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古武術からの発想
著者 甲野善紀
目まぐるしく動いていく現代社会。何が良くて、何が悪いのかが見えにくい時代である。その混沌とした状況の中で私たちは生きていく重心をどこに置き、どう対応していけばいいのか、誰しもが悩み、考えるのではないか? 現代人の常識を覆すその独特の身体論が、スポーツ界をはじめ、各方面から注目をされている著者も、同様に考え抜いている。しかし、身体を通して見るその視点は、私たちが見過ごしやすい世の中の事象を鋭くとらえる。また、歴史の中で忘れられた古伝の術理から、常に新たな発想を見出すのである。本書は、前作『武術の新・人間学』から時を経てさらに進展した「『小よく大を制す』武術の復活」「相手の予測を外す無住心剣術」のような技の新たな展開はもちろん、古武術を通して見える日本の教育や科学への疑問までを、架空の人物との対話形式で著者が語り尽くすものである。人間の身体と思考が秘める未だ見ぬ可能性を示唆する一冊である。
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紙の本古武術からの発想
2004/12/01 15:30
古武術から自由を考える
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:森山達矢 - この投稿者のレビュー一覧を見る
古武道から自由を考える。考えることが出来るようである。
筆者は、いわずと知れた甲野善紀である。
彼は最近スポーツのみならず、さまざまな分野へ向けて意見や情報を
古武道から得た知見から発信している。
この本の最後に野口晴哉の文章が紹介されていた。孫引きだが引用、
「人間は自由を強く欲求しています。それは不自由さが裏に潜んでいるからであります。時に信念や義務といったものが、時には体の記憶が、自由への障碍となっています。多くの人たちは自由ということを頭の問題として扱っています。私は戦時中特高警察に随分苛められました。しかしそのたびに私は“俺は自由だ”と言い張り、事実自由な立場を堅持し続けました。俺は自由だということが一つの信念にもなっていました。ところが終戦になり、ラジオで特高警察解体のニュースが流れた時、私は貴重な体験をしました。肩の力が急に抜け深く息が出来るのです。“おや俺は今までこんなに気張っていたのかな”と思いました。深い息が出来ると、焼け跡が急に明るくなったのです。そして何か体の奥深くからフツフツと新しい力が沸いてくるのです。以来私は自由というものは体で感じるものだと考えるようになりました。」
自由だとする信念が、自分を自由でなくする。これは冷静になってみると、誰にでも当てはまることではないか。「自由になりたい!」と片意地張られて主張されても、聞くほうが居心地悪くなるのはこのせいなのであろう。理念的・政治的に正しくても、なにかしらの「窮屈さ」を感じてしまうのは、体が「なんか違うんじゃないの…」とサインを発しているのであろう。
先日斎藤貴男の『安心のファシズム』を読んだが、
その文章からにじみ出るのは、現状に対する「怒り」であり「焦り」である。それらの感情は読み手に伝播してくる。
自分が『安心の…』を読んだ後、確かに「怒り」が沸いてきたのだが、同時に窮屈さもなんとなくだが感じていた。理由は、おそらく同じ理由である。「もっと自由を!」と言うそのパーフォーマンス自体がが、なんか息苦しさを感じさせてしまうのである。
ここで仮に理念的な自由(頭で考える自由)をポリティカル・リバティ(political libety)として、体で感じる自由をコーポラル・フリーダム(corporal freedom)としてみよう。
おそらく、これまでコーポラル・フリーダムはポリティカル・リバティの含まれるものと考えられてきたのではないか。というか、そうした次元があるということは思考はされてきてなかったのではないだろうか。自由という理念が自由を生み出さず、その反対のものを生み出してしまう、そうしたことを思考する上で、コーポラル・フリーダムというのは、何かしらのヒントになるのではないだろうか。