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- カテゴリ:一般
- 発行年月:2006.11
- 出版社: 中央公論新社
- サイズ:22cm/319p
- 利用対象:一般
- ISBN:4-12-003782-7
紙の本
グレート・ギャツビー 愛蔵版
著者 スコット・フィッツジェラルド (著),村上 春樹 (訳)
繊細に鮮やかに描写された情景と、精緻に、多義的に言語化された情念や感情に彩られた、哀しくも美しいひと夏の物語…。村上春樹が人生で巡り会った最も大切な小説が、新しい翻訳で鮮...
グレート・ギャツビー 愛蔵版
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商品説明
繊細に鮮やかに描写された情景と、精緻に、多義的に言語化された情念や感情に彩られた、哀しくも美しいひと夏の物語…。村上春樹が人生で巡り会った最も大切な小説が、新しい翻訳で鮮やかに甦る! 訳者書き下ろし冊子付き。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
スコット・フィッツジェラルド
- 略歴
- 〈スコット・フィッツジェラルド〉1896〜1940年。ミネソタ州生まれ。プリンストン大学を中退し陸軍に入隊。除隊後、処女長篇「楽園のこちら側」を出版、全米ベストセラーとなる。
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紙の本
村上春樹の訳、ということで読む人が増えたことは素晴らしいことだと思います。でも、時代の差は埋められない、村上の感動を共有できる人は少ないのでは?正直、時代錯誤の感
2008/05/08 19:49
10人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
実は村上春樹の新訳、失望続きです。まずサリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』が面白くなかった。こんなヘタレ男の物語なんて魅力もなんにもない、と思いました。訳文については特になにも感じません。次がチャンドラー『ロング・グッバイ』これも面白くなかった。下半身に締まりのない男の物語の何処がハードボイルドなんだよ、なんて思ったりして。
繰り返しますが、訳文については何も感じません。抵抗を感じさせないところが村上訳のいいところなんでしょうが、お話の流れまで変えられるわけもありません。となれば、登場人物の古臭さが鼻につく。ちなみに昔『長いお別れ』を読んだ時は、マーロウを好きにはなれなかったけれど、今回ほど反発は感じませんでした。新訳云々よりも読む時の年齢の方が意味合いが大きいかもしれません。
で、今回は村上が人生で出会った最も重要な三冊のなかで、一冊をと聞かれればこれを選ぶというフィッツジェラルド『グレート・ギャッツビー』の新訳に挑みました。ちなみに、あとがきによれば、村上が目指したのは
・1924年に書かれた1922年を舞台にした小説を現代の物語 にすること
・文章の奏でるリズムを重視
だそうです。サリンジャーの場合でもチャンドラーの時もできなかったことは達成できるのでしょうか。
ちなみに、村上が自分にとって重要だと考える三冊とは本書のほかに、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』、レイモンド・チャンドラー『ロング・グッバイ』だそうです。
お話ですが、舞台は1922年のニューヨーク市から20マイルばかり離れたウェスト・エッグです。湾を隔てた向がわのイースト・エッグは高級住宅地ですが、語り手の僕やグレート・ギャッツビーことジェイ・ギャツビーが住むことになったウェスト・エッグは普通の住宅地です。
語り手は僕、名前は出てきませんが、隣人のギャツビーからはオールド・スポートと呼ばれています。証券を売っているあまり有名でない会社に勤務しています。1915年に大学を卒業していて、話の中で30歳を迎えるという設定です。こちらに引っ越してきたばかりで、ギャツビーとはあまり深く考えずに付き合い始めます。
本書のタイトルになっている The Great Gatsby ことジェイ・ギャツビーは僕の隣人で、いろいろ芳しくない噂のある資産家です。年齢はよく分かりませんが、記述からは1902年か、1907年には17歳のはずで、舞台が1922年ですから、32~37歳ということになります。彼が働く姿は殆ど描かれません。
僕の家の隣の邸宅でパーティをよく開き、そこには地元の名士から女優、監督といったブロード・ウエィの関係者も招待されて踊り、飲み、食べて楽しんでいます。押しかけてくる客は、基本的に拒まないということで近隣の人々も押しかけます。17歳の時、ダン・コーディという資産家に見出され、教育を受けたことが今の彼を作ったそうです。
僕の再従弟の子供というのがデイジー・ブキャナンで、五年前まで、ギャッツビーの恋人でしたが、中尉だった彼が兵役から帰って来ないのを待ちきれず、トム・ブキャナンと結婚、二人の間には三歳になる娘がいます。今も、ギャッツビーのことが好きという設定のようですが、偶々、語り手の隣人となった男の元恋人であるなどという確率は低いはずで、ここらに胡散臭さを感じます。
デイジーの夫のトムは30歳になります。僕の大学時代の知り合いで、裕福な家庭に生まれ、金遣いの荒さでと女遊びで有名で、娘が三歳になるというのに、今もその性癖は直ることはありません。性格はストレート、考え込むよりは行動する。といっても、彼が登場する場面はさほど多くありません。お金持ちが暮らすイースト・エッグに居を構えています。
で、僕の知り合いにデイジーがいることを知ったグレート・ギャッツビーは、彼女ともう一度人生をやり直そうと、彼女を彼の屋敷に招待しようと企てます。そしてその仲介役にさせられたのがギャツビーからはオールド・スポートと呼ばれるようになった僕です。殆ど物を考えない僕の行動は・・・
まず、ギャツビーが老人に思えるんです。陰に廻って画策するというあたりが、若くない。だからデイジーへの想いが薄汚れて見える。で、何も考えない語り手は、女衒まがいのことを平気でする。正直、古臭いお話だと思います。ともかく設定がしっかりしているから、逆に現代に移し変えられるわけがありません。
酒と女、金、そこだけとれば現代にも通じるお話だし、CNNなどを見る限り今もアメリカにはこういう暮らしをしている人がいることは分ります。でも、日本ではどうでしょう。セレブだなんだといいますが、所詮外に情報が流れるのは芸能人のことばかり。デイジーを芸能人、トムに財閥の御曹司でも当て嵌めればないわけではありませんが、結局は週刊誌ネタ。
彼我の富の差は80年以上の時を経ても一向に埋まらないというべきではないでしょうか。結局、他人事なわけです。映画で見る世界。それを読者に超えさせるだけの作品ではないのではないでしょうか。日本人には、むしろ水村美苗の『本格小説』の世界の方が受け容れやすい。改訳は作品を身近にはしてくれますが、それ以上の役割は果たさないのではないか、そんな気がしてなりません。