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紙の本
ももたろさん
2017/02/02 00:57
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:イシカミハサミ - この投稿者のレビュー一覧を見る
桃太郎本体よりも、
そこから読み解ける古代史中心の構成。
吉備と
物部。
紙の本
古代史と桃太郎伝説が紐づくとは意外でしたが・・・
2019/02/07 15:28
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:多摩のおじさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
著書との出会いは、先日亡くなられた梅原 猛氏の「隠された十字架 法隆寺論」で今までとは異なった古代史論に出会って
以来、今から20年以上も前から同じように想像力溢れる自由闊達な著者の持論に魅了され、デビュー作である「聖徳太子は
蘇我入鹿である」という衝撃的題名との出会い以来、著者の様々な作品を読み充分に楽しませて貰いました。
これまでのいくつかの書評でも記載したような盛り沢山の情報を伝えたい熱意の余りか、章名に対し構成する小見出しが関連する
ものに絞られず多岐に亙り、また小見出しに対する内容や結論の不一致、結論の先送り、また既に述べたとあるが何処で述べた
のかの明示がないこと等も以前のほどは目立たず、「古代史で読みとくかぐや姫の謎」と共に興味深く読ませて貰いました。
とは言え、他の作品で展開された著書の引用が多いことは古代史を語るうえでの前提条件としては避けて通れないことなのでしょう。
その中で、p.111からの三輪山周辺を舞台とした桃太郎にそっくりな伝説(「本朝神社考」による初瀬側が溢れ三輪山の大神神社
の前に、大きな甕が流れ着き、その中に玉のような男の子~秦河勝が入っていた~民俗学者の柳田国男も桃太郎伝説の最も古い
モチーフと指摘)や、しかも七世紀の「蘇我入鹿の乱」(=上宮王家滅亡事件(山背大兄王と一族の滅亡)と筆者は比定)で、上宮
王家つまり聖徳太子の一族に加勢していて、蘇我入鹿に睨まれていた秦河勝に繋がっていること、さらに世阿弥が「風姿花伝」の
中で、我が先祖はこの秦河勝であり、「秦河勝は祟る鬼」と新たな発見もあり驚かされました。
また、「吉備津彦命の最大の謎は、なぜヤマトから吉備を攻めた(p.146~152)のに、「吉備津彦命」か(p.173) 、また吉備臣の祖は、
「日本書記」では吉備津彦命でなく弟の「稚武彦命」、「古事記」では「稚武彦命」の孫の「吉備武彦」と指摘や、p.197の「五世紀
後半に吉備は反乱(上記の吉備津彦命の吉備攻め(p.146~152))を起こし、衰退したのに、前方後円墳体制は、六世紀末、七
世紀初頭までヤマト朝廷で採用され続けられ」、またp.198「物部氏の祖・饒速日命がヤマト建国前にヤマトに吉備から乗り込み、五
世紀後半の雄略天皇時代もしぶとく生き残ったものの、六世紀の継体天皇が越からヤマトに乗り込み、蘇我氏が勃興すると物部氏
は次第に追い詰められ、587年蘇我馬子に物部守屋が滅ぼされ、物部氏の衰退と合わせるように前方後円墳が造営されなくなった」
との指摘には首肯できたのですが、p.214からはいきなり「スサノヲとヒルコ」や鹿児島神宮の裏手で蛭子を祀る話等に飛び、p.218の
「出雲は、吉備と尾張に裏切られ、追われ、北部九州から西海岸を経由し、南部九州に逃れたのではと考えている」や、p.219の「崇
神天皇は吉備からヤマトに乗り込んだ王で、ニギハヤギと同一であろう」、またp.221「神武天皇は出雲神の末裔」なのであり、崇神天
皇は出雲の祟りを恐れ大田田根子を探し出したというが、大田田根子とはすなわち、神武天皇そのものだったと思われる」という、あく
まで推測の域での展開で、これが「桃太郎と吉備津彦命にまつわる伝承に隠された真実の歴史」なのかと、少し唖然とさせられました。
特に、崇神天皇が出雲の祟りを恐れ探し出された大田田根子は、大物主神を祀る祭主として探し出されたのであり、何を根拠に、また
いつから著者は、「大田田根子とはすなわち、神武天皇そのものだった」と考えるようになったのでしょうか・・・
本書には、その明確な根拠の記述がなく、残念です。
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