきゃならないんだろうけど、みつからない。困ったけどしかたない。というわけで、当然評価は「五つ星」。
紙の本
科学者・技術者にとっては重い自伝
2001/03/01 15:44
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:橋本公太郎 - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本は、核化学者であり、原子力企業→大学教官の道から一転して反原子力運動家となった高木氏の自伝である。この本は大変読みやすい。そして、重い。特に、科学者、技術者にとっては。
私にとって、特に共感できたのは、彼が会社で研究をしていて、会社のシステムに疑問を持ったところである。彼は、日本の会社では「個」が見えないと言っている。このような日本型企業の問題点は、今でも残っている。
この本は、大学助教授の地位を捨てるところまでは、しっかりと書かれているが、その後の反原発運動の部分、市民科学者としての活動の部分は意外とあっさりと書かれている。おそらく、この部分は、別の本を読めということであろう。
科学者、技術者が読めば、考えされられることが多い本である。ぜひ、一読を勧めるが、この本を読んで、自分の生き方に悩みすぎないようにしてもらいたい。
インチキ化学者の独り言より
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故高木仁三郎氏の著作です。大学を離れ、今でいうNPOで市民のための科学者として、原発反対を訴えた著者の活動と心のうちがつづられています。ご本人だけでなく、ご家族にまでいやがらせが多かったというくだりには憤りを感じました。
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原発事故に関して、いわゆる「専門家」と称する人たちが「想定外」を連発する中、ずっと以前から事態を予想していた人々がいる.高木仁三郎氏もその一人である.想定外が多いということは、情報収集力、分析力、論理力、科学的直感力、自己管理能力などに欠けるということである.その意味で、高木さんはホントウに一流の科学者である.
実は水俣事件などにおいても同じように真実を早くから見抜いていた科学者がいる.彼らの共通点は「感情的知性」にあふれているということ.人の苦しみへの共感の上に科学者として成り立つ.「市民科学者として生きる」というこの本のタイトルは、生活者としての暖かい心と科学者としての冷静な頭脳をもつ、というように読める。経済学者アルフレッド・マーシャルの言う「冷めた(覚めた)頭脳に熱い(篤い)心」である.
この本の原発問題についての指摘は今も新しい.(中野)
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原発建設に躍起になっていた人は少なくとも嫌がらせの張本人だという意識をもって反省してほしい。原発や原発の廃炉の人間社会への嫌がらせは半減期を迎えることなど決してないのだから。
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[ 内容 ]
専門性を持った科学者が、狭いアカデミズムの枠を超え、市民の立場で行動することは可能なのか。
長年にわたって核問題に取り組み、反原発運動に大きな影響を与えてきた著者が、自分史を振り返りつつ、自立した科学者として生きることの意味を問い、希望の科学としての「市民の科学」のあり方を探る。
[ 目次 ]
序章 激変のなかで
第1章 敗戦と空っ風
第2章 科学を志す
第3章 原子炉の傍で
第4章 海に、そして山に
第5章 三里塚と宮沢賢治
第6章 原子力資料情報室
第7章 専門家と市民のはざまで
第8章 わが人生にとっての反原発
終章 希望をつなぐ
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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本書は、原子力資料室をたちあげ、市民の立場から反原発の運動に携わってきた高木さんが、61歳で亡くなるまで書き続けた自分史、遺書である。高木さんは「見る前に跳べ」というように、あれこれ考える前に行動する人であった。それは、大学卒業後、日本原子力事業、東大核研究所、東京都立大と職場をつぎつぎとかわっていったことにも現れている。違和感を覚えたらまず動くのである。高木さんは、東大の物理化学科で核を勉強した秀才で、一生を通じ学究であったが、同時に、学問の社会的役割を問い続けた人であった。高木さんは都立大のときにドイツに留学させてもらったにもかかわらず、帰国後大学をやめてしまう。そして、学問を市民に根付かせる運動を、61年という短い人生を通し行った。それは二足のわらじをはくものであって、高木さんの心は常に、研究と市民活動という両極の間をゆれている。高木さんは大学にいても、すぐれた研究者になっていただろう。高木さんの学究としての優秀さをものがたるのは、その活動が国際的なネットワークの中で行われたこと、とりわけ、プルトニウムの研究で、外故国の学者とともに、ノーベル賞に匹敵する賞を受けたことである。大学にいなくてもこのようなことができる。いや、いなかったからこそできたのかもしれないが。本書で印象深いのは、216p以下の「原発問題の中にすべてがある」という節である。高木さんは、原発推進か反対かを踏み絵にすることの無意味さをあげる。これはそうだろう。しかし、それを承知の上で、やはり、原発問題はいろんな問題を含むことを指摘する。一つは、この巨大テクノロジーと民主主義がどこまで相容れるかである。原発の行くところ民主主義が滅ぶとは鎌田慧さんが訴えているところだ。また、脱原発をはかろうとすれば、ライフスタイルを総点検しないといけない。さらに、原発労働者、原発の過疎地での建設、廃棄物の他国へのおしつけという差別の問題がついてまわる。この点は小出裕章さんが言っていることと似通っている。というより、小出さんもまた高木さんから影響を受けたのだろうか。
