電子書籍
良い意味で汗臭い本
2020/08/06 21:55
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投稿者:プランB - この投稿者のレビュー一覧を見る
日本の国産アニメというものが明白でなく、技術の蓄積がまるでない状態からジブリや現在の日本のアニメへの方向性が形作られていく様を現場で駆け抜けた人の視点で追っていく作品。
巻末に載せられた故・高畑勲氏の論文も本文を立体的にする素晴らしいものだった。
紙の本
伝説のアニメーター・大塚康生
2014/02/12 11:47
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投稿者:竜 - この投稿者のレビュー一覧を見る
大塚さんのアニメーターとしての歴史は、日本アニメーション創世記の歴史と言っても過言ではないです!なかなか興味深い内容が書かれており、あっという間に読み終えてしまいました。
貴重なアニメーション史についての証言であり、一読することをオススメします!
電子書籍
日本の
2021/11/16 20:57
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投稿者:エムチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る
アニメーションの歴史が、詳しくかいてあります。大変な、初期から、発展して、世界のアニメーションをリードし始めるまで、本当に、苦労と努力の日々……。今の日本のアニメは、あの時代があってこそなんですね
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投稿者:ハム - この投稿者のレビュー一覧を見る
日本史に残る貴重な記録だと思います。アニメーションの当時の仕事の様子などもわかるし、興味深かったです。
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宮崎駿氏の中傷絵画が傑作
手塚治虫がテレビアニメーションに残した負の遺産について率直に書いている。低予算、止め、静止画
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そうかぁ。元々はアニメージュの連載で、一番最初はアニメージュ文庫で出てたのね。全然知らなかった。
アニメーターのこういう本というのはあんまり無くて、興味深く拝読。
特に大塚さんは、日本のアニメ第一期を担っていたと言ってもいい作画スタッフです。東映の『白蛇伝』も関わっていて、日本アニメ史を知ることが出来る本にもなっています。(もちろん、大塚さんの仕事の話なので、触れられていないこともいっぱいあるのだろうけど)
個人的には、こういった本は、沢山出てくると嬉しいです。
作画スタッフはまだ何をしているのかは想像できますが、撮影や動画チェック、音響効果、ダビング、などなど、アニメーションのスタッフは多岐にわたるのですから。
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アニメーションは動きで演技をする。だからいつも汗まみれ。「アニメーター」大塚康生さんの淡々と、そして飄々としながらも熱さが伝わる語り口が心地よい汗のよう。
それにしても本書も初出から30年以上、「増補改定版」を経て「改訂最新版」に。そのうち「新訂版」とかでてくるかも。でも、「決定版」は永遠に出さないだろうし出て欲しくない。
余談だけど、以前田宮模型から出ていた大塚さんデザインのデフォルメ版ジープの復刻版モデルって出ないかな。
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読むのに時間がかかったけど
まぎれもなく傑作。
当時のアニメーターとはなんぞやがすごくよくわかる。
アニメーターに限らず、昔のひとは本当によく働く。
レールがない分、挑戦力は並々ならない。
当時の仕事場のにおいや、机の質感までわかるんじゃないかってくらいアニメーターたちが日々机にかじりついている姿が目に浮かぶ。
入社一年めでラストを変えてしまう脅威の新人、宮崎駿、登場には指笛ピューウイって鳴らしたくなった。
いかに格好良くもしくは可愛らしく、止め、決めのポーズを描けるかがアニメーターの専門学校でも重要課題として取り上げられている現代と比べて、
大塚さんたちの時代は、いかに動かすか、絵に演技をさせるかというところに重点を置いていた。
「最後は人間の問題だよ」
本作の名言です。
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日本のアニメーションの歴史を語る1冊。
割と目に入るのは、手塚 治虫が中心にいるものがほとんどだった。
これは、アンチ手塚 治虫です(笑)
手塚 治虫が、いかに若者をそそのかしビジョン無く食いつぶしていったか、そして、いかに日本のアニメから「動き」をなくしてしまったか、いかに、労働環境を悪くしたかということが語られています。
そして、それでも見えてくるのは、まわりをものすごい勢いで巻き込んでいく、手塚 治虫の熱量であったり、才能であったりもするのですが。
たった1人が、日本のアニメ界の未来を修復不可能なほど壊してしまった……と、ジブリというか、元・東映動画の人は思ってるみたいです。
そんなことができるのは、やっぱり手塚の天才を感じます。
まぁでも、宮崎 駿たちだって、家にも帰らずにアニメを作っていたんだから、そんなに労働環境は変わってなかったような気もします。
一から日本のアニメーションを作り上げてきた人による理論書であり、またその日本のアニメーションの黎明期の証言でもあります。
かなり貴重な本だと思います。
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一気に読んで、感動した!
駿先生も人間。手塚先生も人間。勲先生も人間。
アニメはそんな人と人、人と会社、そのダイナミクスの中で生まれたと改めて実感。この仕事が絶対したい! 僕がアニメを変えたいと思った。
ちょっともっかい読んでくる。
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絵という芸術が,描いた人間性を如何に反映させるか,また反映させなければ描けないのかが深く理解できる.また,現在のアニメーション文化が確立した背景と歴史が100%文章化されている,という意味に於いて,この世に二つと無い価値ある証明書物である.また,巻末に収録された高畑勲氏の,この歴史書に対する論文が高畑氏の為人をまざまざと示している点も興味深い.過去・現在,を睥睨し,じゃあ,将来はどうすべきなのか,を提示しない人の悪さよ.
