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翻訳者がことあるごとに「良い」と書いていたので、私も旧訳を読んではいたが大して感動しなかった。しかし、今訳を読んでみると(まだ3分の1も読んでいないが)、明らかに面白いことが分かる。面白い。
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村上春樹のフィルターがかかることによって、現代的な視点で読めた。登場人物のキャラクターはかつて読んだものよりもリアルになり、情景描写もイメージしやすくなっている。この小説の普遍性や完成度は改めて理解できた。しかし、村上春樹が心酔するほどこの小説が好きにはなれない。乱暴な言い方かもしれないが、それもやはり時代性に起因するのかもしれない。
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わたしにとっても思い入れの深い作品で(原書を大学の卒論で扱った)村上春樹がいつ訳してくれるかとずっと待っていました。廉価版も買いました。
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華麗で、移り気で、でもそれぞれに切実な人々についての青年ニックの記録。物語後のニックに多くの幸福がありますように。
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主人公僕と1人のオトコギャッツビー。
1922年の一夏の出来事。
あまりに切ない一夏の出来事。
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この本と出会えなかったら、小説を書いていなかったかもしれないという、村上春樹氏の言葉が、ずしりと心に響きます。実は、何度も挫折しそうになったこの本を、その言葉が支えてくれました。
なぜなら、正直に言って、私の感想は・・・。???という感じ。お金とか、自由とか、そんな民主主義独特の空虚みたいなものが、物語全体を覆っていて、心に響いてくるのは、虚しさばかり。
同じような空気を感じたのが、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』でしたが、そのときに感じた、(それから逃れようともがく)主人公の心の動きみたいなものが、この物語には、ない。だから、どこに焦点をおいて読んでよいのか戸惑ってしまい・・・戸惑っている間に、終わってしまいました。(つまり、物語に入り込めなかった)
ずっと、感じていたのは、ピーカンの青空。眩しすぎて、逆に、空しくなる様な青空。ただただ、それが心に残っています。結末は、まさに「悲劇」なのに、なんで青空なんだろうなあ。
春樹氏が、この物語への批判に対して、
「英語で一行一行丁寧に読んでいかないことにはその素晴らしさが十全に理解できない」のかもしれないと、書いていました。あ〜あ。英語で読めないことが悲しい。
でも、彼が想いを込めた訳。いつか読み返したら、また違う感想を得られるかもしれない。いつか、必ずもう一度!
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なんでグレートなのだろう?
それはグレートじゃないじゃんとかそういう事じゃなくて、その意味を考えてしまう。
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アメリカ文学の代表作のひとつ。今更僕が語るまでもない有名な小説ですが、人間の夢や想いに対する儚さ、虚しさの表現の傑出っぷり、そこから来るだろう切ない読後感、僕は好きです。
ギャツビーの「美しい破滅」的生きかた、物事に対する病的な執念を含んだ感覚や身のこなし、話しかた…等、まさに村上春樹文学の原点を見る思いです。
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09年5月4日開始
09年5月5日読了
アメリカ文学で好きな作家は?と聞かれたら、過去の作家ならスコット・F・フィッツジェラルド、現代ならポール・オースターと答えるようにしている(三十数年生きてきてこの方聞かれたことはないけど)とはいっても、オースターはともかくフィッツジェラルドは長編は『ギャツビー』のみで、いくつかの短編集を読んでるだけ。知ったきっかけは、当然のごとく村上春樹の影響。
野崎孝訳の『グレート・ギャツビー』を読んだのは大学生の頃(おそらく一回生か二回生)。一発で気に入ってその後新刊で手に入る短編集を何冊か読んだ。そう言えば京都の四条通のジュンク堂でペーパーバックまで買ったっけ(今も持ってる。一ページも読み通していないけど)。『ギャツビー』以外の長編は手に入れることができず。正直言うと『ギャツビー』より短編のほうが好きだったかな(『バビロンに帰る』とかね)。同時期に読んだブレット・イーストン・エリスの『レス・ザン・ゼロ』が同時代で読みやすく、印象が大きかったからかもしれない。
でも、いずれ村上春樹が訳す『ギャツビー』が読む日が来ることを楽しみにしていた。なにかのエッセイで60歳になったら訳してみたいとあったからね。その予定より早く翻訳された時は嬉しかったね。もちろん2006年の発売当初に購入したものの、読み始めるのにここまで時間がかかったのはタイミングの問題かな。
もう内容もすっかり忘れてたので、新鮮な気持ちで読むことが出来た。村上春樹の翻訳は翻訳作品と感じさること無く読めるね。内容はこんなストーリーなんだっけ?最後の文章は心に染みるね。以前サリンジャーの『キャッチャー・イン・ザライ』読んだときにはもっと若いときに読めばよかったと思ったけど、この『ギャツビー』はこの歳くらいになってから読むべきだね。
