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秦の半両銭は十二銖の重さであり、秦の聖数のため制定された、後に約数である四銖の重さを公定貨幣とした。漢武帝は五銖銭を鋳造し、漢の聖数五を取り入れ、秦からの価値観の脱却を図ったと一説を紹介している。
半両銭は、時代が下がるに従って軽くなっていったが、銭文の半両は変わらず、全て一銭として通用した。しかし銭文と実重量の乖離・混乱に抗しきれず、五銖銭という銭文と重量一致の公定貨幣を生み出すに至る。
当時の価格は固定官価・平価・実勢価格の三価が有った。固定官価は律文記載の価格、実勢価格は市場での実価格、平価は実価格を参照して決められる官民取引時の価格。当時の市は場内の一区画に制限され、また同業種は固まっており商品には値札がかけられていたために価格競争は激しく、商人の不当収益は図りにくかったのではないか。
爵位・血縁・徳行・価格の各次元の価値観が独立して存在する四肢的世界観と提唱する。また古代漢帝国の貨幣を上位の黄金、中位の布帛、低位の銭の三貨制とし、そうした複数のコミュニケーションや貨幣を存立させたことが、帝国の強靭性を生んだと主張している。