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電子書籍

漱石と三人の読者

著者 石原千秋

漱石がわかる。小説がわかる。近代がわかる――画期的な文学入門書の登場! 漱石の作家活動とは読者との闘争だった! 新聞小説の読者である大衆をどう喜ばせるか。本郷文化人に自らの小説観をいかに伝えるか。漱石は作品ごとに大胆な実験を次々と行なった──。

漱石と三人の読者

税込 770 7pt

漱石と三人の読者

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紙の本漱石と三人の読者

2010/06/18 02:37

漱石作品の多層性

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:yjisan - この投稿者のレビュー一覧を見る

 漱石研究の第一人者ながら、今や受験国語対策の方が有名になりつつある(笑)、石原先生の新書。

 大学教師の余技として小説業を始めた夏目漱石は当初、個人的に親交のある「顔のはっきり見える存在」しか読者として意識していなかった。『坊っちゃん』の差別性は、漱石が身近にいるトップエリートしか読者として念頭に置いていなかったことに起因する。

 しかし広く社会に向けて発信したいと思うようになった漱石は大学を辞して朝日新聞社の専属作家となる。新聞小説家となった漱石は、朝日新聞を読む中流階級を「何となく顔の見える存在」として意識しつつ執筆することになる。

 ところが漱石は、入社第1作『虞美人草』において読者の裏切りに遭う。漱石自身が「徳義心が欠乏した女」としてネガティヴに描いた奔放なヒロイン藤尾を読者が熱烈に支持し、藤尾ブームは「虞美人草浴衣」や「虞美人草指輪」という形で、小説そのものを読んでいない庶民をも巻き込んでいった。ここにおいて漱石は「何となく顔の見える読者」の真の需要を知り、また漱石の小説をきちんと読みもしない「のっぺりした顔の見えない」ような第三の「読者」の存在に気づき始める。

 以後、漱石は、
「顔のはっきり見える読者」、
「何となく顔の見える読者」、
「顔のないのっぺりとした読者」の、
3人の読者のそれぞれに対応する形で、多面的に小説を執筆するようになった・・・・・・これが奇妙なタイトルの意味である。

 近年の日本文学研究では「国民作家漱石」という評価が後世に創成された「神話」にすぎないことが明らかにされているが、当時の「格差社会」ぶりを正確に踏まえた上で読者層の性格を追究した点に本書の長所がある。「テクスト論」を踏まえ、更にそれを超克しようとする、その雄大な構想と緻密な構成には舌を巻く。


 特に『三四郎』における三四郎と美彌子との邂逅シーンにおける分析には恐れ入った。漱石は確かに、東大構内を良く知っている身近な読者(東大生、東大卒) にだけ、このシーンの本当の意味が分かるように書いたのだろう。教養高く生意気な弟子たちへの謎掛けであり、挑戦状だったわけだ。
 一方で多くの同時代読者(朝日新聞を購読している中流階級)はこの小説を「三四郎が美彌子に翻弄されながらその恋心を育てていく、三四郎と美彌子の淡い恋の物語」として読んだ。そうも読めるように漱石が仕組んだ、と著者は説く。
 更に「顔のないのっぺりした存在」である庶民層にとってもリアリティーが感じられるように、故郷の幼馴染みである御光との結婚話という展開まで用意する。
 二重三重に仕掛けを張りめぐらす漱石の周到さには感心するが、そこまで読み取る著者も凄い。著者は引き続き、漱石作品の多層構造を『それから』においても指摘する。

 また著者は、漱石後期三部作の複雑な構成は、毎日の新聞連載を読み捨てていく「何となく顔の見える読者」には理解できなかったはずで、前半に戻って読み直すことのできる単行本読者=「顔のはっきり見える読者」のみに小説世界の全貌が分かるように仕掛けた、と喝破する。「前者は職業作家漱石の仕事であって、後者は芸術家漱石の密かな楽しみ」と捉えて、後期三部作を読み解いていく。「新聞連載読者」(中流階級)と「単行本読者」(高価な単行本を購入することのできる裕福な上流階級)を区別する視点は、まさに目から鱗である。誰もが気軽に本を買い求める現代日本社会で生活していると、当時の本の貴重さにはなかなか気づかない。



 本書の解釈はスリリングだが、「テクスト論」の中での漱石研究の成果が(紙幅の都合で?)省略されてしまったのは惜しまれる。特に『こころ』の場合、小森陽一の研究に見えるように、「手記」の書き手である青年の「その後の物語」、つまり『こころ』本文に「書かれなかった物語」を、書かれている断片的な言葉から再構成することが盛んに行われたからである。「先生」が自殺した後、残された「奥さん」と「私」との関係をどう考えるか。「私」が遺書を「奥さん」に届けて、彼女と共生関係になるというのが小森の読みだが、確かに漱石の頭の中には「その後の物語」があったと思われる。


