紙の本
入門書として最適な一冊
2022/04/08 13:41
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投稿者:amisha - この投稿者のレビュー一覧を見る
瞽女とよばれる盲目の門付け女芸人らの発祥や歴史、近現代における生き様の変化を体系的にまとめた書籍。入門書籍として非常に簡潔で読みやすく、参考文献にも興味が持てる。
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なんと・・日本語を第二外国語にする人が著者。
学究とはすごいものだな。
とはいえ、決して、文化をおろそかにした日本人批判ではない。そうではなくて、鑑賞者の聴こうとする努力がなくなったことが、廃れさせた原因だという。聴くには努力がいるのだ。まさにその通りだと思う。
安易に聞き流し、飽きたら捨て、容易に新しいものに飛びつく、明治以降の日本人・・・そんな風に読めたんですが。
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文化庁は1970年に記録作成等の措置を講ずるべき無形文化財として認定した。
このような人らが越後の方にいたこと自体、知らなかった。こういう日本文化をまとめているのがアメリカ人というのもまた興味深い。
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瞽女の存在を知ったのは「はなれ瞽女おりん」が映画化された時。
今回この『瞽女うた』を読み、また思い出して映画を見てみた。当時は本を読んだだけだったのだ。
日本人でさえ瞽女の存在を知らない人もいるのに、アメリカ人で、しかも日本語でこの本を執筆したのは感心する。どうしてそんなに瞽女に興味を持ったのか。
江戸から明治にかけてが瞽女が一番活躍していた時代といわれている。その後、しだいに瞽女は少なくなっていった。
日本全体が貧しく余裕がなかった時代に盲目の女性が生きていくために三味線をもって各地の村々へ歌を歌い、その代償として、わずかな米や金銭を受け取っていた瞽女。
生きていくために瞽女と言う職業が成立していたのは歌を楽しみにしていた村人たちの信仰による部分も大きかったと思う。それはやはり日本的なことなのでアメリカ人にとっては興味深いことなのかもしれない。
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瞽女という言葉はいわゆる難読語に当たるのだろうか。「ごぜ」と読み、三味線などの楽器を手に家々を回り門口で歌を歌って暮らしを立てる、視覚障害者の女性芸能集団である。「ごぜ」は「盲御前(めくらごぜん)」の略である。
著者は元々、米国でピアニストとして学位を取ったようである。初来日した1985年に瞽女うたと出会い、その世界に魅了される。以来、日本近世芸能の研究者として、瞽女の研究を息長く続けている。2007年には、『瞽女と瞽女唄の研究』(名古屋大学出版会)という大著を著している。こちらは学術書だが、本書は一般向けに瞽女の世界へと読者を誘う案内書である。
個人的な話で恐縮だが、自分の出身地は、衰退していった瞽女が最後まで残った地域の1つである。父親が盲学校に勤めており、同僚の先生に瞽女の研究をしていた人もいたこともあって、瞽女という存在は何となく知っていた。家には普通の昔話の本に並んで『瞽女のごめんなんしょ昔』という本もあり、瞽女さん=家を回って歌を歌ったりお話をしたりする人、というイメージはあった。だが、本当の瞽女の門付けを聞いた覚えがない。昭和40~50年代には、従来のような形で生計を立てているというよりも、すでに研究対象であったということだろうと思う。
前置きが長くなったが、本書はこうした職能集団がいかにして生まれ、そしていつどのように衰退していったかを語る。いくつかの瞽女うたの楽譜やそれに関する音楽的考察もあり、興味深い。本書には音源は付属していないが、出版社による本書HPにいくつかの音源がリンクされている。
盲女の記録としては、古くは『日本霊異記』に奈良時代の話が収録されている。『今昔物語』にも見られるが、説話集であるこれらに収録される話は、目の見えない人が仏の功徳により開眼したといったストーリーである。
