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- カテゴリ:一般
- 発行年月:1999.10
- 出版社: 岩波書店
- サイズ:20cm/244,2p
- 利用対象:一般
- ISBN:4-00-022706-8
紙の本
憲法学のフロンティア
著者 長谷部 恭男 (著)
人権、公共の福祉、主権といった、憲法に登場する基本概念はそもそも何のためにあるのか。放送の自由やプライヴァシー権など現代社会で生まれた新しい問題の探求を通じて、いま、憲法...
憲法学のフロンティア
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商品説明
人権、公共の福祉、主権といった、憲法に登場する基本概念はそもそも何のためにあるのか。放送の自由やプライヴァシー権など現代社会で生まれた新しい問題の探求を通じて、いま、憲法について根底から考える。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
長谷部 恭男
- 略歴
- 〈長谷部恭男〉1956年広島県生まれ。東京大学法学部卒業。同助手、学習院大学法学部教授を経て、現在、東京大学法学部教授。著書に「テレビの憲法理論」、編著書に「リーディングズ現代の憲法」など。
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紙の本
展開する立憲主義
2006/02/13 04:36
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:半久 - この投稿者のレビュー一覧を見る
長谷部憲法学の理論的支柱であるところの、近代立憲主義によって創設・維持される「リベラル・デモクラシー」。これが本書全体を貫く「基本概念」であり、第一章『リベラル・デモクラシーの基底にあるもの』で示される。
まことに歯切れの良い、きりりとした理論だ。
《第一に、人がいかに生きるべきか、世界の意味、人生の意味は何かといった、各人の生の究極にある価値は多様でありしかも相互に比較不能であることを、リベラル・デモクラシーは前提とする。》
《第二に、リベラル・デモクラシーは国家を自明の存在とは考えない。各人は、本来、自分の判断で自由に生きる存在である。なぜ、人が自身の考えによってではなく、国家の命ずるところに従って行動しなければならないかは、説明を要する事柄である。国家権力は正当化を要する。
国家の正当化根拠は、比較不能な世界観に帰依する人々が、なぜ、それでも共に暮らし、社会生活の便宜を分かち合おうとするかを問うことで明らかとなる。》
《注意を要するのは、リベラル・デモクラシーの下での国家の役割は、最初から限定されていることである。たとえば、国家は人としての善い生き方がいかにあるべきかを教えない。それは各人が自分で考え、自分で決断し、改訂し、自ら生きるべきである。リベラル・デモクラシーの下での国家は自明の存在ではない。それは、正当化を必要とし、正当とされる範囲内でのみ活動すべき存在である。多様な世界観を抱く人々が、それでもなお社会生活の便宜を分かち合うために人為的に構成した存在である。》
一部の抜粋だが、ロールズやローティ、ドゥウォーキンにも近い、基本的にはかなり多くのリベラリストが共有できる概念規定だと思う。
私もできることなら「諸手をあげて賛成」したい。
しかし、一方では(かなり以前からも)「リベラル・デモクラシー」が揺らいでいるのも事実だと思う。「リベラル・デモクラシー」は、「自由な研究」による科学技術の進歩を支えてきたが、昨今は生命科学等の進展に伴い、「権利」の肥大化を助長するように働いてはいまいか。
売買春問題はどうだろう。売春を、成人が自らの意志で「セックス・ワーカー」を選び取り、顧客との合意の元で営業する行為だとする。それなら、「自律的個人」という理念に賭けるリベラリズムは、原理的には売春を認めて差し支えないという結論になるのではないか(宮台氏のように)。
ポルノグラフィについては、禁止ではなく時間や空間的な規制で対処するとしているが、売買春問題には触れていない。
リベラリズムを徹底するか、それを超える新たな枠組みを構築するべきか、あるいは共同体的な善をデモクラティックに追求するか。それとも、その都度の個別問題ごとに「限界域」を設定するべきか、政治的多元主義を深化させるのがいいのか。完璧な結論は簡単には出ない。そのため、「リベラル・デモクラシー」に有り金の全ては賭けられない。
むろん、この「個人的事情」が本書の価値を下げるものではないけれど。
第二章以降、本書の性格は前後半で分かれる。前半は、主に憲法の基本理念にまつわる議論。特に第二章『個人の自律と平等』、第三章『信教の自由と政教分離』がまとまっている。
後半(六章以降)は、技術の進歩や社会の変容に伴って浮上した「新しい権利」に関する議論だ。ここは特に、第六章『プライヴァシーについて』が興味深い。プライヴァシー権を自己情報コントロール権に内包されるものとし、その意義と境界線等について、多角的に考察している。
各章の終わりには、『プロムナード』と題したコラムがある。それ用の解説も巻末に用意されている。これらも面白い。
本書には、法学部の学生向け?の専門的でハードな議論も含まれているが、一般の読者でも十分読み通せる内容だ。
『フロンティア』へ、行きまっしょい。
紙の本
多角的な視点から論じる
2021/05/20 18:57
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ただの人間 - この投稿者のレビュー一覧を見る
比較不能性や調整問題、自己再生産的な社会意識の循環による法秩序の下支えなど、長谷部憲法学的な視点から国家や自由、二重の基準といった基本概念やプライバシー、情報公開、放送といった現代的な問題を論じる。議論の前提としてふまえておかなければいけない限界や制約条件が、ときにシニカルな筆致で取り上げられていく。バンドや料理など、著者の個人的な体験を交えた記載も、意外な趣味が伺えることもあって興味深かった。