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分析はまともで面白い。ただ前提となっている「ポストモダン的現実」というものがどこまで普遍的なのかという疑問はあるし、筆者は否定してるものの、実は割と古典的な分析を新しい対象に向けているだけのような気もする。
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物語が細分化した「ポストモダン」社会に於けるライトノベルをはじめとしたキャラクタ・エンターテイメント作品(小説・アニメ・ゲームetc)の役割とは何か、を論じる本、なんだと思うが、そもそも議論の出発となっている「ポストモダン」については前書参照ということでこの本だけだと議論の出発でつまずきかねない。とはいえ、前半は大塚英志や稲葉振一郎らの議論を引用しつつ、慎重に議論を進めており、なかなか面白く読める。ただ、後半の作品論となると、対象となる作品に触れていないとツラい部分が少なくないのは仕方ないところなんだろうか・・・(全く読んでない本の詳細な書評を読まされているあの微妙な感覚だ)90年代〜00年代に現出したキャラクタ文学に見られる新種の物語性に注目した文学論と見れば、興味深く読めると思う。この手の書籍を単なる深読みとしか取れない人には向かない本だろうね。
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乱暴に要約すれば「ポストモダンをオタ文化で読み解け」の前著から一歩進んで「ポストモダンの文学はラノベと美女ゲで読み解け」という物語論へ。環境分析的読解という深読み技術の提示はそれなりに意義があるものの、大塚論を参照しすぎなところが引っ掛かったり。ところでオビの徒花スクモ氏のポスモたん(勝手に命名)イラストいいですね。
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2007.05 ライトノベルからみたポストモダンであり、新しい文学の可能性?ともいえるのではないか。もう少しライトノベルや美少女ゲームに詳しいと深く理解できたと思います。
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いま流行のオタク文化を理論化している。「大きな物語」の終焉によって、現代人は、キャラクターすなわちあたかもゲームのプレイヤーであるかのような錯覚を抱きながら、同時にそれを自覚して実存性を見出す。それ自体は「小さな物語」であるのだが、その錯覚を抱く対象はゲームの中であれアニメの中であれ「戦争」や「正義」、「愛」といった「大きな物語」なのである。そういう実存性のストーリーや、キャラ萌えやらラノベ的手法やらが閉塞しつつある純文学にある種のヒントなんじゃないかとかそんな感じ。
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大塚氏と比較するとアカデミックでその分とっつきにくい印象。半分が美少女ゲームを題材に論が展開されたのでどうにか面白く読めました。
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コンテンツ志向かコミュニケーション志向か。動物化するポストモダンの続編。大きな物語が失われた後の、メタデータ小説へという件が面白い。環境分析という外部環境から文学、ゲームを読み解いていきます。
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傑作。間違いなく。現在のオタクブームを踏まえての、社会学的視点での現代社会認識は、東にお任せしましょう。
前作『動物化するポストモダン』を踏まえての、文学論、現状認識論。
前作より、若干オタク的文化よりのような気がする。
とにかく、読書人はこれを読んでください。
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10月10日読了。1970年以前から存在する「自然主義的リアリズム」に対し、ライトノベル・美少女ゲームなどオタクが愛好する物語に特徴が顕著な「ゲーム的リアリズム」を持つ物語とは何か?について解き明かす本。自分の興味分野と重なり合う部分も多く、実にスリリングで面白かった!!世界と物語を1対1で紐付け(言語の透明性)、たった一つの不可避的な結末に向かう自然主義的物語に対し、「キャラクターの立った」登場人物を、幾多の可能性を持つ世界に投げ込んで「複数の可能性の中の一つの可能性」として選択された物語を語るゲーム的リアリズムを持つ物語・・・。「ひぐらしのなく頃に」が持つゲーム性(詐術、と称されるが)への分析など、大変興味深い。
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11/16読了。あぁ、なるほど。
マンガの、しかも出題編しか読んでおらず、原作をプレイしていないから当たり前なのだが、「ひぐらし」がどうしてあのような構成を採っているのかさっぱりわかっていなかった。が、この本を読んで納得。なるほどそういうことだったのか。他にも興味深い内容で、すごかった。新書ってこんなにわくわくするものだったかしらん。1.5時間で読了してしまった。面白い。
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この人の文学観は一体どうなってるんだろう? 自然主義的手法で書かれた小説イコール文学、という括りにはちょっとついていけない。小説のメタ性を崇拝視しすぎだし、「文学とかアニメとかゲームの垣根を取っ払った広い視野で批評を!」なんて言ってる割には、この人の視野が決定的に狭い。前著はまあまあだったのに。
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一部(?)の現代社会に深く浸透するライトノベルやゲームの成り立ちを文学的な視点から分析・考察する評論。著者が提案する枠組みは、ライトノベルやゲームの構成の必然性を理解するのに興味深いツールとなる。当方、文学には全く疎いが、本書のアプローチは文学としてはかなり斬新であるような印象を受けた。先端的な内容を述べていることから、「普通の」文学を押さえておくと、より深い洞察が得られると思う。
残念なのは、ここ数年に話題になった作品しかケーススタディに挙げていないことだ。10年前の某ライトノベルや某ゲームのほうが本書のアプローチの効果を説明しやすいだろうし、具体的に変遷をたどることで読者の理解をより確実なものにできるのではないかと思う。
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「80年代生まれの第三世代オタク」をライトノベルや美少女ゲームあたりから論じていたもの。
今のその辺がはやってる状況だから、必然的にその消費世代への言及が多かったんでしょうか。
ちょうど自分の世代の話(どちらかというと男性向けの話が多めでしたが)で面白かったです。
遥か3の時空跳躍な設定は、男性向けのあたりを参考に作ったのかも知れませんね、と思ったり。
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物語とメタ物語論の比較とゲーム的物語についての考察は面白かった。
しかしAIR等の作品単体についての批評ってのは
それこそ固有の結末(解釈)があるまさにゲーム的世界観だと思うし
面白いつまらないのシンプルな感想が好きです。
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『動物化するポストモダン』の続編。
ゼロ年代を代表する批評家、東浩紀のポストモダン論。
オタクを、ポストモダンの表象と位置づけ、オタク的なコンテンツである「キャラクター小説=ライトノベル」や「美少女ゲーム」を題材として、メタ物語性を中心とする「ゲームのような小説」「小説のようなゲーム」をポストモダンの産物だと論じている。
前半は理論の説明、後半は作品論となっており、私は後半の作品のうち『ひぐらしのなく頃に』と『九十九十九』しか読んだこと(プレイしたこと)はなかったが、納得できる論が展開されていた。
ひとつマイナス点を挙げるとすれば、全体への論の広がりがなかった点である。
確かに、この本に挙げられているコンテンツにおいては、(つまりオタクにおいては)この論は頷ける。しかし、それはあくまで部分的なものでしかない。その点に対処するために、文芸作品の範疇に属する『九十九十九』を挙げたのだろうが、それだけでは不十分に感じられた。