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存在を時間性から解き明かすという試みにいどんだ『存在と時間』と、それにつづく形而上学の始源へ向けてのハイデガーの思索について考察をおこなっている本です。
ハイデガーにとって「始源」とは、「そこからそこへ」の「そこ」として、哲学的思索の由来と将来が重なるところであると著者は述べます。この「始源」をめぐって、『存在と時間』における実存分析から時間性へとハイデガーの議論は進められながらも、「転回」に逢着することによって、「存在の歴史」に寄り添うようなしかたであらたな思索が開始されることになったことを、著者はいくつかのテーマをとおして解明しています。
とりあげられているテーマのなかには、ハイデガーの「神話」についての考察が含まれており、ギリシアにおける哲学の「始源」への探求と、彼の思索のたどることになった道が、どのような関係にあるのかということが論じられています。さらに、ヘルダーリンによる詩作が、存在の思索とどのようにかかわっていたのかということが明らかにされています。
巻末の「結びにかえて」で著者は、西洋と東洋の思索が交錯する可能性を、ハイデガーの思想のうちに見ようとしています。かつての京都学派的なハイデガー解釈に含まれていた可能性を、現代においてあたらしく見いだすことがほんとうに可能なのか、わたくしにはわからないのですが、著者が本書刊行後にどのようなかたちで考察を進めていこうと考えていたのか気になるところです。