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ロッタちゃんみたいな感じだと思いきや違った。
バイトから帰ってひたすら読んでいたら
ザー菜のつけものをページに落とした。
地下鉄のザジを読みながらザー菜の漬物をページに落とした人なんて
世界中に一人だけだと思ったらとってもうれしくなった。
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10歳から12歳位の少女は洋の東西を問わずテロリストのような思考と発言をしたりする。大人の世界の欺瞞を涼しい顔で挑発し暴きたて。文章と翻訳がシック。
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映画の方も好き。ザジがかわいすぎて、コマ送りとか技法がおもしろい。よくわかんないけどヌーヴェルヴァーグの時期なのかな。
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田舎からはじめてパリへやってきた、お転婆娘ザジの、愉快ツーカイ大冒険。
おかまストリッパーの叔父さんをはじめ、変ちくりんな大人たちをひっかき回して けつ喰らえ!
はちゃめちゃをくり広げるから、ついといで!
「あたし宇宙飛行士になるわ。宇宙飛行士になって火星人をいじめに行くんだ!」
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キュートなザジと仲間たち。
これを読むと、純日本人の私がこんなところで暮らせるわけがないって思うけど、それでもやっぱり憧れてしまうパリ。なんなんでしょう。
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全然わかんねえ。どこがいいのか、なぜ残っているのか、全く理解できなかった。全然面白くなかった。面白くないのが、逆に面白いのだろうか?たぶん、この本自体が「けつくらえ」面白くない小説は小説じゃねえ。何かしらの‘世界’を求めて、本を読むんだと思っている。「地下鉄のザジ」の世界も「地下鉄のザジ」の世界ではあるんだろうけど、どうも納得できない。全く笑えなかったし。
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小学生の頃に映画を観て、なんとなくひっかかったまま残っていた話。
改行改行カギ括弧カギ括弧・・・フランス語ができたらいいのに。
見える以上の説明や描写がなくて、ちょっと紙芝居のような。
ことば遊びが楽しい。
10年くらい前に読んでいたら、
その後の読書の傾向とか変わったかもしれないなぁと思いました。
もう一回映画観たい。ザジの髪型以外何も覚えていないし。
でもザジみたいな子、いないよ。
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『地下鉄のザジ』は、フランス現代文学の中で非常に評価の高い作品だ。物語自体は、メトロに乗ることを夢見る10歳の田舎娘ザジが、毎夜パリの有名なオカマバーの踊り子(自称芸術家)のもとに2日間預けられる間におこる様々なドタバタ劇だ。色気違いの未亡人や痴漢で変装趣味の警官や滅法うるさいオウムなど、谷敬ですらぶっ飛びそうなドタバタ振りだ。
作者のレーモン・クノーは、シュールレアリスムに傾倒していた時代があり、本作品の文体は、とても1959年に発表されたものとは思えないほど、ぶっ飛んでいる。俗語あり、駄洒落あり、猥褻な言葉あり、もう滅茶苦茶なのだ。10歳のザジは大人に何か話しかけられると、直ぐに『ケツ食らえ!』と叫ぶ。原文で読んでいないので良くわからないが、"Enculer(カマを掘られろ)!"と叫んでいるのだろうか(映画ニキータで主人公がどうしようもない不良であった時代のように)?これは、フランス語でいったら相当に汚い言葉だ。
本作品は、戦後のサルトル、カミュといった実存主義の作家たちが眉間に皺を寄せて文学を語った長い時代の後に登場してきたので世間の脚光を浴びた。また、フォークナー、スタインベック、ヘミングウエイなど写実主義が全盛の時代にあって、初めて写実主義に疑問を呈した作品なのかもしれない。
でも、その作品を現代の僕たちが『日本語』で読んで、果たして面白いかどうかはなはだ疑問だ。特にレーモン・クノーの場合、筋よりも、言葉遊びの方に味があるのだから。日本では、21世紀になって舞城王太郎が『凄い』なんてうことを言っていることを考えると、1950年代のこの作品が突然光輝き始めるのも間違いないところだが・・・。
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フランスの、下町の、裏側という感じだった。
一日に起こった出来事が盛りだくさんで、こちらは小旅行に出たような感じになれた。
ザジの性格がもっとかわいらしくて子供らしい子だったらもっと物語が素敵になったのになぁと思う。
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で、原作もかなり前に買ったのだがまだ読めてない。
生田耕作の翻訳というのがまたタマランですな。<ちゃんと読んでから書け、俺。
奥付の発行日が昭和57年なんでたぶんその数年後ぐらいに買ってるんでしょうな。当時の定価は340円(消費税施行前)
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映画が面白かったので、本屋さんで見かけた時に購入。
原作(日本語訳)も面白いけど、語学が出来たらもっと面白いんだろうな。
でも映画を観る前に、文章の方を読めば良かった。
そうしたら映像化の面白さがもっと味わえたハズ。
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'60年に公開された映画がリマスターされてリバイバル公開中だというので、どんなお話だろうと手に取ってみた。──地下鉄がまだ物珍しい時代、つまりはパリ万博に合わせて第1号線が開通した1900年からさほど経っていない頃か(エッフェル塔に対するフロイト的な解釈を口にするシニックなパリジャンも出てくる)。けれど実存主義の連中がカフェにたむろする、等の記述から第一次大戦後、エコール・ド・パリの時代とも(サルトルだって1905年生まれだ)。とはいえ、そんな細かい時代背景など吹っ飛ぶくらいに物語はポップかつシュール。そもそも、ザジの母親が娘を兄夫婦に預ける理由が恋人との逢瀬だし、何故かモテモテなガブリエル伯父さんはオカマバーのダンサーだし、警官だか痴漢だか判らない男ややたら惚れっぽい未亡人、騒々しい羊の群のような外国人団体客が入り乱れ、彼らの向こうを張って口汚く罵るザジ、10才。小憎らしさと可愛らしさの同居が何だかフランス的と妙に納得。文体も時にしかつめらしく時に軽やかに、佐藤亜紀風に言うならディエーゲーシスとミメーシスの間を自在に行ったり来たりしながら、まさにザジがパリのメトロに夢見た“ジェット・コースター”的な疾走感を地でいっている。これが映画ではどうなるのか。俄然観てみたくなってきた! アナクロ? ケツ食らえ!
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ザジに会わせたい日本人は、野原しんのすけ。
ケツだけ星人にあのセリフかましてもらいたいじゃないか。
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映画観るより先に読んだんだろう。何しろ、存在は知っていても観ることが出来なかったのだから。クノーは、「はまむぎ」で既知。カバーは、現行のものよりこのイラストレーション版の方が馴染み深いぞ。
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言葉の可能性の執拗までの探求、とあるだけあって、
会話の応酬って感じで読めましたが、
やっぱり原書で読まなきゃ分からない部分があるんだろうなあ、
と思ってしまった。
フランス語で読むなんて全く出来ない己としては
、他の方の訳も読んでみたいと思います。
理解力の無さを棚に上げてますが。