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(2008/5/31読了)論語やマルクスやカントやドストエフスキーといった「古典」を読んで思想的な基盤を築く、という努力をしなくなった結果、大きな不安や困難に出会った時に、一気に楽に解決したいと思って甘い誘惑や非科学的なものにぱっと飛びつき簡単に騙されてしまう人が増えたのでは?と説く。平たく言えば、おカタイ読書をもっとしましょう!ということ。共感する一方、私自身、いわゆる古典はあまり読んでないです…マルクスとか…しょせん新書リーダー(^^;
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日本人が勉強不足なのは同感であるが・・・。僕のあまり好きになれない昔は良かった思考の本。今の学生に勉強して欲しいのであれば、こういう語り方ははっきり言ってダメだと思う。現在学生の僕の意見。
かつての学生は、雀荘やパチンコ店に通いつつも生き生きしていたとか言っちゃってるし。今の学生は真面目に講義には出るが、学ぶ意欲からではないと批判しているが根拠があまり感じられない。
かつて、クリスマスデートのために本を売ったことを後悔しておられるが、そういうくだらないことを糧にするのも大事だと思う。
遊ぶことで遊びの無駄さやむなしさも分かるのでは?
少なくとも僕なんかよりは遥かに勉強をしているのだろうが、政治や経済はおそらくあまり詳しくないのでは?原因に至るロジックにはところどころ疑問符が付く。
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買う価値なしですね。古き良き時代を懐かしむ感じ。
データが乏しいし、時代の変わり目はいつもこの論争は起こる。
裏付けがあまりに乏しいです。
ただ、本全体を通して「熱く、骨太に、粘着質的に人と関われ!」
というメッセージは共感できます。
ポイントは、
1:やさしさ・他者との緩い関係は意味はない
2:アメリカ文化の悪い所ばかり輸入している
3:哲学・一般教養を身に付けろ
ですね。
まぁ、特に目新しい論理展開もなく巷で言われていることを
まとめた感じで・・・・。
この書籍の中で、昔も今も尊敬できる大人がいたし、その大人達は
哲学や一般教養を身に付けていた。だから身に付けろ!
っていう事なんですけど、そんなにすごい大人います?
過去に類を見ないほど、ネット社会が進行し、多くの情報が手に入ります。
汚い政治家、企業経営者、教師、医者・・・・
本来モラリストである人達が、全くそうでない事実。
しかも、それらは一流大学を卒業して一流の教育を受けてきたはずです。
全く持ってナンセンスです。
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この人の教育論にはどちらかというとうなずく部分が多いが・・・。
この本はさすがに言い過ぎな部分も・・・。
卑近な例は辞めましょうや
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旧制高校生は当たり前のように東西の古典に触れ、飯を削ってでも読書をし、教養を身につけることに貪欲であったのに、なぜ昨今の若者は読書も全くせず知性を磨こうとしないか。哲学が重んじられた時代からマルクス主義、昭和の全体主義、戦後のアメリカ化を経て、教養が疎んじられ、蔑まされる現代という、教養に対する捉え方の史的な経緯とともに、「リスペクトの精神」を養う必要性を説いた1冊。
例によってとても論がはっきりしていて分かりやすく、読みやすい。こういう本は大学生になる前に読んでおけば良かった。特に、なぜ専門科目だけではだめなのか、一般教養を学ばないといけないのか、という問いにはっきり答えてくれている(p.153)部分が印象的だ。さらに、「『知っている』ことと『できる』ことは、全く違うことだ」(p.218)のあたり、「技化」という概念も納得できた。(08/07/24)
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齋藤 孝さんの言っている勉強に対するエネルギー
読了後に、一度うなずく
この本のおかげで私はもう一度勉強に対する熱を取り戻せた。
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久々の紹介です。
自分の大学生時代のことを思い出して深く反省したり、机に向かうだけではない、
広い意味での『学び』について真剣に考えてみようと思える一冊でした。
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面白かったので☆5つ。ただ読者層を広げるため易しく書いかれているので、著者の主張が弱くなってしまったような気がしないでもない。
教養の大切さが書かれています。昔と今の比較が漫画の世界のようで、興味深いです。やはり、本は読むべきです。
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現代でいえることは、全般的に「学ばなくったっていいじゃん」というネガティブマインドが、特に若者を中心として蔓延しているという点であろう。
最近ではおバカブームが記憶に新しい。
若者に関して言えば、将来への選択肢の広がりも原因と言えるのではないのか?