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【伝説的アニメーターによる名著を文庫化!】高畑勲・宮崎駿が兄貴分として慕い、『ルパン三世』など数々の傑作アニメを作ってきた職人的名アニメーターによる貴重な証言録。
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文庫版は初めて。「増補改訂版」以来久しぶりに読んだ。本文もさることながら、巻末の高畑勲の論文が素晴しい。
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ずーっと読みかけのままだったのですが、朝ドラ見ているうちに再開。まさに東映動画でのアニメーション黎明期の話で2倍面白く読めました。最近仕事をしていて思うのは、誰も見たいと言っているわけでもない、作ってくれと言っているわけでもないものを作り出して世に出す仕事とはどんな思いで向き合っているのか?仕事としてどのように成立させるのか?自分の欲求を満たすためだけなのか?問題解決型の使命感とはまた違ったモチベーションなのだろうと思うのでますます興味深く思えてきてます。こういう仕事をしている人と話てみたい!
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一般的にいって、原画という仕事にはいろいろな時期があります。はじめの頃は演出やコンテの指示どおりに絵を描いてしまう結果、案外、サッサと仕上がっていきます。しかし、その内容は「言われたとおり」に描いた以上のものではありません。場合によっては演出家の期待以下ということもあるでしょう。これがしばらくたつと、作品のテーマやシーンなりカットなりの技術的な構成やキャラクターの性格について、自分なりに考え始めます。それまでのように、早のみこみに絵が描けなくなってしまう時期に出会うのです。
以前に比べるとはるかに注意深くなり、動きと演技についてさまざまな角度から考えるようになります。考えすぎると失敗することもありますが、とにかく原画をはじめた頃よりもスピードは落ち、その代わりに厚みのある動かし方が生まれます。
この時期を通過すると、ある程度自信をもってカットに向かうようになりますが、同時にマンネリズムとワンパターンな動き、自分では意識していないが、前にも一度ならずやったことのある動き、クセが出はじめます。
このクセというのは、絵を描く人が必ずもっている個性、美意識から来るものです。動画をやっているあいだはあまり目立ちませんが、白紙から原画を描くようになると、だれの目にもはっきりするようになって、その優劣が問われます。
宮崎さんは鈴木清順さんのシナリオをチラッと見ただけで、新たに構想を練ることで藤岡さんの了承を得て、テレコムの物置きのような小部屋に引っ越してきました。
彼は映画の主人公たちを、生きている人間のように自分に引きつけて考え抜きます。ルパンは彼の中で歳を重ねていて、おっちょこちょいではあるものの、老成したやさしさと思慮深さがあって、クラリスへの距離のおき方にも中年らしい分別があり、まるで彼自身が若い女性に対してとっているスタンスを感じさせるものでした。
技術講習会はハリウッド通りのドまん中に建つハイランドビルで週2回行われ、フランクとオーリーが交代でアニメーションの具体的なテクニック、あるいはキャラクター・アニメーションというよりも
●自分に欠けているものを与えてくれる人々に頼るべきである。
●知識を具体化するためにものごとを学ぶのではなく、独創的に応用するために、原理から学ぶべきである。
といった心構えを中心に話され、週1回、バーバンクのディズニー・スタジオでスクリーニング(映写会)が行われました。
まずディズニー作品が示していた方向は、要約すれば、次のようになるだろう。
a.ファンタスティックな要素の多い題材を選んで、絵でしか表現できない世界と人物を創造し(ファンタジーまたは動物もの)
b.ストーリーは、あらすじを話しただけで興味を持ってもらえるように、できるだけシンプル・強力な「幹」に整理し(ハリウッドの原則)、
c.そこに笑いあり歌ありの楽しいエンターテインメントの「枝葉」を繁らせて、
d.個々の人物の性格を身振りや表情でしっかりと描きわけつつ、アニメーションならではの流動感ある動きやリズム、ヴォードヴィル的な誇張された面白い演技���よって画面を活気づける。
e.その画面は、人物たちが縦横に活躍できる舞台(世界)としてきちんと三次元の空間を作るが、絵画スタイルとしては現実的であるよりは夢のあるおとぎ話的雰囲気をかもしだす。
f.表現は高度なものを目指すが、内容的にはあくまでもユーモアのある明るく楽しい、児童向けでありながら同時に大人をも満足させる大衆的な娯楽作品として作る。
主人公の運命に一喜一憂するとなれば、主人公に感情移入して見ていけるように作ることは当然だった。そしてそのために東映動画の漫画映画のほとんどの作品で主人公は「子ども」になった。たとえ元の素材の主人公が大人であっても、それを「児童向け」に作る以上、とりあえず「子ども」にするしかなかった。これが前述の「アクションシーン」中心主義と結びつけばどうなるか。
現在に至るまで以後連綿と日本で生産され続ける感情移入タイプの超人的子どもヒーロー像、すなわち、勇気や行動力があり、特に腕力の点で大人たちをはるかに凌駕し、社会の中で活躍する子どもヒーロー像の誕生である。そして『少年猿飛佐助』以来、東映動画は続々と子どもヒーローを生み出していく。
ただしこれは、東映動画のというよりは、戦後日本のマンガ・アニメの最大の特徴に違いない。『鉄腕アトム』も子どもである。アメリカでのヒーローは西部劇でも『バットマン』『スーパーマン』でも大人であることは当然で、それを見る子どもたちは「はやくああいう大人になりたい」とヒーローに憧れた。日本でもその影響で始まった『黄金バット』『月光仮面』や東映時代劇ではヒーローは大人(青年)だった。しかし、子どもが子どものままで社会に出て、自分たちの代表として大人を相手に活躍すれば、見る子どもたちはそれに感情移入し、心をくすぐられ、夢中にならないはずはない。これは美空ひばり以来の大発見・大発明だった。驚くべきことに日本では少年ガンマンさえ許容されたのだ(『荒野の少年イサム』)。そしてこれは結局は「メカ物」などで世界の子どもたちの心さえとろめかすことになる。