1. hontoトップ
  2. 電子書籍
  3. honto+
  4. ビジネス記事
  5. 異常な機動性とコストカット 「連載 シャープを飲み込んだ男・郭台銘伝」 第七回

異常な機動性とコストカット 「連載 シャープを飲み込んだ男・郭台銘伝」 第七回

シャープと鴻海科技集団(以下、鴻海)は、2016年4月2日に共同会見を行なった。内容は、鴻海によるシャープへの出資である。シャープの買収は連日話題になっていたため、鴻海の名も多くのひとの記憶に残っただろう。

だが、1974年に創業され、わずか一代、たった40年で時価総額約4.3兆円になった鴻海という会社、そしてその創業者であり現会長の郭台銘(かくたいめい)について、いったい我々はどれほど知っているだろうか。

今回、10月に発売されたばかりの『野心 郭台銘伝』(プレジデント社)から、郭台銘という男と鴻海という会社の真の姿を、一部見ていこう。

異常な機動性とコストカット

「常に一流の顧客を持て」

そんな郭台銘の経営方針にもとづいて、鴻海の顧客にはいずれも世界的に有名な大企業ばかりが名を連ねている。

例えば、パソコンならデルやレノボやヒューレット・パッカード(HP)、プリンターならキヤノン、携帯電話はアップルやノキアやシャオミ、電子書籍リーダーならアマゾン、ゲーム機ならソニーや任天堂といった具合である。家電量販店の店先に並んでいる大手メーカーの電子製品は、部品レベルまで細かく見れば鴻海グループが一切関わっていない製品を探すほうが難しいくらいだ。

電子製品の市場は浮き沈みが非常に激しく、1990年代以来、世界の主流はテレビのような家電製品からパソコン、携帯電話、電子ゲーム機、そしてタブレットやスマートフォンなどに次々と変わってきた。結果、EMS企業の顧客となる大手メーカーは、IBMがパソコン事業をレノボに売却し、ソニーやシャープが不振に陥り、携帯電話大手のノキアやモトローラが没落し……、と諸行無常の様相を呈してきた。

だが、彼らの製品の製造を受注する鴻海だけは、常に市場の動向に対して貪欲に食らいつき、顧客を乗り換え続けることで企業規模を拡大してきた。

鴻海が大手の取引相手と最初に契約を結ぶ際は、受注の決定前から大規模な設備投資をおこなって顧客にアピールしたり、当初は赤字で受注して納品段階までにコストカットを通じて黒字化したりする「なりふり構わない作戦」を取ることも多い。また、大口の顧客に対するケアも極めて手厚い。

郭台銘自身がプライベート・ジェットを使って取引相手の子どもの誕生日プレゼントを贈りに行くなど、鴻海の営業にはしばしばトップが動く。近年、郭は尊敬する人物としてアップルのスティーブ・ジョブズの名を挙げ、また執務室にはデルの創業者のマイケル・デルの肖像画を飾っているとされる。これもおそらく彼がジョブズやデルの理念に共感している以上に、鴻海のスマホ部門とパソコン部門での最大の顧客であるアップルとデルに対するサービスの要素が多分に含まれていると考えていいだろう。

2003年、鴻海の株主総会で郭はこんなことも言っている。

「われわれは顧客自身よりも顧客のことを気にかけている」

シャープ買収劇の際には空約束を連発したように見えた海千山千の郭台銘だが、ひとまず鴻海の顧客の立場に回る限り、彼のこの言葉にウソはない。例えば、鴻海は顧客の要求水準を上回るコストカットを自社から進んで提案し、安定した受注を継続させることを得意としている。

もともとEMS企業は、マーケティングや代金回収にリソースを割かずに済むため、製品のコストカットと品質改善にのみ注力できるという特徴がある。鴻海は特にこの分野を強みにしており、かつて2007年にアップルからiPhoneを受注した際には、コスト削減提案を繰り返すことで、1台あたり平均227ドル(約2万7000円)だった製造コストを翌年には174ドル(約1万9500円)まで23%も引き下げた。価格とのバランスが取れない過剰なスペックを容赦なく切り捨てられるのは、ものづくりへのこだわりを持ち過ぎないEMS企業だからできる振る舞いだ。

また、鴻海は驚異的な納品スピードに加えて、受注量の増減に柔軟に対応することで顧客の在庫リスクを減らす手法も得意としている。例えば2012年にiPhone5が発売されたとき、機密の保持を重視するアップルは、リリースの直前まで製品生産の発注や詳細なスペックの情報の提供を避け続けたが、一方で発売直後のわずか3日間で400万台ものiPhone をフォックスコンに製造させている。これだけタイトな納期と突然の大量生産の発注に対応できる会社は、世界中のEMS企業のなかでも鴻海しかない。

―― 自社で製品を製造するよりもずっと安く済み、在庫を抱えずに市場ニーズに応じた生産量で製品を供給できる。顧客側から見れば、鴻海に発注するメリットが非常に大きいのは明らかだろう。

「働く側」の負担をひとまず度外視すれば、鴻海はITガジェットが普及した現代人の生活の根幹を支えている会社でもあるのだ。

予約購入について
  • 「予約購入する」をクリックすると予約が完了します。
  • ご予約いただいた商品は発売日にダウンロード可能となります。
  • ご購入金額は、発売日にお客様のクレジットカードにご請求されます。
  • 商品の発売日は変更となる可能性がございますので、予めご了承ください。