水平的に楽しみを共有する友人のような親子関係が多くなり、そのせいかどうか、教師への敬意もない。
一生懸命やれば報われるという気持ちも欠如し、就職しても自分的な勝手な理由ですぐにやめてしまうなど、精神的な弱さも危惧される。
リスペクトの精神はいったいどこへいってしまったのだろうか。
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前半は「昔は〜だった」が続き多少うんざりさせられる。
しかし、後半、特にあとがきが素晴らしい。
教養を身につける過程で自らを掘り下げ、思想的背骨を構築する/「あこがれの連鎖」を生む/信頼できる「技」を身につける・・・
変化する社会を懐古的視点で見るのではなく、今後どのような姿勢で生きていけばいいのかを建設的な視点で述べられており好感が持てます。
齋藤孝をちょっと好きになった一冊。
でも前半だけで読むのやめる人が多そうな気も。。
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1980年代以降、「勉強」がむしろ「生きる力」を阻害するものという愚かな誤解が横行した。実際は、生命力は、努力して学び、身につけた技によって養われる。どこかでこの時代の流れを変え、日本に「積極的な学ぶ構え」の大切さを復権したい――著者は、そんな願いに20年突き動かされてきたという。その熱が充分に伝わる、読み応えのある本だ。
日本人はなぜ学ばなくなったのか。それは「リスペクト」を失ったからだ。努力しなくなったのも、勉強しなくなったのも、社会が様々に崩れつつあるのも、根本は、知性教養や人格への敬意が失われたからではないか。著者は、大学の教授として学生に接しての様々な体験やいくつかのデータなどから、現在の若者の間に起っている変化を、深い洞察力とともにとらえている。読書量や読書傾向にも学ばない学生の姿がはっきりと表れている。
日本の良さが崩れつつある原因のひとつを彼は、多くの日本人が「自分たちがどのような自己形成をすべきかというモデルをすでに喪失している」ところに見る。戦後の日本の社会では、日本の社会や文化がもっていた良さをすなおに肯定したり、はっきりと語ったりすることが、悪いことのように見なされてきた。おかげで、日本を讃えたり、日本人であることに誇りを持つといったアイデンティティがつくりにくくなっていった。
自分たちの社会や文化を否定的にしか教えない教育をずっと受けてきたのだ。それもあって、自分を自己形成する「核」すらも見失ってしまった。しかし、自分たちの文化を否定的に見てきたのは日本人だけである。
以下に、この本に刺激されての私の見解を述べる。今、世界中の人々が日本文化の素晴らしさに気づき、憧れをもっている。それを知ることは、自分たちの文化を否定的にしか見れなくなっていた色眼鏡を一度はずし、もういちど客観的に日本文化の良さを見直すことにつながる。自分たちが守るべき大切な「核」が何であるかを再発見することにつながる。――最近、私はそのためにも、何がクールジャパンなのか、色々な角度から調べていくことが大切だと思うようになった。
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教養主義の消滅が原因だとしているのはとてもわかりやすくなるほどと思ったが、後半がグダグダしてきて飽きてくる。ただけっこう面白いしがんばろうという気も起きるので、大学入学の熱意が薄れてきた頃に読むといいのかもしれない。
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藤原正彦さんと主張が似てると思う。
若者の、教養に対する価値観が変わってきており、それが学ばなくなった原因。このままでは国際的に対等にやっていくる人材が減るという事。
この本ではアメリカ化、特にロックなどの一時的に快楽を得られるカルチャーの輸入が原因だと説き、そうではなくまわりみち的に自我を形成するのに役立つ読書・書生的な暮らしの必要性を解く。
意外だったのが東大生の蔵書が減っているということ。調査によると1974年に蔵書が100冊以下の学生は15%だったのに対し、2000年には100冊どころか50冊という項目の新設にまで至り、しかもその数は37.1%もに上っている。この中には、教科書の類も含まれるらしい。
読書にはある程度の幅が必要だと思うが、これでは足りないんじゃないかなぁ。
若いうちに自分を掘り下げ、掘った分だけ後で伸びるという考えは、個人的に好き。哲学し、本をたくさん読みたいと思った。
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私が本を沢山読もうと思うきっかけになった本。
本を読む大切さがたくさんの言葉で書かれています。
斎藤孝先生は大好きでしたので、すらすら読めました。
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行き着くところはやはり教育なんだと。そういうことだ。
私は今必死に日本の事(歴史や文化など)を知ろうとしてるけど、本来なら学校で教えるべき処で・・そういうことを知るにつれて後悔ばかりなんです。
なんでもっと・・と、その感情ばっか。
学ぼうとしなかった学生時代の自分が情けないし腹立たしい。でもそれ以上に何も教えてくれなかった教師に腹が立つ。
だって、君が代すら歌えなかった。これって本当に異常だと思う。