紙の本
ワーキングプアを愛し,激励し,包み込む著者に拍手!この本を読んでからというもの,金持ちを見たら意味もなく追いかけたくなるんですが,私の住む田舎町にそんな金持ちはいませんでした……。
2007/06/11 23:00
12人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:まりんさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
世の中には1秒で何億というお金が手に入る人も居れば,働けど働けど暮らし楽にならず,を忠実に実行している人もいる。
私は現在,幸いにも(?)正社員として今の会社で働いているが,当然超勤もすれば,超過勤務手当なんて2割しか出ない。別に私だけではなく,うちの会社で働いている皆が入社以来そうなのだから,私はそれで何とも思わなかったし,寧ろ稼動先があるだけでも幸せなほうかもしれない,なんて思っていた。そして我が社の社員の殆どがそう思っているのではないだろうか。
この本の著者は,所謂ワーキングプアと呼ばれる存在をとても愛し,彼らが不得意とする分野,諦めていた分野を開拓し,貧乏は一人じゃないし,正社員であっても貧乏だ,貧乏暇なしにしたのは自分じゃないしアナタでもない,世の中がそうなんだ! だから自分を責めるな! と熱く語ってくれている気がした。私にも自分を責めた経験があり,誰かに「君は頑張っているよ,君は何も悪くない」と言って欲しかった,と思ったことを思い出した。この本にはそれが溢れていて,嬉しくなった。
ただ熱く語っているだけではなく,今辛いならここに相談してはどうだろうか,と,提案もしてくれている。困っている内容が明確であれば,まずはここに駆け込んではどうか,と非常に分かりやすく紹介されているため,とても助かる。思わず私も紹介されていた団体のサイトを開いて真剣に見入ってしまった。
読後,直接何も生み出さない非生産的な金持ちを見たら,無意味に追いかけたくなった。
だって私達は日々何かを生産している。生産して生産して身体を壊し,精神を壊し,それでも自分を奮い立たせ,叱咤し,周囲に気を使い,使えないと言われないように自己鍛錬し,女性らしくという言葉を免罪符にして細々とした面倒臭い仕事をさせられ,それでも笑顔を作り,自分じゃなくてもいい仕事なんじゃないの? と思ってしまうどうでもいい仕事を悲しくもこなしている人が居る。まあ,私なんですが。
読みやすく情報が詰まっており,とても面白かった。
貧乏人として,ひっそりと立ち上がりましたよ私は。
職場の席を。
紙の本
生きさせろ!難民化する若者たち
2016/01/31 09:52
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投稿者:Carmilla - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書では「労基署は何もやってくれない」と訴えているが、今や労基署の窓口で失業者に対応する職員も、そのほとんどが「非正規社員」である。安倍政権は発足以来、国会で「自民党政権になって以来、雇用情勢は回復している」と強調するが、雇用が増えているのは「非正規社員」であり「正社員」は減少傾向が止まらない。工場の多くが非正規社員になったことで、日本企業の技術力は完全に失われた。投資家が「日刊ゲンダイ」に執筆しているコラムで
「スーパーの『ダイエー』が凋落したのは、人件費を削ったからだ。パート社員が売り場の主力を占めていたのに、彼ら彼女らの勤務時間を削ったために、彼らは一斉に退職した。結果として売り場があれ、それが業績低迷につながった」
と書いていたが、その通りだと思う。正当な仕事に見合う真っ当な評価を下す経営者が増加しない限り、日本経済の復活はありえないと思うのは、私だけではあるまい。
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同世代の書き手としては最も現在最も信頼と共感を寄せることができる雨宮氏.論に少々強引さを感じるところもあるが,アメリカ追従の新自由主義的政策がもたらした「格差社会」をインタビューを中心にしたルポ形式で鋭く抉っている.