巨大な売上高、低い収益性

ただし、営業力と機動性を武器に拡大した鴻海は大きな弱点を抱えている。それは、EMSというビジネスモデルが本質的に抱える収益性の限界だ。

例えば鴻海は、2015年度に日本円換算で約16.9兆円の巨額の連結売上高を叩き出しているのだが、実は純利益は4000億円強しかない(下表参照)。メディアによって見解が異なるとはいえ、同年の鴻海の収支は粗利益率で7%程度、営業利益率で4%程度にとどまると見られている。

yashin_3.png

郭台銘が強いライバル意識を持つサムスンの粗利益率が例年40%近くに迫り、経営不振が伝えられる東芝やシャープもつい5年ほど前までは20%前後の水準を維持していたのと比較すると、かなり寂しい数字だ(下表参照)。

yashin_4.png

実のところ、鴻海は2015年現在においてすら、粗利益率だけを見るならば「死に体」であるシャープよりもさらに低いのだ。その理由は、電子製品の製造工程の付加価値が作業の段階ごとに異なっている点にある。

それを視覚的に理解できるイラストとして有名なのが、台湾のパソコン大手・エイサー創業者の施振栄(ししんえい、スタン・シー)が提唱した「スマイルカーブ理論」だ(下表参照)。

yashin_5.png

つまり、電子製品の製造プロセスでいちばん利幅が大きくて「おいしい」商売は、製品企画や開発(R&D)をおこなう川上の段階と、実際に一般消費者に製品を販売する川下の段階に集中している。

逆に、現場の工場における製品の組み立ては付加価値が低い。膨大な人件費と設備投資のコストがかかる一方で、個々の労働者の仕事内容は基本的に「誰にでもできる」性質の作業であるためだ。事実、2014年時点でのiPhone6の市販価格は1台あたり649ドル(6万8755円)だが、鴻海をはじめとするEMS業者の組み立て加工費はわずか4ドル(423円)だったと言われている。

本質的に言って、受託生産は大手メーカーが嫌がるこの低付加価値の分野を引き受けるビジネスだ。もちろん鴻海は、付加価値の高い設計段階からの請け負いをおこなうなど、スマイルカーブの左右に担当領域を伸ばそうとしているのだが、自社ブランドを持たない以上は「川上」と「川下」を握ることはできない。

大きな利幅が望めないなかで利益を上げるには、人件費をはじめとしたコストを徹底的にカットし、膨大な受注量と生産量を維持して売上高の数字の規模を積み上げていくしかない。鴻海の売上高が極端に高いのは、こうしたEMSビジネスの構造的な性質ゆえなのだ。

しかし、ここ数年は鴻海の製造基地である中国で人件費の高騰が進んでいる。

かつてフォックスコンは中国工場の低賃金のワーカーたちに厳しい労働を課した結果、2006年には中国メディアから「絶望工場(血汗工廠)」として大バッシングを受けた(第2章参照)。そのため、鴻海の労働環境は社会的に大きな圧力にさらされることになった。

結果的に、現在ではフォックスコンの多くの工場で中国社会の平均賃金以上の月収と残業代の支払いが保証され、福利厚生も整備されるなど、ワーカーの待遇は同業他社と比較しても優秀な水準に引き上げられたとされる。

だが、これはコスト面で見れば、ただでさえ低い利益率をさらに圧迫することに他ならない。近年、鴻海はインドなど第三国への工場の移転や、中国工場のロボット化も進めているようだが、問題の抜本的な解決にはほど遠い模様である。

加えて近年の鴻海の売上高の4~5割を占めるとも言われるアップルも、2011年のスティーブ・ジョブズの死後は徐々に新製品に画期性を欠くようになり、消費者の飽きもあってiPhone やiPad の売上に陰りを見せている。アップルの不振は鴻海の不振に直結する問題だ。

飛ぶ鳥を落とす勢いに見える鴻海だが、ここ数年で経営上の大きな曲がり角に差し掛かっているのも事実なのである。

予約購入について
  • 「予約購入する」をクリックすると予約が完了します。
  • ご予約いただいた商品は発売日にダウンロード可能となります。
  • ご購入金額は、発売日にお客様のクレジットカードにご請求されます。
  • 商品の発売日は変更となる可能性がございますので、予めご了承ください。

プロフィール

 

安田 峰俊

ルポライター

1982年滋賀県生まれ。ルポライター、多摩大学経営情報学部非常勤講師。立命館大学文学部(東洋史学専攻)卒業後、広島大学大学院文学研究科修士課程修了。在学中、中国広東省の深圳大学に交換留学。一般企業勤務を経た後、著述業に。アジア、特に中華圏の社会・政治・文化事情について、雑誌記事や書籍の執筆を行っている。著書に『和僑』『境界の民』(角川書店)、『「暗黒・中国」からの脱出』(文春新書)の編訳など。

ライタープロフィール

 

hontoビジネス書分析チーム

本と電子書籍のハイブリッド書店「honto」による、注目の書籍を見つけるための分析チーム。

ビジネスパーソン向けの注目書籍を見つける本チームは、ビジネス書にとどまらず、社会課題、自然科学、人文科学、教養、スポーツ・芸術などの分野から、注目の書籍をご紹介します。

丸善・ジュンク堂も同グループであるため、この2書店の売れ筋(ランキング)から注目の書籍を見つけることも。小説などフィクションよりもノンフィクションを好むメンバーが揃っています。

×

hontoからおトクな情報をお届けします!

割引きクーポンや人気の特集ページ、ほしい本の値下げ情報などをプッシュ通知でいち早くお届けします。