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ラカンは間違っている 精神分析から進化論へ みんなのレビュー

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紙の本

「全86頁」の薄い本だが、内容は非常に濃い。「読む価値」は大いにあると言える。

2010/03/15 22:50

6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:反形而上学者 - この投稿者のレビュー一覧を見る

フロイトが創始した「精神分析」は大きな広がりをみせ、結果として多数の心理学・心理療法を生むこととなった。
そうした潮流の中で、ジャック・ラカンという特異な存在が、精神分析や心理療法だけでなく、哲学・思想・文学・芸術という幅広い分野にまで影響を与える存在として、この日本でも受け入れられているのは多くの人が知るとことであろう。
本書は、そうした「ラカン」という極めて難解でありながら、専門家以外の人をも惹きつける不思議な「ラカンの精神分析」というものに対して、かつてラカン派の分析家であった著者が、「ラカンの精神分析」と決別した経緯が端的につづられている。
この本は「あとがき」も含めて「全86頁」という枚数しかなく、「そういう小冊子みたいな薄い本に1400円(税別本体)も払えない」という人も少なからず存在することと思うが、内容的には「86頁×3=258頁」に相当するくらいの非常に良質の内容を備えていると思う。

さて、前置きが長くなってしまったが、この愛すべき「小冊子」はちゃんとしたハードカバー装丁であり、そういう高級な装丁にわざわざした意味が本書にはあると、私には思えるのだ。
著者であるエヴァンスは、ラカンの精神分析について微に入り細に入って批判しているわけでは全く無い。そのようなことをすれば、到底このような枚数の論文には収まらなかったであろう。そして、本格的な論駁本であれば、こんどは生半可な枚数では収まらず、600頁は超えるであろう本にすらなってしまう。そこでエヴァンスは「難解なラカン用語」の一つ一つを取り上げることはせず、本書のテーマである「臨床効果」に絞ってこれもまた細部への言及は避けて論じるという方法を取っている。
ここまでだと、エヴァンスの論文は「スカスカ」で、「印象論」という大雑把なものに終始しているのではないだろうか、と読者は思うはずだ。
しかし、エヴァンスがラカン派を離脱して分析哲学(英米系哲学思想)方面への興味を深め、最終的には認知科学のひとつである「進化心理学」へと向かう。だから、本書での対立軸は「大陸系思想VS英米系思想」という真逆の思考ベクトルを持った、非常に根源的な問題へと読者の思考を誘う。
そういう非常に大きなものが背後に控えているからこそ、本書はわざわざ翻訳されたのであろう。
さらに、エヴァンスの論文の後に、本書の翻訳者である冨岡伸一郎が『カウセラーの立場からエヴァンスを読む』という論文を最後に添えて、本書をまとめている。冨岡は大学もアメリカで、大学院はコロンビア大でカウンセラーの修士課程を終了している「アメリカ仕込み」の心理カウンセラーだ。
この冨岡の論文が非常に良くて、「カウンセラーの臨床」という立場から、公平な考察を述べている。結果、エヴァンスへの理解を示しながら、ラカン派への理解をも示しているので、読者にとっては大きな「宿題」を提示することになるからだ。そう、やはりそれぞれの読者が考えなければならない問題なのである。
そういう「安易な批判本」にならなかった点は、大きく評価すべきであろう。
だがしかし、ほんの少しだけ私から見た本書への「意見」を書き添えておきたい。「ラカンの思考は曖昧過ぎる」という批判をして、認知科学や分析哲学を持ってきて、「精神分析」自体が抱えている「反証可能性」の欠如という問題をエヴァンスは強調するが、同じ分析哲学の巨人・クワインは「反証可能性の不要性」を論じてる。また、エヴァンスがラカン派になる前に勉強していた、「チョムスキーの言語学」はまさに「反証可能性」に欠けたものであり、日本でもチョムスキアンはかなりの少数であるという事実。しかし、エヴァンスは何度もチョムスキーに賛成するコメントを論文に残している。
また、公平を期すために書くが、冨岡の論文も「本書の仕事を受けるまでラカンについて全く知らなかった」というようなことを書いているが、これも信じられないことである。いくら英米でのラカン派がマイナーであるといっても、フランス現代思想などは全く読んでこなかったのであろうか。このように意外とカウンセリングを専門としている人は、自分の専門外に全くといっていいほどに疎いという現実があるのは否めない。
最後は少しばかり厳しい指摘をしたが、それとて本書を読まない理由には全くならないほどに、本書は様々な思考を誘発させてくれる良書である。是非とも多くの人に読んでみて欲しいと思う。

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