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学歴や学閥の意地の張り合い、功名心や権力への欲、こういうものは学問とはなんの関係もないばかりか、ときに学問を著しく歪め崩壊させる。
とまあ通りいっぺんの感想ではなく、著者が的確に記しているようにここに社会と個人の心の闇をみることは誤りでも大げさでもないだろう。
フロイトが自身の研究を考古学になぞらえたことを想う。
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分野の違いはあれ、一連のSTAP細胞とこの旧石器捏造はよく似ていると思う。素人、もしくは限りなく素人に近い研究者による捏造を、専門家が見抜けずに世に出てしまう。それをマスコミが異常なほど持ち上げ、捏造した人間は一躍時の人となる。やがて、捏造が発覚するも、検証は十分にされずにうやむやのうちに幕引きになる。マスコミも持ち上げた後ろめたさがあるから、それ以上は突っ込まない。
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プロであれアマチュアであれ研究者というのは、そのプライドゆえ妬みと誹謗中傷をいとわない性格が形成される。その結果事実が見えなくなってくる。
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旧石器捏造事件関連本なのだが、そもそも相沢忠洋の軌跡を追う中で芹沢長介を知り、芹沢を知るには晩年に起きた捏造事件を調べないわけにはいかなくなった、という経緯で書かれた本。
そのため、藤森氏の事件が怒るまでに醸成されていた考古学内の対立、在野アマチュア活動家の扱われ方などを理解することができた。
事件を中心に据えて入るものの、アプローチの仕方によって流れが捉えやすいので良かった。
その後の藤森氏とのやりとりが載っている点でも貴重である。
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前期旧石器時代の遺跡を捏造した「神の手」藤村新一につらなる日本考古学会の裏面?史。猜疑と嫉妬と権力欲。ドロドロの人間関係。科学に対して全く謙虚ではなく、従って人間関係が「成果」を決めていく。科学的ではないから、事実に基づく論争も、方法論に対する論争もない。そこに、「神の手」が付け入る隙があったのだろう。
考古学会だけの話ではないような気がする。日本のアカデミズムの多分今でも多くがこんなものだ・・と思う。STAP細胞の大騒ぎも突き詰めればそんなことではないか。だから付け入られる。
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副題に「考古学に憑かれた男たち」とあるように、日本旧石器時代研究の嚆矢となった岩宿遺跡の「発見者」相沢忠洋と、相沢の庇護者にして、後に捏造事件を起こす藤村新一を重用して旧石器研究をリードした芹沢長介を中心に、いわば「日本旧石器考古学の青春」を形成した考古学者たちの、まさに「憑かれた」というほかない野心と狂気をパーソナル・ヒストリーによって生々しく描いたノンフィクション。
芹沢の論敵であった杉原荘介の再評価を行った点や、失脚後の藤村への本格的インタビューに初めて成功した点で注目されるが、人間関係や学閥の醜悪な縄張り争いに問題を還元している傾向があり、旧石器捏造事件に至る学術上の必然性についての考察は薄く、竹岡俊樹『考古学崩壊』(勉誠出版、2014年)や岡村道雄『旧石器遺跡捏造事件』(山川出版社、2010年)などとの併読が望ましい。修士論文を「分割」して投稿したことを「狡猾」と評するなど学問に対する無知が散見されるのも気になる。
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事件に関わった人に焦点をあてたドキュメンタリー。考古学というより明治の学内政治のえげつなさが白い巨塔ならぬ石の巨塔。
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相澤忠洋氏の岩宿遺跡の発見については、多分教科書で知ったと思う。彼の著書の装丁は、ぼんやり覚えている。歴史に対する興味は持っていても、石器時代の発掘にまつわることまでは、手を広げて読んでいませんでした。でも、藤原新一氏の捏造事件では、一気に嫌悪感を覚え、考古学の文献や書物は、一切読むことはなくなりました。あれから、十五年もたったのです。この本によって、事件の概要や、考古学の変遷をたどることができ、幾分かは嫌悪感も静まったと思います。
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あれっ? どなたかのレポを読んで面白そうだったから、読んだのだけど…消えてますね…
毎日新聞社によるスクープ『発掘捏造』とその後の『古代史捏造』を読んで、大まかなことはわかったけれど、捏造の張本人が果たしてその後どうしたのか気になっていた。その謎は冒頭の直撃取材ですぐ明らかに。なんと、原発事故前の南相馬市に住んでいた。神の手ともてはやされた藤村氏は、事件がもとで妻と離婚、娘とも疎遠になる。その後ひっそりと田舎のボロ屋に移り住み、その地で再婚する。
著者の書き方によるのかもしれないが、藤村氏の言動はちょっと病んだ人のそれだ。とんでもないことをしでかしたという責め苦を感じる良心は持ち合わせているのだろうが、精神の均衡を保つために責任を回避しようともするので、結局のところ反省してんだかしてないんだかわからない。
