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テレビで拝見し気になってたヒト。戦争の始め方は想像できるが戦争を良い終わらせ方をするのは始めるエネルギーの何万倍も。その困難さは、正解がない。
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各地の紛争調停をしていた筆者が福島の高校生に対して行った授業をまとめ直した本。筆者の側からの視点であるが国際紛争とか自衛隊派遣とか自衛権とかの現実が非常にわかりやすく書かれている。もし、その手の話をするのであれば、事前に読んでおくべき一冊。
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ソフトカバーで、表紙も可愛い感じなので、気軽によみ始めたら(タイトルからして、「気軽」がそもそも間違っているが)、なかなかどうして、一言一句が読み飛ばせない重さで、なかなか読み進められなかった。私にとっては、もっと時間をかけてじっくり読んだほうがよかったのだろうが、とりあえず読み切った。
今の国際情勢で、一つの正解などなく、読んだからといってスッキリせず、ますますわからなくなったが、そう思えたことだけでも収穫か。
”異文化共存というような生易しい掛け声ではない。我々自身が生き延びるために、異質なものと、融合しなくてもいいから、身近にいても、なんとかやってゆく。こういう胆力を、集団としての我々がもつ以外にないのだろう。我々が排他する側の視点を、理解しなくてもいいから知る。その必要性を、生存のための条件として認識するしかない。”(418ページ あとがき)
あと2ヶ所引用。
”戦争は国家として、社会として、人間が下すひとつの政治決定ですから、それを仕掛ける人々が必ずいるはずです。1928年にイギリスで刊行された『戦時の嘘』という本があります。国会議員のアーサー・ポンソビーという人が書いた本で、彼は第一次世界大戦時にイギリス政府がおこなったプロパガンダを分析しました。現代の戦争にも、モロ当てはまることが多いから、よく紹介されているんだ。
戦争をやりたいと考える政府は、自国民に向けて”事実”を伝えるのですが、そういうメッセージには歴史的にパターンがあるのだと、次のようにまとめています。
①われわれは戦争はしたくはない
②しかし敵側が一方的に戦争を望んだ
③敵の指導者は悪魔のような人間だ
④われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う
⑤われわれも誤って犠牲を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為におよんでいる
⑥敵は卑劣な兵器や戦略を用いている
⑦われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大
⑧芸術家や知識人も正義の戦いを支持している
⑨われわれの大義は神聖なものである
⑩この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である
(アンヌ・モレリ著『戦争プロパガンダ10の法則』草思社、2002年)”(123ページ)
”人権が尊重される戦後を作ることが大切なのは当たり前ですが、目指すべきは、それがあって当然と、人権にその社会を支配させようとするのではなく、その場、その時に合った人権を作ってゆくことだと思うのです。
人権は、僕たちの正義の中で最も強い、人類全体のゴールとしてあるべきものと考えられているので、今言ったことが広く理解を得るのは難しいでしょう。でも、頭の片隅でいいから、これをすこしでも気に留めておけば、人権に悖る敵、もしくはそのように喧伝される敵が現れたとき、必要以上にコテンパンにしちゃうことを防げるような気がするのです。”(322ページ)
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加藤陽子の本と同じく、このような授業を受けた若者たちがどんな風に大人になっているのか興味がある。彼らは幸せだ。
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2015年10月25日に開催されたビブリオバトルinいこまで発表された本です。テーマは「もっと売れていい本」。チャンプ本!
