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Bildungという言葉は厄介である。魅力的な言葉であるのに、他の言語に翻訳されるとまったく味気ない。その困難を自覚しながら、例えば、ヘーゲル哲学と今日の教育現実をつなぐ試み。「承認」を鍵としたBildungの読み直し。経験科学を問い直すBiograhie研究。人間形成の研究が常に「翻訳学」とワンセットであるべきことを教える一冊。(西平 直)
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それまでの秩序を捨てることは、喪の作業であり、それもひとつの出来事なのだろうか。
論文「異他的なもののへの応答」のレビュー
脱自=非知としての出来事との遭遇は、何かを要求している。それに応答することを通して、要求は要求になる。うちがしているのは、この出来事それ自体を発生させるということなのかな。既存の意味付けを解体する、新たな秩序が誕生する瞬間を作っているのがうちの本質なのかもしれない。
これまでは外傷に対してのどうこうと思っていたけれど、、、、既存の網の目の中での停滞感がその前の背景にあったにしても、うちがやっているのはあくまで、新しい秩序が「生まれる瞬間=出来事」をつくることなのだと思う。世界が異なる視点で「覗かれる」瞬間。その瞬間だけを作っているのだろか。
非知に対して、そこにどう応答するのかは、出来事に対して事後的に実行される領域であり、その試行錯誤の中で、異他的なものへの応答が果たされるということなのだと思うし、出来事が期待した「他者の誕生」が達成されるのだと思う。
ひとつ論点としてあるのは、出来事が起きるというのは、潜在的なものがかかわってはいないかということかな。つまり創発として、出来事を捉えることはできないかということ。潜在的なものに対して、出来事がそれを浮上させる。かといってその出来事自体では何かが解決されるわけではなく、あくまで秩序が変わった中で、主体は模索を続けるという。
以下引用
異他的なものに我々が遭遇する真正の様式。異他的なものと応答は、我々の干渉を拒んだり、さらには理解すらも超える
異他的なものは、そのつどの自己に固有なものからある境によって分離されている
不在や遠さ、接近不可能性が異他的なそのものに属する、
異他的なものが意味するのが、何かが、あるいは誰かが決して完全な形で自分の居場所にいないこと
このような異他性は、私の外にはじまるのではなく、主体の内なる異他性、または文化の内なる異他性という形ではじまる
京にいて京なつかしや時鳥
我々は時鳥の鳴き声をどんなによく知っていようとも、不意打ちを受ける心構えをしている限り、鳴き声によって何度でもなれたものから引き抜かれえる。自分自身の異他性や自分自身のもとにある異他性を否認する者は、どれだけ多くの陸や海を遍歴しようとも、いたるところで同じものや自分自身を繰り返し見出す
規則からの逸脱は、単なる逸脱の側面だけをかつきだすのなら、それは潜在的な規則の順守にかかわったまま。異様なものはあそのように明日にはなじみ内ものとして現れる
★★自我にとって異他的なものは、黙する自我ではなく、また別の自我でもなく、自我があるものをあるものとして経験し、自己を自己自身として経験するときにそこから出発するもの
経験とは「何かに突き当たること」つまり、襲い掛かるもの、立ち向かうもの、触発であると規定している
★★現象学は、志向的ないし、規則的に構成され��意味の領域が踏み越えられるような応答性に我々の注意を促す。このような領域が踏み越えられるのは、異他的なものからの要求、すなわち何らかの意味も有さず、また何らかの規則に従わず、逆にそれまで通用していた意味形成や規則形成を中断させ、新たにそれを始動させる、異他的なものからの要求に応答することにおいてである。私が応答するまさにそのこと、内容が意味を有するのは、私がそれに対して応答を差し向けるものからの挑発のおかげである。
異他的なものは、異他的なものの要求のうちに姿を現し、表現されるのであるが、志向的意味ないし規則に導かれた意味が生起することにより、我々の応答する相手と応答する内容との間の応答的差異が均されてしまうと、異他的なものはその異他性を失ってしまう
