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「自分は科学者でも音楽家でもない」と言う書き手だから書きえたのかも。音楽の神秘への科学者のあくなきアプローチにも解き明かせないヒトの心のありようにも感動する。
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絶対音感というものを持つ人を目の当たりにしたとき、結構驚いた記憶がある。
相対音感はあるけれど、絶対音感があったらどんな感じなんだろうという興味はいまだ尽きない。
あったらあったで、やっかいな部分もあるみたいだけど、やっぱりうらやましい。
そんなことをぐるぐる考えて読んだ本。
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父が持っていた。これを読んで、自分は絶対音感あったんだ!と気づいた・・(ずっと当たり前だと思っていました)。専門家じゃない人が書いていて、あえて一般の人にも分かる内容になってる。脳の話にも及んでとても面白かったです。
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サイレンを音階で歌う人は私です、更に五嶋母のニ長調も勿論私です(爆)。
いや、音って全部楽譜になっちゃうよ。それがしばし不便なのでありますが、ってとこまでは書いてないか、この本には。
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絶対音感という、よく聞くけど中身はあんま知らない不思議な能力についての本。
音の勉強したい人は読むべきかな、と。
読みこなすの大変だったけど、面白かった。
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絶対音感についてのルポです。
音感の付け方の本、というよりは、音感がある人はどんな世界で生きているの?とかそのような謎に向かった本です。
実際に音感がある人への取材や脳の働き、はては戦前の音楽教育の話まで様々な角度からの考察が面白いです。
音がわかるって、どんな音でも音符に直せてしまうのだろうか。これは音感が無いとある人の意見。
音がわかる、というのは普通のことだと思っていたし、もてはやされるほどのことではない。これは音感のあるとある人の意見。
私は実際楽器の音くらいしか聴いて音名を当てられないのですが、でもやはり後者の意見と同じく音名で聴こえてくるのは普通だと思っていました。
そういう違うサイドの人の意見を知ることも出来るし、他にも色々な「種類」の絶対音感についてでてきたり、音感に固執する日本人のことなど、へー、と思えることが載っています。
読み物として純粋に楽しめました。
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面白かった!
最後の五嶋みどりのエピソードはそうでもなかったけど、それ以外がとても面白かった!
「絶対音感」てのを探っていくと、日本の音楽教育にぶち当たるわけですね。ヤマハも出て来たし、
自由学園の音楽教育も出て来たぞ!
でも、突き詰めていくと「絶対音感」て何だかわからなくなるものなんだね。「固定…」と「移動…」のことも知らなかったなあ。
わたしみたいに、自分の弾ける楽器だと音がわかるという人は結構いるんだなぁ。
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Book Off の100円書棚で見つけました。
新本同様です。定価は657円、
小学館ノンフィクション大賞受賞作です。
文庫本にしては中くらいより少し厚めです。
読み切れるか、心配ですが、このような事に
興味があります。読み切れなくても100円
だと言う気持ち。私の購入したのは小学館文庫。
半分以上読めれば コメント書き直します。
まず第1章は
10人くらいの、絶対音感を持っている人について紹介
されています。
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絶対音感とは何なのか?を多面的に捉えようとしたノンフィクション。
あるからと言って、それだけで素晴らしい音楽家になれるわけではない。なのにそれがあればもう大丈夫と思ってしまうから問題となることも。絶対音感という言葉の意味、それを持つ人、持たない人、聞こえるとはどういうことか、音楽を聴いて感動するのはなぜか、と、一方的な教育論でも、否定論でもなく、色々な方向から向き合あおうとしている本。面白かった
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第4回小学館ノンフィクション大賞。
「絶対音感」は音楽に必要か、そもそも本当に「絶対」なのか、などを追求しようとしたノンフィクション作品。
これにあたって、作者は音楽家・音楽教育関係者100人に質問状を送って取材をしている。千住真理子、諏訪内晶子、五嶋みどりなども絶対音感について答えてくれている。
また、戦後の音楽教育~ヤマハ音楽教室の功罪、外国との絶対音感の価値観などにも触れていて興味深い。
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音を聴いて、その音名を言えるという「絶対音感」。
音楽に関わるものには非常に便利な能力。