芸能者としての盲女に触れる文献は中世にちらほら見られはじめる。こうした女性たちは人が多く集まる名刹等で芸を披露し、糊口をしのいでいたようである。室町時代には貴族たちに召し抱えられた盲女の話も出てくるが、乞食のような生活を送っていたものも少なくはなかったようだ。
江戸時代になり、こうした盲女たちは「業」を持つようになってくる。身分制度の固定とともに、各階層に奉仕し、対価を得るものが出てくるのである。これらは、武家に仕えるもの、中流社会に音楽を提供するもの、そして町人・農民に唄を聞かせるものに大別することが出来る。富裕層に仕えたものはともかく、民衆の経済力に依存するものは、得てして厳しい条件にさらされた。不安定な生活を支えるために作られたのが瞽女の組合である。組合は各地に成立し、巡業の手配や、弟子の育成、生活全般の支援などを行った。この形のものが、明治期以降も残る瞽女の原型である。
江戸時代は瞽女を含めて、旅芸人の隆盛期であった。経済の発展もあり、人々は訪ねてくる瞽女を迎え、唄を聞き、もてなした。藩から慶弔時に施物があったり、扶持が出る例もあった。厳しい旅生活に耐え、ときに晴眼者から差別的な仕打ちを受けたりしながらも、瞽女たちは社会に受け入れられ、プロの芸能集団として腕を磨いていく。
瞽女が急速に衰退するきっかけとなるのは明治維新である。「近代化」の名の下に、「芸人」への締め付けは厳しくなる。「保護」すべき視覚障害者が互助することは許されず、各地の組合は解体に追い込まれる。
これに加えて、大正から昭和へと時代がうつるとともに、蓄音機が普及していき、東京で作られる「ヒット曲」があっという間に席巻するようになる。瞽女の唄う唄は「古い唄」と認識されるようになり、次第に時代に取り残されていく。
著者の手引きで瞽女の歴史を辿りつつ、HPの音源を聞き、楽譜の曲を弾いてみる。どこか懐かしく、ふくらみがある世界が広がる。
「終わらない終わり」と題された終章では、じっくりと読ませる考察が展開される。
私たちが失ってしまった柔軟なリズム感や細かい装飾音の多い旋律はどこへいってしまったのだろうか。それを取り戻すことは可能なのだろうか。
その問いは、瞽女唄に止まらず、現代文化そのものへのまなざしを促している。
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・ 私には瞽女は越後の瞽女である。3人で雪の中を門付けして歩く盲目の女性芸人である。実際、私以外の人もまた瞽女と言へば越後の瞽女を思ひ浮かべるのではないだらうか。私は彼女達しか知らないし、私の時代には彼女達しか存在してゐなかつたのである。ところが、瞽女といふのはそれだけではなかつた。ジェラルド・グローマー「瞽女うた」(岩波新書)もまた確かに彼女達から始まる。「序章 門付け唄を聴く」はかう始まる、「それほど昔ではなかった。春先になると越後の農村に芸人がやってきた。」(2頁) さうして瞽女唄を歌つて門付けをして歩くといふのである。これは私達に強固に刷り込まれた瞽女のイメージである。「戦後に、『瞽女』といえば『越後』と受け取られるようになった。それはなぜであろう。」(6頁)といふ疑問が本書にある。やはりさうなのである。さういふことである。そこで本書はまづその実態を探らうとする。「日本の歌謡文化の発展に貢献した瞽女は、数百年にわたり各地で活躍した。瞽女文化の黄金時代は近世中期から明治である。」(10~11 頁)として、以下に盲女の音楽家、瞽女の実態を見てゆく。「近世~明治初期における日本各地の瞽女人口(抄)」(12~13頁)といふ表が載る。ここにあるだけでも瞽女の全国的な広がりが知れる。盲人は今と違つて多かつたのである。だから瞽女も多かつた。しかし、ほとんど調査されることもなく、いつの間にかあちこちで消えてゆき、越後の瞽女だけが残つた。しかも、例へば八橋検校のやうな男性の盲人音楽家もゐたのに、彼らが瞽女と関はるとは私は考へもしなかつた。私は言はば瞽女文化の残滓を瞽女文化そのものと思ひ込んできたのであつた。問題は、さうではあつても「実際の瞽女像を得るには、越後瞽女から学びつつ、その背後にある空白を絶えず念頭に置く必要がある。」(10頁)といふのが実状だといふことである。