★異他的なものとしての異他的なものが要請するのは、意味と規則の彼岸に開始される現象学の応答的形態であり、そのような彼岸では、我々が問いによって知ろうとし、理解しようとする以前に、あるものが我々を挑発し、我々自身の可能性を問いに付すのである
異他的なものが現実態において出現するのは、志向性にかかわる目的の圏域を突き破り、そして同様にコミュニケーションにかかわる規則の圏域をも突き破る異他的なものからの要求のうちにである。この要求はふたつのもの、つまり誰かに向けられた訴えかけと、何かを対象とする申し立てを意味する
★応答は何かについて語ることをもってはじまるのではなく、いやそもそも語ることから始まるのではないのであって、むしろ避けることができないという一種独特の形態をとる、目を向けること、耳を傾けることから始まる。聴けという命令に対して、私はそれを耳にするからには、その命令に聞き従うほかない
★私に向けられた要求から生じるのは、空所を埋めるのではなく、他者の申し出や要求に応ずる何らかの応答をすることなのである。
このような応答が与えるのは他者が持っていないものではなく、他者が応答のうちに見出したり考えたりするもの
★異他的なものからの要求に応ずる応答は、決して言葉による発言に尽きない。
出来事の単数性、つまり通常の出来事から区別され、現にあるものとは別様に見、考え、行為することを可能にすることにより、現にあるものとして生ずる出来事の単数性
忘れ去られることのない決定的な出来事が存在するように、個人の生にもそのような出来事が存在するが、それはそうした出来事によって象徴的な秩序が導入され、責務が喚起されるから
何かを見る、聞き、考え、行い、感じる促す要求は、普遍法則から導かれるのではなく、それが実践的必然性として、我々の世界的社会的実存にとって不可欠の前提に属するという意味で、不可避性、退くことのできないことをもって現れる
私はコミュイケートしないわけにはいかないのと同様、私は聞き取った要求に応答しないわけにはいかない
単数の出来事は単に避けることのできない要求とともに現れるだけではなく、根源的な現在の優位を失墜される
精神的な外傷が、その後への影響によってしかとらえられないことも、これも事後性。
★★誕生というのは、それとともにある新し世界が開かれる誕生というものは、、いずれも後になってからでないと捉えられないがゆえに、再誕生という特徴を持っている。自由とはこの意味で、決して自分自身の下で、開始するのではなく、どこかよそで開始する能力を意味する。自分自身の元で開始することができると信じる者は、すでにあるものをただ繰り返すだけなのである。応答が意味するのは、最初の言葉を放棄すること、したがってまた最後の言葉を放棄すること
何らかの秩序を創設することはある出来事であり、その出来事は創設によって可能となる秩序に属するものではない。
★異他的なものからの要求に応ずること、そして応答を贈与することが、結果として交互的なギブアンドテイクになるのなら、それは自己に固有なものと、異他的なものとは、両者を比較したり、衝突が生じた際にそれらを調停したりする第三者の光のもとで眺められるときにはじめてそうなる
異他的なものは、ふと浮かんだ思い付き、不意をついてわれわれをおそう強迫観念、決して完全には目覚めることのない夢に似ている
通常の規定通りの応答に関しては、それが意味を有し、一定の規則に従うということができるが、同じことは、現行の秩序を破り、理解や相互了解の条件をともに変化させるような予想だにしない要求に対して何らかの応答をする場合には当てはまらない。
事物の秩序が揺らぐそこは、異他的なものによる誘発と、自己に固有なものによる生産ん間に裂け目を生じさせる
要求は、応答がそこにはめ込まれ、それに従う秩序に帰属するのではない、むしろ要求は要求んよって呼び覚まされる応答、そして追いつき得ないものとして要求に先をこされる応答のうちではじめて要求となる。
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本来そこが居場所になるはずだったのに、そうはならずにはみ出して行く人に思いを馳せる本。
非行に走る人に限らず、不登校や引きこもり傾向のある人が周囲にいる時、「もしかしてこういう事情があるのかも?」と考える糸口をくれる。
※教育系・哲学系にあまり接点のない人だと読みづらいかも