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高校生と戦争の背景について対話することで
本にしようと企画してから数年を要し
行き着いた所が県立福島高等学校の二年生18名
2012年の1月震災と原発事故の後
戰爭の現場で得たナマの体験とそこから得た思いを語り
意見交換する講義が仮設校舎で始まった
伊勢崎さんは日本の同盟国アメリカ側に立ち
アメリカが破壊した国をアメリカの要望にそって
作り変えたりテロリストとアメリカが呼ぶ人間たちとの
和解を模索したりの自作自演
戦闘がない状態を平和と呼び
悪いことをしたとされる人間を裁くことを正義と呼ぶなら
この両者が必ずしも両立しない現実をつくる当事者を
収入を得る仕事として引き受けてきた=利己的な過干渉
これはあくまでも異国における異邦人=第三者としての立場であり
紛争の当事者たちとは一線を画し
密接に関わることがあっても決定的な壁が存在する
その場の脅威を理解できても共有することはない
しかし2011年の東電福島第一原発事故(事件)では
その脅威を日本人として共有することになった
脅威の当事者は逃れるための究極の手段として戰爭を選択させる
平和と正義の関係は一筋縄の思惑で行かなくても
理不尽に巻き込まれる当事者としての住民の被害を
第三者として出来る限り減らしたい
しかしその脅威の形成に民衆自身も主体的に関わっている現状が
発生していたら・・・などの答えのない自問自答が
現場から距離を置くにつれて強くなり
切磋琢磨する仲間が欲しくなった
福島の高校生は原子力産業とそれを推進する政治による
構造的暴力の被害者側にいる
彼らは冷静で辛辣な観察にユーモアを添える余裕を持ち合わせていた
5日間述べ20余時間に及ぶ授業のなか
震災と原発のメルトダウンという非日常に晒されていた彼らと
国際紛争という日本人にとって非日常の世界を
単に知識と情報の伝達ではなくどこまで共有できるか
その試みは予想以上にスリリングであった
その後の国際情勢は悪化の方向に目まぐるしく変化している
その後の福島も政府によって広島長崎と同じように
帰還することへと追いやられ置き去りにされたモルモット状態である
何事も現場は現場でリアリティーのある物的な摩擦の関係の
断片を詳しく知り搾取の相手を操ることができる
しかし現場しか見ていない視野の狭さに陥ると
天に唾を吐いている自分が見えない
911のブッシュにしろ後方支援の小泉にしろ
個人的な損得とご都合だけで矛盾点などかえりみず
自分も含めた全体を見過ごし
大損をしていることから目をそらして逃げまわることになる
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福島の高校生たちとの掛け合いスタイルで、平和や戦争について語る。俗物の印象しかない伊勢崎さんだけど彼の経験はなかなか異質で面白い。国連組織の実際や武装解除をいかに成してきたか、柔らかな国境とは何か、東ティモール、シエラレオネ、ルワンダ、アフガニスタン、パキスタンなどのいろいろな国の紛争についてなど、勉強になった。
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著者は戦後処理の専門家ということで、先日読んだ瀬谷さんの先輩に当たるのかもしれない。
武器を捨てて平和を叫べば平和になるとかいう信仰ではなくて、もっと現実的なところから戦争と平和を考えさせられる。
なぜ人は武器を捨てられないのか、なぜ国家は軍隊を持ってしまうのか、というあたりが東ティモールやアフガニスタンなどの事例から語られる。
人々の思想が、思考が、現実に追いついていなくて、現場では無理矢理にギリギリで現実とすりあわせている。
日本で戦後の武装解除が速やかに進んだのはむしろ例外であって、これを常識だと思ってはいけないのだろう。
秀吉に代表される刀狩りの歴史があったからかもしれないし、日本人が部族の集合でなく象徴の元ひとつに統合されていたからかもしれない。
これを高校生に向かって話していたというのがなかなかすごい。
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非常に面白い。けど、読後感が微妙。結局明快な解はなく、みんなで考えていくしかない。
紛争調停や武装解除の交渉役だった著者と福島の高校生との対談で、凄く読みやすいが読みでがある。
以前は、武力介入というと、片方の勢力を助けて軍事力を支援し、それによって内戦が長引くというイメージしかなかった。実際にはそんな単純ではなく、また介入する側も緊張感を持って対応されていることが分かった。
日本は、広島、長崎、福島を経験し、米国に虐げられたが仲が良く、軍隊を持っているが自らは撃たない。そんな特殊な国だからこそできることがあると思いました。
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【由来】
・ダイヤモンド
【期待したもの】
・
※「それは何か」を意識する、つまり、とりあえずの速読用か、テーマに関連していて、何を掴みたいのか、などを明確にする習慣を身につける訓練。
【要約】