・本書は越後瞽女のみを扱ふわけではない。第1章「瞽女の時代ー宿命から職業芸人へー」は盲人、視覚障害者の生活苦からの脱出を考へる。その一つの手段が 瞽女であつた。「三種の瞽女稼業」(42頁)とある。武家に仕へた瞽女、中流社会に音楽を提供した瞽女、町人・農民に唄を聴かせた瞽女の三種である。いづれも結局は、聴衆、対象の貴賤を問はず、音楽を業とする。ただし、「瞽女の大半は、都鄙の別なく民衆に唄を聴かせ、音曲の稽古場を営んでいた。」(46頁)といふから、そのほとんどは先の三番目に入る。私は越後瞽女に囚はれてゐたから、瞽女が武家に仕へるなどといふことを考へもしなかつた。だから三種の瞽女は意外であつた。女性の盲人音楽家は皆瞽女なのである。本書で知つた一番大きなこと、それはこの一事であつた。これが本書のすべてではないが、本書の基礎である。明治に入ると「瞽女・座頭の禁止令」(200頁)が出て「瞽女の仲間組織は解体され」(201頁)ていく。敢へて言へば、盲人の居場所を明治政府が奪つたのである。ただし、新潟県はいささか事情が違ひ、しばらく組織はそのままにされてをり、後に「越後瞽女の組織改革」(202頁)を瞽女自身で行つた。これにより一時の隆盛を見たものの、結局は衰退の道をたどる。これが私の瞽女のイメー��につながる。筆者はそれだけでなく、なぜ瞽女唄が廃れたかを音楽として音楽的に考へようとする。だから最後に「瞽女唄が問うもの」(225頁)なる節がある。ごく大雑把に言へば、音楽における商業主義批判らしい。こ の主張の是非は別にして、私は本書から瞽女なる存在に蒙を啓かれた思ひである。それだけでも読んだ価値はあつたといふものであらう。
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帯に、「それほど昔ではなかった」とある。確かに、私もその存在を知らなかった。だが、彼女らが芸能の重要な役割を担っていたことは事実であり、著者が提起する問題、現代の我々がごぜうたをどのように聴くべきか、は重要だと思う。
(2015.2)
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瞽女さんの歌自体聞いたことないので、どんなもんかわからない。
でも興味深い。
明治までの視覚障がい者がどんなもんであったのかも、なんとなく知ることができた。
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私が今まで読んだ瞽女の本が、瞽女個人に焦点を当てたものに対して、この本は社会的な位置から瞽女のうたについて書かれている本、と思ったら著者さんは社会ではなくて音楽の方だと言うことに、最終章を読んで気づく。
うた、というものが、それを聞く環境を踏まえた文化であると思い知らされる。
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2005年5月25日。新潟県にある福祉施設で「最後の瞽女(ごぜ)」
と言われた小林ハルが亡くなった。
録音であったが、彼女の唄を聴いたことがある。決して美声では
ない。だが、低く重く響く声は足元を揺さぶるような迫力があった。
瞽女(ごぜ)。視覚に障害を持つ女性の旅芸人のことである。
本書は瞽女の誕生から晴眼者へと受け継がれた瞽女唄の
変遷を追っている。
小林ハルさんの評伝を読んでいるので瞽女さんに関しては
多少の知識はあったが、その歴史が中世から始まっていた
とは知らなかった。
しかも「瞽女」という言葉は、「盲御前」という呼び方が変化した
ものだったのとは。ちなみに「御前」は女性の尊称である。
大奥にはお抱えの瞽女さんがいたり、近世には各種の規制に
より旅芸人の行動範囲が狭まったりと何かと困難が伴った。
そして、明治維新以降はほぼ日本全国にいた瞽女さんは
廃業を余儀なくされ、昭和の時代には甲信越地方に僅か
の人数が残るだけになった。
政府による規制だけではない。蓄音機やラジオ・テレビの
出現が、瞽女さんたちの生業を難しくさせた。
季節ごとに各村落を巡って、門付けを行う瞽女さんは、娯楽
の少ない時代にはその訪問が待ち望まれたのだろうね。
本書には瞽女唄の歌詞や楽譜も掲載されている。残念ながら
私は楽譜が読めないのだが。
口承伝承の文化であった瞽女唄。今では視覚障害のない
女性が引き継いでいるようだが、それは瞽女唄であって
瞽女唄でないような気がする。
尚、小林ハルさんについては『鋼の女』(下重暁子 集英社
文庫)がおすすめ。壮絶で、過酷な人生を生きた人である。