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対論・異色昭和史
雑誌『思想の科学』への投稿がきっかけで交流が始まった二人。半世紀ぶりに再会し、語り合った昭和の記憶とは? 鶴見氏は、昭和三年の張作霖爆殺事件の号外を覚えているという。八歳年下の上坂氏が、戦前から戦後の体験談について、根掘り葉掘り質問をぶつける。「米国から帰国したのは愛国心かしら?」と問う上坂氏に、「断じて違う!」と烈火のごとく否定する鶴見氏。一方で、「戦時体制にも爽やかさがあった」と吐露する上坂氏に対して、「私もそう感じた」と応える鶴見氏。やがて議論は、六〇年安保、ベ平連、三島事件、靖国問題へ。六〇年安保のデモ行進に誘われた上坂氏は「後にも先にもデモに参加したのはあれが初めて」と。その後、ノンフィクション作家として自立してゆく上坂氏の原点に、鶴見氏らとの交流があったというのは興味深い。現在では護憲派、改憲派という立場を異にする二人だが、いまだからこそ訊ける、話せる逸話が尽きない。圧巻の一六五歳対論!
対論・異色昭和史
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紙の本対論・異色昭和史
2009/07/21 00:02
間に合った最初で最後の本格対談
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:拾得 - この投稿者のレビュー一覧を見る
以前、あるインタビュー記事で、鶴見氏が、最も信頼する書き手の一人として上坂氏を挙げていたのを読んだことがあります。およそ思想傾向が異なりそうな2人なのに? と感じたのですが、その時に、上坂氏のデビューが『思想の科学』であったことを知った次第です。鶴見氏の見識や度量と同時に、そう言わしめる上坂氏の実力が気になったおぼえがあります。その後、デビュー作『職場の群像』や『なんとかしなくちゃ』という初期の作品を読んで、その文筆家魂と、それを感じさせないくらいの軽快な文体に強い印象を感じました。現在の酒井順子らのような、(シングル)女性文筆家の先駆けと言っていいでしょう。
そんな2人が、昭和史というより鶴見氏の来歴と『思想の科学』の周辺とを素材に、自由に対談したのが本書です。より昭和史経験の長い鶴見氏に上坂氏が聞く、という場面が多いのですが、上坂氏も負けず劣らず自分の意見を前面に出しており、上坂ファンにも納得の1冊でしょう。鶴見氏の出生環境やアメリカ留学前後からはじまって、戦時下の思い出、戦後の風流夢潭事件、ベ平連の活動など、さまざまな話題が語られていきます。昭和史ファンにも必読でしょう。この企画を実現させた編集者は大殊勲です。
「はじめに」で上坂氏は「基本的なところで意見が違っています」としつつも、2人の対談は脱線しつつも盛り上がり、やはり基本的な所で2人の姿勢は共通しているのでは、と強く感じました。この共通性について、私なりに要約するならば、2人が昭和史を語るにあたって重要視しているのは、自身を含めて「その時に、何を思い、どう感じてきたか」ということではないかということです。私小説的なものとは全然違います。一知半解の後付けの解説を許さない、自他に厳しい態度といってよいでしょう。
すでに知られているように、上坂氏はこの4月に亡くなられました。本書の奥付が5月1日。それだけに、上坂氏の「いい時期にいい対談ができた大変喜んでいます。・・・間に合って本当によかったというのが正直な感想です。」という言葉が胸に沁みます。本当に間に合って良かったです。合掌。
紙の本対論・異色昭和史
2009/05/23 17:09
金剛力士の丁丁発止。
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:和田浦海岸 - この投稿者のレビュー一覧を見る
あちこちとまだら読みしています。楽しい。新書の帯には二人のお写真。その写真からの連想じゃないのですが、お寺の山門ににらみをきかせている仁王さまが思い浮かぶのでした。ちなみに、仁王さまは正式には金剛力士。