フィツジェラルドの長編は去年出た『夜はやさし』の新訳を購入済み。いつ読もうか。あとは短編の再読もしたいんだよね。ゆとりのある時間がほしい……
今回読んだのは箱入りハードカバーの愛蔵版。新書版も購入済み。新書版は再読用。
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2009/10/10 図書館にて読了。
新潮文庫で以前購入して、2回ほど読んだが、さして心に残っておらず。
新たな気分で読めた。
一途さは時に身の破滅にもなるな、と。人を想うことは侠気の世界なのかもしれない。ボタンの掛け違いは簡単に起こる、それをそのままにしておくことも、直すこともできるけど、全ては自分で判断した結果なのだと思う。
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村上さんがずいぶん前からいつか翻訳したいと表明していた『グレート ギャッツビー』。ついに出版されましたね。愛蔵版と新書版が同時に出版されていますが、1920年代のニューヨークを解説した特別付録が付いている愛蔵版の方を買いました。高かったけど。
『ライ麦畑でつかまえて』の翻訳でもそう思いましたが、村上さんは翻訳家としても一流なのだなと再認識しました。昔の訳を読んだ当時、この小説の舞台のニューヨークに行ったことがなかったことを除いても、村上版のギャツビーは今回の方がずいぶんと生き生きして感じられます。
愛蔵版に付いている付録も楽しめました。参考にしたという『Rider's: New York City』は村上さんの『ザ・スコットフィッツジェラルド・ブック』でも言及されています。ニューヨークに1年ほどいたことがあるのですが、思い出しながら読みました。これまで、舞台となったイーストエッグとウェストエッグが本当にあると思っていたのですが、分かっただけでも付録付きの愛蔵版にした価値があったかも。
フィッツジェラルドへの絶賛ぶりを読むことができる翻訳者後書きも素敵でした。
それでもやはり、村上春樹が言うほどには飛びぬけた小説だということは実感できないのではありますが...
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華やかで軽やかで薄っぺらい人間関係。その中で愛を信じて努力してすがったギャツビーの哀しさが胸に迫ります。たった一人ギャツビーを見送ったニックの普通の優しさがせめてもの救いに感じます。
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十数年ぶりの再読、前に読んだのは野崎訳。
村上訳は読みやすくて、それでいてこの小説への愛を感じる。
喪失感とも感傷とも違う、いいようのない読後感。
美しく痛ましい、ひと夏の物語。
ギャツビーも、デイジーも、トムも、みんな少しずつ罪。
ギャツビー死後のトムとデイジーの行動が哀しい。
最初と最後のトムの語りが素晴らしい。(妻)
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何気なく原書を手に取ったこの作品は、アメリカでは不朽の名作として学校での必読書となっており、村上春樹にも最も影響を受けた一冊だと言わしめているほどの作品のようです。
ストーリーや背景もさることながら、フィッツジェラルドが惜しげもなく才能と情熱を注いだ言葉の表現と響きがこの作品を文学作品として比類のないものとしているようです。
村上春樹のこの訳を読んで、原書を読み切っていない自分がいうのも気がひけますが、原書の文の響きを余すことなく伝えているように感じました。
ともあれ、この作品を再び原書で読み返して見ることが楽しみでなりません。フィッツジェラルドの他の作品も読んでみたくなりました。
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p103
ギャッツビーは車のステップボードに立ち、せわしなく身体を動かしながら、均衡を保っていた。これはアメリカ人に特有の体癖で、若いときにものを持ち上げる作業をあまりしなかったとか、きちんと座る訓練を受けなかったとか、そういうせいかもしれない。我々の愛好する落ち着きなく散発的なスポーツ・ゲームの、形式を欠いた美質にその原因を求めることも可能かもしれない。いずれにせよこうした傾向は、そわそわするというかたちをとって、彼の一見隙のない物腰に、止むことなくほころびを作り出すことになった。とにかくじっとしていることができないのだ。常にこつこつと足で拍子を取ったり、所在なげに手を開いたり閉じたりした。
p143
アメリカ人というのは、場合によっては自ら進んで農奴になりたがるくせに、小作人扱いされることに対しては一貫して断固たる態度を取るのだ。
p287
僕には彼を許すこともできなかったし,好きになることもできなかったけれど、少なくともトムにとっては、自分のなした行為は完全に正当化されているのだということがよくわかった。すべてが思慮を欠き、混乱の中にあった。トムとデイジー、彼らは思慮を欠いた人びとなのだ。いろんなものごとや、いろんな人々をひっかきまわし、台無しにしておいて、あとは知らん顔をして奥に引っ込んでしまう___彼らの金なり、測りがたい無思慮なり、あるいはどんなものかは知れないが、二人をひとつに結びつけている何かの中に。そして彼らがあとに残してきた混乱は、ほかの誰かに始末させるわけだ・・・