捏造をした遺跡としてない遺跡の区別ができないくらい記憶が混濁している。本物の遺跡もあるのに、もう証明しようがないから藤村氏が発掘した遺跡は全部嘘ってことになってしまった。
さて、すべてをご破算にしてしまった藤村氏が尊敬していた人が「旧石器の神様」と言われた芹沢長介氏と、岩宿の発見として有名な相澤忠洋氏だ。この本の構成の中心はこの二人だ。
相澤氏の岩宿発見からはじまる戦後の考古学ブーム。その影では在野の考古学者とアカデミズムの学者の成果、名声の奪い合い、そしてアカデミズムの中での学閥抗争といった、考古学の世界の醜い主導権争いが描かれている。そして考古学の世界がいかに外部に対して閉ざされている世界なのかが書かれており、発掘捏造を見抜けなかったその体質の成り立ちがよくわかる。
つまるところ、藤村氏の発掘がおかしいと指摘していた人は外部にはいたけれど、それを無視したのは考古学の権威たちであるので、藤村氏個人に責任を押し付けられる問題ではないということ。マスコミも大発見に踊らされて、疑問視する声を取り上げてこなかったのだから責任がある。海外の学者とかに意見を求めていたら、いろんな疑問点が浮かび上がったはずだ。だって猿に近い原人が祭祀跡を残していたとかなんて、事実なら世界の人類史が変わる世界的な大発見だったのだから。そこに疑問も持たず発表を鵜呑みにしたのは恥ずかしい話だ。
WOWOWで以前、大泉洋主演で『地の塩』というドラマがあった。
大泉洋の演じる考古学者が師匠が唱えていた前期旧石器時代の存在を証明するために発掘を捏造するというもの。
言うまでもなく、これは藤村氏がモデルであり、芹沢氏の「日本に前期旧石器時代があった」という説の証明のために、発掘を捏造したという事件を基にしている。(藤村氏は芹沢氏の弟子というわけではないが、当時すでに重鎮となっていた芹沢氏の説を証明することが考古学の分野で認められるということだったので、芹沢氏が喜ぶような発見を捏造した)
「石の虚塔」というタイトルは考古学会の象徴する言葉としては非常にピッタリだと思う。
その中にいる人たちがどう考えているのかわからな��が、傍から見ると完全に瓦解しているので、土台から造り直して欲しい。
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人脈でもなくコネでもなく、実力だけがものをいう単純明快な世界がどこかに残っていてほしい、とぼくは思うのだが、科学の世界もそうではないらしい。特に考古学のように、実験による再現が難しい分野ではその傾向が強いのかもしれない。大昔の徒弟制度を見るようだ。
ただ、本書の目指すところがよくわからない。
捏造を行った「神の手」藤村新一は本書の冒頭と終盤に登場するだけ。藤村が捏造に手を染めた理由に踏み込むわけではない。捏造を見抜けなかった考古学界の構造的な問題を考えようというのであれば、本書の大部分を占める相澤忠洋や芹沢長介、杉原壮介といった考古学界の重鎮たちの来し方行く末はどのように読んでよいのかわからない。彼らの軋轢は興味深いけれど、部外者としては彼らのプライドやこだわりより、彼らの考古学上の発見のほうが興味深い。でもそれを解説するのは本筋ではない。
何が書きたかったんだろう?
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ノンフィクションでは対象の人物、ないしは分野の成り立ちの説明から始まり、それに関して「そんなのいいから盛り上がるとこ早く読ませてくれよ~」と思う事が度々ある。本作もそう感じながら読み進め、早く神の手による偽装のとこ読ませて!と思っていたが今回ばかりは大反省。面白い部分はまさに最初に書いたとこから浮かび上がる人達がいかに剥き出しで昭和っぽさ丸出し感と偉くなると共に権力化していき他を認めようとしない人の業なようなものが描かれた部分にこそフォーカスしているからこそこんなに良くも悪くも魅力的な人間達によるドロドロしたドラマがここにはあった。
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旧石器発掘捏造事件へ至る、人間模様を描く、ノンフィクション。
序章 オレたちの神様 第一章 岩宿の発見
第二章 人間・相澤忠洋 第三章 芹沢長介と登呂の鬼
第四章 前期旧石器狂騒 第五章 孤立する芹沢
第六章 暴かれる神の手 最終章 神々の黄昏
参考文献一覧有り。
何故、旧石器発掘捏造事件は起こったのか?
岩宿遺跡から事件へ至るまでの、人間模様と、その闇を描く。
一介のアマチュア発掘者から岩宿遺跡を発見した、相澤忠洋。
相澤と共に岩宿遺跡の発掘に携わり、旧石器時代の
研究を邁進した、芹沢長介。(父は芹沢銈介)
そして、藤村新一による捏造事件。
事件へ至るまでの日本の考古学の体質の闇深さといったら。
これらが捏造事件へ至るまでへの影響となるようだ。
在野の研究者の発見に慎重で懐疑的な、学者たち。
閉鎖的な体質からの、発見後の、反発、批判、誹謗中傷。
学閥の権威に、学歴至上主義。学者も在野の研究者も派閥争い。
それが「神の手」で多くの石器が発見されたことで、一変!
捏造の決定的な証拠が出るまで、信じきっていた。
まるで「東日流外三郡誌」の事件の如く。
ただ、遺跡が国の史跡になったことや教科書に載った経緯と
実際の事件についての記述が少ないこと、文中に画像が無いこと、
更に、著者の推測な感じの記述が多いのが、残念。