口を『阿(あ)』と開くのが金剛、『吽(うん)』と閉じるのが力士、一対で伽藍をお守りするのでした。新書の対論を読んでいると、そのア・ウンの呼吸が、読む者に伝わってきます。たとえば「そうかなぁ。まあいいわ。ここで鶴見さんと議論してもしょうがないから」と最近亡くなったばかりの上坂冬子さんは喋っております。まずは、上坂さんの言葉を少し拾うのからはじめます。
「そんなことを聞いてるんじゃありません。」(p80)
「私は自虐という態度が嫌いではないけれど、国家をひたすら自虐的に弾劾する行為は歴史認識を狂わせると思う」(p90~91)
ということで、たとえば「九条」の話になる。
【上坂】そこまで考えて、その上で永世中立を望むのは、論理的にもよくわかる。でも日本は何も持たず、字で書いた九条だけにすがって平和を守れというわけでしょう。(p112)
【上坂】日本も知恵がないじゃありませんか。あんな九条を有り難そうに奉って「九条の会」を作って集まっている人までいるんですから、鶴見さん以外は私と話が通じそうにない人ばかり(笑)。本当ならサンフランシスコ講和条約の直後に、日本は日本の判断として新しい憲法を作るべきでした。あの時、日本人の判断で九条めいたものを作っていたなら、私も「九条を守れ」と言ったかもしれません。
【鶴見】いいじゃない、その考え方。賛成だよ(笑)。
うんうん。せっかくだから鶴見俊輔氏の、そのすぐあとの発言も引用しておきましょう。
【鶴見】あの時の総理大臣は吉田茂だ。彼は自衛隊も作ったでしょう。昭和32年防衛大学校の第一期卒業生を前にして彼は次のような意味の訓示をしている。
『君たちは自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり歓迎されたりすることなく終わるかもしれない。批難とか誹謗ばかりの一生かもしれない。ご苦労なことだと思う。しかし、自衛隊が国民から歓迎され、ちやほやされる事態とは、外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。言葉を換えれば、君たちが「日陰者」扱いされている時のほうが、国民や日本は幸せなのだ。耐えてもらいたい』と。これは吉田茂でなければ言えない偉大な言葉だ。(p114~115)
「全面講和か単独講和か」というのは、
上坂さんが語っておりました。そこも引用しておきましょう。
【上坂】ええ、そりゃわかってますから怒らないで(笑)。
あの頃ですねぇ。全面講和か、単独講和かで世論が二つに割れて騒いだのは。全面講和というのは、ソ連も加えて全戦勝国との講和を締結すべきだという意見、単独講和はアメリカを主とする戦勝国と結べばいいという意見。当時はアメリカとソ連が対立してましたから、全面講和なんていつまで待ってたって結べる見通しなんかありゃしません。それに原爆を二つも落とされた日本が二度と立ち上がれないのを見越して、不戦条約を勝手に破棄して8月9日に参戦したソ連が戦勝国なもんですか。常識で考えてもおかしいです。
でも東大総長の南原繁さんなんか、全面講和を主張して吉田首相から『曲学阿世の徒』呼ばわりされてましたね。あの時、私はつくづくインテリなんて駄目なもんだなぁと思いました。全面講和を待っていたら日本はいまだに独立できなかったかもしれない。(p122)
「きれいな水爆」という箇所もありました。
【鶴見】追い詰められた人間の勘でしょう。いよいよとなると人間にはそういう勘が働くんだ。その点で、くどいようだけど、原爆についての日本人の勘はにぶいねぇ。アレを落としたアメリカを総立ちになってウジ虫呼ばわりするどころか、インテリの中には事もあろうにきれいな水爆と言い出す者まであって呆れ果てた。
【上坂】どういうこと?
【鶴見】ソビエトが落とせばきれいな水爆だという輩がいた。
【上坂】そんなバカな。
【鶴見】きれいか。汚いか、落とした奴によって決まると言わんばかりの傾向が戦後の一時期にあってね。日本のインテリはそれで共産党系と非共産党系に分かれたんだ。ヘンな知識を身につけるとああなる。・・・・(p128)
うん。引用だと、キリがない。
人によっては、もっと興味深い箇所を指摘できるでしょうけれど。
まずは、金剛力士の丁丁発止という味わい。
上坂冬子氏も、これが鶴見俊輔氏との最後だという勘が働く。そんな気配。随所に、ポイントへの舵取りを感じます。こういうのを要約すると、いたずらに、スケールが小さくなるばかり。興味をお持ちの方は、この新書で、ぜひ阿吽の呼吸を、お確かめください。