 ともあれ、小説の奥深さを知るには格好の入門書であろう。

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紙の本漱石と三人の読者

2004/11/09 04:30

変遷する三人目の意識の中で。

1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:黒耀 - この投稿者のレビュー一覧を見る

石原氏の言う三人目の読者(顔のないのっぺりした存在)とは作者にとって存在していることは確実に思われても未知の存在である。
漱石の時代から百年の時を経て、その作品に触れる私達はまさに彼にとって「三人目の読者」に他ならない。
小説の地位もまだ固まらぬ時代において、作者にとって既知の存在である一人目の読者(具体的な「あの人」)だけを意識すればよい同人ではなく、新聞というマスメディアで作品を発表することにより、二人目の読者(なんとなく顔の見える存在)を意識せざるを得なくなった漱石が、やがてまだ見ぬ読者へと意識を移行していく経緯を、石原氏は明解にナビゲーションしてくれる。
百年の時を読み継がれ続ける作品は、その時代の相貌を映す鏡となるのだ。
前回、ショウペンハウエルに触れたが、他所で「では良書選択の基準は何なのか。もっと具体的に指摘すべきだ。」とあるのを見た。
ショウペンハウエルは「比類なく卓越した精神の持ち主、すなわちあらゆる時代、あらゆる民族の生んだ天才の作品」と明快に答えていると思うのだが、「具体的」というのには作品名をあげて紹介せよという要求まで含まれているのであれば、昨今においてあ「あらすじ本」なるものが売れるのも頷けるというものである。
古典はさておき、近代百年の間に目まぐるしく変遷していく読み手の意識や価値観に遅れることなく圧倒的な存在感を保ち続ける作品をもって良書とするのは当然であろう。
漱石においては三人目の読者の存在(未知そして未来の読者)を意識できたことがその作品に大きな変化をもたらしたに違いない。
「あとがき」で石原氏はご自分が「テクスト論者」であることを告白しているが、私が学生の時分、テクスト論の講義において適用されたのが漱石であり、まさに「三四郎」で氏が引用した美禰子登場の場面を試験で出されて苦吟した記憶がある。
荒正人を例に引くまでもなく、もはや作品の文字数まで数えられているのではないか、と思えるくらいに「読みつくされて」きた作家も稀有ではないだろうか。
正直、読む前は講談社現代新書が創刊四十周年を迎えた記念の新刊に今さら漱石とは、という気はした。
しかし、まさか漱石自身を「テクスト」として扱う試みとは思わなかった。
大変に面白くそして新鮮に読むことが出来た。

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紙の本漱石と三人の読者

2004/10/27 15:02

著者コメント

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:石原千秋 - この投稿者のレビュー一覧を見る

漱石文学がのちに「国民文学」となったのは、朝日新聞社専属作家だった漱石が彼の同時代の「中流知識人読者」に向けて小説を書くことを「仕事」と考えていたからだ。しかし、それだけでは満足できなかった芸術家漱石は、小説が本当に分かる超エリート読者にも、読まないで漱石を語る無責任な読者にも楽しめるような仕掛けを、小説に仕組んだ。

 本書はその仕掛けを明らかにすることで、漱石文学を三倍楽しめるだけでなく、私たち「国民」の「顔」がどういうものかを見せてくれる。

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紙の本漱石と三人の読者

2004/10/24 13:59

巧みなテクストの読解に感動する

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:メル - この投稿者のレビュー一覧を見る

巧い。現在の文学研究者でも石原千秋は、特に優れた小説の読み手だと思う。この本でもその力は発揮されていて唸らされる。新書という本のなかで、コンパクトに明治文学の基礎知識を語り、その上で独自の漱石論を展開した本書は、明治文学研究の教科書としても非常に役立つだろう。この本の内容をまるまる暗記しておきたいと思った。

さて、本書のタイトルでもある「三人の読者」とは何者か。まず石原は、漱石が「読者」を常に意識しながら作品を執筆していたことに目を向ける。その上で漱石が意識していた「読者」とは何かについて、テクスト読解から浮かび上がらせていく。ここで、石原は「読者」を三つの層に分けた。それは第一の読者は漱石にとって「顔の見える読者」であり、第二の読者は漱石にも「何となく顔の見える読者」であり、そして最後の三番目の読者は「顔のないのっぺりとした読者」である。

「顔の見える読者」とは、たとえば漱石の周囲に集まっていた青年たちのことだ。実際に漱石の身近にいて付き合いのあった人たちである。では「なんとなく顔の見える読者」とは誰か。漱石は朝日新聞に新聞連載小説を執筆していたが、いわば同時代に新聞を読むような階層にいた読者のことだ。とりわけ本書では「朝日新聞を読む読者」ということになる。「顔のないのっぺりとした読者」とは、要するに漱石にはまったく予想のつかない読者ということになるだろう。したがって、漱石と同時代の読者というわけでもなく、「可変項」の読者、入れ替え可能な読者ということだ。こうした読者が、テクストの構造に組みこまれているのだというのが本書の主張なのである。

漱石はつねに読者を意識して執筆したと先に書いた。それはこういうことだ。漱石は仲間や知人にむけて小説を書き始める。やがて、朝日新聞に入社し大学の先生から小説家となった漱石は、この新聞を読む読者に向けて書くことになった。だが、『虞美人草』において、漱石はその読者に裏切られる。そして自分の意識していたものとは異なる読者がいることに気がつく。それが第三の読者ということになる。こうして漱石は新聞社の社員として、この第三の読者に向けても小説を書くことになるのだ。

では、その時漱石は何をしたのか? たとえば、小説中に「死角」を組みこむ。「死角」とは小説の主人公には見えない部分ということだ。小説の構造として組みこまれた「死角」は、読者に多様な読みを誘発することになる。つまり、漱石の読者意識の拡がりが、のちに漱石作品の多様な解釈を産み出すことになったのだということになるだろう。この論は、かなり興味深い。

本書の作品分析で、最も面白く興味深いのは『三四郎』の読解であった。ここで、美禰子がだれを挑発していたのかという点から、三四郎と美禰子が初めて出会う場面を読み解いている。当時の東大の構内地図などを参照しつつ、人物の動きを推測し、美禰子が挑発していた人物を探り出す。この読み解きはかなり面白い。

近代文学史の教科書として、また同時にスリリングな小説の読解を味わえる本書は、文学研究者のみならず、一般の「読者」にも充分楽しめる好著であると思う。

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