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[内容]SBやNGOとはすこし離れてしまうかもしれませんが、純粋に面白いです。反原発の第一人者である高木仁三郎氏の自分史です。高木氏はもともと原子力関連の会社員で、核化学者に転身、しかし次第に原発に疑問を抱き、結局市民運動のリーダー的存在になりました。自分自身を常に見つめて人生を軌道修正していく筆者の姿には感銘を受けます。
また個人的には筆者のとなえる「市民の科学」とSBの精神には合い通じるところがあると思います。
さらにこの本では原発の生まれた背景や、今に至る過程などを知ることができます。高木氏の原発批判にはまるで3・11を予想していたかのような鋭さがあります。
[文責]林
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高木仁三郎の思想信条の全てに同調する者ではないが、これを読むと高木が、3.11以降に雨後の筍の如く発生したニワカ反原発とは一線を画す科学者であった事が理解できる。
叶わぬ事ではあるが、もし今も健在であったなら、現状についてどう述べていただろうか知りたい。
誰か天国に繋がる電話を発明して欲しい。
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原子力がエネルギーとして礼賛され、商業原発が各地に設置されるにいたった時代。
空っ風の原風景と職業的科学者という立場との葛藤。
「市民科学者」としての半生。
国家・電源三法による原発推進の力は、改めて文字で読むと、不気味なほど大きい。筆者が受けた嫌がらせの事実には、驚愕。それでも「市民科学者」として「本気」で脱原発に取り組み続ける筆者の姿に、感銘を受けた。
あきらめを希望へ。
私たち日本人は、いつまでもシカタガナイと言い続けるわけにはいかない。
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在庫切れの合間にたまたま手に入れることが出来た。都立大助教授の地位を捨て、市民の立場で長年核問題に立ち向かってきた科学者の本。癌で闘病中ベッドの上で書き上げられた本です。
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1997年に環境・平和・人権の分野において「もうひとつのノーベル賞」と呼ばれるライト・ライブリフッド賞を受賞し、2000年に急逝した科学者・高木仁三郎氏が、自らの人生を振り返った自伝的著作。高木氏は、同賞の受賞直後にがんにかかっていることがわかり、死期を悟りつつ、1999年に本書を病床で書き上げたという。
高木氏は、1938年に生まれ、高度成長の時代がまさに始まろうとし、その推進力のエンジンのようにして科学技術が存在し、ほとんどの人がその未来にバラ色の夢を描いていた時代に青少年時代を送り、東大で核化学を学んだ。そして、日本の原子力産業の黎明期に、当時原子炉を建設中だった日本原子力事業に就職したが、閉鎖的で没個性的な集団の中で、まだ原子力発電も行われておらず、多くの人が原発推進の妥当性を確信していたわけでもないにもかかわらず、原発推進の旗振り役を期待されていくことに強い違和感を覚え、同社を辞めて東大原子核研究所に移る。しかし、核研も、その後に移った都立大学も、暗黙のうちにある種の家族共同体的な集団に共通の利害が形成され、それを守ることが自明の前提となることに企業と大学の差はなく、行き場を失っていく。
そして、その頃出会った三里塚闘争(成田空港建設反対運動)や宮沢賢治の思想から大きな影響を受けて、大学や企業のシステムのひきずる利害性を離れ、市民の中に入り込んで、エスタブリッシュメントから独立した一市民として「自前(市民)の科学」をするという考えを実現し、1975年に原発の情報センター的な役割を果たす「原子力資料情報室」の設立に関わる。その後、1979年の米スリーマイル島原発事故、1986年のチェルノブイリ原発事故を経験し、反原発の信念は一層強まり、そのための国際的な運動を含めた様々な活動に力を注いでいったのである。
高木氏が生涯をかけて追及した問題意識は、氏が「この言葉に出会った衝撃といったらなかった」と語っている、宮沢賢治の残した「われわれはどんな方法でわれわれに必要な科学をわれわれのものにできるか」という言葉に言い尽くされている。そして、「市民の科学」とは「未来への希望に基づいて科学を方向づけていくことである。未来が見えなくなった地球の将来に対して、未来への道筋をつけて、人々に希望を与えることである」と締めくくっている。
原子力については、平和利用は当然としても、大戦中に原爆を開発したのも“科学者”である。また、生命科学の進歩は、“科学者”が使い方を間違えれば人類にとって取り返しのつかない事態を引き起こしかねないところまで来ている。高木氏が存命であったなら福島第一原発の事故を何と言ったであろうかという限定的な問いにとどまらず、氏が追求した「科学とは何であるべきか」という根本的な問題を今こそ改めて考えるべきなのだと思う。
(2008年12月了)
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7年目の3月11日。
たまたま、前に買ってあった本を手に取りました。
恥ずかしながら、高木さんのことを知らなかった。
彼が生きていたら、この現状をなんと言うんだろう。
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生き方としては、非常に心打たれるものがあったというか、常に参照する必要があるだろう。高木仁三郎にはならないにしても。
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岩波にしては珍しいと群馬大の早川先生お奨めの本。科学の中立については考えさせられる。手塚治の陽だまりの樹で軍医が負傷兵を治療するよりも、戦争に行かせない方がいいという逡巡と共通する、永遠のテーマだろう。