だけど、絶対音感を持つ者には周り中の音が全て音名で聞こえてきてやっかいなものだとも言われる。
私には絶対音感はない。
だが、相対音感はあるし、絶対音感に近いものは持っていると思う。
その中途半端な音感が身についた理由がこの本である程度明らかになった。
私は4歳からバイオリンを習い始めた。
そして和音の音名を言う練習もさせられ、15前後の和音を区別し3つの音名を言えるようにはなっていた。
ただしドイツ語で。
「ドミソ」なら「ツェーエーゲ」と言うように。
もちろん子供の私にはその意味は理解出来ない。つまりそこでドミソの和音を聞いても「ツェーエーゲ」とは答えられるが、ドとミとソの音の合成音だとは認識しなかったのである。そのため、脳内で音と音階のラベリングができなかったのだと思われる。
そして、もうひとつの理由。
それは鈴木メソッドでバイオリンを習ったこと。
これは音を音名ではなく指番号で覚える。脳内で音と指の位置がラベリングされてしまったのだ。
つまり音を聴いたら音名はわからないが、どの指でどこを押さえれば同じ音が鳴るかがわかるようになった。
ソルフェージュなんてしてないものだから楽譜は読めない。だけど、曲を聴けば弾けてしまうということができるようになったのは、この訓練のせいだと考えられる。
あと、バイオリンの音で開放弦の音(E,A,D,G)であれば絶対音感は身についていると思う。(ピアノもある程度はわかる)
ただしAの音を聴いてAの開放弦の音だとは認識できても「ラ」だとは認識できない。
こういう音楽教育を小さい時に受けてきたので、このような音感の持ち主になったのだということがこの本のおかげで分かった。
この中途半端な音感で役に立ったことと言えば、カラオケでキーを外さずに歌えるってことかな(そのキーが出せればだけど)。
逆に不便に思ったのが演奏とボーカルのキーがほんの少しでもズレてると気になってしょうがないということ(はっきり言えば下手に聞こえてしまう)。特にライブの演奏などは気になってしょうがないってことかな。
子供の頃からの音楽教育によって絶対音感を身につけることは可能だろう。だがそれが本当の意味での絶対音感ではないことをこの本で教えられた。
■この本を知ったきっかけ
BS11『ベストセラーBOOK TV』で紹介されてた
■読もうと思ったわけ
絶対音感に興味があったため。
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絶対音感とは音楽性と違い、手段。相対音感(調性感)が重要。音とは結局、人と人との間の空間をどれだけ大きく揺るがすことができるかという超能力の様なもの。発せられた音だけを表現だと思うのは、鑑賞者である。創り手にあっては、物理的な音現象が始まる前に、その音が欲しいという欲求がすでに自分の中で立ち上がり、発せられた第1音が自分に変化をもたらす。その変化が次の音を生む欲動へと螺旋状につながっていくことが、演奏という行為である。創り手が意識せずとも持っているイリュージョンが、鑑賞者の心といかに接近し、触れ合い、交差するかによって、そのメッセージが意味を持つ。
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絶対音感は、ものの振動数が絶対的な値であることを考えれば不思議ではない。
音叉という音合わせに使う道具は、コンピュータでも実現できる。
人間の感覚が弁別閾という相対的な処理が得意なことを考えると、
絶対処理と相対処理がどちらが得意かという問題になる。
それでは、絶対音感がある人が音楽で有利かという幻想を持つ人がいるので、
具体的な情報を提供しようとしていると理解している。
体内に音叉を持っていることが、どれだけ人間に取って幸福なことであろうか。
体内に音叉を持っていることが便利というだけであれば、
では物理的に音叉を持ち歩くのは嫌なことかどうかを考えてはいかがでしょうか。
事例から直接、自分や子供の教育について方針を決めるのではなく、
その子にとって、何を得意であることを自覚すると幸せかで考えて欲しい。
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絶対音感を身につけると、音楽を左脳(言語脳)で聴く傾向が出来る (P.81)
日本は絶対音感教育天国
Missing Fundamental (P.108)
1000Hz, 1200Hz, 1400Hz, 1600Hz の音 → 200Hz のピッチに感じる
900Hz, 1100Hz, 1300Hz, 1500Hz の音 → 200Hz のピッチに感じない
言語の習得と絶対音感とは似ていて、ある年齢までに覚えないと「母国語」として身に付かない。それ以降だと習得しても繰り返さなければ失ってしまう (P.98)
絶対音感は、物を比較する能力を子供が獲得してしまうと身に付きにくくなる (P.134)
日本の義務教育では、ドレミを階名とする 移調ド唱法が行われている (P.148)
戦時中敵機の種類を見分けるのに絶対音感が使われた時期があり、絶対音感教育が奨励された暗い過去もある。(P.65)
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11/21
読みたい
銀座ヤマハで衝動買い。立ち読みしたらどのページを読んでも続きが気になったので思わず買ってしまった。因みにその時一緒に買った楽譜は、メンデルスゾーンの第3交響曲と、ピーターと狼のスコア。