紙の本
難解でした
2019/07/15 17:51
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投稿者:キック - この投稿者のレビュー一覧を見る
積読本消化(とにかく文章自体は難解で、再読はしません)。第1章と第2章は裁判官の判断構造、第3章は刑事裁判、第4章と第5章は民事裁判、第6章は「和解」の実態、第7章は先例や権威追随構造、第8章は対策といった構成。裁判官は非常識な人が多いというのは良く聞く話ですが、本書には、裁判官個々人の問題に留まらず、日本の司法全体の惨憺たる状況が克明に書かれており、元裁判官による告発本であるだけに説得力がありました。ただ閉ざされた世界には自浄作用は働きにくく、本書程度の告発で変わることは難しいと思いました。
紙の本
密度の高い問題提起本
2015/02/21 15:07
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:masterA - この投稿者のレビュー一覧を見る
一部メディアの書評でも高く評価されている本。書名で、日本ではなく「ニッポン」としているとおり、現行の日本の訴訟の残念な状況を、裁判官経験が長く、現在、ロースクール教員である著者が、批判的なスタンスから事実に基づいて論述しており、非常に読み応えがある。
なお、著者も言っているが、この本は「密度の高い記述」がなされており、ある程度の司法制度についての知識がないと、読了に骨が折れるかもしれない。
いずれにせよ、著者の続刊を期待したい。
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前著『絶望の裁判所』に続く元裁判官の裁判所批判
前の本よりは少しはマシであるが、相変わらず客観的根拠に乏しい書物である。
自分のことを人文科学と芸術的バックグラウンドをもった自由主義の人間とか自己評価しているあたりでお察しください、という感じである。突然マンガとか、ボブディランとかを引用するあたりが、飲み屋でクダ巻いてるおっさんっぽい。
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裁判所に対する見方として非常に参考になりました。判決などでなるほどと思えることがあるからです。変えていくことの難しさも感じていますが、自由にものを言える環境が何よりも必要です。そのために、果たすべき役割があることを再認識しました。
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この国の組織はほっておくとどんどん役所化していくのだろう。
体制側としては役所化した裁判所は何ら問題ないはず。
マスコミも役所化しているし。
変革するには我が国が最も苦手とする草の根運動しかないのか。
かの隣国の人治主義を嘲笑っている場合ではない。
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以前、「原子力ムラ」と言う言葉がメディアで話題になっていた。それと同様に「司法ムラ」と言うのがあるようだ。それは、裁判官の判決の下し方、最初から和解ありきのナンチャッテ裁判と言った具合に、裁判を受ける側を向いておらず、周りと上を気にした裁判で判決を下すことが多い。
以前、日本の刑事司法は中世並と言う批判を2013年5月にジュネーブの国際拷問禁止委員会で指摘された。それに対して「日本は刑事司法の分野で最も先進的な国の1つだ」と述べて、苦笑いされると「笑うな。シャラップ」と言って会場を氷つかせてあの雪の女王アナ真っ青の発言をした日本の人権人道担当大使がいた。あの一発芸で一世を風靡した「シャラップ上田こと上田秀明氏。日本の司法の意識を図らずも浮き彫りにした出来事だった。中世どころか古代と言ってもいい。
一度有罪にしたらなかなか間違っていて本当は無罪であってもなかなか誤りを認めない。認めると将来の出世に影響することを気にしているのか、組織の看板に傷がつくことを恐れているのかどうなのか。