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http://www.mkimpo.com/diary/2007/mayday_07-04-30_bis.html
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この若者の問題、すっごく興味があります。
マンガ喫茶で寝て、日雇いアルバイトをして暮らしている若者たち。
彼らの生活水準を上げるためには、どうすればいいのか。
彼らだけじゃ、どうにもならない。
こういう人がいるという状況を、だんだんあたり前と思って、見捨てることだけは絶対にいけないと思う。
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賛否両論はあるようだけど、結構楽しめた。フリーターの生活の実態が見えた(いろいろな種類のフリーターが居るにしても)。とりあえず、俺は自宅警備でもしよう。ちなみにぼくは雨宮さんがこの本で前より好きになりました。
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日々暮らす最低限の生活を保障しろという日雇いなどで暮らす若者の声が、「生きさせろ」という痛烈なメッセージでもって綴られています。普段の生活ではあまり意識しないですが、社会はどんどん変わりつつあるという事が実感出来ました。経済の成長が止まるとどのような事になるのか・・・
グローバル経済の波に飲まれて社会はさらにどう変わっていくのか・・・
注意深く時勢を見極めていかねばと思いました。
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我々は反撃を開始する。
若者を低賃金で使い捨て、それによって利益を上げながら若者をバッシングするすべての者に対して。
我々は反撃を開始する。
「自己責任」のなの下に人々を追い詰める言説に対して。
我々は反撃を開始する。
経済至上主義、市場原理主義の下、自己に投資し、能力開発し、熾烈な生存競争に勝ち抜いて勝ち抜いて勝ち抜いて、やっと「生き残る」程度の自由しか与えられていないことに対して。
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裏表紙にある、携帯メールを見て驚いた。こんな内容で明日の仕事が指示されるのか。そりゃ希望もなくなるよな。こんな働かせ方しかできない社会は間違っていると思う。
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ネオリベラリズム(=ネオリベ)が推し進める策略による犠牲者の現状を取り上げる。「働かざるもの食うべからず」なんて言葉はネオリベの欺瞞。現実は働いても食えない、生きられない、逆に働くことで死んでしまう、死ぬために働いているような状況にある。
明らかに犠牲者であるプレカリアート(不安定さを強いられた人々)はしかし、ネオリベに仕組まれた巧妙な詐術によって自己責任論を内面化させている。ネオリベはさらにそこにつけこむ。私たちにとっては負の循環が、ネオリベにとっては願ったりのスパイラルなのだ(不安定にされている人々を殺し続ける限りいずれは破綻するけれど、今のところ)。自己責任論を内面化させられているプレカリアートはその循環を自ら積極的に回しているようなもの。ネオリベは何の手を下さなくてもみているだけで、思い通りに人々が動く。バカにされていると思わないだろうか。バカにしているのだ、私たちを、そして人間の生を。見くびられているのだ。怒れ、内にではなく外へ向けて。
喫緊の生きづらさ(あるいは「生きられない」こと)は制度や構造のせいである。その先にも個々人の生きづらさは絶対残る(P.268)。だから、制度で解決できることはさっさと解決しなくちゃいけない。その先の「人間としての」生きづらさに向き合うためにも。
リア王の中で一番気に入った科白は「リアのおっさん!リアのおっさん!」という道化の科白だったのですが、その道化に関連して、前回の読書会でめちゃくちゃな紹介に終わった河合隼雄の「影の現象学」にも、道化が言及してありました。それで、それによると、道化という人格は、王が自らを完全に光り輝く存在とするために、その影の部分を切り離すために作り出だれたそうです。古代の絶対的存在としての王はなんらの過ちも犯すはずはないし、罰せられることもないはずなんだけど、現実には天変地異などによって、国が被害を被ることもある。王をすべての物事の統治者としてみるならば、それは王の失敗としか考えられない。この矛盾を解くために王に代わって罰せられたり、失敗役をつとめたりするものとして道化の必要性が生まれた。そしてその絶対的な王に支配された王国の統一性は、それと矛盾する存在の切り離しを前提として保たれているんだけど、それはしばしば事実を犠牲とした規範性の維持によって成し遂げられる。王が規範と秩序をあらわすとき、道化はその規範で律しきれぬ新たな真実をそこにもたらし、価値の顚倒、や「統一」のために切り捨てられた物事の多様性を知らしめると河合隼雄は言うのですが、それが「生きさせろ」にもリンクするものがあるのではないかと思いました。