・
【ノート】
・
【目次】
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「紛争解決人」伊勢崎賢治氏が高校2年生18名に対して5日間にわたって行った講義の記録。
紛争によって双方が受ける多大な被害を考えれば得をする人なんて誰もいないと思うのだが、紛争終結の場を仕切り、武装解除、戦後復興に携わってきた伊勢崎氏の話に耳を傾けていると、世界平和など絵空事。事情はもっと複雑だし、それぞれの言い分があるのだと改めて思わされた。
なお、高校生は福島県立福島高等学校の生徒。
東日本大震災後の原発事故が収束させられようかという2012年1月のことで、原発事故と紛争という対比もそれなりに面白かったが、途中からはそれどころではなくなった。
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日本人の多くが知らないリアルが書かれていた。戦争をなくす、終息させることの難しさ、複雑さ、そして日本人として何をなすべきか、どうあるべきか、本著により本当に考えさせられた。自分たちの側面でしかこれまでは考えてこなかったが、さまざまな思惑や思想が複雑に絡み合っている中での問題であることをあらためて認識した。自分一人にできることは限られている。ちっぽけな存在だと強く思う。ただただ人間の底力を信じたいと願うばかりである。
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こんな話にちゃんとついてきている高校生、すごい。感心した。えらすぎる。
しかし、よく考えると、著者は、積極的平和のためなら、殺人も辞さない立場で物事を進めてきた人。かたや福島の高校生は、国家の政策の犠牲となって、大切なものを全て奪われた。よくも、まあ、そんな子ら相手にこんな話ができたもんだ。
人の命は、はかなく、世の中には、人殺しなんて、なんとも思わずためらわずできちゃう人ら、ごまんと居る。そんなの、日本の大多数の人にとっては、テレビの向こうの非日常にしか存在しない。私は、暴力装置が、目に見える形で存在するところには住みたくないから日本に住むことを選んだし。
こんなに平和な日本で育った人を自衛隊として、送っちゃっていいわけ?といつも思う。
直視しなくて良いなら、9条❤️で終わらせときたいが、それではすまないところへ日本は引き摺り出されつつある。
個人的には、アフガンが鎮静化して、戦犯だらけの傀儡政権作っちゃって、どうよ、その人選ってインドでの報道を見て思ってたわけだけど、なるほど、そういうことだったのね、って長年の謎が解けた。しかも、この人が、一端噛んでたのね。たんなる自慢話ではなく、自戒と反省を語っては、いるけど…。
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シエラレオネ、東ティモール、アフガニスタンと紛争地に出向いて渦中で働いた伊勢崎賢治と福島高校生徒のセッションのような授業の記録。
ーー僕の経験談のなかに、新たな発見をする場面がいくつも出てきた(結局、僕自身も、人殺しを厭わない正義の民意をつくる「仕掛け人」を演っていた……とか)。ーーあとがきより
氏の経験は高度な政治的な介入の力をふるうことであり、現地の武装勢力や人々や権力者にに直接働きかけることだった。結果として彼らを騙すことになったり狂暴化させてしまったり放り出す形になったり……とても肯定する気にはなれない。しかし、否定もできない。役割として目覚ましい活躍をされたとも思う。
読んでいる間中モヤモヤした。国連や西側の大国が人道的介入や支援をして、後々までとても良かったと言い切れるケースはどのくらいあるのかと。人道人道と言いつつ自国の利益が絡むものであるし、そうでないのも胡散臭いというか無責任にもなるだろう。
氏の言うことはなるほどと思うことが多いのだけれど、御本人が過去の立場から大きく離れて議論が深められていないように感じた。
一方、高校生のひとりひとりは明確にかかれてなく合いの手ほどの発言だけだが、とても冷静な感じがした。彼らの考えを改めて聞いてみたい。
個人的には連合国軍ベースの国連、アメリカに頼ること大の西側諸国イコール国際社会という枠組みがもうポンコツなんだと思っている。
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①われわれは戦争をしたくはない
②しかし敵側が一方的に戦争を望んだ
③敵の指導者は悪魔のような人間だ
④われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う
⑤われわれも誤って犠牲をたすことがある。だが敵はわざと残虐行為におよんでいる
⑥敵は卑劣な兵器や戦略を用いている
⑦われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大
⑧芸術家や知識人も正義の戦いを支持している
⑨われわれの大義は神聖なものである
⑩この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である
『戦争プロパガンダ10の法則』