えん罪に関して、著者はあるジャーナリストから恐ろしいことを聞いたと書いている。それは、「電車内で女性を含む怪しい集団に取り囲まれそうになったら、すぐに逃げないとだめです」と忠告されたそうだ。ホンマでっかTVで軍事評論家のテレンス・リーが同様のことを言っていたのを思い出す。こうやって都合の悪い人間をホワイトニングして社会から抹殺するのか。
裁判官が和解を勧めるのは、「和をもって貴し」と言う精神にのっとっているからではなく、自分たちの都合でやっているのが読んで見て浮き彫りになる。
内部にいた方でないとなかなか表に出ることのないことが書かれていてびっくりした。それと同時に背筋がぞっとした。やはり司法の世界は中世で時間が止まっているようだ。
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著者によると”法律系の一般書としてはほとんど初めてといってよいほどの大きな反響を呼んだ”という『絶望の裁判所』の姉妹書である。前著が、裁判所という組織の制度批判であるのに対して、本書は検察も含めた「裁判批判」の書になるとのこと。特捜検察による国策捜査、人質司法、足利事件や袴田事件の死刑判決が下った冤罪事件、などが取り上げられている。
本書を読む前から、青木理『国策捜査』、『絞首刑』、村山治『市場検察』、佐藤優『国家の罠』、『獄中記』、清水潔『桶川ストーカー殺人事件』、『殺人犯はそこにいる』、魚住昭『官僚とメディア』、緒方誠規『袴田事件を裁いた男』といった本を読んで、日本の裁判というのも相当問題があるなと思っていた。特に、起訴後の有罪率が99.9%という異常さは、裁判所としての責任放棄にも思える。もしくは、無罪になりそうなものは上げないという検察の職務怠慢なのかもしれない。さらに、人質司法についても相当に問題があり、著者も「「人質司法」を根絶しないかぎり、冤罪は、絶対になくならない」と断言する。
この辺りの著者の論は、自分でも参考にしたと参照本を引いていることも多いが、先に挙げた本の内容を大きく超えるものではない。やはり著者の問題意識のコアは『絶望の裁判所』の方だ。司法システムを「株式会社ジャスティス」として、そのブラックぶりをあげつらった章が如実にそのことを示している。著者は、最終的な解として、事務総局人事局の解体と、キャリアシステムの法曹一元化への移行しかない、と言う。それが正解であり実現可能性(その手法が重要)が少しでもあるものなのか、門外漢からはピンと来ないのであるが。
裁判所に対する批判においては、キャリアの半ばで鬱病を発症するまでに至った著者自身のルサンチマンが影響していると考えるべきだろう。その上でも一面以上の真実が含まれていることもまた確実であり、大きな課題として広く認知されてほしいし、裁判所や司法システムの中にいる人が自覚的であってほしい。
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実は、トール・ノーレットランダーシュの『ユーザイリュージョン』が、人の判断における無意識の領域が占める割合が高いことを示すために引かれていたので、一気に信頼感が湧いた。あまり有名な本ではないので参照されたこと自体に驚いたのだが、その本に含まれる内容は優れて重要で、広く読まれるべき本だと考えている本だからだ。また、バルトまで引っ張って「有罪のエクリチュール」とまで言ってしまうのは、対象とする読者に伝わらないのではないかと心配だ。自分にとっては腑に落ちる表現でよいんだけど。
↓『ユーザーイリュージョン―意識という幻想』
http://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4314009241
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昨年話題になった「絶望の裁判所」の姉妹書。
その「絶望ー」は読んでいないのですが、本書でも語られるニッポンの裁判の現実は、かなり「絶望」的に感じられます。
以前から酷いのは漠然とはわかっていたが、改めて事細かに示されると、少々げんなりします。
いったいどうすればいいのだろう?