どういうところでかというと、社会学者入江さんの話のところです。ネオリベは中国や韓国、北朝鮮など敵を外に作って国内の「格差」から目をそらせるということをやってきた。ポストネオリベの段階に入った今も景気が上がり調子になってきたことの裏に何か問題が隠されている気がすると指摘しているところがあるのですが、つまりネオリベへの統一によって排除された平等や労働者、生存権等という犠牲にされた事実が今表出してきているのではないかと思いました。ネオリベが排除した事実を知るんだ!!ネオリベに騙されるな!!ネオリベの一面性に気付け、と言うように。
一方で、リア王においてさまざまな仕打ちを受けることから狂気になって狂気故に、リアは内面化されてべったりと自分と同化していた価値観に、疑惑を抱くようになったのだけれど、自己責任論を内面化している人たちにそれを自己と切り離して考えさせる契機になるのは一体なんなのだろうと思いながら、読みました。
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企業に使い捨ての激安労働力として利用されるプレカリアートの反撃。「プレカリアート―デジタル日雇い世代の不安な生き方」で登場する人より深刻な問題を抱えた人が多く登場する。笑える所は松本哉の「貧乏人大反乱集団」「高円寺ニート組合」「素人の乱」のところぐらい。
安定した正社員になれそうにない人は特に読む事を強くお薦めする。
日本ジャーナリスト会議(JCJ)賞受賞。
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2008年6月読了。
フリーター、派遣社員の現状を何人かの実際談を元に明らかにしている。
ワーキングプアの現状、彼らがこの状況をどう思っているのか、何を望んでいるのか、企業と国の政策が与えた影響などにも
言及している。
また、過労死至った人たちの状況、その家族達のその後の企業との闘争など、現実社会で今起きている事を切実に記述している。
彼達は多くを望んでいるわけではなく、生活が出来る最低限の物を望んでいるだけなのに、一生懸命働いてもそれすら満足に
得る事が出来ずにいる人が多い。
心揺さぶられる本でした。
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最低限の生存権すら切り崩されていく現代ニッポン。
社会的な連帯から切り離され、バラバラにされた若者を「生きさせろ!」の言葉でつないだ、若い者の自由と生存を求める運動の原点になった著作。
真正面から生存する自由を主張する「生きさせろ!」という言葉は、何よりも強く、わかりやすい。
大言壮語でもなく、大上段からの説教でもない、かつて生きづらさを抱えてリストカット、フリーター生活、右翼活動家として生きてきた彼女だからこそ、若者に寄り添い、新しい希望を描く言葉を生みだせたのだと思う。
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『絶望に効くクスリ』でその存在を知って以来,気になっていた雨宮処凛。デビュー作の自伝にもにも興味があるが,とりあえず今の自分のテーマであるワーキングプアを扱ったこの本から。花沢健吾のカバーイラストもテーマにマッチした雰囲気で良い。いざ文章を読んでみると,結構まとも。すこしホッとしました。どうしても色物的なイメージがあったので。「生きづらさ」,「不安定」,「自己責任」という視点から,今の日本の若者が置かれた現状を総覧する。山田昌弘などの学者と比べて(比べるのが間違いだろうが),バランスは悪いけど,格差問題に対するスタンスとしては一方の極だろうと思う。ワーキングプアの若者が,貧困を自分のせいだと考えがちであるとの指摘は,なるほどと思った。自分にもその傾向はあるからね。やっぱり「自分は社会の犠牲者だ!」って言いにくい空気がありますよね。自己否定を自己成長に繋げることができなければ,待っているのは自殺でしかない。自分が今までその手段をとらなかったのは,まだ逃げ道があったから。もし今の状況が続くとすれば,どうなるかは分からない。著者が期待を寄せるプレカリアート運動が,社会を変える流れを作り出すとは,正直思えないけれど,黙って自分を責め続けるよりはましなのかもしれない。それも現実逃避なのかもしれないけれど。本文の最後に著者は問う。「社会から必要とされたから増えたのに,なってみると説教される立場なんて,フリーター以外に存在するだろうか?」本人は反語のつもりだろうが,僕ならイエスと答える。それはまさに,新司法試験の下の司法修習生だ,と。
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2008/8/21読了
売り手市場で就活をした自分と、就職氷河期に就活をした姉。
たかだか5年くらいの違いで人生が大きく変わってしまう社会はやはりヘンだ。
モノゴトを知ること。そしてその裏も知ること。
フリーター、正社員問わず今の日本で生きるだけなのに、これ以上のことが求められる。生き難さを感じた。