とりあえず、そのうち「絶望ー」も読んでみます。
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元裁判官が明かす、日本の司法の実態。それにしても酷すぎますね、最高裁判所事務局官僚。権力の犬、手先と化してしまっています。そら鬱病になってしまう裁判官は当然出て来るでしょう。マインドコントロールされてしまって、事なかれ主義に走り、それはそれでよしとする裁判官の絶対数は増えるばかりでしょう。日本の正義を司る最高裁判所は先進諸国からバカにされても仕方ないですが、冤罪、そして、正義の裁判を受けられない日本国民はたまったものではありません(涙)
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昨年読んだ、無罪請負人刑事弁護とは何か? (http://mogura7.zenno.info/~et/xoops/modules/amaxoop2/article.php?lid=5892)
あたりから日本の司法が心配になってきて、その一貫で購入した本。上の著作も引用されていた。
前著に「絶望の裁判所」があるそうで、その姉妹本ともなる本書。元エリート裁判官による、暴露本といっていいような内容なんだが、前著で批判の的となった司法の側が、何ら反論もせず頬被りを決め込んでいるという。
大多数の国民にとって、縁のない世界ですが、ここまでひどいものとは思いもよりませんでした。やっぱ、国民が・・・というよりもその前に、これを報じるマスコミに頑張ってもらわねばと感じました。
(2015/5/28)
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読み終わった、としたが、最後まで読むのは辛いので止めたというのが本当のところ。あまりにも酷い話が続々出てきて、現行のシステムを根本から再構築しないと、正義は行なえないと思ってしまう。ナントカしなくちゃいけないね。
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「絶望の-」とは違い、個別の判例を中心に批判を展開している。こっちの方が受けそうだが、タイトルのインパクトが落ちてしまった。
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構造的に事なかれ主義・先例や権威追随志向の日本の裁判。高裁・最高裁とヒエラルキーが上がるにつれて、統治者としての仲間意識・権力擁護者・調停人の要素が強くなる。法と正義の番人ではなく、権力の番人、擁護者、忠犬。
株式会社「ジャスティス」のたとえ話が、わかりやすかったです。より良い司法が、より良い国であるために必要であることが再認識できました。
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2014年に同じ講談社現代新書で『絶望の裁判所』を発表した、元東京地裁、最高裁の民事系の裁判官による著作。
前著が、裁判所や裁判官制度のような制度面の問題を取り上げていたのに対し、本書では、裁判そのもののあり方について論じられている。
本書で著者は、
◆裁判においては、裁判官による「判断」が先にあり、その判断の後付けによる検証、説明、正当化として「判決」が存在する。人間の一般的な思考は、まず結論があって後からその検証、理屈付けが行われるのであり、裁判の場合もその例外ではない。
◆法的判断は、法をその枠組みとしながらも、本質的には、裁判官の個人的な価値選択・判断であり、その全人格の反映である。即ち、裁判官の価値観により判決は大きく異なり得るのであり、裁判官が「法」を作るとさえ言える。
◆日本では、容易な身柄の拘束と密室における過酷な取り調べ、捜査・起訴等に関する強大な検察の権限とそれをチェックする適切な仕組みの不在、被疑者・被告人に対する一般の人々の無関心などが相俟って、冤罪が構造的に作り出されてきた。また、有罪率99.9%という実績が、裁判官に無罪判決を下すことを躊躇させている。
◆最高裁判所事務総局は、下級審の裁判内容をコントロールしている。原告泣かせと言われた名誉棄損損害賠償請求は、政治家の圧力によりメディア等の被告の敗訴率が高まった。原発の運転差止め訴訟については、同事務総局は極めて露骨な却下、棄却誘導工作を行っていた。
◆日本の裁判官の多くは「裁判を行っている官僚」であり、行政訴訟の勝訴率の低さ、憲法訴訟の扱いを見ると、裁判所は国民支配のための道具・装置であるとさえ言える。
◆民事裁判の有力な解決方法である和解について、日本では、欧米諸国と異なる交互面接型で行われるため、裁判官により和解を強要されるケースが少なくなく、国際標準から大きく外れている。
などと述べ、袴田事件、恵庭OL殺人事件などの具体的な事件についても詳しく解説している。
日頃各種報道で様々な裁判に関わる事件・事象を目にしつつも、その判決の内容や背景を深く掘り下げて考えるための材料を持たなかったが、本書により、最終的な判断を下す裁判官の思考・判断の構造と、裁判の類型毎の特性や背景を網羅的に掴むことができ、今後の報道の受け取り方の一つのベースができたと思う。
それにしても、“法的判断は裁判官の全人格の反映である”という考えは、重みがあり、恐ろしくもある。
人が人を裁けるのか。。。司法の持つ根源的なテーマを改めて考えてしまう。
(2015年1月了)
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今回もすっごく攻撃的。
裁判官の発言に「それってどうなの」と思うことが時々あっても、それは弁護士に対してだって思うことも、検察官に対してだって思うこともあるし、ほかの職種の人に思うことだってあるし、「裁判官」でひとくくりにすることが適切かはわからない。ただその与える影響の大きさについては、常に、裁判官も、意識していなくてはならないと思う。
筆者は「絶望の裁判所」に対して裁判所からの反論がなかったことをしきりに言ってるけども、「大多数はこうなのだ」という決めつけに対して反論するのは、論理的に困難な気が…。「そんなことないよー自分や周りはそんなことなくがんばってるよー」って各自言えばいいのか?